【シノプシス】第七回 戒児は鴒花緑に相談し、欽成隆から二つ名を贈られる ノ段
第七回 戒児は鴒花緑に相談し、欽成隆から二つ名を贈られる ノ段
●翌朝・宿
爽やかな気分で目覚める愁麗。
胸中に渦巻く悲憤で眠れない夜が続いていたが、その胸のつかえが嘘のように消えていた。その理由も何となく分かっている。
ウキウキした気分で朝食を摂っていると、戒児が神妙な顔で切り出す。
「よく考えてみたんですけど、
「はあ!?」
「だって姐姐が敵に回しているのは〈天雷七星〉ですよね? 相手は七人じゃないですか。単純計算でも四回足りないですよ」
「だから?」
「僕にいい考えがあります」
「……言ってみな」
「盗んだ〈神煌龍経〉を返してゴメンナサイしましょう。あと、これからは危険なことや悪いことも一切しないでください」
「でっ……」
「で?」
「出てけ~~ッ!」
怒髪天の愁麗に宿から叩き出される戒児。
●白昼・浪蘭市街
外へ出た戒児は街を散策。
街では昨夜の一件が早くも人々の間で噂に。
郡司の楼閣に忍び込んで桃の木の枝で寝そべっていると、さっそく見張りの兵士たちに囲まれるが、鴒花緑の登場で事なきを得る。
鴒花緑が用意した桃の実を食べながらの会話。
「そういえば……鴒花緑さんって〈美食公子〉って呼ばれてるんですよね? それで思い出したんですけど〈シモンの十災〉の時代を生き延びた三大護国卿に〈美食大公〉って呼ばれた人がいましたよね?」
直系の祖先の話をされて驚く鴒花緑。
龍輿の歴史談義をして戒児が並々ならぬ知識を持つことを知るが、ここ一〇年のことはまったく知らないため鴒花緑があらましを教えることに。
「異民族の侵略に対して天雷門は動かなかったそうですけど、どうしてでしょう?」
「彼には彼らにしかできない大切な役割がある。それに、いかな武術の達人といえども一人や二人の参加で戦争の趨勢が左右されるものではないよ」
戒児の素性を訊ね、桃仙谷で育ったと知るや鴒花緑の顔色が変わる。
「その前髪の下にあるという痣を見せてもらってもいいかな?」
「醜いからあまり人に見せない方がいいって岩爺は言ってましたけど」
戒児の額を見せてもらった鴒花緑は驚き、しばし言葉を失う。
「……なるほど、その痣は見せびらかさない方がいいかもしれないね。前髪が邪魔だと思ったら頭に何か巻くといい」
話を変え、戒児の知識を試そうと質問する。
「実は前の郡司は私の兄上なのだけど、ある時、食事に毒を盛られてね。それが奇妙な毒で」
「奇妙というと?」
「何でも『この世で最も美しいもの』を見ることで解毒されるとか」
「まるで謎かけですね」
「おそらく精神に作用する毒なのだろう。肉体的には健康そのものなのだが正気を無くしてしまってね。いろいろと『美しいもの』を集めて試してはみたが効果はなく、私が代わって郡司を務めることになった」
今度は戒児からの相談。
銀鱗兇娘の命を三度救う誓いを立てたが天雷七星と戦うとたぶん死ぬのでどうすればいいか――と。
鴒花緑は途方に暮れる。
「その誓いを撤回することは……?」
「それは無理です」
「死なない程度の苦難を救うというのは……?」
「それだと命を救うという誓いを果たすことにならないですよね?」
「〈神煌龍経〉を中立の誰かに預けて、その人を経由して天雷門に返還してもらい、君は銀鱗兇娘と供に雲隠れする……というのは?」
「いいですね、それ。でも誰に預ければ?」
「私がその役を引き受けてもいいが……銀鱗兇娘を説得できるかい?」
「今朝〈神煌龍経〉を返そうという話をした途端に姐姐は激おこでしたが」
「ならダメそうだね」
結局名案は出ず「くれぐれも命を大事に」と忠告を得て戒児は楼閣を出る。
●市街・飛胡との再会
楼閣を後にした戒児。
高い建物の屋根に登り、物思いに耽っていると飛胡がやってくる。
「お前って美味そうな桃の匂いがするのな。すぐ分かったぜ」
飛胡は戒児が大好きらしくベタベタくっついてくる。
沈んだ表情の戒児を心配し、今一番ホットな街の噂を教える。
噂とは『銀鱗兇娘が悪徳豪商を襲ったが子供に諭されて銀票だけ奪って帰った』というものだ。
「実はそのことで相談したいことがあるんだけど」
飛胡はそれなら兄夫婦が適任だと、待ち合わせ場所である酒楼へ。
欽成隆に相談する戒児。
「困っている人を見れば助けるのが好漢ですよね?」
「いかにも。窮状にある者を見殺しにするような男は英雄好漢とは言えん」
「じゃあ、その助けた相手が実は悪人だったら、助けたことは間違いになるんでしょうか?」
欽成隆は少し考えて否定する。
「路傍にて不義を見れば即座に剣を抜いて助勢する――それが英雄好漢の心掛けというものだ。助ける相手を間違えては見る目がないと謗られもしようが、命の瀬戸際ではいちいち確認を取ってもおられん。間違いだったとしてもそれは避けられぬ類のものだ。間違いを犯すことを恐れて何も出来ないでいるようでは英雄好漢とは呼べまい」
妻の何霖が笑いながら、
「あなたもしょっちゅう恩知らずを助けるものね」
「兄貴の貸した金が返ってきたためしがねえからなあ」
「まだ返ってこないと決まったわけではない!」
戒児はいよいよ本題を切り出す。
「怪我をして弱っている女の人を助けたんですが……その人の正体が銀鱗兇娘だと分かったんです」
「「「「「なぁにぃぃぃ――ッ!?」」」」」
欽一家だけでなく、聞くとはなしに耳に入れていた他の客までもが仰天して声を上げる。
二階にいた丁泰羅も食べていた粥を鼻から噴き出した。
「ぎ……銀鱗兇娘だと!?」
「しかもあと三回、彼女の命を助ける誓いを立てちゃったんですけど」
「なぁぁぁ――……」
最初の爆弾発言ですでにメーターを振り切っていた欽成隆は、もはやアングリと口を開けたまま固まるのみ。
そんな無茶な誓いは無効だと諭す。
「でも、一度立てた誓いを反故にする者が英雄好漢と呼べるでしょうか?」
「ううむ……確かにそれは……」
欽成隆はどうにか戒児を説得しようとする。
「どうして『何でも一つだけ頼み事を聞く』とか、もっと簡単なことにしなかったんだ?」
「それだと悪事を手伝うことになるじゃないですか」
「一応、筋は通っているようだが……」
欽成隆はてっきり戒児が脅されるか騙されるかして誓いを立てさせられて後悔しているものと思い込んでいたが、戒児の悩みは『そもそも愁麗が銀鱗兇娘になったのは何故なのか』という謎についてだった。
欽成隆は江湖の話題に通じているため銀鱗兇娘の過去の悪事についての噂も耳にしているが、江湖では半人半蛇の怪魔とも噂されていた正体不明の人物なので詳しいことまでは知らない。
それよりも当面の問題は〈神煌龍経〉を巡って天雷七星と敵対していることだと指摘する。
神仙にも匹敵すると言われる天雷門の秘伝であり、おおよそ武術を学ぶ者なら誰でも喉から手が出るほど欲しがるお宝である。
その手に〈神煌龍経〉を持つ限り銀鱗兇娘の周囲は敵だらけであり、たとえ天雷七星のうちの一人が相手でも戒児は命が幾つあっても足りないだろうという。
ここで簫三姉妹登場。
紙人形で第五星・
蓬斯が〈月牙絶刀〉を放つと、身を盾にした戒児は愁麗もろとも真っ二つに。
それを見た戒児は青ざめる。
「話し合いでどうにかなりませんか?」
「門外不出の秘伝書を奪われることは武門にとって最大級の恥だからな。問答無用で襲いかかってくるだろう」
「まー天雷七星に会ったら会ったでその時考えりゃいいさ。それより戒児、俺と義兄弟の契りを結ぼうぜ」
飛胡は場の空気をまったく読まずに持ちかけるが、欽成隆は大慌てで止める。
稀代の武威浪・銀鱗兇娘を救う誓いを立てた戒児と飛胡が義兄弟になれば、欽一家の評判も地に堕ちるからだ。
「三回助けりゃいいんだろ? だったら手っ取り早い方法があるぜ」
飛胡は愁麗に毒を盛り、戒児が解毒剤を用意すればそれで一回助けたことになるという案を披露。
マッチポンプ式に三回助ければそれで銀鱗兇娘との縁は切れるという寸法だ。
欽成隆は飛胡の発想の悪どさをたしなめるがアイデアは使えると判断。
痺れ薬ならいいのではと持ちかけるが、戒児にとっては論外の案である。
「そういう悪巧みは僕の耳に届かない場所でこっそりやってもらえませんか?」
「まったくだよ。コロリと死ぬ猛毒を盛られちゃかなわないからねえ」
その台詞の主は、誰あろう烈愁麗本人だった。
●銀鱗兇娘現る
絶世の美女が現れたので酒楼の客の男たちは興奮し、口笛を吹く者も。
しかし戒児が「こちらが烈姐姐。銀鱗兇娘と呼ばれています」と紹介するなり全員が凍り付く。
酒楼に居合わせた客の多くが江湖の渡世人や悪漢であり、〈神煌龍経〉を狙うライバルでもある。
愁麗は懐から〈神煌龍経〉を取り出し、食卓の上に叩き付けた。
「こいつが欲しけりゃ取ってみなよ――力尽くでね!」
銀鱗兇娘からの宣戦布告である。
〈神煌龍経〉の実物を目にした悪漢たちは色めき立つ。
欽成隆は興奮しつつも自制し、飛胡が不躾に出した手を掴んで止める。
「ちょっと見るくらいいいじゃねえかよ。兄貴だってこれを読めば中の下の腕前がもうちっとはマシになるってもんだろ?」
「飛胡! 成隆さんの武術の腕前は中の中でしょ!?」
「そういうことじゃない!」
欽成隆は飛胡と何霖を一喝する。
「これは武林のみならず江湖に……いや、龍輿全土に争乱を巻き起こす火種だ! 下手に手を出せば火傷どころでは済まんぞ」
欽成隆は戒児のような子供を自分の盾に使うとは卑怯だと愁麗を咎める。
しかし戒児は自分で勝手に誓いを立てたと反論し、愁麗も強制したわけではないと答えたため、欽成隆の非難は的外れだと知れた。
「銀鱗兇娘なんかと一緒にいたらいずれ殺されるぞ」
「烈姐姐が僕を殺すわけがないじゃないですか。だって僕が死んだら誰が姐姐を助けるんです?」
自分が愁麗の命綱だと言わんばかりの口ぶりに全員が度肝を抜かれ、唖然となる。
あまりにストレートすぎる言葉に、愁麗は思わず感激し、照れて赤面する。
(もしやこの二人……!?)
二人の様子に、勘のいい一部の客たちは何事かを察した。
●丁泰羅、しくじる
二階から事の次第を観察していた丁泰羅は、千載一遇のチャンスを前に自分を抑えきれず、卓上の〈神煌龍経〉を奪還しようと真上から飛燕のごとく飛びかかった。
しかし銀鱗双蛇の一撃で胸に受け、店の外まで吹っ飛ばされてしまう。
それをきっかけに大乱闘が始まる。
悪漢や渡世人たちは一斉に暗器を飛ばすが刃を通さぬ銀鱗双蛇の胴で弾かれるか、または開いた大口に呑まれて撃ち返される。
近寄って攻撃しようにも圧倒的なリーチの差(銀鱗双蛇の攻撃範囲は四~五メートル)があるためまったく歯が立たず、愁麗一人にことごとく打ちのめされてしまう。
欽成隆は〈神煌龍経〉の争奪戦には参加しないと決意していたので何霖と飛胡の手を掴み、椅子に座ったまま微動だにせず。
欽一家の周囲を暗器と蛇と鉄睾が飛び交う。
戦いが終わると渡世人や悪漢たちはことごとく床に伸び、店内は竜巻の後のように破壊されている。
欽一家の座っている卓だけが無傷。簫三姉妹は一般の客とともに避難している。
愁麗は〈神煌龍経〉を懐に収め、戒児とともに悠々と酒楼を立ち去ろうとする。
それを欽成隆が呼び止める。
「戒児、銀鱗兇娘と道連れになるからには、お前の名はすぐに江湖に知れ渡ることになろう。俺はこの通り何の力もないが、お前に二つ名を贈らせてくれ。〈
可愛らしい見た目に似合わぬ頑固な性格と、武器の鉄睾をかけた二つ名である。
この時点で先んじて名付けたのは、銀鱗兇娘に味方する者として悪い渾名が付くのを避けるためという配慮があった。
目撃者も多く、簫三姉妹も居合わせているのでこの二つ名を広めてくれるだろうという目算がある。
「悪くないね」
愁麗も欽成隆の考えが分かったので反対せず。戒児は礼を言って去る。
二人が去った後、倒れていた悪漢たちが苦しげにうめきながらも起きあがってくる。てっきり皆殺しにされたと思っていた欽成隆は驚く。
「誰も死んでいない……だと? 銀鱗兇娘はこいつらを殺さなかったのか!?」
店の外まで飛ばされ、路上の屋台の上に墜落して地面に伸びている丁泰羅。
常人なら死んでいるはずがパチリと目を覚まして起き上がる。
打たれた胸をはだけて見ると『毒蛇の接吻』に重なるよう戒児の鉄睾の跡が。
〈神煌龍経〉を奪おうと飛びかかった時、愁麗の双蛇よりも速く戒児が鉄睾を飛ばし、神気によって威力を殺していたのだ。
店内で伸びている渡世人たちも同様だった。
何が起きたか理解していた飛胡は自慢げに言う。
「戒児のやつがとんでもねえ速さで鉄のキンタマを飛ばしてたんだぜ? オレでなきゃ見逃してたね」
乱闘で店をメチャメチャにした悪漢や渡世人たちは飛胡から二人の話を聞きたがり、そのまま居座る流れで奇妙な宴会が始まる。
「銀鱗兇娘って誰も実物を見たことねえ伝説の魔物だったけど、本物は……めちゃ美人だったな」
「ついさっき殺されかけたのに感想それかよ!」
「あの戒児って子供はいったい何者なんだ!?」
「ガキにしては肝っ玉の据わり方が違うんだよな」
「桃の精か何かか?」
桃の香りを身に纏い、鉄のキンタマを操る少年。
しかも半人半蛇の妖女を三度も助ける誓い立てるという奇矯すぎる振る舞い。
やはりこの世のものではなく神仙の類ではないかという見解が大勢を占めた。
「そんなことより!」
酒の回った何霖がいきなり卓を叩く。
「あの二人……デキてるわね!?」
「それな!」
「いい雰囲気だったよな!」
「え? いやいや……ほんの子供だぜ!?」
「ありだろ!」
「三回命を助けるって、それはもう実質的に添い遂げるってことで、完全に……どう考えても求婚なのよ!」
「私もそう思ったわ!」
「尊い……」
簫三姉妹と意気投合する何霖。
情報収集のために宴会に加わり、いつの間にか飲んだくれている丁泰羅。
●酒楼を出た後
通りを並んで歩く戒児と愁麗。
愁麗が話を切り出す。
「今はまだ〈神煌龍経〉を返すわけにはいかない。私はこれを使ってやらなきゃならないことがあるんだ。こいつは天雷門と交渉するための大事な手札さ」
「やることって何ですか?」
「それは……今はまだ言えない」
「分かりました。でも、もしそれが悪いことなら僕は協力しませんからね」
「……いいさ。それで」
二人はこれからの方針を確認する。
それは、〈銀鱗兇娘〉烈愁麗と〈小桃鉄心〉戒児が互いを相棒と認め、この先江湖に吹き荒れるであろう嵐の中を供に行くという約束に他ならなかった。
[第七回・了]
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