第31話 一緒に寝てほしいと少女は言った

 一方、その頃。


 ジンクはというと――


「お風呂とかは入っていいけど戦うのは駄目。今日は絶対安静。そしたら後遺症も残らず、明日には元気」


 医務室の入り口前で、セーラを連れていった黒衣の女と対面していた。


 連れて行った時同様にセーラを鎌に引っ掛けたままだが、連れて行った時とは向きが若干変わっている。


(この人、生徒なのか……)


 遠目で見た時にはジンクは気付いていなかったが、黒衣の女の首付近に金色に輝く記章が付いている事に、今になって気付いた。


(金級……)


 銅級に上がる事さえ、ジンクは出来ないでいる。


 それよりも更に二つも上の階級保持者との突然の遭遇に、ジンクは自分でも気付かない程に大きく緊張し、身体を強張らせていく。


(強いんだろうな……)


 全身を覆う服のせいで顔しか見えないが、パッと見た感じではジンクと同じか、僅かに年上くらいだろう。


 けれど金色のつぶらな目を中心に可愛らしい顔立ちをしており、仏頂面だというのに威圧感などは特にない。


「解った? 解らない? お返事」


 予想外の天上人との遭遇に、じっくり観察してしまっていたジンクを引き戻したのは、黒衣の女の声だった。


 慌てて向き直るジンクだったが――


(何考えているか解らん……)


 表情が一切変わらない。


 出会った頃のセーラも人形めいていたが、目の前の黒衣の女はそれ以上だ。


「わ、解った」


 けれど、不思議と敵意は感じずジンクは素直に頷く。


(問題ある人だったら講師の人とか何か言うよな……)


 試合が終わる度、怪我をしていれば掠り傷でも講師はすぐに治療したがる。


 それなのに何もせずにセーラを運ばせていたし、ラネナも大丈夫みたいな事を言っていた。


 そんな風に納得し、とりあえずジンクは目の前の人間を信用する。


「ん。治療はしといたから持って帰っていいよ」


 まるで荷物でも渡すような雰囲気で口にすると――


 黒衣の女はセーラを鎌に引っ掛けたまま、ジンクの胸元へと突き付けてきた。


「ど、どうも……」


 受け取ろうとジンクが両腕を伸ばすと、まるで鎌に意識でもあるように引っ掛かっていたセーラが外れ、ジンクの腕の中に落ちてくる。


「おっと!」


 鎌からセーラを外そうと考えてたジンクは、慌ててセーラを受け止めた。


「大事に扱って」


「す、すみません」


「ん」


 丁寧にセーラを抱え直すジンクに満足したのか。


 それで興味を失ったとばかりに黒衣の女は歩き出す。


 トコトコと急いだ様子も見えない動きだったのだが――


「速っ!」


 どう見ても、ゆっくり歩いているようにしか見えないのに、どんどん距離が離れていき――


 あっという間に見えなくなってしまった。


「床でも動いてんのか?」


 そんな訳はないが、そうとしか思えない動きだった。


 幻でも見たような気分で、ジンクが黒衣の女の向かった先を見詰めていると――


「んっ……」


 腕の中から微かに声がする。


「お?」


(起こしたか?)


 安静にと言われていたから、このまま館まで運ぼうとジンクは思っていた。


 だが起きたのなら、そうも行かない。


 歩けるかどうか確認しようと、顔を覗き込む。


「ジンクさん?」


「起きたか? 歩け――」


 寝惚け眼のセーラと目が合い、どうしようか尋ねようとしたジンクだったが――


「夢ですか」


 セーラは何を思ったのか。


 迷う事無く、ジンクの胸元に頭をくっ付ける。


「えっと……」


 かと思うと。


 戸惑うジンクを気にも留めず、すりすりと顔を擦り付け始めた。


「むう、邪魔です」


 制服に付いているボタンの感触が、お気に召さなかったらしい。


 ジンクの服のボタンを外して胸を肌けさせると、今度は直にジンクの胸に顔を当てる。


「温かいです……」


 そして、幸せそうに再び顔を擦り始めるのだ。


「あ、あの、セーラさん?」


 あまりの奇行に思わず丁寧に話し掛けるジンク。


「今いいところです、起きるまで待って下さい」


 だが、セーラは全く聞く耳を持たない。


 顔を擦り付けるのは止めたものの、それは別にジンクの言葉を聞いた訳でなく。


 今度は身体を預けるように、ピタリと寄り添う形に変わっただけだ。


「もう起きてるんだって。これ、夢じゃないから、その、な?」


「嘘です。ジンクさんに抱っこされる理由なんてないです」


 セーラは顔を向ける事さえしない。


 起きる前に少しでも堪能しなければ、とばかりに目を閉じて感触を楽しもうとする。


「あー、ほら。セーラだって俺が倒れた時、運んでくれたんだろう? 今回は逆になってるというかだな……」


「むー、しつこいです。起きるまで待ってください」


「お願いだから聞いてくれ」


「もう、なんなのですか……」


 ようやくセーラは面倒くさそうにジンクに顔を向ける。


 邪魔をされて、大層ご立腹なのかもしれない。


「試合で気絶して、治療終わって、今は部屋まで連れて行こうとしてるトコ。解るか?」


「試合……」


 そこでセーラは何かを考えるように言葉を止めると――


「え、これ夢じゃないんですか!」


 ようやく事態を把握出来たのだろう。


 慌ててセーラは離れようとするが――


「おっと、急に暴れるな」


 ジンクはしっかり抱き締めて、セーラが腕から落ちてしまわないように固定した。


「ご、ごめんなさい……」


 セーラは抵抗する事なく、ジンクの腕の中で丸くなる。


 けれど、先程までと違い引っ付こうとしたりはせず、居心地悪そうに小さくなっていた。


「それでどうする? しんどいならこのまま部屋まで行くけど、歩けるなら降ろした方がいいか?」


「歩けるとは思います、けど……」


「けど?」


「もう少しこのまま、抱っこしてて欲しいな、なんて……」


 駄目でしょうか?


 と、セーラは恥ずかしそうに告げる。


「ああ、いいぜ。もう少しと言わず、部屋までずっとこのままでもいいぞ」


「何だか今日のジンクさん、いつもより優しいです」


 迷いなく応じてくれるジンクが不思議に思えたのだろう。


 本当はまだ夢なんじゃないか、とでも言いたげにセーラはジンクを訝し気に見る。


「白状するとな、セーラが毒を盛ったんだって一回疑った。少しでもその罪滅ぼしがしたいって感じが割と強い」


 言わなければ、きっとバレる事はなかっただろう。


「悪い。あんなに信頼してもらえてるなんて思ってなかった」


 けれど、これ以上セーラに対して、嘘や誤魔化しの言葉をジンクは言いたくなかった。


「それは……仕方ないと思います。あの状況なら誰だって……」


 セーラは傷付いた表情を見せるが、それも一瞬。


「それに私のせいでジンクさんは、もう……」


 すぐに申し訳なさそうに目を伏せる。


「そういうのは言いっこなしだ。そもそも悪いのは、あのカワズであって、セーラは何も悪くねえよ」


「でも――」


 それでもセーラは尚も申し訳なさそうに何かを言おうとするが――


「それより俺に何かしてほしい事はないか? もうその事言わないって言うなら、今なら何でもしてやるぞ?」


 ジンクは、それ以上言わせない。


 あそこまで必死で戦ってくれたセーラに嬉しさと疑った罪悪感はあれど、責める気持ちなんて微塵もないのだ。


 その事で悲しい顔なんてしてほしくなかった。


「何でも、ですか?」


 これ以上言ってもジンクを逆に困らせるだけだと解ったのだろう。


 セーラはジンクの提案について尋ね返す。


「ああ。何でも言っていいぞ。俺に出来る事なら、だけどな」


 さすがに食糧庫の回復薬を全部飲み干せ、とかは言われても無理な事はある。


 けれど、本当に自分に出来る事ならば何でもしてやりたい。


 と、ジンクは本気で思っていた。


「いいんですか、そんな事言って? 酷い事しちゃうかもしれませんよ」


 いつかの日によく似た言葉。


「セーラが本当にしたいならいいぞ。セーラならそんな酷い事はしないだろうし、しても優しくしてくれるだろうからな」


 それにジンクも似た言葉で返す。


「ふふ、前とは逆ですね」


 セーラは嬉しそうに微笑むと、意を決したようにジンクを見詰める。


「あ、あの……」


「うん」


 かと思えば、言い難そうにセーラは目を逸らした。


「その、ですね……」


「うん」


 ジンクは急かす事なく、ただ頷いてセーラが願いを言うのを待つ。


 そして――


「今夜、私と一緒に寝てください」


 セーラはジンクを真っ直ぐ見詰めたかと思うと、そんな事を願うのだ。


 それが一番してほしい事だと。


 真っ直ぐ迷いのない目で。


「あ、えっと……」


 あまりにも予想外のお願いに、ジンクは石のように固まる。


「駄目、ですか?」


 けれど、不安気に見詰めるセーラの願いを断れる訳もなく――


「あ、ああ。勿論いいに決まってるぞ」


 ジンクは疑問と戸惑い。


 そして、期待のようなものを胸に感じつつ、頷いたのであった。

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