007 理解者
隣国まで移動して、過去の厄介ごととは決別した。
そう思っていた矢先にこれだ。
「はい……。その記事に載っているアイリスは私です」
嘘をつくこともできた。
アイリスという名前は別に珍しくないのだから。
それに、「そんなわけないじゃないですか」と否定してもおかしくない。
公国の伯爵令息と婚約していた女であることのほうがおかしいくらいだ。
きっと否定したほうがよかっただろう。
それでも私は認めた。
別にカッコイイ理由があったわけではない。
ただ嘘をつきたくなかっただけだ。
要するに正直者の馬鹿である。
そんな私に対し、フリックスは言った。
「そうか。災難だったな、汚れ役を押しつけられて」
「え?」
耳を疑った。
今まで誰一人として言わなかったセリフだ。
そして、私が最も言ってほしかったセリフである。
「相手の男……ライルのことは愛していたのかい?」
「い、いえ。友達のような関係でした」
「そうか。なら尚更に残念だったな。せめて嫌っているならよかったのに。さぞかし辛かっただろう」
「ど、どうして……」
言葉が震える。
「ん?」
「どうして、ご存じなのですか? 私が汚れ役を押しつけられたと」
パソコンに表示されている新聞記事を見る限り、私は完全な悪者だ。
ライルの愛を裏切り、どこぞの男と肉体関係を持っていたことになっている。
私が第三者でこの記事を読めば、きっと他の人と同じ反応をするだろう。
アイリスは酷い女だな、と。
「いかにも貴族のやり口だからね。それに君の立場で不貞行為を働くなんて考えにくい。失うものが多すぎるからね。また、仮に君がとてつもない愚か者で、そうした行為に及ぼうとしても、そもそものきっかけがなかっただろう」
フリックスの言う通りだった。
むしろ私は粗相をしないよう怯えていたくらいだ。
「フリックスさん……」
気がつくと私は泣いていた。
初めて自分を理解してくれる人に出会えたことが嬉しくて。
ずっと我慢していたものが解き放たれた。
「お、おい、泣かないでくれ。そういうのは苦手なんだ」
フリックスは慌てて立ち上がり、困惑しながらも抱きしめてくれる。
「でも、涙を抑えることができないんです……」
うわんうわんと子供のように泣いた。
「俺はどうすりゃいいんだ……」
などと言いつつ、フリックスは背中をさすってくれる。
私は彼の胸に顔を埋め、しばらく泣き続けるのだった。
◇
盛大に泣き続けた私は、涙が涸れると寝てしまった。
そのことに気づいたのは深夜のことだ。
「え、どこ!? ここ! ていうか私……ええ!?」
目が覚めると見知らぬ部屋にいた。
いや、厳密には一度だけ入ったことがあった。
昨日、家中を掃除した時だ。
「ここ、フリックスさんの家だ……」
長らく使われていない客室だ。
ベッドやテーブルといった最低限の家具だけある。
「そっか、私……」
で、ようやく気づいた。
豪快に泣いた挙げ句、すてんと寝てしまったことに。
(フリックスさんにお詫びとお礼を言いたいけど……この時間は迷惑になっちゃうから明日の朝にしよう)
ひとまずボルビーの様子を見ることにした。
静かに部屋を出て、音を立てないよう気を配りながら階段を下りる。
「うわぁぁぁ! 俺のお金が! 株ってクソだな! 二度とやらん!」
二階にあるフリックスの寝室から声が聞こえる。
ハキハキと話しているが、どうやら寝言のようだ。
(夢の中でも損をしている……)
今日の大損がよほどこたえたのだろう。
そんなことを思いながら一階を歩く。
作業場の扉が開いていて、パソコンの光が漏れていた。
寝る直前まで作業をしていたようでパソコンがつけっぱなしだ。
電気がもったいないと思うが、勝手に触るわけにもいかないので放っておく。
ガチャッ。
静かに玄関の扉を開けて外に出る。
暗がりの中をキョロキョロしてボルビーを捜す。
「あ、いた!」
ボルビーは隣の倉庫で休んでいた。
その前には荷車などが行く手を阻むように置かれている。
害獣から守るためのバリケードといったところか。
フリックスの配慮だろう。
「モー♪」
ボルビーは私に気づくと目を開けた。
頬を緩めて甘えるように鳴く。
「心配かけてごめんね。寝ちゃってたの」
「モー」
いいよ、と言ったものだと解釈する。
「ありがと!」
ボルビーの体をたくさん撫でる。
「お乳はまだ大丈夫? 苦しくない?」
乳牛は可能な限り毎日搾乳せねばならない。
少しでもサボると、おっぱいが膨らんで苦しくなる。
「モー」
コクリと頷くボルビー。
まだ大丈夫のようだ。
「朝になったら速攻で搾るから、それまで辛抱してね」
「モー」
今日の搾乳量は控え目だった。
なので、可能な限り早めに搾ってあげたい。
ボルビーにも迷惑をかけてしまったと反省する。
「じゃあ、おやすみ! ボルビー」
「モー!」
ボルビーの体を撫でて家に入る。
「あああああ! 俺のお金ぇえええええええ! いやだぁああああ!」
フリックスの寝言が一階にまで響いている。
可哀想なはずなのに、なんだか面白くて、クスリと笑ってしまった。
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