第30話 ひとやすみひとやすみ、あわてないあわてない。

「いただきます」


 宮本椿姫の朝は早い。

 明朝、四時に目を覚ます。時計の針の音、秒針がピタリと止まった瞬間に上半身を起こす。

 台所で顔を洗って歯を磨き、外行き用の服に着替えるため服を脱ぐ。

 そこで、姿見に映った自身の姿を眺めた。

 引き締まった身体ーにではなく、ピンク色、リボン付きの下着。


「……可愛いな」


 これも悪くない、椿姫は頬を赤らめる。

 思えば都会に出てきてから色んな事があった。ダンジョンがその最たる例だが、一番は自身の価値観の変化だと気づく。



 ――芯が強い事は良いことだ。しかし、時にはそれを覆すことも必要である。



 叔父の言葉が身に染みる。

 日課の朝走り。外に出ると、顔見知りになった叔母様から声を掛けられる。

 いつも、トイプードルの散歩をしているのだ。


「おはよう、椿姫ちゃん。今日も偉いわね」

「おはようございます。いえ、走らないと落ち着かないだけですよ」


 椿姫は犬が苦手だった。いや、犬が、椿姫を苦手としていた。近づくだけで、いつもワンワンと吠えられてしまう。

 椿姫は触れてみたいと思っていた。しかしこれは叶わぬ夢――そのとき、ジッとトイプードル、つまりはトイプーが椿姫を見つめていた。


 まるで、愛情表現をしてほしいかのように


 同じように椿姫も見つめ返す。心が、キュンッと揺れ動いた。


「くぅうん」

「あらあら、メルちゃん甘えたいの? 椿姫ちゃん、良かったら撫でてあげてもらえないかしら」

「よ、良いのかだろうか……?」

「もちろんよ」


 吠えないだろうか、椿姫はおそるおそる手を伸ばす。するとトイプーは、口を大きく開けた――かと思えばぺろり、椿姫の手を舐めた。

 嬉しさのあまり身体が震える。椿姫はゆっくりと頭部を撫でる。


「くうぅんっ!」

「嬉しいわねえ。椿姫ちゃんに撫でられて」

「……ふふふ」


 初めは都会に戸惑っていた。元の場所に帰りたいともさえ思っていた。

 しかし今は真逆。伊織や帆乃佳、小倉とも出会えた。


 ここがいい。まだ、ここにいたい。できるならばずっと。


    ◇


『――これで終わりだな』


 椿姫がサクリファイスを倒す――映像。


 直後、大量の水が降り注ぐ。

 たゆんたゆんたゆんがあらわになり、透けた白シャツから水着が浮き出てくる。

 伊織が選んでくれた、白のビキニスタイル。どちらもレースがついていて、とても女の子らしいものだ。下は、横の部分がヒモになっている。

 

 その後、邪魔になったのか椿姫は突然脱ぎ始める――。


「な、な、な、な、なんだこれは!? 私は、こんなことをしていたのか!?」

「切り抜き動画ですね。アルメリア会長が手を打ったみたいなので今は消されていますが、1000万再生を超えていたみたいです」


 学校の屋上、昼休み。

 伊織は、椿姫に見せたいものがあると言って、静かな場所に移動していた。


 未到達ダンジョンのニュースは、日本だけではなく、世界中に広まっている。

 

 一層制覇するだけでも一か月、二層、二か月、三層、三か月、危険度と共に日数が必要だが、椿姫たちはたったの一日でサクリファイス討伐まで行った。

 また、二つのスキルを持つ目覚めし者アウェイカーということも、知名度の向上に一役買っていた。

 今や海外ニュースサイトでは、大剣豪や宮本椿姫ではなく、ラストサムライといった愛称で親しまれている。


 それを伊織から聞いた椿姫は、そんな事よりも自分が全世界に向けて水着を披露したことに頬を赤くしていた。

 バズりたいとは思っていたが、コメントを確認すると別の意味での言葉が多い。


 “これが、大剣豪”

 “確かに破壊力が凄いな”

 “うーん、確かに二つ・・持ってるな”

 “サクリファイスより凄すぎる・・・・

 “大好き大剣豪”

 “水着、かわいすぎる”


「うう……」


 悶える椿姫。ただ伊織も、無意味にこれを見せたかったわけじゃない。


「確かにこれは不可抗力ですが、ここからですよ椿姫さん!」

「ここから……とは?」

「今や椿姫さんは有名人です。これから宮本流を広めていくためにも、良い事だと思います! 思っていたよりも学校で話しかけてくる人もいないですし、プライベートも確保できていますしね!」


 声を掛けてこないのではなく、掛けられない、事を当人たちは知らない。

 例えば学園に世界一のアイドルがいるとする。気軽に声を掛けられるものが存在するだろうか。

 それと同じで、椿姫と伊織は学生からすれば殿上人のような存在になっていた。しかし同時に、隠れファンクラブも設立されていた。

 そのことはまだ、二人は知らないが。


「……そうか、そうだな。前向きに捉えよう。しかし、叔父は許してくれるだろうか。きっと、怒って――」

「椿姫さんは、椿姫さんです」


 伊織の言葉に、椿姫が微笑む。


「……そうだな。コメントは確かに水着の事も多いが、剣技についても議論が交わされている。これは、私が望んでいたことだ。もっと、自分の目標に目を向けるとしよう」

「はい! 私もそう思いますよ!」


 椿姫は、伊織の優しさにいつも助けられていることに気づく。そして、頭を撫でた。


「伊織、ありがとう。私は、君がいないと駄目だな」

「えへへ、そういってもらえると嬉しいです。でも、それは私もですよ」

「……私は、何かできているか?」

「椿姫さんの真っすぐな姿を見ていると、私も頑張らなきゃってなります。いつかは、椿姫さんとも戦えるような! あ、すいませんこれは言い過ぎでしたね!?」

「いや……嬉しいよ。そういってくれるのは」

「はい! 次のダンジョンも頑張りましょうね! ほかには何かしたいことはありますか?」

「そうだな。もっと宮本流を広めたい。そして叔父から聞いたことがあるんだが――」


 すると椿姫は、少しだけ小さな声で言う。驚いた伊織が、叫ぶ。


「ええ、“道場破り”!?」

「ああ、帆乃佳に聞いてみたが、今はどの道場にも目覚めし者アウェイカーがいるらしい。――私は、戦ってみたい」


 サクリファイスと対峙したときと同じ笑みを浮かべる椿姫。それに伊織は少しだけ畏怖する。しかし――。


「わかりました。でしたら、ダンジョンと道場破り、いや目覚めし者アウェイカー破り、しましょう! なんだかちょっと悪い人たちみたいでワクワクしますね!」


 否定せず、肯定してくれる伊織に、椿姫はふたたび感謝の言葉を伝えた。


 それから伊織は、鞄に手を入れると、ごそごそと何かを取り出す。

 それは――お弁当箱だった。中をぱかっと開くと、まるで宝石のように色とりどりのおかずが詰め込まれている。

 椿姫の好きな魚も。


「これは?」

「一緒に食べようと思って、今朝早起きしてきたんですよ!」

「本当に伊織は優しいな」

「とんでもないです! あ、たまには日常配信してみますか? 学校の制服ですけど、エフェクトで何とかなると思いますので!」

「よくわからないが、それは任せるよ。でも、私も視聴者と会話をしてみたいな。いつも、配信は忙しいしな」

「そうしましょう!」


 そして二人は、配信を付けた。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 帆乃佳が通う学校は、都内のお嬢様学校である。

 気品のある純白の制服に身を包んだ彼女は、空を眺めていた。


「はあ、椿姫椿姫椿姫、椿姫椿姫椿姫、いったいなにをしているのかしら。椿姫、好き好き好き好き好き。会いたい、ねえ、会いたいわああ」

「――小倉、焼きそばパン、買ってきましたー!」

「え、ひゃあっあ!?」

「どうしましたお嬢様? 今何か言ってました?」

「な、何でもないわ(危ない危ない。小倉、能力を使って突然現れるのよね……)」


 するとそこで、帆乃佳の通知音が鳴る。

 何だろうと思いスマホを開くと『大剣豪と伊織、お弁当配信』が表示された。

 0.0001秒で開くと、そこには「ほら、口開けてくださいよ」「う、うむ。――美味しいな、たこさんウインナーは」が映し出されていた。


「な、な、な、な、なああああああああああああああああああああああああああああ」

「お嬢様、どうしたのですか!?」 

「ああああああああああああああああああああ(どうして椿姫、どうして、どうしてなの椿姫。私も手料理作ってあげたい。でも、私は料理が苦手。いや、逃げちゃダメ。頑張るのよ帆乃佳。そうね、料理教室に通いましょう。そうしよう!)」

「お嬢様!?」

「何でもないわ。――小倉、明日から放課後ちょっと忙しいから、一緒に下校はできないかもしれないわ」

「ええ、なんでですかあ!?」


 それから一週間後、とある都内の料理教室に通う、二人の探索者の姿があった。


「なるほど、小麦粉をしっかり――え、か、か、会長!?」

「ん、佐々木さん!? どうしてここに?」

「え、いやその、料理が上手になりたくて……会長は?」

「わ、私もですよ。ちょっと思うところがありましてね」



 二人が椿姫に手料理を食べさせるのは、まだまだまだまだまだまだまだまだ――先のことである。



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