第21話 書いてある事だけが全てではない

 さて。


 それから三週間ほど経過して――


「勝者、ジンク・ガンホック!」


 ジンクは順調に勝利を重ね、鉄級へと昇格していた。


 それも十戦以上戦っているというのに苦戦一つなしの無敗という圧倒的な強さでだ。


 だが万事順調かといえば、そんな事もない。


「くそう、平民如きがなんでこんな強いんだよ。おかしいだろ……」


 ラネナとの試合以降、ジンクが倒してきたのは石級の相手のみ。


 平民が勝ち続けているのはおかしい、と喧嘩を売ってきた新入生を返り討ちにしていたら、いつの間にか鉄級になっていただけ。


 銅級昇格の条件の一つである鉄級相手に五連勝の方はというと――


「やはりラネナを倒したのは、マグレではないらしいな」


「そのようね。彼女って事前情報無しなら銅級だって手こずるし、それを入学してすぐに倒したんでしょ? まだまだ力を隠してそうね」


 ジンクの試合を観に来る者こそ偶に居るものの、試合をしたいと言い出す人間は一人も居ない状態である。


 ならばとばかりにジンクの方から鉄級の記章付けている相手に試合の申し込みをしても、だ。


「悪いね。正直、君とやる利点が見当たらない。鉄級ともなると掛かる功績値も馬鹿にならんからね」


 入学して早々、鉄級上位の強さを持っていたラネナを倒した得体の知れない新星なんて、好き好んで誰も相手にしないのであった。


(しかも鉄級でこれって……。銅級の相手なんて見付かるのかよ……)


 幸いというべきか、探す時間には困っていない。


 というのもオルビス魔術学園は元々、討伐者組合だったのだ。


 今でもその形態を色濃く残しており、決まった授業や講習がある訳ではない。


 申請すれば訓練場の利用や在籍講師による講義を受けられる事になっているのだが――


 平民であるジンクに訓練場の使用権はない。


 学園に寄せられている依頼を請けるか、試合をするくらいしかジンクに出来る事はないのである。


「久しぶりね、順調そうで何よりだわ」


 そんなジンクの事情を知らないからか。


 誤解を解いた日以来の再会となるラネナは、ジンクの襟部分に鉄級を示す記章があるのを見て微笑みかけてきた。


「ラネナせん、ぱい?」


(妙にボロボロだな……)


 まるで野宿でもしていたような風体に疑問を覚えるジンクだったが――


「いえ、それがそうでもなくてですね……」


 ジンクが何かを言うよりも早く、別の場所での試合を終えたセーラがラネナの背後から現れ、彼女の言葉を否定する。


 それ程、激しい試合ではなかったのか。


 購買に売ってる回復薬を何本か持っているものの、セーラに特に疲れた様子もない。


「そうなの? 普通、鉄級になるだけでも一か月くらい掛かるのよ? 随分、高い目標を持っているのね」


 実際、セーラはジンクと違ってまだ石級ではあるが、ジンクが早過ぎるだけである。


「実はですね――」


 セーラはラネナに、このままではジンクが退学になってしまう事を説明する。


「何でもっと早く相談しないのよ!」


「うおっ!」


 途端、掴み掛らんばかりの勢いで詰め寄ってきた。


「そもそも会ったの久しぶりだし、相談したからってどうにかなるような事でもないと思うんだが……」


「あー、ごめんなさい。私の落ち度ね、これは……」


 そうよね。


 その辺の話わざわざしてくれる先輩なんて私以外に居る訳ないわよね、なんてラネナは苦虫を噛み潰したような表情を見せた。


「いい? 何でわざわざ生徒手帳に試合を推奨する文言があるか解るかしら?」


「それは許可がないと罰とかが怖くて試合出来ないからじゃないか?」


 実際、ジンクはセーラとの初めての試合の時に一番恐れたのが、退学処分になる事である。


「違うわ。そもそも誰も試合なんてやりたがらないからよ」


「え?」


 けれど、ジンクの言葉を即座にラネナは否定する。


「石級の頃はそれなりに積極的に戦うわ。そりゃあ毎日功績値減っていくんだもの。戦わないとどうしようもないわよね」


「あ、ああ。そうだな」


 功績値は階級毎に定めらた数字が毎日消耗されていく。


 そして功績値が一定を下回れば降格。


 最下級の石級の場合、そのまま除籍処分というのがオルビス魔術学園の規則であった。


「でも鉄級になった後は、ほとんど試合なんてしないの。わざわざ試合なんてしなくても街で依頼を請けていれば、ある程度まで階級を維持する事は出来なくはないからね。後は石級に下がりそうになった時に試合をする程度よ」


 功績値は試合で奪い合うだけでなく、依頼を達成しても手に入れる事が出来る。


「でも、それじゃあ階級上がらないんじゃあ……」


 とはいえ依頼で手に入る功績値は、基本的には試合に比べると微々たるものだ。


 それこそ必死で頑張って、ようやく階級を維持出来るかどうかでしかない。


「上げる必要がないのよ」


「上げる必要が、ない?」


「この学園に所属しているだけで、受けられる恩恵は大きいわ。それならわざわざ危険を冒して階級を上げようとするよりも、無理せず自分が維持出来る階級に留まった方が遥かに利点があるからね」


 例えばジンク達が街に行く時にバスに乗っていたが、本来バスに乗る為には相当な大金が必要であり、ジンク達に支払える額ではない。


 だが、生徒であれば誰でも無料でバスの利用が出来るのだ。


 他にも街での買い物には大幅割引きが適用されたりするなど、多くの特典が存在している。


「でも、階級上がれば上がる程、得られる特典だって大きくなるじゃないですか?」


 当たり前だが特典は階級が上がれば上がるだけ良くなっていくし、新しい特典だって増えていく。


 上げられるなら上げた方がいい筈だ。


「上を目指し続けられる人間なんていうのはね、ほんの一握りだけよ。大抵はそこそこ安定した居場所があれば満足する。いいえ、それを守るので精一杯か、居場所を失う覚悟までして上を目指せないものなのよ」


「マジかよ……」


 けれど、言われてみれば納得出来る話ではあった。


 そもそもオルビス魔術学園に在籍する最大の利点は、その知名度にある。


 一年でも在籍し続けられたなら、死ぬまで仕事に困らない程の評価を得られるのだ。


 それを失う可能性まであるのに、無理をする必要なんてないのは道理であった。


「大事なのはここからよ」


 これで退学は確定か。


 なんて考えが頭を過ぎるジンクだったが、そんな心配はないとばかりにラネナは自信ありげに話を続ける。


「要するに試合をする利点があればいいのよ。何で試合に功績値だけじゃなくて、条件を付けられると思ってるの?」


「ああ、なるほど。けど――」


 平民であるジンクには、貴族を釣れる条件が思い浮かばなかった。


「収納鞄どうしたのよ? まさか売っちゃった?」


 先の試合で、ラネナから譲り受けた物の事だ。


 いくらそういう条件だったからって誤解だったし要らないとジンクは固辞したのだが、ラネナは条件は厳守だし迷惑料と思って受け取って、と無理やり渡してきたのである。


「いや、返そうと思って部屋に仕舞ってあるぞ」


 だが、ジンクは渡されてすぐ、使いもせずに部屋の棚へと仕舞い込んでいた。


 というのも、街の中は無理でも辺境の村でなら家一つ買える、それなりの品質の収納鞄だったからだ。


「……返されても困るんだけど丁度良いわ。勝ったら新品の収納鞄を渡すって条件で掲示板に募集を掛けなさい。それで何人かは来る筈よ」


 掲示板の使い方は解る?


 と尋ねるラネナに、ジンクは頷いて生徒手帳を操作する。


 異界にある『ねっと』とやらを参考に作られたもので、掲示板に書き込んでおけば勝手に返信などが付くようになっていた。


「えーと、確かこうやって――」


「ああ、もう。ちゃんと品質書いて新品だって事も目立たせなさいな。これじゃあ、どんな安物だって思われて誰も来ないわよ」


「よし、ならこれで――」


「後、募集は鉄級だけにしときなさい。石級と戦っている時間なんて、もうないでしょ?」


「確かに……」


(試合って最大でも一日二回までしか許可してくれんらしいからなあ……)


 昇格の条件は鉄級五人に銅級一人の撃破。


 一日二回試合して無敗だったとしても、最低でも三日は掛かってしまう。


 残りの期限を考えると、石級との試合で時間を無駄にしていい余裕なんてないだろう。


 ジンクはラネナの助言に従い、掲示板に書き込む。


「凄いです。もう返信付いてます」


 掲示板に書き込んで数秒。


 いつの間にか横から覗いていたセーラの言葉通り、早くも試合の申し込みがあった。


「うん、まずまずね。後はアナタの腕と運次第ってトコかしらね?」


 この調子で試合の申し込みが来てくれれば、期限内に十分間に合うだろう。


 後は勝てるかどうか、だけだ。


「ありがとうございます」


 お先真っ暗だったのが嘘のように光が差し、退学回避への道が照らされていた。


 その立役者であるラネナに、ジンクは心の底からの感謝の言葉と共に頭を下げる。


「いいわよ。そもそも私が誤解して騒いじゃったのが原因なんでしょ? むしろこのくらいしか出来なくて申し訳ないくらいだわ」


 それじゃあ、応援してるわよ。


 と付け加えると、ラネナは足早に去っていく。


「何だか随分と疲れた感じでしたね」


「ああ。迷宮にでも潜ってきたのかもしれん」


 話を聞いた限り、試合を受けさせる為の景品が相当重要なようだった。


 もしラネナの景品がジンクに渡した収納鞄だったのなら、新しい物を探しに行っていたのかもしれない。


「それはそうと――」


 若干の申し訳なさを感じつつ、今は他人の事を考えている余裕がないのも確か。


 ジンクは頭を切り替え、掲示板に付いた返信を確認する。


『羨ま死刑。潰す』


 そこには端的で敵意剥き出しな、おそらく試合の申し込みの言葉が書かれていた。


「羨ま、何?」


 何の話だろうか、と周りを見渡そうとしたジンクは――


 ここに来て、ようやく今の自分の状態を把握する。


「鞄は関係ないのですかね?」


 覗き込むように手帳を見ているセーラとの距離は、驚く程に近い。


 肩なんて完全に引っ付いているし、頬だって触れ兼ねない程だ。


 傍から見たら、イチャ付いているようにしか見えないだろう。


(しかも、さっきまではラネナ先輩も同じような態勢で横に居たんだよな……)


 おそらく胸も当たり放題の、さぞや羨ましい姿だったに違いない。


(……何故その感触を俺は覚えてないんだ)


 それ程までに余裕なく集中していた上に、服と下着の上からでは当たったところで言うほど柔らかい感触などないからなのだが、ジンクに解る筈もなかった。


「こいつは激しい戦いになりそうだ……」


 解るのは唯一つ。


 おそらく次の対戦相手は、平民だとか階級だとかとは関係なく。


 殺意剥き出しで来るだろうという事だけだった。

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