第54話 愚妹(後編)
すぐにわたしは、姉の部屋から山田家の合鍵を盗み出し、この時に備えて準備していたリュックを背負って、兄さんの家へと母親の車で送ってもらいました。
部活中のため留守だった家に忍び込み、何となく居心地良さそうで、元から目をつけていた山田母の部屋を自分の部屋へと変え、わたしの私物なども家中に仕込んで、自分がこの家の住人だという偽装を施しました。(まぁ偽装工作自体はその後も兄さんの目を盗んで少しずつ進めていったのですが。)
そして一時間後。
わたしは兄さんと再会を果たしました。
案の定、舞香ちゃんも転生してきてしまったようですが。まぁ、この作戦を完遂してしまえば、関係のないことです。
それに、いくつも想定していたパターンの中では、そこまで悪くないパターンを引き当てることもできました。
もちろん最高なのは、舞香ちゃんが転生してこないこと、転生してくるとしても、兄さんより遅れること――でしたが贅沢は言えません。
二人が同じタイミングで転生したのであれば、まずは兄さんがこの家に舞香ちゃんを連れてくる。それはある程度予想していたことですが、やはり、わたしが『山田璃子』であると偽るには好都合な状況です。
わたしが何をするまでもなく、(何ならあえて反発するような演技をしても、)舞香ちゃんはこの家に泊まることになるでしょう。そのまま舞香ちゃんを百乃木家に帰さなければ、しばらくはわたしは兄さんの実の妹でいることができます。
まぁ、舞香ちゃんだけにバレるという状況なのであれば、それも特別問題ではないと思っていたのですが。
なぜなら、「わたしも兄さんと血の繋がりがないのであれば、舞香ちゃんから兄さんを旦那さんとして奪うことができますね♪」みたいな雰囲気を出しておけば、舞香ちゃんが勝手にビビって兄さんに隠してくれると思っていたからです。
わたしが舞香ちゃんには勝てないと思い知っているのと同様、舞香ちゃんには、「久吾は自分よりも璃子を大切にしている」と勘違いしている節があります。ていうかわたしが狙ってそう勘違いさせてきたという面もあるのですが。
とにかく、最悪、舞香ちゃんの方には、わたしが山田璃子ではなく百乃木璃子だとバレてしまってもどうにかなるのです。
まぁ、実際には全然どうにもならなかったのですが。
舞香ちゃんの奴、やはり隠そうとはしたようですが、あっさり兄さんに
二年ぶりに始まった兄さんとの共同生活。
しかもわたしの体は病気前の、兄さんが愛してくれたモチモチのものに戻っていて。(月経周期が変わっていたので、そんなホルモンバランスの変化から、モチモチ維持が難しくなってしまうことも危惧したのですが、そんなことはありませんでした。やっぱり璃子はモチモチ璃子ちゃんでした。)
幸せな時間でした。
兄さんは久しぶりに再会を果たしたわたしに夢中で。もしかしたら、このままでもわたしは兄さんの一番になれるのではないかと、淡い期待を抱いてしまいました。
そんな期待はすぐに打ち砕かれました。
結局兄さんの一番は、どこに行ってもどこに居ても、舞香ちゃん。それを、まざまざと見せつけられる四か月間でした。
苦しかった。幸せなはずなのに、とても苦しかった。
やっぱりあの二年間が、死んでいるときこそが、一番幸せだったと、思い知らされてしまいました。
同時に、ただ死ぬだけでは不十分なのだと、気づくことができたんです。
舞香ちゃんは、それだけしぶとい女でした。
あの二年間も、もしかしたら、もっと長い時間を経てしまえば、舞香ちゃんは兄さんの気持ちを取り戻してしまっていたのかもしれません。
いえ、きっと、そうなっていたでしょう。
結局はいつか兄さんはわたしのことなんか忘れて、甲子園なんて、野球なんてなくてもずっと尽くし続けてくれた舞香ちゃんを、一番にしてしまうのです。
そう考えれば、舞香ちゃんが兄さんと一緒に転生してきてくれたことは、むしろ都合が良かった。というか、そうですよね、そうなるって決まっていたんです。「自分が久吾を支えて、甲子園に連れていってもらう」――再度巡ってきたそのチャンスを舞香ちゃんがみすみすと見過ごすわけがないんです。
兄さんが来るなら、舞香ちゃんも絶対についてくる。
なら、わたしはそれを存分に利用してやるまでです。
わたしは敢えて、兄さんの足手まといになるような行為を連発しました。
足手まといと言っても、それで本当に甲子園に行けなくなってしまっては元も子もないですから、あくまでも、舞香ちゃんならカバーできる程度の妨害です。
舞香ちゃんの献身のおかげで甲子園にたどり着けたということを、強調したかったのです。兄さんの中に、より強く植えつけたかったのです。
舞香ちゃんにも、兄さんを一番支えているのは自分だという自負とプライドをより強く持ってもらうため、あえて対抗心を煽り続けました。いや、まぁ、中には本音もありましたけれど。
とにかく。それによって、わたしが死にます。
舞香ちゃんの献身のせいでわたしが死んだ、舞香ちゃんとのイチャイチャがわたしを殺したという結末だけが、兄さんの前に残るのです。
今度こそ、兄さんは立ち直れないでしょう。今度こそ永遠に、舞香ちゃんに入り込む隙など与えない。二度と支えることなど許さない。唯一無二の重荷として、わたしは兄さんの中で、生き続けるのです。
*
「わたしが死なないと、兄さんはわたしの大切さに気づかない鈍感さんなんです。生まれ変わるたびに、わたしが会いに来るたびに、忘れてしまうんです。だから『生まれ変わっても妹に』だなんて、守ってはいけなかったんです。結んじゃいけない約束だったんです。わたしは永遠に、
「…………」「…………」
「もしも、いつか幽霊としての自我すら消えてなくなってしまうのだとしても、それで構いません。わたしが一番として兄さんの中で存在し続けてくれるのなら、それだけで、いえ、それこそが、わたしの幸せなんですから」
全てを語り終えた璃子は、太ももの上で呆然とする俺の頭を、そのモチモチな手のひらで優しく撫でて、そして天使のように微笑んだ。
しかし、俺には伝わっている。膝枕されながら頭ナデナデされているから伝わってしまっている。その手の震えも、手と太ももの汗も、乱れた呼吸も、激しく波打つ心臓の鼓動も。
璃子は必死で不安と動揺を抑えながら、一連の告白をしたのだ。
覚悟が決まっているような態度を取っているけど、本当のところは、きっと――。
「…………」
俺はそっと、舞香の方に目線を向ける。
舞香は俺の視線にも気付かず、目を見開き、口を開けたまま、ガクガクと震え、そして――、
「いやこの子、この世界のことマジで野球ゲームだと思い込んでんじゃん……!」
「舞香!!」
「あっ」と口を押さえる舞香。「あっ」じゃねーよ! なに大声で口走ってんだよ、こいつ!
いや、うん。
正直俺も、自分たちの人生を左右するような、重くて苦しい衝撃の告白を聞いて――真っ先に口から出そうになったのは、まさにそのツッコミではあったのだが。
いや、だって。璃子のやつ、何でこの世界を野球ゲームだと思い込んでんだよ。何でそんな前提で四か月間も着々とドシリアスな計画進めてきちゃってんだよ。ここ、鬼畜野球部NTR抜きゲーかつ鬼畜生徒会NTR抜きゲーだぞ? あ、そっか。俺がそう思い込ませてきたんだった。そうだった。絶対バレたくないんだった。バレちゃいけないんだった。野球ゲームに転生したと信じてる妹に実はNTRゲーだとバレぬよう本気で甲子園目指してたんだった。
何やってんだ、俺のアホ嫁。そんなツッコミを口に出しちゃったら、璃子にバレちゃうだろーが! こいつ、無知かよ。ムチムチだった。
「ふっ、わざとらしい演技ですね、舞香ちゃん。無駄ですよ。この世界が、お父さんたちの作った野球ゲームだということくらい、もうわたしはとっくに確信しているのですから」
とっくに確信してた。助かった。こっちも無知だった。モチモチだった。
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