三題噺「宝石店の強盗」「 忘れられた古城 」「音楽の天才」

 秋風すさむ真夜中に、背中を丸めて歩くパーマがかった長髪の男がおりました。男は風にも負けてしまう退廃的な身体つきで、一歩一歩確かめながら進むのでした。街灯一つないこの道には、男のかすかな足音と衣擦れ、それと不安定な鼻歌だけが転がっているのでした。

 男は盗人でした。盗人といっても、銀行や宝石店の強盗はもちろん、スーパーやコンビニの万引きですらしたことがありません。できないのです。盗人はゴミ置き場から不用品を持ち去ることすらもできません。

 彼は怠惰に寿命を貪っているだけのごくごくありふれた男でした。そしてそのようなごくごくありふれた男にはありがちな、空虚な野心がありました。彼はいつもいつも、意味もなく流れていくSNS上に現れる見ず知らずの女性や人気者を、自分の人生の登場人物の一人として脳内で関係を持つのでした。その脳内の喜劇は自分の意思として動くのではなくオートマチックに開幕し、疑うこともなく進行し、溺れ、ふとした瞬間に自身の恥辱によって突かれはじけ飛ぶのでした。これらによって命の意味の不明さをより一層書き立てられた男はもう何もできなくなるのでした。

 いつものようにyoutubeで特別興味があるわけでもない料理動画を見てやり過ごしている時、関連動画に真っ黒のサムネイルで再生回数が3回の動画が目につきました。男はその動画を開いてみることにしました。彼にはどうしようもないこの時間の消費の責任をこの再生回数3回の動画にすべて押し付けようという下心がありました。動画をタップし、数秒の読み込みが終わると音楽が流れてきました。動画のタイトルには、オリジナル「おとぎの国から」と書いてありました。どうやら自作の曲をアップしたものでした。男が興味を持ったのは再生回数だけでしたので、動画を開く前には気が付きませんでした。

 男はその曲の前奏を聞いたときに感心しました。アップテンポなジャパニーズポップで、耳馴染みの良い前奏でした。そしてそれがしばらく続いて、区切るようなギターの歪にかぶせるように、少しハスキーで冷たい女性のボーカルが歌いだしました。

 そしてその曲は最初の感心を増幅させながら流れていき、ラストのサビを終え再生が止まりました。

 男は感動していました。しかしそれは、彼を個人的につかんで揺さぶったのではなく、ある意味では商業的な感動といえるものでした。

 全体的に疾走感があり、メロディーは心地よくボーカルの声もマッチしていたのに、なぜこれが3回しか再生されていないのか、と男は不思議に思いました。動画の投稿日時を見てみると4年前に投稿された物で、チャンネル登録者数も2人しかいません。有名な人の曲が丁度アップされた瞬間ではなかったようです。

 男は何も考えたく、何も感じたくなくなって、おすすめされた動画を適当にタップして、その場を去ることにしました。

 適当な動画では知らない人が一人で座ってカメラに向かって話を始めました。そこで男は動画の速度の設定を1.5倍速にしていたのに気が付きました。いつも1.5倍速で動画を流しているので、等倍速に戻すという発想が一切頭になかったのです。

 男は少し躊躇いながらも動画の設定を等倍速にしてひとつ前の動画に戻りました。前奏が流れ始めて、すぐに聞く気が失せてしまいました。さっきのはただの作り物だったんだと、苛立ちすら感じ始めてしまいました。そして男はその感情を確立させるために一切の妥協を許さない姿勢で曲の最後までを聴きました。

 聴き終えて、男は納得感と腹立たしさのせめぎあう妙な気分に陥りました。そしてふと、ふらふらとコンパスのない海遊の心は彼自身の空想的な野心と相互に作用しあって、一つの落としどころを見つけてしまいました。

 男は再び動画の再生速度の設定を1.5倍速にし、スマホの音声キャプチャーを起動させ再生ボタンを押しました。

 男は録音している間、彼の心臓のビートが邪魔をして、一切曲を聴くことができませんでした。さながら忘れられた古城から遺物を運び出すかのごとく、現在の焦りとこれからの恍惚に満ち満ちた命を感じていました。

 曲が終わり録音を停止させました。男には曲が流れている間の時間がどれほどの長さであったかの知覚がもうすでに残っていませんでした。

 男は動画を投稿するページへと飛び、促されるままにアップする動画に先ほど録音したばかりのものを選択しました。そして画面上に動画の読み込みが完了するのに10分程かかる旨の表示が書かれていました。それは彼がこれから音楽の天才として生まれ変わるのに必要な、彼の命の意味の死への余命でした。

 男はスマホをベッドに投げ捨てて、上着を一つ掴み取り、鍵も持たないで外へ出ていきました。真夜中には燦々とまぶしい街灯に埋もれた、十三夜の月がありました。

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