第2話 名前も知らぬ好敵手

「むしろ変われるなら変わってほしいものだよ」


 周りの声に苛立ちを覚えつつ、それでも準備を整えて試合開始の合図を待っていたジンクの耳に静かな声が届く。


「君の目は覚悟が決まっている者の目だ。あのような輩でなく君のような人と入学し、共に競い合いたかったものだ」


 それは対戦相手の声だった。


 どこか遊び感覚の周囲の者達と違い、油断なんて一切感じさせない落ち着いた雰囲気である。


(近付いてこないな……)


 けれど、ジンクが何より感心したのは、話し掛けてきた割りに随分と距離を取ったまま近付いてこない事だった。


 仮に槍を持っていたとしても到底届かない程の遠間。


 けれど、攻撃魔術を操る者にとっては、絶妙な間合い。


「意外だな。貴族は皆、ああいうヤツばかりだと思ってたぜ」


 試合が始まる前から自分に優位な間合いを保とうとする対戦相手に、敬意と共に警戒心をジンクは覚えた。


「否定はしないさ。私だって魔力がないに等しい平民が、何故この学園に挑むのかとは思っている。その覚悟と情熱を適正に合ったモノへと向けていれば、ひとかどの人物になる事さえ夢ではなかったろうに、とね」


「その辺の物言いは貴族っぽいな」


「貴族だからね。逆に君は平民っぽくない気はするよ」


「そりゃあ適正とやらも気にせず、ここを受験する変わり者だからな」


「確かにね」


 そうして対戦相手が楽しそうに笑った瞬間だった。


「それでは試合を始めて下さい」


 事務的で抑揚のない試験官の声。


 決して小さくはないが大きくもない声を聞き逃した、あるいは開始の合図だと気付けず動けなかった者は多いだろう。


「話は終わりだ、全力で行くぞ!」


 だが、ジンクと対戦相手の二人は聞き逃す事なく臨戦態勢へと移行していた。


 全身に魔力を走らせ、ジンクが身体強化をしつつ構えたのに対し――


 対戦相手の貴族は魔力で作られた頭並みの大きさの光弾を、空中に四つほど浮かべていた。


(見事なもんだな……)


 対戦相手の魔力制御の高さに、ジンクは心の中だけで賞賛を送る。


 いわゆる『魔弾』と呼ばれる基本にして応用に富んだ戦闘魔術だが――


 そもそも、この魔弾を扱える者自体が極端に少ないのだ。


 というのも魔力とは本来、自分の内側に流れるもの。


 つまり己の肉体を強化をする術こそが最も初歩的な魔術であり、生涯を賭したとしても、身体強化しか出来ない人間は少なくない。


 それ程までに外部に魔力を放出して扱うのは困難なのだ。


(おまけに一つ一つがこの大きさ。威力も相当なもんだろうな……)


 これなら人間はおろか、そこ等辺に居る魔獣程度なら群れで襲って来たとしても簡単に蹴散らせる事だろう。


 この魔弾の技だけでも、一生食べていくに困らないだけの技の冴えだった。


「技自慢とか大道芸をしたいなら他所でやれ」


 けれど、ここは魔術自慢の場ではない。


 戦いの場だ。


 わざわざ魔弾を操れるところを見せている暇があるなら、さっさと相手にぶつければいいのだ。


(いくぜ)


 ジンクはまるで巨大な蛇がうねって進んだかのようなジグザグした動きでありながら、それでいて馬さえ驚くほどの速度で対戦相手へと迫る。 


「近寄らせるものか!」


 対戦相手も黙って近付かせてくれる訳もなく――


 宙に浮かべた魔弾を次々に操り、ジンクを迎撃しようと試みる。


 襲い来る魔弾は、まさに正確無比。


 三つの魔弾が全てジンクが居た場所へと叩きこまれていく。


 けれど――


(遅い!)


 あくまで魔弾が叩き込まれているのは、ジンクが一瞬前まで『居た』場所。


 ジンク自身を捉えるには至らない。


 四つ目の魔弾が放たれる前に、ジンクは対戦相手の懐へと潜り込む。


(もらった!)


 魔弾を操る事だけに魔力と集中力を注ぎ込んでいる魔術師など、身体強化したジンクの前では的以外の何者でもない。


 難なく接近したジンクが勝負を決める。


「負けるものか!」


 ――かに思われた瞬間だった。


 高速で動くジンクに魔弾を直撃させるのは無理だと悟ったのか。


 対戦相手は四つ目の魔弾を放たず、即座に飛び退いて距離を取る。


(ちぃっ、思ったより判断が速い!)


 ここで対戦相手が魔弾に拘っていれば、そこでジンクは勝負を決めていただろう。


 驚愕に値する判断能力であった。


「先程の忠告、痛み入るよ。魔術学園だから魔術を競い合う場だと勘違いしていたようだ。力と成果こそ、この学園が求めるものだったな!」


 対戦相手は態勢を立て直す事に見事成功し、試合は完全に仕切り直し。


 もはや不意を突いただけでの決着は有り得ない。


 ここからは互いの力と知恵だけが勝敗を分けるだろう。


「……ああ、本当に。俺もアンタみたいなヤツとこれからも競い合いたかったよ」


 だというのに。


 ジンクの表情に焦りはない。


 それでも結末は既に決まっているとでも言うかのように。


「まるで自分が勝ったように――」


 それ以上、対戦相手は言葉を続けられなかった。


 ジンクが八つの魔弾を空中に浮かべていたからだ。


「ば、馬鹿な……」


 一つ一つは拳大の大きさで、先程、対戦相手が出した魔弾に比べれば遥かに小さいだろう。


 けれど、魔弾は数を増やせば増やすだけ求められる魔術の技量は、比例するように大きくなっていく。


 これは魔術の制御能力において、ジンクが対戦相手を完全に圧倒している事を証明したに等しい光景であった。


「だが、ここが魔術を競い合う場でないと教えてくれたのは君だ!」


 どう足掻いても魔術の腕ではジンクに遠く及ばない。


 それを理解して尚、対戦相手は諦めない。


 先程とは逆に、今度は魔術に集中しているジンクを取り押さえようと対戦相手が接近戦を試みる。


「遅い」


 けれど対戦相手が距離を詰めきるより、ジンクの魔術の方が早い。


 低く地面を滑るように八つの魔弾が横並びに走る。


 対戦相手の足を刈るように放たれた光の弾丸。


 足に当たれば動きを封じられ、下手に避けても隙を晒して狙い撃ち。


 どちらにしても絶体絶命。


「この程度っ!」


 それを僅かに跳ぶだけの最小限の動きで回避したのは、さすがともいうべき対戦相手の身のこなしと判断力だろう。


 けれど――


「これで終わりだ!」


 勝負は既に決まっていた。


 宙に浮いて身動きが取れなくなった対戦相手の目の前に、ジンクが現れる。


「なに!?」


 魔弾に気を取られていた対戦相手は気付かなかったのだ。


 魔弾の発射からワンテンポ遅らせ、急接近していたジンクの姿に。


「受け身取れよ!」


 叫ぶなり、ジンクは対戦相手を掴んで、背中から地面へと叩き付ける。


「かはっ!」


 抵抗する事も出来ず、対戦相手が衝撃に息を吐いた瞬間だった。


「終わりだ!」


 間髪入れずジンクの拳が叩き込まれる。


 轟音が響いた。


「……負けたよ、完敗だ。これでは言い訳のしようもない」


 自分の顔の横スレスレに叩き込まれた拳に寒気を覚えつつ。


 それ故に。


 いっそ清々しい程の敗北感と共に対戦相手は己の敗北を認めた。


「そりゃあよかった。片方が気絶するか降参するかが決着らしいからな。アンタを気絶するまで殴りたくなかったから助かる」


 倒れている対戦相手に手を差し伸べて起こし、そこで初めてジンクは笑顔を見せた。


 試合前に冗談のような事を話していた時ですら、どこか刺々しい態度を隠せていなかったにも関わらずだ。


「なんだ。君、笑えるんじゃないか。ずっとイライラした感じだったから、そういう性格なのかと思ってたよ」


「負けたら次はないんだぞ? 緊張くらいするだろうが」


「はは、なんだ。そんな強いのに緊張してたのかい?」


 刺々しさの原因がが試験への恐れや緊張が原因だと聞かされた対戦相手は笑う。


 何もかも自分の上をいく、化け物のようにしか思えなかったのに自分と同じ緊張だってする一人の人間だったのだというのが、何だかおかしくて。


「そうか。私は負けたのか……」


 そして、僅かに遅れてやってきたのは敗北の実感。


 もう二度と、自分はこの学園に入る事は出来ないのだという事実が圧し掛かる。


「……スマン。どうしても譲る事は出来なかった」


 対戦相手の目から涙が零れる姿を見てられず、ジンクは目を逸らす。


(どちらか片方だけじゃないなら、本当に一緒に入学したかったさ)


 時間にして五分にさえ満たない攻防だっただろう。


 それでも相手が今まで積み上げてきた努力、この戦いに臨む決意。


 そして僅かの間ですら感じとれるほどの誇り高さ。


 それらを量り知り、友情のようなものを感じてしまう程度には、この五分弱の時間は決して短くはなかった。


「謝らないでくれ」


 親友を裏切ったかのような罪悪感に駆られるジンクの耳に、穏やかな声が響く。


 その声に導かれるままに顔を向けたジンクは見た。


「君は恥じる事無く戦い、勝利を手に入れたのだ。勝者らしい堂々とした姿を見せてほしい」


 まるで家族にも向けるような穏やかな表情で対戦相手が微笑む姿を。


 それは少し前に泣いていた事さえ忘れるほど綺麗で。


 ――ズボンを履いている相手だというのに、見惚れそうになる程だった。


「……ああ、本当に。アンタと一緒に学園生活を送りたかったよ」


 思わずジンクの口からは、そんな言葉が漏れていた。


 言葉にする気なんてなかった筈なのに。


 相手の表情が自分を労わる為に作られたものだと気付いしまった途端、言葉を止められなかった。


「言わないでくれ。また泣きたくなってしまうだろう?」


「悪い……」


「ふふ、冗談だ。君は強さの割に随分繊細なんだね」


 自分を容赦なく倒した相手が申し訳なさそうにするのが、おかしかったのだろう。


 対戦相手はクスクスと笑う。


「強き人よ、君の名を教えてくれないだろうか?」


 お互い試験番号だけは知っていたが、それ以外には何も知らない。


 何故なら試験は蹴落とし合い。


 名乗る必要なんてなかったからだ。


「……ジンク」


 僅かに迷いつつ、ジンクは自分の名前を口にする。


 それは逆恨みによる報復を考えての事だったが――


(そういう普通の貴族達とは違うし、そうなったらそうなったで返り討ちにすればいいか)


 即座に思い直して、はっきりと自分の名前を告げる事にした。


「ジンク・ガンホック。最強の魔術師になる男だ」

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