第66話 真剣勝負

「では、勝負は一球限りで」


「ああ、ホームラン級の当たりなら俺の勝ち。それ以外ならお前の勝ちだ」


「いえ、空振りの場合のみ僕の勝ちで。それ以外ならキャプテンの勝ちです」


「……いやまぁ、この際お前の中の判定はお前に任せるよ」


 どっちにしろホームランにするのだから関係ない。ホームランかっ飛ばして、こいつにもわからせてやらなきゃならねぇわけだしな。


 公園に連なるグラウンドで、学童野球用のマウンドに立つ野茂と、そこから18.44m離れた位置でバットを構える俺。

 璃子と舞香は三塁側のベンチ前に立ち、真剣な眼差しを俺に向けている。うん、しっかり判定してもらわなきゃいけねぇからな。


「それにしても……」


 やはり、グラウンドが狭い。いや、住宅街にある公園グラウンドとしては充分すぎるんだろうが、プロのバッターがフリーバッティングするような面積では全然ない。小学生が軟式ボールでやるから成立する広さだ。


 つまりは、さんざんカッコつけてホームランぶっ放すとか豪語してしまったが、冷静に考えたらこんなとこで特大ホームランなんてぶっ放すわけにはいかない。

 ライト側に100mも引っ張っれば、生活道路を跨いで一般住宅(ていうか佐倉宮宅)に飛び込んでしまう。センター方向でもアパートに直撃だ。唯一レフト側に流せば、それなりに飛んでもさっきまでいた公園に落ちてくれる。

 うん、流すしかないわけか……。

 まぁ、さすがに体に近いところをえぐってはこないだろうしな。真ん中よりも外側に、しかもあの剛速球が来るとなれば、強引に引っ張るなんてあり得ない。どちらにしろ、逆方向、つまりレフト側に打つことになるわけか。


「さぁ、来い、野茂誠。お前の本気を打ち砕いてやる」


「ゾクゾクしますね……やっぱり最高ですよ、あなたは! 高校野球は!」


 野茂は白い歯を見せて笑い、そして不思議なオーラを体から解き放つ。

 あの夜のように、先ほどのキャッチボールのときと同じように、野茂の体と、そしてその右手に握る白球が光っている。

 これはもしかしたら、暗闇の中でもフェアに勝負したいという、野茂の意志の表れなのかもしれない。

 いやマジで助かる。正直、今さら気付いて焦ってた。こんな月明かりと外灯だけが頼りの中じゃボールなんてよく見えねぇって。打てねぇって。シチュエーション、ミスってるって。

 しかし、これなら打者にとっても不利にならない。腕の振りとボールがハッキリと視認できる。

 真剣勝負の舞台が整った。


 野茂は表情を引き締めて、プレートに入り――そして今どき珍しく、大きく振りかぶってから左足をこちらに踏み出し――豪快に、右腕を振り下ろす!


 ド真ん中だ。まさに真っ向勝負。正々堂々、野茂は力と力の勝負を求めてきた! 

 痺れるぜ! 俺も、それに応えてやる!

 

 ――俺の視界は、流れる時間は、スローモーションのようになっていた。年に数回だけ訪れるあの感覚。極限まで集中した際にだけ入れるあのゾーンに、今の俺は入ったのだ。

 剛速球のはずなのに、ボールの動きがゆっくりに見える。俺が既にバットを振り出しているというのに、ボールがまだまだ来ない。非常に少ない回転数のように――見えるとかじゃなくて、え? ん? は?

 てかもしかして、実際にこのボールって遅いんじゃね? うん、めっちゃ遅くね? てか落ち始めてね? ど真ん中だと思ってたのに、このままじゃ膝下まで……って、え? おい。おい、嘘だよな? うん、嘘じゃねーな。うん。


 チェンジアップだ、これ!


 野茂が左投げのときにも得意にしてるやつ! しかも変化量に関してはそれ以上だ! ストレートと同じ腕の振りなのに、球速は全然出ない! ストレートだと思って打ちに来た打者のタイミングを完全に外し、しかも大きく落ちるやつ! 与儀がポロポロしそうなやつ!


 野茂ぉ! 空気読めって言ってるだろーが、テメェ! いや確かに腕の振りは全力だったけども! だからこそ騙されたんだけども! 確かにこれこそが真剣勝負とも言えるけども! 投手と打者の駆け引きは野球の醍醐味だけども!


 ちくしょう、完っ全に外された! 崩された!

 だが! 諦めるわけにいかん! せめてバットに当ててカットすれば!


 俺は体を流されるままに後ろ足の膝を地面につき、そして左手をほぼ離すかのように右腕を伸ばして――


 あ、違う! 間違えた! カットしちゃダメだわ、これ一球勝負だった! ホームラン以外俺の負けだったんだわ! ちくしょう、何だそれ、俺に不利すぎんだろーが、ふざけんな!


 だが、やるしかない。この状況からでも特大ホームランにして、璃子と舞香に、幸せな未来を、紛れのない「俺の一番」を、見せてやるんだ!


「だぁっ!!」


 無理やり、まさに強引に。伸ばした右腕でボールの下っ面を拾い上げ、すくい上げ、しばき上げる。体制が崩れても、体の軸は崩さない。バーベルで鍛え上げた体幹の力を、体の先端まで、そしてその先に繋がるバットまで伝達させて――そして一気に全てを回転させる。全力で、俺の野球人生の全てを込めて。理論だとか定石だとか、この際、知らん。関係ない。


 力で、筋肉で、ボールをかっ飛ばす!!


「行け、コラァ!!」


 バットで巻き込むように引っ張り上げた白球は、角度40度ほどの軌道で、ライト方向に上がっていく。ホームランにするには、高く上がりすぎた。普通なら伸びてくれない。最悪外野フライ、良くてフェンス直撃の三塁打にしかならない。が、


「伸びて!」


 舞香の声。その叫びに押されるように、ボールが落ちない。

 俺のフルスイングに弾かれた打球は凄まじい速度で高度を上げていき――そして。


「――入りました!! ホームランです、兄さん!!」


 グラウンドを越え、生活道路を越えて、佐倉宮宅の石蔵いしぐらに直撃した。二階の窓をパリンと割って飛び入った。


 ライト線ギリギリ、推定距離は105mってところか。プロのどの球場でも入っているはずだ。

 そしてたぶん佐倉宮が遠い目をして語っていた、幼いころ誠との秘密基地にして遊んでたという思い出の蔵の、思い出の落書きがされているという窓を割ってしまった。もはや俺たちの転生で一番割を食っているのは佐倉宮ではないだろうか。どうか報われてくれ、いつか。


「やられましたね。ナイスバッティングです、キャプテン」


 その口調とは裏腹に、下唇を噛みしめる、マウンド上の野茂。本気で悔しがってやがる。

 ざまぁ見やがれ、チェンジアップ野郎。


「当たり前だ、何十年生きてきたのかは知らねーが、昭和時代の価値観なんかで鍛えた腕に負けるわけねーだろ。最新の野球科学勉強して磨き上げた腕で出直して来い、野茂誠。プロの世界で待ってるぞ」


 俺の言葉に、一瞬瞠目するも、今度こそ野茂は素直な笑みを浮かべて、


「そう、ですね。確かにキャプテンなら職業野球の世界でも輝けるでしょう。王貞治のように。璃子さんの笑顔も、そんなあなたを見守っているときの方が、ずっと輝いてるようだ。諦めましょう、璃子さんに、魔物を継いでもらうことは」


 物分かりは悪いが、器は狭くない野茂であった。さすが(元)魔物。


 とにかくこれで、野茂の方は説得できた。

 言ってみれば、この転生という現象に関する憂いは、これでほぼ全て解決されたということじゃないだろうか。まぁ、与儀蒼汰のサブヒロインNTRを万が一にも引き起こさないために、引き続き警戒は必要だが。


「じゃあ、キャプテン。僕は明日に備えて寝るので。あなたもさっさと帰って寝てください。明日は絶対勝ちましょう!」


「おう。信頼してるぞ、後輩」


「ええ。まだまだ世代交代には早いですから。絶対甲子園に行って、僕だけでも元の世界に戻って魔物の仕事を再開しないといけません。では」


 そう言って、自宅の方へと歩き去っていく野茂。窓が割れる音に気付いて飛び出してきたのか、部屋着姿の佐倉宮が駆け寄っていくのも見える。


 いやいやいや。だからお前が元の世界に戻る方法もねーんだって。ほんと人の話聞かないな、あいつ。お前はこの世界で一生ラブコメ主人公崩れとして生きてくんだって言ってるだろ。このままだと何か元の山田久吾を超えるような、ナチュラル悪気なしモラハラ野郎になっていきそう。マジで不憫ふびんだ、佐倉宮。どうか幸せになってください。


 まぁ佐倉宮の相談役はこれからも舞香に任せるとして、不器用な俺は、自分の人生のことだけに集中していくしかない。

 そして俺の人生とはすなわち、舞香と璃子と子どもたちを幸せにしていくことだ。


 そのための前提条件をクリアできているかどうか、さっそくチェックしないとな。


「主審。璃子。判定は?」


 俺に駆け寄ってきていた璃子と舞香に向き直り、率直に尋ねる。


「え? だからホームランでは……」


「ホームランだが、そこじゃなくて。信じてくれる気になったか? 璃子も舞香も俺の一番だって」


「…………」「…………」


 何とも微妙な表情をして顔を見合わせる美人姉妹。

 何か「ここは空気を読んで、信じますって言った方がいいですよね……?」「うん、ここはひとまずそーしよっか……」みたいな目配せを交わし合っている。

 ありがたいと言えばありがたいが、そんなんじゃ問題を先送りにしてしまうだけだしなぁ……!


「いや、うん。俺としては、そうだな。チーム成績としては舞香が単独首位で、個人成績としては璃子が単独首位って捉え方してくれたっていいんだが」


 野球ってのはそういうゲームだ。チーム成績と同じくらい個人成績も重視される。人生もたぶん同様で――


「ものすごく屁理屈だ……」「ものすごくモチモチな理屈ですね」


 ものすごく胡乱げな目をするダブル妹。ものすごく悲しい。


 でも仕方ねーだろ……俺にとってはやっぱり二人とも同率優勝なんだから。モチモチ理屈以外でどう説明つけろってんだ。


 良い雰囲気で締めたかったのに、何とも気まずい雰囲気が流れる中、璃子が何かをひらめいたかのように、ハッとした顔をする。


「世界一かっこいい兄さんが、璃子を一番にしようと頑張り続けてくれる……ここはあえて、わたしが兄さんの一番だと感じられていないというていを取り続けるのもアリかもしれません。永遠に。それによって兄さんは、常にわたしを一番にしようと考えながら、わたしのことだけを見て、わたしのためだけに野球を頑張り続けてくるはずです。既に一番である舞香ちゃんのことなんて、おざなりにしてしまうはずです。いわばこれは璃子の呪いです。モチモチ呪術です。兄さんの頭の中は、兄さんの野球は、モチモチに侵食されていくのです! 名付けて、『モチモチ! あえて一番になってないフリ大作戦』です! 璃子は一番にならないことで一番になるのです! うん、いいですね、これ! 死んだりするよりこっちの戦法の方が良いじゃないですか!」


「ねぇ、私の妹、相変わらず卑怯すぎない? これやっぱフェアプレーポイントの差で私の勝ちっしょ」


 よかった。何か独自のモチモチ理論で納得してくれた。


 舞香の方は、まぁ。これから、いろいろ、な? いろいろあるし……そこで何とかなるだろう。俺の一番大事な女なんだって、思ってくれることだろう。うん。思わせてやるぜ!

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