第28話 セーラ、墜ちる

 時間は僅かに遡る。


 ジンクがラネナの下着姿に釘付けになっていた頃。


「アナタだけは許しません!」


 怒れるセーラは男と戦いを繰り広げていた。


 男の名はカワズ・イノナカ。


 鉄級屈指の実力者であり――


 購買を通して痺れ薬をセーラに売り付けた男である。


「そりゃ逆恨みってもんじゃねえ?」


 軽口を叩いて余裕そうに見えるカワズ。


 だが、その実、試合が始まって暫く経過しているというのに、セーラに一度も触れる事さえしていない。


「確認もせず、その男に渡したのはお前だろうが」


 というか、そもそも攻撃する気さえなさげ。


 勇ましいのは口だけで、試合が始まってからずっと丸まるように防御して、突っ立っているだけである。


(……速えな。今どこ居んだよ)


 それというのも、今日のセーラは速過ぎる。


 目にも留まらない速さなんてよく言うが、それは大抵が物のたとえ。


 実際に目に見えない程の速さで動く人間など、そうは居ない。


 ジンクと戦っていた時のセーラですら、縦横無尽に飛び回るから見失う事があるくらいで、消える程ではなかった。


「アナタが変な事さえしなければ!」


 けれど、今のセーラは違う。


 戦っているカワズはおろか、見ている観客達でさえセーラの姿を視認出来ない時間の方が長いのである。


 方向転換で減速する瞬間、僅かに影が見える程度。


「いや、まあ、そいつは悪かったと思うが。別に死んだ訳じゃないんだ。また、やり直せばいいだろ?」


 答えつつ、カワズは決して防御を緩めない。


 全身に魔力を漲らせ、腕で目を覆うように庇い完全に閉じ籠もる。


「うるさい! 何も知らないで!」


 もはや、姿どころか声がどこから聞こえているのかすら解らない。


 四方八方、見えない攻撃がカワズに次々と炸裂していく。


「籠もれ、【亀の甲】!」


 だが、カワズには傷一つ付かない。


 それどころか、突撃を受けても一歩たりとも動かないのだ。


 防御に優れた身体強化に加え、先程放った全身を覆う魔力障壁。


 二重の防御の前に、セーラの攻撃は完全に無力化されていた。


 けれど――


「何をそこまで怒りに狂ってんのか知らんが、魔力配分誤り過ぎだろ」


 それはカワズの防御力だけの問題ではない。


 むしろ、セーラの方にこそ異常があった。


「こんな攻撃力じゃ俺には百発打ち込んだって利きやしないぞ」


 これこそが異界の兵器である『ジュウ』等が、この世界に普及しなかった最大の原因。


 魔力と破壊の関係性だ。


「速ければ速い程、強いとでも思ってんのかよ?」


 なんでも異界では速さと破壊力は比例する関係にあるらしい。


 重い物体を、とにかく速くぶつけると殺傷能力が高いのだとか。


「夢見がちなガキじゃねえんだ。異界と現実の区別くらいは付けておくんだったな」


 けれど、この世界にそんな法則など存在しない。


 どれだけ魔力を攻撃力に割り振れるか。


 それでほとんど威力は決まってしまうのだ。


「強え魔武具でもありゃあ、話は違ったんだろうが……」


 例えば龍の牙だとか、素材状態でも強い攻撃性を秘めた魔力を持つ物体を高速で飛ばせば、凄まじい脅威となるだろう。


 だが、魔力を良く通すだけで素材自体には、それ程の魔力がない物体。


 鉄等をどれだけ高速で飛ばしてみたところで、精々が子どもが魔力を込めて殴った程度の殺傷能力しかない。


 そんな物は魔獣討伐どころか、対人戦でさえ役に立たない。


 それこそ子どもの喧嘩に使えるくらいだ。


「――っ。そんな事は言われなくたって解ってます!」


 魔術師どころか、子どもでさえ知っている常識。


 セーラが知らない訳もない。


 事実、ジンクと戦った時には攻撃・防御・速さなど絶妙に魔力を割り振り、相当に苦しめた。


「解ってねえから言ってんだよ。それじゃあ、なんでまた速くなってんだ?」


 だが、カワズの指摘したように。


 姿はもう完全に近い状態で消え、風切り音だけが激しさを増していく。


(お前なんかに何も言われたくない!)


 底知れない怒りがセーラの魔力制御を完全に狂わせていた。


 調節しようとすればする程、自分が最も得意とする分野。


 速さに魔力が流れ出し、更に破壊力は失われていく。


「うるさいうるさいうるさい!」


 戦いの最中だというのに、セーラの頭の中に焼き付いているのはジンクの顔。


 ――油断してた俺が悪いんだ。気にするなって。


 そんな言葉とは裏腹に、話もしたくないとばかりに突き放した表情。


(ようやく、ようやく、恩が返せると思ってたのに!)


 ラネナに相談した時、階級が変われば自分でも戦える事をセーラは教わった。


(これだ、と思ったんです)


 ジンクのお陰で自分がどれだけ強くなったかも見せられるし、役にだって立てる完璧な内容だと喜んだ。


 実際、この話を出した時のジンクは、セーラが見た中では一番になるくらい嬉しそうにしていただろう。


 全て上手くいっていた。


(この人さえ邪魔しなければ!)


 それなのに、台無しになってしまった。


 助けになるどころか、妨害してしまったのだ。


(もう絶対にジンクさんは許してくれません……)


 セーラとジンクとの試合は、セーラの不戦勝という形処理されているのをセーラは手帳で見て知っている。


 つまり、無敗で五人抜きをジンクは最初からやり直さなければならない。


(もう残り期間は今日を含めて三日)


 昇格に必要なのは鉄級五人に、銅級一人の六人。


 不戦とはいえセーラとの試合で一回使ってしまった以上、フルで試合をしても戦えるのは後五回だけ。


(どう頑張っても一回足りません……)


 ジンクの退学は決まったも同然。


 そして経緯はどうあれ。


 その決め手となってしまったのが自分だという事が、セーラの心を乱れさせていた。


「あなただけは絶対に許しません!」


 全ての怒りをぶつけるようにセーラがカワズへと突っ込む。


 もう何十発目になるか解らない突撃。


 相も変わらず怒り任せで速さは凄まじい。


「こんなの避けるまでも――」


 けれど、威力がないだろう攻撃をカワズは身じろぎ一つせず、受け止めようとしていたのだが――


 背筋に何か悪寒のようなものが走るのを感じ僅かに顔を逸らす。


「馬鹿な……」


 セーラの拳がカワズの頬を切り裂いていた。


 もしカワズが顔を逸らしていなければ吹き飛ばされ、戦闘不能どころか問答無用で医務室送り。


 緊急治療が必要な程の怪我を負っていただろう。


「どう見ても速度系だろ? それで速さ維持したまま俺の障壁破るとか、どうしたらそんな事出来んだよ……」


 戦慄でカワズの額に汗が噴き出る。


 例えば仮に魔力総量を数字に出来たとして、九十の魔力を持つ者が居たとしよう。


 これを攻撃・防御・速さに三十ずつ割り振れるかと言えば不可能に近いのだ。


 というのも、各々が魔術に適性のようなものを持っている。


 例えばセーラなら速さに魔力を注ぎ込めば、ほとんど無駄のない効率の良い変換が出来るが、攻撃や防御に注ごうとすると倍近く無駄になる。


 そしてカワズの適正分野は防御。


 現在、鉄級において最大の防御能力を持つと噂されており、付いた異名が鉄壁のイノナカ。


 連打の果てに障壁を削られ打ち破られたのならともかく、一撃で破られた事など同階級では一度だって許した事はなかった。


「知りません。アナタの障壁とやらが脆くなっていたんでしょう」


 魔力については未だ謎が多い。


 現に適正だけ見ても大まかに分ければ、攻撃・防御・速度の三種類。


 それに加え、どれも効率よく変換出来ない貧乏型しかないと思われていた。


 だが、つい最近、それこそ去年くらいに貧乏型の人間など居ないという事がある男によって解明される。


 遠くに魔力を飛ばす系の攻撃時のみ、非常に魔力効率が優れた狙撃型、魔武具に魔力を流す事のみに特化した武具使い型など、貧乏型と思われていた人種は全て、何かしらに特化している人種だと判明したのだ。


 ――ラネナがこの狙撃型で、遠距離攻撃等に関しては異様な魔力効率を誇っている。


 数千年、魔術を使い続けているのに、未だ常識に捉われて判明していない事があるのだ。


 速度系である筈のセーラが、カワズの防御を引き裂く程の一撃を放ってもおかしくないのかもしれない。


「約束です。私が勝ったら、ジンクさんが学園を去った場合、援助してもらいますよ」


「そりゃあ別にいいけどさ……」


 セーラが負けたら既定の倍の功績値を払う代わりに、勝ったらジンクが一週間以内に退学すれば援助を惜しまない。


 これが勝負の条件だった。


(鉄級になってまで辞めんだろ、普通に考えて)


 事情を知らないカワズからすれば、勝てば膨大な功績値が入って来る。


 負けても普通の試合と変わらないようにしか見えない話だ。


「けど、そういうのは勝ってから言え!」


(そもそも相性良過ぎて負ける訳ねえと思ったから受けたんだ。こんなマグレ当たりで負けてやるかよ!)


 だからと言って負けて功績値を持ってかれるななんて、真っ平ごめん。


 カワズに話し掛ける為、正面に立ち動きを止めていたセーラに魔弾を放つ。


「勝つに決まっ――」


 飛び立って避けようとしたセーラだったが――


 浮遊魔術が発動しない。


「きゃあ!」


 大して速くもない魔弾を避ける事さえ出来ず、直撃を受け吹き飛ばされた。


「やっぱ、さっきので魔力切れか。むしろあの速さで飛び回って、ようやく切れるとか脅威以外のなにものでもねえな……」


 速さに魔力を割り振り過ぎてしまっていただけで、全力で魔力を使い続けていた事には変わらない。


 もはや浮遊魔術どころか、簡単な身体強化に回す魔力さえセーラには残っていなかった。


「まだ、です……」


 それでもセーラは諦めない。


 勝算なんて全くない。


 けれど、目の前の男にだけは何があっても負けを認めたくなかった。


「だったら、降参するか気絶するまで痛め付けるしかねえ、か」


 降参する気のないセーラの姿に溜息を吐いたかと思うと。


 カワズは面倒臭さを隠しもせず、ゆっくりとセーラに向かって歩き始めた。

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