第63話 偽装工作
「璃子! 開けてくれ!」
「開けません! 璃子は今、モチモチ遺書をしたためているんです! 邪魔をしないでください!」
舞香に俺の考えを伝えた後、俺たちはすぐ準備を済ませて、璃子の部屋のドアを叩いていた。もちろん、
「ダメなんだ、璃子! よく考えてみりゃ、『俺の一番になるために自殺』するなんて、お前に惚れてる与儀蒼汰からしたら、れっきとしたNTRじゃねーか! そんなこと与儀蒼汰に知られたら、結局サブヒロインNTRが完成して、この世界は終わっちまう!」
「それは良いことを聞きました! 抜かりましたね、兄さん! これで璃子は、心置きなく自殺ができます!」
「しまった……!」
ついつい口を滑らせてしまった……というのは嘘だ。こんなのは、もちろんわざとだ。これから俺たちが実行する作戦のための下準備といったところだろう。
とにかく、準備は整った。あとは話を聞いてもらうだけだ。
別に扉越しでだって不可能な作戦じゃないが……やっぱり、ちゃんと顔を合わせて話したい。俺たちがするのは、それくらい大事な話なんだ。
「わかった、お前の言うことを聞くから! 舞香には内緒で……途中までだったらする!」
数秒の間の後、ガチャンとロックが外される音がして、ゆっくりとドアが開き、
「
「嘘に決まってんでしょ。途中までって何。私がそんなこと絶対に許さない」
その瞬間、舞香が金属バットのヘッドを部屋の中へと滑り込ませる。とっさにドアを閉めようとする璃子だが、もう遅い。バットに引っかかって閉まり切らない。
俺も舞香と共に、バットのグリップを握り、そしてドアの向こうの璃子に告げる。
「諦めろ、璃子。こうなったらもう、腕力勝負、体力勝負だ。粘るだけ無駄だ」
「……意地悪な兄さんは嫌いです……」
「嫌われてもいい。お前を守るためならな。嘘。嫌わないでくださいお願いします」
「璃子も嘘です。意地悪な兄さんも大好きです。璃子はずっと兄さんに辛い思いをさせられてきたのに……それでも、ずっと大好きなんですもん」
「璃子……」
諦念を浮かべたような、弱々しい顔と声。そうして、璃子はドアから手を離す。
「璃子、舞香から伝えたいことがあるみたいなんだ。聞いてくれ」
*
「久吾の赤ちゃん出来た」
「…………。…………は?」
「久吾の赤ちゃん出来た」
「…………つまり……?」
「久吾の赤ちゃんが私のお腹にいる」
「…………。…………は?」
「ごめん、とは言わないから。謝るなんて、この子に失礼だもん。祝ってよ、璃子」
座布団に座って向かい合う璃子と舞香。
舞香は自分のお腹をさすりながら、真っすぐと璃子に告げる。その瞳に見つめられて、璃子は呆然とすることしかできない。妻のそんな毅然とした態度に、決意に、隣に座る俺も、息を呑むことしかできない。二人のやり取りを、見守ることしかできない。
「……ど、ど、どういう、ことですか、兄さん……」
見守ることしかできないのにさっそく水を向けられてしまった。璃子の血走った双眸が俺を捉えて離さない。ちくしょう、そりゃそうか。逃げ続けることなんて、許されねぇよな。
俺は、一つ深呼吸をして、璃子の目を見返し、
「すまん、璃子。お前に課された、エッチ禁止のモチモチルール、一度だけ破っちまったんだ」
「……兄さん……!」
「舞香はやめようって、璃子を裏切りたくないって言ってたんだが、俺がどうしても我慢できなくてな……ゴールデンえちえちエイジの舞香を前にして、止まらなくなっちまって……避妊しなかったのも、当然、全部俺の責任だ」
「それは違うじゃん、久吾。そんな風に
「やめてください! 具体的な話を璃子に聞かせないでください!」
両耳を押さえて叫ぶ璃子。いやホントそんな具体的な話必要ねーだろ、今。こんなシリアスな場面で勃起しちゃっただろ。座っててよかったぜ。デカくなくてよかったぜ。
「何で兄さんはこんなときにおちんちんを立たせているんですか! あとゴールデンえちえちエイジって何ですか!」
全然よくなかったぜ。デカくないくせにバレたぜ。何のための租チンなんだぜ。ゴールデンえちえちエイジは俺にも説明できないんだぜ。
「璃子、ちゃんと聞いてよ。大事な話。たぶん、私らの人生で、一番」
涙目な俺や璃子とは対照的に、舞香は冷静かつ真剣な面持ちで璃子に手を伸ばし、その耳を覆っていた両手を、そっと外させて。そしてやはり落ち着いた声音で、
「私、産むから、この子。この子と、この世界で幸せになるから。だから。だから、お願い。この世界を、終わらせないで」
「――――」
諭すように。同時に、懇願するかのように。舞香は、妹の両手を自分の両手で握ったまま、語りかける。
姉に手を握られた璃子は、目を見開いて、何も言えぬまま。
それでも舞香は、璃子からの答えを、じっと目を見つめて、待つ。
「…………」
璃子は、何も答えない。いや、答えられないのだろう。何度か口を開こうとはするものの、声が出せないのか、細い息だけが漏れている。
ここからは、俺の役目だろう。というか、俺にも担わせてもらいたい。兄として、夫として、そして、父親として。
「頼む、璃子。舞香のお腹の中に、俺たちの赤ちゃんがいるんだ。もしもこの状態でこの世界が終わったら……舞香が元の世界に戻っちまったら……ホルモンバランスが変化してしまう可能性が高いんだ。この世界の百乃木舞香のホルモンバランスで妊娠してるのに、元の世界の舞香のホルモンバランスに戻っちまったら……どうなるかわからない。いや、ほぼ間違いなく、妊娠中の体に、赤ちゃんの体に、悪影響がある。……産まれてきて、くれなくなっちまうかもしれねぇ……」
「…………っ」
言っていて、辛くなってしまう。こんなこと口に出したくもない。顔を酷く歪める璃子に、こんな話聞かせたくねぇ……でも、言わないわけにいかない。この可能性から目を背けることなどできない。
「璃子、お前は元から、このことに気付いていたんだな。だから俺たちに、子供を作るような行為をさせたくなかったんだ。甲子園に行って、俺たちが元の世界に戻るまで、舞香を妊娠させるわけにはいかなかった」
「…………」
璃子はもう、完全に俯いてしまっている。
「厳密にいつこの世界が終わるか分からなかったから、ボーダーラインも曖昧だったんだ。念には念を入れて、元の世界に戻るまで、万が一にも舞香が妊娠しないよう、エッチ禁止の期間も甲子園が終わるまでと長めに設定するしかなかった」
「…………」
呆然とする璃子を見つめながら、舞香が説明を引き継ぐ。
「言っとくけど、この子が産まれてから死のうってのもダメだから。確かにそれなら、この子の命や体に直接的な影響はないけど、この子を残して、私と久吾が元の世界に戻っちゃうってことになる。残されるのはこの子と、私たちが憑依する前の、元の百乃木璃子・山田久吾という両親だけになる。今まで嘘ついてたけど、元の百乃木璃子と山田久吾ってセフレ関係だから」
「……は……?」
ここでやっと璃子は、驚きを浮かべて顔を上げる。逆に言えば、それまでの話に関しては、驚きがなかったということだ。
やはり、元から璃子は全て分かっていたのだ。妊娠したまま元の世界に戻ることのリスクを。
「すまんな、璃子。全部俺の意志でついた嘘なんだ。元の山田久吾は間男キャラで、女性を物のように扱うクズみたいな人間だった。百乃木舞香だって、妊娠・出産した記憶すら抜け落ちることになる。まともに子育てなんてするとは思えない。そもそも、精神だけでなく、体ごと入れ替わっちまう転生なんだ。俺と舞香の子は俺と舞香の子であって、実際に、元の山田久吾や百乃木璃子とは血縁関係なんてなくなると思う。DNA鑑定でもされたら、自分たちの子供ではないと判断されてしまうだろう」
それは、この作戦を立ててみて、初めて気付いたことだ。
そう考えてみると、そもそも実の兄妹がこの世界に転生することで血の繋がりがなくなるなんてことも、あり得なかったのかもしれない。
やはり希望的観測というか、都合の良い仮定でしか考えられなくなってたんだな……。
まぁ俺は昔からそうだが、舞香も、俺のお嫁さん・俺の赤ちゃん関連の問題になるとガチの盲目になっちまうからな……。
そんでその理論でいくと、俺とあの親父も血縁上は実の父子のままという可能性が高いわけだ……とても残念だ。このことは奴には伝えないでおこう。
「だから璃子。子どもの健康と幸せのために、お前にもずっと、永遠に、この世界で、」
「待ってください!」
頭を下げようとする俺を、大声が遮る。ようやくスイッチが入ったかのように、璃子は必死の形相で、
「やっぱり……信じられません! ゴールデンえちえちエイジだとかデタラメなことを言って、璃子を騙すおつもりなのでしょう! 妊娠だなんて……嘘なんです!」
「嘘じゃないよ、璃子。私のお腹には、久吾の赤ちゃんがいる。これからずっとゴールデン陸斗&瑠美奈エイジ。そのうちゴールデン波斗タイムとかゴールデン絵美里タイムとかも始まる」
次男次女の名前まで勝手に決められてしまった。うん、めちゃくちゃ良いな!
しかし璃子の方はそんな言葉じゃ納得させられなかったようで。体をモチモチわなわなと震わせて、
「じゃ、じゃあ証拠を見せてくださいよ! 妊娠したというなら、璃子に証明してみせてくださいよ!」
やはり、そう来るか……。できればこのまま押し通したいところではあったが……。
まぁ、いい。あとは舞香を信じて任せよう。
「……わかった。璃子がそーゆーなら、見せたげる。後から偽装工作とか疑われてもめんどいし。ん。こっち」
「は……? いったい何を言って……ちょ、舞香ちゃん……!?」
舞香が璃子の手を取って立ち上がり、部屋を出て行く。璃子は戸惑いながらも、その強引さに逆らえぬまま引きずられていく。
そして、数分後。
「ね?」
「…………」
「ちゃんと私から出たおしっこだったもんね。璃子自身の目で確認したもんね」
「…………」
「間違いなく、陽性だったっしょ?」
戻ってきた璃子は、もはや放心状態だった。
隣の舞香は、体温計のようなプラスチック製のスティックを両手で持って、その表示を俺に向けて掲げてみせる。なんか得意げな顔をしている。そして相変わらず良い匂いを漂わせてる。ゴールデンえちえちエイジだ。
うん。つまりはそういうことだ。
「ほ、ほんとに、舞香ちゃんのお腹に、兄さんの赤ちゃんが……」
「そ。そーゆーこと。嬉しいっしょ、あんたも」
つまりは――妊娠なんてしていない。
当たり前だ。俺と舞香はエッチなんてしたことないもん。ゴールデン童貞とえちえち処女だもん。
舞香の尿に対して陽性反応を示したその棒は妊娠検査薬ではなく――排卵日予測検査薬である。妊娠しやすい日を調べるための第一類医薬品であり、その形状は妊娠検査薬と非常によく似ている。恥ずかしながら俺はそんなアイテムの存在すら知らなかったし、舞香に教えてもらっていなければ、その陽性の表示を見て、妊娠を示していると勘違いしてしまったことだろう。
璃子も同じだ。避妊具の極厚の意味すら理解できていなかった璃子に、妊娠検査薬と排卵検査薬の区別などつくわけがなかったのだ。
証拠を求められたらどうしようかと思っていた俺だったが、舞香が念のため毎月赤ちゃんできやすい日をチェックしていたおかげで助けられたぜ。いったい何の念なのだろうか。
とにかく。要するに。俺と舞香は芝居を打ったのだ。舞香が妊娠していると、璃子を騙すために。
そして、全てが上手くいった。
璃子は、もはや項垂れてしまっている。完全に、信じてしまっている。
床にペタンと崩れ落ちた璃子は力ない声を絞り出し、
「確かに……舞香ちゃんのお腹も最近何となく大きくなっていた気がします……そういうことだったんですね……」
「…………そーゆーことだね……まだ五週目なんだけどね」
偉いぞ、舞香! よく耐えた! 前までのお前なら絶対ブチ切れてた! 成長したんだな……母親になって、また一回り大きくなったんだ……心が! うん、心がな!
もちろんこんな嘘は時間の問題でいつかバレることだ。
だから、バレた頃には、璃子にとって手遅れになっているよう、嘘をホントにしておかなければならない。出来るだけ早く、出来れば今月にでも――つまり、今日か明日、俺は舞香を――
いや、今はこんなこと考えてる場合じゃないな。
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