第4話 食事って栄養補給ですよねと少女は言った

「気にしていないので、顔を上げてくれると嬉しいのですけれど……」


 あれから少しばかりの時間が経過した。


 しかし、ジンクはまるでそういう形の置物にでもなってしまったかのように、土下座の姿勢を崩さずピクリとも動かない。


「償わせてくれるまでは出来ない」


 実のところ、ジンクは一度は顔を上げたし、お互いに自己紹介だってしている。


 その時に少女、セーラ・エイムズとも話した。


 どうやらジンクと同じ平民で、ジンクが来る少し前にこの館に来たらしい。


 だが、ジンクが一番驚いたのは、そこではない。


(同じ年齢だったとは……)


 玄関で着替える上に羞恥心も足りてなさそうなので、てっきり結構年下かと思っていたら、同じ年齢だったのである。


 これが本当に年下だったならジンクは謝りはしたものの、あんな場所で着替えてはいけないと注意して、それで話は終わっていたのだろうが――


 さすがに同じ年齢とあっては、いたたまれずジンクは再び土下座の姿勢を取ったのだ。


「あんな場所で着替えていた私が悪いのですから、そんな事言われても困るのですが」


 けれど、セーラとしては自分の裸を見られた事なんて割とどうでもいい事らしい。


 言葉通り困った表情でジンクを見詰めるだけである。


「いや、だからって裸見たのに何もなしなんてのは……」


「私の裸にそんなに価値があるとは思いませんが……」


「そんな事はないだろ」


 言いながらジンクは正座の姿勢のまま、顔を上げる。


 そこには先程と違い、訓練服に身を包んだセーラの姿があった。


(確かに色々小さいし、大人の女って言うには無理あるが……)


 けれど、なだらかで均整の取れた肢体には芸術品を思わせる美しさがあったし、事実、ジンクは見惚れて言葉を失う程に魅力的であった。


 ――さすがに口に出すと変態臭い気がして、ジンクは細かくは説明しなかったが。


「そうでしょうか? 私はお化粧の仕方も知らないですし、体型も男好きするような成熟した感じとは程遠い――」


 そこでポン、と納得したようにセーラは一つ手を叩く。


「幼女趣味の方です?」


「違う! 俺はどっちかというと年上好きだ!」


「年上の幼女体型好き?」


「そりゃあ業が深いなって、なんでそうなる!? 好みとか抜きにしても自分の身体が魅力的だったってどうして考えない?」 


「口説かれている、のですかね? だとしたらごめんなさい。興味ないです」


「そんな話はしてねえ! というか他に言う事いくらでもあるだろ! 謝れとかさあ……」


 告白もしてないのに振られた事に若干の怒りを覚え、言葉を荒げるジンクだったが――


「ああ、そうですね。これはうっかりしてました」


 ジンクの怒りをセーラは別の意味に解釈したらしい。


 まるでジンクと鏡合わせのように正座をしたかと思うと――


「つまらないものを見せてしまってごめんなさい」


 何の疑問もなさげに頭を下げた。


「謝れってそういう意味じゃねえよ!」


 何度目かになるジンクの絶叫。


 裸を見た負い目があるとはいえ、さすがにそろそろ我慢の限界――


「何なのですか、さっきから」


「それはこっちの台詞だ!」


 訂正。


 とっくに限界を超えていたらしく、ジンクは叫び声と共に勢いよく立ち上げる。


「いいか、いい年した女が知らない男に裸を見られたんだぞ! 恥ずかしがったり怒ったりするのが普通だろうが!」


 そして勢いのままに、一気に捲くし立てた。


「あなたが部屋に侵入して来たり、入浴中に覗きに来たなら怒るべきだとは思いますが、入口で着替えていた私に非があるのに怒るのは理不尽じゃないです?」


 けれど本当にセーラは裸を見られた事なんて、どうでもいいらしい。


 むしろジンクが何に拘っているのか全く理解出来ないらしく、きょとんとした顔で尋ね返す。


「というか、そこからおかしい! なんで入口なんかで着替えてるんだよ!」


「近かったので」


「何故、部屋に行かない!」


「他に誰か来るとは思わなくて……」


「いや、だからそれが何で入口で着替える事になるんだよ……」


「わざわざ部屋に行くより、入り口に近い方が便利じゃないですか。誰も居ないみたいですし、ここで暮らそうかと思いまして……」


「ここで?」


 セーラの言葉に周囲を見渡せば、少女の荷物とおぼしき物が近くにまとめてあった。


 机もあれば洋服棚も寝具もある。


 机の上には試験管やら本やら、魔術の研究に使いそうな物まで置いてある。


 どうやら本当に入り口で生活する気らしかった。


「え、いや、何で?」


 これにはジンクも怒りを忘れて戸惑うしかない。


(そりゃあ確かに生活するだけなら困らない広さはあるだろうが……)


 館そのものが大きいだけあって、入り口も中々に広い。


 それこそ下手な部屋とは比べるまでもない大きさだろう。


(だからって、こんな場所で落ち着いて暮らせるか?)


 けれど、階段もあれば通路とも繋がっている。


 扉で区切られている場所なんて玄関くらいだ。


 いくら他に人が来ないと思っていても、こんな見通しの良い場所で暮らしていこうという気持ちがジンクには理解出来なかった。


「外に近いじゃないですか」


 再びセーラは告げるが、それでは言葉が足りないと思ったのだろう。


「魔術を学び、研究し、強くなる為にこの学園に入ったのです。少しでも早く訓練に向かえる場所に居たい。そう思うのは何かおかしいでしょうか?」


 言葉を紡いでジンクに理解を求めかける。


「おかしくはない。おかしくはない、が――」


 その純粋なまでに上を目指す姿勢は、ジンクには好ましいものではある。


「近いと言ったってほんの少しの差だろ? それくらいなら落ち着ける部屋で過ごした方がよくないか?」


 が、それでも納得するにはセーラの行動は度を越していた。


「変な事聞きますね? 逆に知りたいのですが、それが鍛錬や研究の役に立つのですか?」


「身体と心を充実させた方が何するにしたって捗るだろ?」


「休息なら十分とってますよ? 無理をして身体を壊したら時間の無駄ですし」


「そういう肉体的な事じゃなくて、なんだ、ほら? 心の癒しというか……」


「心の癒し……」


 まるで訳が解らない、とばかりにセーラはジンクの言葉を繰り返す。


「嬉しい事とか楽しい事とか、そういう感じの……」


 上手い言葉が出て来ず、どもりながら説明するジンクだが――


「ああ、ありましたよ、嬉しい事」


 拙い言葉ながらも一応は伝わったらしい。


 ちょっと待ってて下さいね、と僅かに弾んだ声でセーラが何かを取りに行く。


「ああ」


(よかった。ちゃんと楽しい事あったんだな……)


 正直なところ、別に訓練や研究が心底楽しいのなら、別にそれならそれでいいとジンクは思う。


 けれど、セーラの態度は事務的というか義務というべきか。


 強くなる事や魔術を学ぶ事に面白さを感じているように見えなかったのだ。


(あんな感じで笑うんだな)


 どこか無機質めいた反応が多く、表情も人形染みていた。


 それはそれで整った顔立ちが際立ち綺麗であったが、ジンクとしてはさっきの楽しそうな顔の方が何倍も好ましかった。


(うんうん。やはり人間、笑ってないとな)


「見て下さい」


 親しみを感じ始めていたジンクの目の前に、ずいっと何かが差し出される。


「水?」


 それは透明な瓶に入った液体だった。


 無色透明で一見すると水にしか見えない。


「実はですね、これ水に見えて凄い魔法薬でですね」


「ほうほう」


 よく解らないが、機嫌よさげに早口で話すセーラが何だか微笑ましくて。


 ジンクは相槌を打って話を続けさせる。


「この薬を飲むだけで一日に必要な栄養が全部摂れて、食事要らずになるんですよ!」


「うん?」


 が、即座に話の雲行きが怪しくなってきたのをジンクは感じたものの、セーラの話は止まらない。


「これで食事を作る時間とか食べる時間が省けて、より訓練や研究が捗ります!」


 そして、呆れ果てそうな事を『凄いでしょう』と言わんばかりのドヤ顔でセーラが告げる。


 それは小柄で幼さを感じさせるセーラに妙に似合う表情であり、心なしか胸を張ってる姿だけを見れば、これまでで一番微笑ましさすらあったのだが――


「食事を何だと思ってるんだ……」


 内容が内容だけにジンクは頭痛すら覚え初めていた。


「生きるための栄養補給ですよね?」


 けれど、そんなジンクの気持ちを他所に、当たり前のようにそんな事を言うのだから堪らない。


「嫌だったら断ってくれていいんだが、そこの棚開けてもいいか?」


「いいですよ」


 不躾なジンクの頼みにセーラは気にした様子も見せずに快諾する。


(いや、まさかそんな。いくら何でも有り得ないだろ……)


 断られなかった事に確信に似た予感を強めながら、ジンクが洋服棚を開けると――


「マジかよ……」


 予想通りというべきか、案の定というべきか。


 訓練服と作業服だけが、所狭しとばかりにズラーっと吊るされていた。


(長袖と半袖があるのだけが救いか……)


 逆に言えば長袖と半袖の違い以外は二種類の服しかないのだが、そこは今更突っ込まない。


 けれど――


(こいつ、色々と大丈夫か?)


 まだ出会って一日も経っていない筈のセーラの事が、ジンクは心配で堪らなくなってきていた。


 年頃の女としてどうとか、そういう次元ではない。


 仮に同性であったとしても、セーラみたいな生活をしている人間を見たらジンクは心配せずには居られないだろう。


「ああ、大丈夫です。この魔法薬なら食糧庫にたくさんありますし、館内なら好きに使っていいそうですよ」


 そんなジンクの視線をどう勘違いしたのか。


 セーラがそんな言葉を投げ掛けてくるが――


「いや、待て。食糧庫にいっぱい?」


 聞き捨てならない言葉に、ジンクは思わず尋ね返す。


「はい、そうです。毎日飲んでも飲みきれないくらいたくさんありました」


「一応確認したいんだが、普通の食べ物もあるんだよな?」


 まさかそんな筈はないだろう。


 そんな事を思いながらも、流れ的に嫌な予感をジンクは拭えない。


「何を言ってるんですか?」


 おかしな人ですね、と言わんばかりの表情でジンクを見たかと思うと――


「ああ、そうだよな。そんな訳――」


「これ一本で栄養全部摂れるのに、どうして他の食料が要るのです?」


 何の疑問もなさげに、そんな言葉を放つのだ。


「ああ、うん。だよな。そんな気はしてた……」


(もう気にするだけ無駄だな)


 早くも何かの悟りを開き始めたジンクは、とりあえず後で色々買い出しに行こうと決めたのだった。

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