第33話 鉄壁のカワズ・イノナカ
翌日。
「いやあ、今月中に銅級にならないと除籍なんだって?」
試合を決めたジンクは、カワズと闘技場で向かい合っていた。
「でも知らなかったし、アンタ狙ってた訳じゃないんだ。恨むんならあの子恨めよな」
開口一番。
カワズが告げるのは言い訳にもならない正当化。
「まあ感謝してくれよ。昨日勝ったから暫く降級の心配もないんだ。それなのに戦ってやるんだからな」
(よくそんな事言えるもんだ……)
ジンクは心の中だけで吐き捨てる。
セーラの仇を討とうと朝起きてすぐにカワズに試合の申請をしたジンクだったが、当然のように申請は却下。
それでも諦めず、思い付く限り条件を上乗せし。
ようやく昼頃になって試合の申請が通ったのである。
「それにしても、もう除籍待つだけだってのにわざわざ試合とか、勝っても負けても何の得もないだろ。痛いの大好きマゾなのか?」
対するカワズは通常通り。
負けても普通に功績値を支払うだけ。
おまけに毒の経緯などを考えれば、どう考えても感謝する理由などない。
「別に。アンタをブチのめさないと気が済まなくてな」
試合前に下手に感情を見せたって、得なんてないのは解っていた。
むしろやる気満々な事が伝わって警戒されるだけ。
それでも、これ以上黙っている事はジンクに出来なかった。
「おいおい。さっきも言ったが毒渡したのは俺じゃねえだろうが。恨むのは筋違いってもんだろ?」
「そっちで怒ってるんじゃない」
正直に言えば、その事に対する怒りはある。
けれど、それ以上に。
「セーラに毒渡した事に、こっちは切れてんだよ」
昨日、歩けもしないのに戦い続けていたセーラの姿が焼き付いていた。
あそこまで追い詰めたのは、毒を盛ったと勘違いしてジンクが冷たい態度を取ったからだ。
それはジンクの言葉で戦いを止めたところから見ても間違いない。
(そもそもお前が居なきゃ、あんな事になってないんだよ!)
だが、諸悪の根源は誰かとなれば疑いようもなく、目の前に居るカワズ以外にあり得ない。
もう除籍になるとかは関係ない。
目の前の男を叩きのめさないと気が済まなかった。
「はは、言うじゃねえか。色男」
睨み付けるように視線を向けたジンクに、からかうようにカワズは笑う。
「お前みたいに力もないくせに綺麗事言うヤツが俺は一番嫌いでな。正直、だるいと思ってた試合だが、俄然やる気出てきたぜ」
かと思うと、軽い雰囲気を一転。
嫌悪の表情でジンクを睨み付ける。
「ああ。そっちの方が助かる。不意打ちなんかで倒しても、気は晴れそうにないからな」
「言うじゃねえか。威勢だけなら銅級どころか金級やりたいくらいだぜ、お前」
まるで前哨戦と言わんばかりに敵意剥き出しの言葉を二人は交わしたかと思うと――
僅かに距離を取って構える。
今回は普段と違い至近距離からの試合だ。
というのも本来、試合は魔獣退治の予行練習という名目がある。
その為、魔獣を発見した後に近付くか距離を取って戦うかの練習を兼ねて、通常は遠間から試合は始められるのだが――
対戦者同士が強く望めば至近距離からの試合も可能であり、ジンクもカワズも至近距離からの戦いを望んでいた。
「試合開始!」
審判である講師の掛け声と同時に――
ジンクはカワズへと飛び込んだ。
〇 〇
防御を固める前に勝負を終わらせようと、ジンクの拳がカワズに迫る。
「籠もれ、【亀の甲】」
けれど間に合わない。
まるで予期していたとでも言わんばかりに落ち着いて、カワズは障壁を張り巡らせる。
「おいおい、不意打ちで決まっちゃ困るんじゃなかったのかよ?」
「腑抜けてるの倒しても意味ないからな。試しただけだ」
(やっぱ不意打ちなんて通用しないか……)
障壁に阻まれた己の拳を見詰めつつ、ジンクは心の中だけで苦い顔をした。
試合前には挑発するような事を言ったものの、本当は不意打ちで何かをされる前に倒し切りたかった。
なにせ性格はともかく、カワズは強い。
速攻で終わるなら、それに越した事はないからだ。
「いいぜ、そういうの嫌いじゃないぜ!」
叫び声と共にカワズが拳を繰り出す。
相当の鍛錬を積んできた事が窺える鋭い拳。
「おっと」
予想外に洗練された打撃を回り込むように避けると、ジンクは蹴りを繰り出す。
威力よりも速さを重視した一撃がカワズの足に吸い込まれ――
(やっぱ足まで障壁張ってるよな……)
拳同様、カワズに届く事なく完璧に止められる。
「蹴りも使うのか。そいつは知らなかったな」
ジンクの攻撃など気にも留めていないのか。
カワズは焦る事無くジンクの方に振り向くが、既にそこにジンクは居ない。
(セーラの攻撃にビクともしなかったって聞いたから、下の方には障壁ないかって期待したけど、そう甘くはない、か……)
大きく後ろに飛び退いて、距離を取っていたからだ。
蹴りはただ、障壁の範囲を探る為に軽く放っただけ。
今回の接触は不意打ちと様子見だけである。
(あの防御を抜けない限り、俺に勝ちはない)
一番理想的な展開は障壁を張る前に不意打ちで撃破。
次善の期待していた展開は障壁に致命的な穴がある事だった。
けれど、その二つの願いは脆くも崩れ去った。
(となると、やっぱりやる事は一つ――)
ジンクは予想通りとばかりに、呼吸を整えると覚悟を決める。
(あの防御を貫けるかどうか、それだけだ!)
残るは単純な火力勝負。
ジンクの攻撃が強いか、カワズの障壁の方が硬いか。
ジンクが勝てるかどうかは、その一点に掛かっていると言っても過言ではないのだから。
「らあああああ!」
ジンクは再び飛び込むと魔力を込めた拳を叩き付けていく。
小細工をしている暇なんてない。
そんな時間さえ惜しい程、カワズの防御は硬過ぎる。
(障壁を張り直す前に突き崩す!)
出来る事は一つだけ。
殴る殴るひたすら殴る。
防御など完全にかなぐり捨て、ただ一点。
魔核のある右胸目掛けて魔力を込めた拳の連打を浴びせ続けていく。
「ちょこまかちょこまか鬱陶しい!」
勿論、カワズも黙って殴られてなんてくれない。
離れようともせず攻撃を繰り出し続けるジンクを迎撃しようと、魔力を込めた拳でジンクを迎撃しようとするのだが――
「てめぇは虫系の魔獣か何かかよ!」
ほとんど密着して攻撃を続けているジンクに、一撃もマトモに入れられないのだ。
最初の反撃で解る通り、決してカワズの打撃技術は悪くない。
むしろ意外と言うべきか、相当に洗練された格闘技術の持ち主だろう。
マトモな打撃戦なんて出来なかったラネナとは比べるまでもなく、おそらく鉄級だけなら上から数えた方が早い程の腕だ。
(あの時に比べれば、こんなもん!)
けれど死線を潜り抜けたジンクの経験が、その更に上をいく。
ある程度以上の技量がある場合、接近戦でモノを言うのは、ある種の勘と判断力。
村付きの熟練の警備でさえ逃げるしかなかった変異種との戦いが、その勘と判断力を高い次元でジンクに備えさせている。
ラネナやリア充爆発先輩に勝利してきたのは、決してマグレではないのだ。
(よし、大分削り取った!)
カワズの反撃を最小限と言っていい程の動きで潜り抜け、叩き込む事数十発。
障壁は確実に削り取られ、僅かだがヒビも入っている。
(いけるか?)
この調子でいけば障壁を砕き、カワズ本人に一撃入れる事だって出来るだろう。
「ん、そろそろか。籠もれ、【亀の甲】」
そんなジンクの期待は、あっさり打ち砕かれる。
カワズが慌てた様子も見せずに魔術名を唱えた瞬間、砕ける兆しを見せ始めていた障壁は綺麗に元通り。
一撃入れるどころか、カワズを一歩も動かす事も出来ずにジンクの猛攻は凌がれる。
(こんだけ急いでも、あっちの充填の方が早いのかよ!)
原則として。
同じ魔術というのは連続使用が出来ない。
待機時間と呼ばれる充填が終わる前に無理に発動しようとしても、何も起きないか暴発するだけ。
だからこその捨て身の連打だったのだが――
想定以上にカワズの障壁は強固だった。
(マズイ)
対するジンクの方には猛攻のツケが回ってきていた。
少しでも速く、少しでも多く拳を叩き込む。
その為だけに身体を集中させていた。
文字通り呼吸さえ惜しんで、だ。
(これ以上は息が!)
ここで息継ぎをしたところで、すぐには回復しない。
呼吸は乱れ、大きな隙を作ってしまうだろう。
「…………」
その隙をカワズは狙っている。
いつのまにか反撃の手を止め、ただ殴られるままに身を任せ――
ジンクが弱る瞬間を待ち構えていた。
(体勢くらい崩したかったが……)
どれだけ殴ってもビクともしない。
これ以上は逆に自分の方が崩れてしまう。
そう判断したジンクは迷う事無く、大きく後ろへと跳ぶ。
その瞬間――
「刺し穿て、【サソリの尾】!」
離れ際を狙ってカワズの魔術がジンクを襲う。
針のように細く鋭い魔力。
魔弾のように飛びこそしないが、槍を思わせる長大さ。
(ちっ、長い!)
想像以上の射程範囲に飛び退いただけでは避け切れない。
何とか身を捩り直撃だけは回避したジンクだったが、ザックリと横腹を切り裂かれてしまった。
(完全に押し負けたな……)
攻防の結果は誰が見ても明らか。
片や無傷。
片や攻めあぐねて返り討ち。
手も足も出ない程のジンクの敗北だったと言っていい内容だろう。
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