第16話 切り札の置き所

 いや、叩き込もうとした。


(なん、だ?)


 不意に背筋に悪寒のようなものを覚えたジンクは、振り上げた拳をそのままに必死で飛び退く。


 千載一遇の好機を投げ捨てる暴挙。


 けれど、その行動は正しかった。


「叫べ、【乙女の告白】!」


 振り向きながらラネナが拳を突き上げる。


 と同時に凄まじい程の魔力の塊が高波のように吹き上がった。


「くあぁっ!」


 飛び退いて直撃は避けた筈なのに。


 僅かに掠めただけでジンクの身体が吹き飛んでいく。


 数えるのも面倒臭くなる程ゴロゴロと転がっていく姿は、まるで風に飛ばされたゴミのようであった。


「良い勘してるわ」


 そんなジンクを侮蔑するでもなく――


 むしろ本当に感心した様子でラネナは語り掛ける。


「確かに私は接近戦は得意じゃない。いいえ、はっきり言って苦手よ」


 事実、ラネナの打撃は褒められたものではなかった。


 精々がド素人だったら上手いかな程度。


 格闘を得意とする人間からすれば下手くそと呼ぶに相応しい、鋭さの欠片もない打撃だっただろう。


「だからこそ、そこに切り札を用意しておくものよ。いわゆる奥の手ってやつね」


 だが、これは魔術師同士の戦いであって格闘家の戦いではない。


 極端な話、打撃技術なんて要らないのだ。


 相手を倒せるのなら、打撃そのものを当てる必要なんて一切ないのだから。


「本当、大したものよ。飛び込んできたところから察するに、こんな攻撃があるなんて知らなかったでしょうに。それで直撃を避けるなんて」


 語りながらも。


 ラネナは転がったままのジンクを、じっと見詰めたまま目を離さない。


 それどころか、倒れている隙に更に距離を取り、試合開始時によく似た遠間を保つ。


 当然だ。


 まだ試合の判定も、ジンクの口から降参の言葉も出ていないのだから。


(焦っちまったな……)


 転がったままラネナの言葉を耳にしつつ、ジンクは己の失敗を分析していく。


(無理に一撃で決めようとする必要なんてなかったっていうのに……)


 必要以上に魔力を込めなければ、一撃入れて無傷で離脱するくらいジンクなら十分出来た筈だった。


 けれど、ラネナとの強さを意識するあまり判断を間違えた。


「下らない手で隙を作ろうとする卑怯者とは思えないくらい、よくやったわ。降参しなさい。そうすれば、これ以上何もしないであげる」


 倒れたまま動かないジンクに戦意を喪失したのかと思ったのか。


 降伏の言葉を投げ掛けるラネナだが――


「卑怯?」


 ある単語にピクリとジンクが反応する。


「それじゃあ何か? 正々堂々やったら負けてもスッキリとでも言う気か? それとも負けた後で、卑怯だからやらなかったけど、ああしてたら勝ってたなとでも負け惜しみでも言えってのか?」


 そして、静かな怒りと共にジンクが立ち上がった。


 と同時に着ていた上着が飛んで、上半身が露わになる。


 【愛の告白】が身体を掠めた時に、服が破れてしまっていたのだ。


「アナタ、その身体……」


 ジンクの身体を見た途端、ゴクリ、とラネナが生唾を飲み込んだ。


 無駄なく鍛え上げられ、引き締まったジンクの身体は、確かに涎モノであっただろう。


「さすが安全圏でぬくぬく戦ってきた貴族様。随分と甘ったれた物言いしてくれるじゃないか」


 けれど、ラネナが息を呑んだのは、そんな性的好奇からではない。


 身体中に無数の傷痕が存在していたからだ。


「この学園は魔獣との戦いを学ぶのが最大の目的なんだろう? だったら試合は魔獣との予行練習の筈だろうが。アンタは魔獣との戦いでも卑怯だ何だと言い出す気か?」


 魔獣と常に戦いを強いられるこの世界において、怪我などに関する医療の発展は凄まじく、チキュウと呼ばれる異界とは比べ物にならない。


 たとえ腕が飛ぼうと腹に穴が開こうと。


 頭が吹き飛ばされでもしない限り、しかるべき魔術なり回復薬をすぐに使えば綺麗に治療する事は、それ程難しい事ではない。


 逆に言えば――


 傷だらけの身体は、そんな治療さえままならない場所で戦い続けてきた事の証明だった。


「……謝るわ。失言だった。ごめんなさい」


 それが生きるか死ぬかの戦いの連続だった事くらいは容易に想像が付く。


 ラネナだって多くの魔獣と戦いを繰り広げてきたからこそ、それ以上に過酷な状況を生き抜いてきただろうジンクに対して、傲慢だったと己を恥じる。


「ここなら回復薬にだって困らないし、魔術を使える人も居る。アナタが降参するか、両足を吹き飛ばしてでも動けなくしてあげるわ!」


 そして、ジンクにとっての試合が魔獣との予行練習というのなら。


 それを考慮した上で倒し切ると構え直した。


「ああ、やってみろ!」


 ジンクが吠える。


 どこか戦いの中でも余裕のようなものを感じさせていたのが嘘のように。


 獰猛な表情を見せたかと思うと、真っ直ぐにラネナへと駆け出した。


 不意を突く訳でもなければ、吹き飛んで接近した時ほど速い訳でもない。


「っ墜ちろ、【一目惚れ】!」


 あまりに無謀な突撃に一瞬だけ戸惑いつつ、ラネナが魔術を放つ。


 目にも止まらぬ超高速の魔弾が走り――


 ジンクの身体から血が迸る。


「バスの上から数えて四回目だぞ!」


 けれど、それは身体を掠めただけ。


 ジンクは走る速度を緩めず、僅かに身を捩っただけで魔弾の直撃を避けていた。


「届け、【アプローチ】!」


 だからと言って一瞬で距離が詰まる訳でもない。


 まるで避けられる事を想定していたように、ラネナが次の攻撃を放ってくる。


(やれるか?)


 迫り来る魔弾の乱射に、走る足を止めずジンクは考える。


(上手く避けれて九発が限界……)


 十二発はどう頑張っても無理だし、九発だって万全の体調で避ける事に専念しての計算だ。


 【愛の告白】を受け傷付いた身体、走り続けた状態で避け切れる筈がない。


「くおぉ……」


 案の定、五発目で限界を迎えてしまい――


 ジンクは拳に魔力を集中させると、魔弾を迎え撃つ。


 直撃すれば試合終了。


 相殺して吹き飛ばされれば、もうジンクに距離を詰め直す体力はない。


 絶体絶命。


「おおおおおおおおお!」


 けれどジンクは迷う事無く、拳を魔弾に叩き付ける。


 魔弾が相殺される事なく、横へと弾き飛んで消えていく。


 正面から相殺するのではなく――


 横から正確に払う事で、魔弾の軌道を逸らしたのだ。


「そんな、有り得ない!」


 向かってくる魔弾を正面から迎え撃つのは、速さ次第だが難しい事ではない。


 だが、横から弾いて軌道を変えるとなると難易度は段違い。


 正確に魔弾の中心を横から叩かなければ、軌道は変わらず魔弾は炸裂するからだ。


 ましてや、ジンクが対処しているのは【アプローチ】なのである。


 正確無比の遠距離狙撃が【一目惚れ】なら、【アプローチ】は高威力の魔弾を乱射して敵を近寄らせないようにする為の技だ。


 つまり――


 【アプローチ】の魔弾の軌道は、一発一発が完全に無作為なのである。


 ある程度、狙っている場所に飛ぶというだけであって、使っているラネナ本人にさえ軌道は完全には読めない。


 それをジンクは全て完全に読み切り、横っ面を正確に叩いているのだ。


 しかも止まる事無く、前進しながら。


「どういう動体視力してんのよ!」


 次々に魔弾を弾き、近付いてくるジンクの姿に。


 初めて、ラネナの顔に焦りが浮かぶ。


「やっぱり、途中で止められないみたいだな」


 高等技術である『短縮』の弱点。


 それは複数の工程を一つに纏めてしまうという性質上、途中で魔術を解除する事が困難な事だ。


 けれど、困難であって、より高度な技術があれば出来ない訳ではない。


「さっきも、射程外に逃げたのに最後まで撃ってたもんなあ!」


 だが、ジンクは確信していたのだ。


 解除技術をラネナが習得していないという事を。


「叫べ、【愛の告白】!」


 【アプローチ】での連続攻撃が終わった頃には、すでにジンクはラネナと目と鼻の先。


 素早くジンクが懐へと潜り込もうとした瞬間、ラネナ叫び声と共に腕が上がった。


 それは近距離戦での一撃必殺技である【愛の告白】のモーションであったが――


「来るの解ってて当たるかよ!」


 ラネナが動くよりも一瞬早く、ジンクは横へと飛び退いていた。


 そのまま回り込めば、密着距離。


(掛かったわね! 今の【愛の告白】は腕を振り上げただけの囮よ!)


 そんなジンクの姿にラネナの口元が妖しく歪む。


 先程は掛け声を上げただけで、魔術の発動なんてしていない。


 ジンクの態勢を崩す為だけのフェイントであった。


(喰らえ!)


 そして即座に腕を振り降ろして、今度こそ近距離戦でラネナが使える唯一にして最強の一撃【愛の告白】が放たれる。


 叩き付けるように魔力の波が炸裂し、轟音を響かせた。


 無詠唱で放たれた不意討ちの本命の一撃。


 これに耐える手段はジンクにはない。


「言ったろう? 来るのが解ってるのに当たるものかって」


 けれど、当たったら耐えられないだけ。


 それなら当たらなければいいだけの話だ。


(【一目惚れ】の時に、掛け声なくても短縮使えるのは見せてもらったからな)


 だからこそ、ジンクはわざわざ激昂したフリまでして、走ってラネナの傍までやってきたのである。


 緊急回避用に、密かに足に込めていた魔力を残し続ける為に。


 ――そういう理由でもなければ、そもそも走らずに魔力で自分の身体を吹き飛ばした方が速いのだから走る意味が、それ程ない。

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