第29話 翼もがれ地面に這い蹲ろうとも

「さっさと降参するか気絶しやがれ! いい加減しつけえぞ!」


 ジンク達が闘技場に駆け付けた時には、セーラは得意の浮遊魔術どころか、立つ事さえマトモに出来ていなかった。


 足を引きずり緩慢な動きでカワズに縋り付いていく。


「あや、まれ……」


 普段の空を華麗に舞う姿とは似ても似つかない。


 歩く事さえままならない、泥に塗れた少女がそこに居た。


「薬買ったのは、てめえだろうが! てめえか飲んで苦しんだんならともかく、それ以外の事まで知るかよ!」


 縋りついてくるセーラを、カワズは鬱陶しそうに蹴り飛ばす。


 すると、何の抵抗もなくセーラは吹き飛ばされ、ゴロゴロと転がった。


「……終わったか?」


 勝利を確信したというよりは、期待を含んだ目で吹き飛ばしたセーラを見るカワズ。


 もう面倒臭いだけだから、立ち上がって来るなと言わんばかりに。


「…………」


 セーラはよろめきながら立ち上がる。


「ジンクさん、に。あやま、れ……」


 そして、うわ言のように囁きながら、再び足を引きずり歩き出すのだ。


 もはやセーラに意識なんてものはないだろう。


 妄執としか言えない想いだけが肉体の限界を超え、セーラを突き動かしていた。


「セーラ……」


 無意識に名前を呼ぶなり、ジンクは思わず自分の唇を噛み締める。


(どうして、俺は少しでも疑ったんだ……)


 よろよろと歩いていたセーラが前のめりに倒れた。


 立ち上がる事さえ出来ないらしく――


 それでも這うようにして、カワズの元へと進んでいく。


 そんな必死な姿が、少しでもセーラが自分に毒を盛ったんじゃないかと疑ってしまったたジンクの心を責めるように締め付けた。


「おい、先生! これはもう俺の勝ちでいいだろ!」


 助けを求めるようにカワズが審判である講師に顔を向ける。


 試合終了の合図をしてくれ、と。


「……」


 講師は痛々しげな表情を見せるも、無言で首を振って断る。


 再三言うが、試合は魔獣退治の予行練習が基本理念だ。


 倒したと思った魔獣に不意を突かれ、相打ちになる魔術師は想像以上に多い。


 魔獣との戦いで油断する癖なんて付いたら目も当てられないのだから、講師の判断も仕方ない事であった。


「ああ、くそ!」


 セーラが闘志を失わない限り、勝負が付かないと判断したのだろう。


 カワズは吐き捨てるように言って、セーラに顔を向け直す。


「取り返しの付かない怪我とか負っても知らんからな!」


 腕が飛んだり腹に穴が開いたところで、すぐに治療をすれば回復するという話はした事があるだろう。


 けれど、例外はある。


 魔力を失い過ぎた状態で負った怪我は治らない事もあるし――


 最悪、死ぬ事だってあり得るのだ。


「両足切り飛ばせば、さすがに戦闘不能扱いだよな?」


 誰に言うでもなく呟いて、カワズは腕を振りかぶり慎重に狙いを付ける。


 人殺しには、なりたくないのだろう。


 じっくりと攻撃する場所を選ぶ様は、無防備で隙だらけしかなかったのだが――


「あや、まれ……」


 もはやセーラには見えていない。


 当然だ。


 もう顔を上げる事も出来ず、倒れた状態で腕だけカワズに向かって必死で伸ばしているだけなのだから。


「刺しうが――」


 カワズの魔力が高まり、魔術名と共に攻撃が放たれる直前――


「セーラ!」


 それよりも一瞬だけ早く。


 ジンクの叫びが響いた。


 後悔とセーラの気迫に圧し潰され、声を掛ける事さえ出来ていなかったが、ようやく声を絞り出す事が出来たのだ。


「お?」


 その声に反応したようにカワズの動きが止まり――


「ジンク、さん?」


 顔を上げる事さえ出来てなかったセーラが、声のした方へと首を傾ける。


「もういい。ありがとう。後は俺がやる」


 ジンクの言葉を聞くなり、うつろだったセーラの目に光が微かに戻った。


「大丈、夫です。まだやれま、す……」


 けれど、セーラはジンクの言葉に応じない。


 役に立ってみせると言わんばかりに、戦いを続けようとする。


「セーラちゃん! 格好悪いところ見せちゃって恥ずかしかっただけみたいよ。照れ隠し。好きだから、逆にきつい事言っただけ。嫌われてなんてないわ!」


 ジンクとセーラの会話なんて知らないだろうに。


 セーラの様子だけで何かを察したのだろう。


 ラネナが大声でセーラを励ます言葉を口にした。


「本当、です?」


 セーラが動きを止める。


「あ、ああ。そうだ。そのとおり!」


 効果があると確信したジンクは尻馬に乗るように叫ぶが――


 そんな言葉では足りないとばかりに、ラネナはジンクの足を思いっきり踏み付けた。


「ああ、もう好きだよ。大好きだよ!」


 やけくそ気味にジンクの叫び声が響く。


 恥ずかしい事は恥ずかしいが、セーラを疑った事以上に恥ずかしい事なんて今更ない。


「だからこれ以上、心配させないでくれ!」


 ほとんど居ないが、僅かには居る観客含め多数の人々の視線が一気にジンクに集まるが、そんな事は知るかとばかりにジンクは叫ぶ。


 それこそ力の限りに。


「嬉しい、です……」


 その甲斐あってジンクの言葉は届いたらしい。


 それだけセーラは呟いたかと思うと――


 安心したように目を閉じた。


「勝者、カワズ・イノナカ!」


 審判の講師が試合終了の声を上げる。


「無理し過ぎ。試合の規定改正、提案した方がいいかな?」


 それと同時に近くで待機でもしていたのか。


 全身を黒いローブで覆い、大鎌を肩に担いだ女がセーラの元へ駆け寄る。


「でも、この程度ならすぐ治る。安心」


 そして軽く様子を一瞥したかと思うと、セーラの服を鎌の刃部分に引っ掛けて担ぐと、そのまま歩き去ってしまった。


 死神を想像させる見た目をしているが、医療班なのかもしれない。


「ふう……」


 運ばれていくセーラの姿に、ジンク達が来るなり距離を取って様子を眺めていたカワズは息を吐いたかと思うと――


「人殺しになるんじゃないかと焦ったじゃねえか……」


 安心したとばかりに戦闘態勢を解くのであった。

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