第10話 損得勘定で考える馬鹿正直

 バスを降りて街へと繰り出したジンク達だったが――


「人がいっぱいです……」


「あ、ああ。俺も驚いた……」


 朝っぱらだというのに、ひしめくように人が行きかいしている事に戸惑いを隠せていなかった。


「まだ店なんて開き始めたところだろ? 何でこんなに人居るんだ……」


 見渡すまでもなく人、人、人の群れ。


 まずはセーラを訓練服から着替えさせて、適当にその辺をぶらついて、落ち着いたところで食料とかを買って帰ろうなんて思っていたジンクの思惑は大きく外れる。


(これじゃあ何の店があるかもよく解らん……)


 かといって、なら買い物だけ済ませようとするのも中々に困難だった。


 看板自体は色々見えているものの、例えば服屋なら男物を中心に扱っている店なのか女物を中心に扱っている店なのか、店先が見えない程に人が居るせいで解り難い。


「ん?」


 呆然と立ち尽していたジンクは、ふと腰付近に違和感を覚えてそこを見る。


「…………」


 不安気にセーラがジンクの服の裾を掴んでいた。


(いかんな。連れてきた俺がこんなんでどうする……)


 これでは休日を楽しませるどころではない。


 ジンクが気合を入れ直した時だった。 


「ん、どうしたの、兄ちゃん達?」


 道端で立ち尽くしている二人が気になったのか。


 通りすがりの若い、けれどジンク達よりは年上だろう綺麗でスタイルの良い女が声を掛けてきた。


「ああ、いや。人の多さに圧倒されて。祭りか大規模な割引でもやってるのか?」


「ん? あー、なるほど。兄ちゃん達、あそこの新入生なのね……」


 セーラの訓練服姿からジンク達の素性を予測したのだろう。


 納得したように一人頷いて、女は説明を続ける。


「兄ちゃん達の影響よ。オルビス魔術学園にはトンデモなく商品を買い占めていく貴族の馬鹿生徒ってのが居てね。定期的にそういう事するんだけど、この時期は絶対に買っていくのよね。それで買い占められる前に必要なもんは先に買っておこうって感じで、ここ数日はてんてこ舞いって訳」


「あー、それは何というか申し訳ない……」 


「いいっていいって。別に兄ちゃん達が買い占めているって訳じゃないし、家紋付けてないって事は平民でしょ? それこそ気にするような事じゃないわ」


「どうも」


「それで街には何の用で来たの? 遊びたいってんなら、そういう場所ならすいてるし、案内しないでもないけど……」


 この時間なら映画館も開いてるよ、なんて女は付け加える。


「ああ、遊ぶのもいいんだけど、服と食料買っておきたくてな。コイツ、これ以外、ほとんど服持ってないみたいで……」


 そう言ってジンクは目線だけセーラの方へと向けるが――


「…………」


 セーラは突然現れた女を警戒でもしているのか。


 ジンクの背中に隠れるようにして、チラリと女の方を覗き見ただけだった。


(ええ……。そういう感じの人間じゃないだろ、お前……)


 裸を見られてもお構いなし。


 出会ったその日に勝負を仕掛けてくる。


 そういう破天荒で積極的な印象が強いだけに。


 私は人見知りなんです、みたいな態度を取られるとジンクには戸惑いしかない。


「はー。やっぱあそこに入学出来る平民ってのは、そういうお洒落とか全部捨てた魔術命! みたいな変人が多いんだねえ」


 けれど女は特に気にした様子も見せないというか。


 むしろ納得したように頷いたかと思うと――


「それで無頓着な本人に代わって服を買ってやろうってかい? そういう事なら案内してあげるよ」


 着いてきな、と言わんばかりに通りの方を指し示す。


「いいのか? そっちも用事があるんじゃ……」


「むしろ丁度良いって感じ。私、シャルティアって言うんだけど服屋の店員なのよ。けど貴族向けの服ってあんまり扱ってないから、今って逆に暇なのよね」


 だから適当にブラ付いてただけだし、なんてシャルティアは付け加える。


「ああ。貴族って普段から戦闘用の服着てる人多いしなあ」


「そうそう。常在戦場だっけ? 魔獣とか倒してくれたり街守ってくれるのは有難いんだけど、店としては大口の客作り難いから困りもんなのよ」


 魔獣や魔物から人々を守る事こそ貴族の最大の務め。


 いつでも戦える姿であれ。


 というのは半ば貴族の常識のようなものである。


「あー、一番金持っている連中が客じゃないってのは色々大変って事か」


 故に戦闘用に加工されていない服を貴族が買う事は少ない。


 それこそ徹底している貴族ならば、寝間着どころか下着まで戦闘用に加工されている物を揃えているらしい。


 それ程までに貴族達にとって魔獣退治と、それを行う為の強さとは絶対視されるものなのだ。


 何故なら――


「そういう事。ああ、文句とかは本当にないわよ。そうやって魔獣とか倒してくれてるから、私達は安心して暮らせてる訳だしね」


 その強さにこそ信頼と財が集まるからだ。


 人が集う程の大きな街とは、すなわち強い貴族が存在する街という事である。


 最も実績を上げている魔術学園の傍に大きな街があるのは、決して偶然ではないのだ。


「そんな訳だから新規の、それも平民のお客さんは大歓迎。おまけにあそこの学生さんなら将来有望だしね」


「出世して貴族並みに稼いで、じゃんじゃん服買ってくれって事か」


「そゆ事そゆ事。平民出身の警備や防衛員って、仕事ない時は結構戦闘服以外も着る習慣残っている人多いしね。将来有望の平民なんて最高のお客よ」


 警備や防衛員とは、主に村や町を魔獣達から守る職業の事である。


 大きな街などでは貴族達以外に就いている者が居ない為、貴族達だけの職業と誤解されがちなのだが――


 逆に小さい村などでは平民以外ほとんど見掛ける事がないという、人が住む場所ならば必須の職業なのだ。


「ちゃっかりしてるなあ」


「そりゃあ店員さんですから。入学祝いと出世払いも兼ねて、うんと勉強させてもらうつもり」


 迷う事ないでしょ、なんて言わんばかりに女は笑顔を向ける。


「それは割り引いてくれるという事です?」


 と、ここで今までジンクの背中に隠れ、押し黙っていたセーラが突然顔を覗かせた。


 どうやら善意だけでなく損得勘定が働いている事で警戒心が解かれたらしい。


(コイツは……)


 そこ自体は、もうそういう人間だとジンクも割り切りつつあったのだが――


 わざわざボカした言い方をシャルティアがしてくれたのに、それを台無しにするような物言いには、さすがに顔をしかめる。


「アハハ。素直な子だね。そうそう、うんと割り引いちゃうから、今後も贔屓にしてね」


 けれどシャルティアは気にした様子も見せず、むしろ解りやすくていいと思ったのか。


 笑顔で話を続けるのだが――


「それは駄目です」


 セーラは、きっぱりとシャルティアの申し出を断る。


「長い付き合いになるか解らないのに、いっぱい割り引いてたら損だけしてしまいます。それは何だか申し訳ないです」


「お、おー……」


「次に買いに来た時とか、付き合いが長くなった時とかに、割り引けるなら割り引いてくれると嬉しいです。でも、そうでないなら無理はしてほしくないです」


 そういう罪悪感すらも見越しての商売の駆け引きだ。


 それこそ本当に出世してお得意様になってくれるなら、最初なんてどうせ買える物には限度があるし、早い段階で恩を売っておいた方が店としては得だったりするのだが――


「あー、ハハ。これは参ったね……」


 そういう駆け引きや裏の読み合いがセーラには一切通じない。


「うん。これはお姉さんが悪かった」


 それを理解したシャルティアは、バツが悪そうに頭を掻いて提案をする。


「それじゃあ入学祝い……じゃないわね。昇級祈願に割り引かせてもらえるかな?」


「でも、それじゃあ――」


「代わりに昇級したら、私の店に買い物に来てほしいの。それこそ戦闘服だって注文してくれたら作れるから、作ってくれたりすると有難いわね」


「お、お店の品が満足いく品質だったなら……」


「勿論。それこそ品に不満があるなら、割り引かれたって買わなくていいわ」


「はい! それでしたら大丈夫です」


 その言葉はセーラにとって、とても納得出来るものだったらしい。


「お互いが嬉しくなる取引が出来るといいですね」


 まるで花が咲いたかのように嬉しそうにセーラは微笑んだかと思うと、思うと握手を求めた。


「そうね。それが最高ね」


 シャルティアはセーラの握手に応じてにっこり微笑んだかと思うと――


 ちょいちょい、とジンクを手招きして耳打ちする。


(ちゃんと見といてあげなよ。恋人でしょ?)


 おそらく、あまりにもセーラが危なっかしく見えたのだろう。


 その言葉には商売人としての色はなく、ただただセーラを心配する気持ちだけがあった。


(恋人じゃないが解ってる)


 ジンクは恋人の部分だけは軽く否定しつつ、それでも深く頷いた。


 何せ今まさに半ば騙される瞬間を目の当たりにしたのだ。


 言い回しを変えただけで、結局内容は最初から何一つ変わっていない。


 だと言うのに――


「早く行きましょう」


 今にも鼻歌でも歌いだしそうな程に御機嫌な様子で、ジンクを店へと急かすのだ。


(お互い得するって言われただけでこれって、どんだけ馬鹿正直なんだよ……)


 損得勘定で物を考えたがる。


 なんて言葉だけなら、どれだけ冷たく計算高い人間かと思うだろう。


 けれど、その考え方の下に隠された根っこの部分は、まるで疑う事を知らない子どもそのもの。


 呆れるほどに単純明快。


 それこそ笑ってしまうくらいに。


(これで同じ年、か……)


 だからこそ、ジンクはセーラを放っておけないのだ。


 かつては自分も持っていたかもしれない純粋さ。


 それを持ち続けている彼女の姿が今の自分には眩しくて。


 憧れなんて今更抱く気も起きない程に遠過ぎて。


「はいはい、慌てなくても時間はあるんだ。そう急ぐなって」


 せめてそれが変わってしまうまでは、見守っていたい。


 そんな風に感じてしまうくらい、淡く綺麗に見えてしまったから。

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