第32話 初めて君に女を意識した日

(寝るって添い寝だよな?)


 風呂に入ったジンクは、自分の部屋のベッドに座り、セーラが来るのを待っていた。


 一方のセーラはというと、ジンクと入れ替わりで入浴中の筈である。


(まさか、その、そっちじゃないよな)


 この流れは否応なしに男女の睦言をジンクに想像させた。


 入り混じるのは不安と期待。


 当然だろう。


 魔獣と戦う事と、その力を得る為にジンクは今まで過ごしてきた。


 恋なんてのは小さな頃に先生に憧れたくらいで。


 恋人が居た事どころか、同年代の誰かを好きになった記憶さえない。


 無論、セーラの事も真面目で一生懸命で好ましく思っているものの、それが男女の気持ちでない事はジンク自身が誰よりも知っている。


(セーラの事は好きだし、放っておけないとは思うよ? けど、それは多分、家族とかそういうものであって――)


 だからこそ、寝惚けたセーラに甘えられたって気にせずに居られた。


 可愛いなと感じつつも、それは子どもに抱くような感情に近いものであり。


 先生に憧れていた頃みたいに。


 鼓動が逸って落ち着かなくなったり、緊張して素直になれなくなる事もなかった。


(多分、そういう意味ではセーラを見れてない……)


 年上への憧れに過ぎなくても恋を知っているからこそ、自分が女として何とも思ってない事がジンクには解っている。


 それなのに――


 一緒に眠ると考えただけで。


 セーラを求めるように鼓動が高鳴り、身体が熱を帯び始めていた。


(いいのか? こんな気持ちでしても?)


 いつの間にか、添い寝でなく睦言を楽しむ事を前提に想像が進んでいるが、ジンクを責めるのは酷というものだろう。


 若い男なのだ。


 それが同年代の可愛い子に一緒に寝て下さいなんて誘われて、そういうモノに期待するなと責める方が酷という話。


「ジンクさん、入って大丈夫ですか?」


 コンコン、という静かだけど確かな音。


「お、おう! 大丈夫だぞ!」


 驚いた訳でもないのに、必要以上に大きな声がジンクの口から飛び出した。


「失礼しますね」


 対照的に。


 セーラは普段と変わらない調子で扉を開ける。


 けれど――


「その恰好……」


 いつもの訓練服ではなかった。


 透き通った薄い布のような衣装。


 裸体を隠すどころか艶めかしく引き立てる事しか出来ない、服とは決して言えない下着と判断するしか出来ない衣類。


 それだけを身体に纏わせ、セーラが佇んでいた。


「男の人はこういうのが好きだと聞いたのですが、何か変です?」


「綺麗だと思う」


 魅入られたように賛辞の言葉がするりと口から滑り出る。


 本当に、それ以外何も考えられなかったのだ。


「嬉しいです」


 言葉通り。


 セーラは本当に嬉しそうに笑ったかと思うと、迷う事無くジンクの隣に腰掛ける。


 手を伸ばせば。


 いや、僅かに身体を動かすだけで触れ合ってしまう程の距離に、セーラの顔があった。


(こんなに綺麗だったのか?)


 子どもみたいな可愛さだと思っていた。


 けれど、そんな考えは吹き飛んでしまった。


 整った顔立ちは息を呑むほどに美し過ぎて、見詰め続ける事さえ許されない。


(うわっ……)


 無意識に目線を逸らした先には、艶やかな肢体が広がっている。


 凹凸に乏しい身体ながら、それでも節々に丸みを感じる身体付きやくびれた腰付きは、確かに女を感じさせるもので――


 否応なくジンクは意識させられる。


 隣に居るのは間違いなく同年代の、それもとびっきり魅力的な女の子なのだと。


(ど、どうすれば?)


 リードの仕方なんてジンクには解らない。


 口付けをすればいいのか。


 身体を触ればいいのか。


 それとも、先程のように綺麗だと言えばいいのか。


「座ったまま、寝るんですか?」


 動けないジンクにセーラが問い掛けてくる。


 静かで透き通るような声。


 けれど、言葉を放つ度に揺れる唇が妙に艶めかしく映った。


「あ、その、どうすれば――」


 落ち着いたセーラの姿が逆に、ジンクを戸惑わせる。


 セーラが自分よりずっと大人に見えて、思わず口調が丁寧になってしまう。


「眠るんですよね? あ、その前に色々お話とかします?」


 そこでジンクは気付く。


(落ち着き、過ぎてるような……)


 あまりにもセーラが普段と変わらない事に。


 それは扇情的な格好と違って、あまりに無邪気過ぎて――


「その、先に一緒に寝たい理由とか聞いてもいいか?」


 自分が何かトンデモナイ勘違いをしている。


 そんな予感に駆られたジンクは、極力セーラを見ないように目を逸らし。


 逃げるように、そんな言葉を口にした。


「理事長先生が、ここを亡霊館って言ってたの覚えてますか?」


「そんな事言ってたような……」


(確かここにマトモな食料がないとか、そんな話してた時か?」


「実は私、魔弾系の魔術って一切使えなくてですね。亡霊系の魔獣が出てしまうと、何も出来ずに殺されてしまうと言いますか」


 亡霊系の魔獣は実体を持たない魔力の塊だ。


 その為、どれだけ身体強化して殴ったところで倒す事は出来ない。


 魔弾などの直接、魔力をぶつける攻撃手段が必須なのである。


「だから一人で寝るのずっと怖くて、その……」


 要するにセーラの願いは色っぽい事でも何でもなく。


 ただ怖いから一緒に寝てほしい。


 それだけだったのだ。


「あー……」


(うん。日記にも書いてあったな)


 そこでジンクは覗き見た日記の内容を思い出す。


 迷惑になるから言えないけど、夜は傍に居てほしいみたいな事を見た記憶がある。


「え、と。やっぱり一緒に寝るなんて子どもっぽかったですか?」


 セーラは悲しそうにジンクに尋ねる。


 何でもと言われて真っ先に願うほど、期待していただけはあるのだろう。


 今更になって駄目だと言われそうな雰囲気に、今にも泣きだしそうであった。


「ああ、いや、いいぞ。うん、寝よう寝よう!」


 急に自分が薄汚れた存在のように感じたジンクは、誤魔化すように勢いよく寝転がって布団に入る。


 と、勢いのままに布団を捲ってセーラを誘うのだ。


「はい。失礼しますね」


 待ってましたとばかりに。


 セーラは迷いなく布団へと入ってきた。


「思ってたより冷たいです……」


 だが、期待していたモノとは違ったらしい。


 セーラは不満そうに口を尖らせた。


「そりゃあ入ってすぐだしな。そんなの自分とこのベッドでもそうだろ?」


「そうですけど、ジンクさんのなら温かいかなって……」


「何だそりゃ」


「ジンクさんって、優しくて温かい感じで。だから、お布団もそうなのかって思ってました」


(恥ずかしい事をよくもまあ、こう真っ直ぐ……)


 照れ臭さにジンクは顔を逸らしたのだが――


「あの、やっぱり怒ってます? 無理を言ってしまったのなら、その……」


 その仕草をセーラは勘違いしたらしい。


 名残惜しそうな様子で布団から出ようとする。


「違うって。添い寝なんかした記憶ないから、どうしていいか解らんだけだ」


 恥ずかしさもあったが、これ自体は本当だ。


 両親は気付いた時には死んでいた。


 次の機会は先生だったが、その頃はガキ真っ盛り。


 年上とはいえ女に甘えるのはダサいと、反抗的な態度を取り続け。


 結局、今まで一度も機会がなかったのだ。


「ジンクさんもですか。同じですね」


「セーラも?」


「はい。孤児院ではその、嫌われてましたから」


 だから尚更憧れて。


 なんて、セーラは照れ臭そうに笑う。


「孤児院出身だったのか?」


「はい。そういえば、こういう話ってしてなかったですね」


「ああ、お互いにな」


 そうして。


 二人は夜の静けさに溶けるように。


 穏やかに言葉を交わす。


「働かないヤツに食わせる飯なんてない、ってずっと管理人さんは怒っててですね――」


 と言っても、ほとんどがセーラがとつとつと話をするだけ。


「浮遊魔術が使えるようになると、今まで育ててやった恩を忘れたかって配達ばかりして――」


 ジンクはただ、邪魔しないように相槌を打っていた。


「食事とかは同じで、いつも味のないパンとスープで――」


 伝わってくるのはセーラの居た孤児院の碌でもなさ。


「私ほど役に立ってもないのに同じ物食べて恥ずかしくないのかって、皆の前で引き合いに出されて――」


 そして、どんどん孤立していく寂しさ。


「変な話ですよね。皆だって今までと同じように頑張っていたのに、私と比べられて怒られるようになるなんて――」


 いつの間にか周りには敵しか居なくなり。


「でも、手を抜く訳には行かなかったんです。そしたら食事抜かれちゃうので――」


 それでもどうする事も出来ず、追い詰められていった。


「だから、もう出るしかなくなって。私が居たら、他の人が迷惑するだけでしたから」


 それがセーラがオルビス魔術学園に来た理由のようだった。


(ああ。だから、か……)


 ようやく、ジンクは出会った頃のセーラの態度を理解した。


 損得勘定だけしか、縋れるものがなかったのだ。


 それ以外は全て、セーラを裏切り痛め付けてきたのだから。


「嬉しかったです。役になんて立てなくても優しくしてもらえて。あんなに迷惑掛けたのに、邪魔じゃなくて好きだって言ってもらえたのも初めてで――」


 堰を切ったように話し続けていたセーラの言葉が突然止まる。


「セーラ?」


 不思議に思って顔を覗き込むと――


「…………」


 セーラは安心した様子で静かに寝息を立てていた。


(今日はあまりに色々あり過ぎたもんな……)


 疲れて寝てしまうのも無理はないというか、むしろ今まで起きていた事の方がおかしいくらいだろう。


 きっと、それだけ嬉しかったのだ。


 ジンクに好きだと言われた事や添い寝してもらえた事が。


(本当、変な事しなくてよかった……)


 欲望に任せて穢してしまわなかった事に、今更になって安堵する。


 きっと、そうなってもセーラは抵抗せず受け入れてくれていただろう。


 傷付きもしなかったかもしれない。


 けれど――


 きっと何かが狂い歪んでしまっていた。


 こうして穏やかに過ごす時間は永久に失われていた筈だ。


(こうやって甘えるのも初めてなんだろうな……)


 今はただ、初めて優しくしてくれた相手に寄り掛かりたいだけ。


 傷付かないように見守って居たかった。


(俺も寝るか)


 手持ち無沙汰になっている事にジンクは気付くと、部屋の明かりを消して目を瞑る。


(お休み、セーラ)


 そして起こさないように心の中だけでセーラに告げると、眠りに就くのであった。


 ……。


 …………。


 ………………。


(寝れる訳ねえだろ、こんなもん!)


 なんて、綺麗に終われるのは枯れ果てた男か、鋼の心を持つ紳士だけの話だ。


 確かにセーラに対し、穏やかに見守っていたいという気持ちは強い。


 けど、それはそれ。


 理性もあれば、欲望もあるのが普通の男というもので。


 暗くて、ほとんど何も見えない。


 けれど、だからこそ逆に鮮明に感じてしまうものもある。


 小さいけれど確かに聞こえてくる吐息。


 香でも焚いているんじゃないかと思うような甘いような、それでいて狂いそうな女の匂い。


 おまけに――


「ジンクさん……」


 眠っている癖に力いっぱい抱き着いて離さないのだ。


 そんな無防備に引っ付かれ、何も反応しない男ならとっくに眠れている訳で。


(我慢だ、我慢!)


 身体も心も張り詰め過ぎて痛いくらいだ。


 ――特に身体の方はズボンを押しまくって痛い程に。


(ちくしょう、これも全部あの野郎のせいだ!)


 この事態の原因となった相手へ恨み節を唱えつつ――


 ジンクは一晩中、本能的な欲望に睡眠を邪魔され続けるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る