第55話 一番

 とにかく、そんなモチモチに、俺の世界一大切な妹に、言いたいことは山ほどある。


 しかし、まず何よりも先に、これを言わなきゃいけねぇ。


「ごめんな、璃子……」


「兄さん……」


 太ももの上の俺を見つめてくる璃子。璃子が俺の頭を撫でてくれているのと同じ優しさで、俺も璃子の頬を撫でる。


「二年間もお前を一人にしていたんだな……。それだけじゃねぇ。この世界に来てからも、二週間も一人きりだったなんて……待たせちまって、本当にごめん」


 あの再会の日。この家の玄関で、璃子は笑顔で俺たちを出迎えてくれた。

 あの天使の笑顔の裏に、二年間と二週間の孤独があったなんて……璃子の気持ちを考えただけで胸が締め付けられる。相当心細い――という言葉じゃ表現し切れないような思いがあったはずだ。

 そんな苦しみを、俺が璃子に与えちまっていたなんて、いくら謝ったって謝り切れねぇ。


 不甲斐ない俺を、やはり璃子も本心では恨んでいたのだろう。ムッとした顔を作り、


「全っ然、わかってないじゃないですか! 璃子が言ってること伝わってないじゃないですか! わたしは、死んでいる二年間、幸せだったって言ってるんです!」


「……いや、でも」


 そんな言葉、受け入れられるわけがねぇ。それが俺の、そしてきっと舞香の、譲れない思いだ。璃子の長い告白を聞いて、抱かざるを得なかった結論だ。

 璃子にどんな複雑な気持ちがあるのだとしても、そんな風に思い悩ませちまったのが俺たちのせいなのだとしても――死んでいるときの方が、俺たちと生きているより幸せだったなんて――もう一度死にたいだなんて――認められるわけがねぇんだ。


 だから俺はやっぱり、謝り続けるべきだ。とにかく、頭を下げるしかない。


「すまなかった、璃子。謝るから、死にたいだなんて言わないでくれ。思わないでくれ。ごめん」


「だから! やめてください! 謝罪なんて、一番いらないんです! ほんと土下座とかやめてください! 謝らなければいけないことがあるとするなら、たった今、勝手に璃子の膝枕から降りてしまったことです! モチモチ愚妹のモチモチ膝枕から逃げちゃうなんて失礼極まりないです! モチモチはプンプンですよ!? 頭なんて下げている暇があるなら一秒でも長くモチモチ膝枕されていてください!」


 モチモチにプンプン怒られてしまったので、俺は素直にモチモチ膝枕させてもらった。モチモチだった。


「璃子さぁ、あんたさすがにおかしいって。冷静になんなよ。わたしには理解できない、あんたの言ってること。久吾と生きられるんなら、それ以上のことなんてないでしょ」


「舞香ちゃんは黙っててください。一秒でも長く」


 やはりダメか……。

 そりゃそうだ。璃子が長年募らせてきた葛藤を、そんなことも知らずにイチャイチャし続けてきた俺らが、こんな二言三言ふたことみことで解消してやれるわけがない。納得なんてできないだろう。


 それでも、納得してもらわなきゃいけない。だって、璃子を死なせるなんてあり得ねぇし。俺の隣で、ずっと幸せでいてくれなきゃ困るのだ。


 そのためには、璃子に理解してもらわなければならない。勘違いを訂正しなきゃいけない。そもそも璃子は前提から間違っていて、その間違いさえ正すことができれば、全てが丸く収まるはずなのだ。


 結局、璃子の目的とは、ただ一つ――俺の一番になるということなのだから。


 であるならば、やっぱり、死にたいだなんておかしいのだ。


「なぁ、ずっと言ってきただろ、璃子。お前は俺の宇宙一の妹なんだ。血の繋がりの有り無しなんて関係なく、な。昔からずっと、これからも永遠に、璃子と舞香が俺の一番なんだよ。死ぬ必要なんて、どこにもないんだ」


 それは俺の、紛れもない本心だった。むしろ、璃子にちゃんと伝わっていなかったという事実に、かなりショックを受けていた。

 もちろん悪いのは全部俺なんだが、でも、璃子だって、もっと素直に兄さんの言葉を受け取ってくれてもいいんじゃないだろうか。


 そんな俺の不満とは裏腹に、璃子は、心底呆れ果てたようなため息をつき、


「それですよ、兄さん。そういうとこなんです、兄さんは。全くわかってないって言ってるんです。きっとそれこそが、わたしと兄さんの間の致命的なズレだったんでしょうね」


「え」


「これに関しては、舞香ちゃんだって、わたしに賛成してくれるはずです。舞香ちゃんもずっと、同じ気持ちだったはずです」


 璃子の視線と共に、俺も舞香の顔を見やる。

 舞香は一瞬目を見開いた後、結局、観念したかのように頭をかき。そして、やはり璃子と同じように大きなため息をつく。


「……ま、そーだね。久吾はそーゆーとこあるよ。ねぇ、久吾。『ずっと言ってきただろ』とかゆってるけどさ。あんたが言ってくれてきた『一番』って、わたしらが求めてる『一番』じゃないから」


「ええー……」


 また俺の嫁っぴが意味わからんこと言ってる……と、視線で璃子に助けを求めるも、


「ほんとそれです。舞香ちゃんの言う通りです」


「ええー……」


 まさかの共闘だった。力強く頷いていた。


 十数年間――物心つく前から一緒に暮らしてきた舞香と璃子。犬猿の仲の姉妹。その二人が手を組むのを、俺は人生で初めて目にするのだった。世紀の瞬間だった。歴史の目撃者になってしまった。俺をぶっ叩くために成立した奇跡の呉越同舟だった。モチムチ同盟だった。ええー……。


「いいですか、兄さん。一番というのは、文字通り一番なんです。一番でいられる存在は、たった一人のはずなんです。それなのに、いつも兄さんはわたしと舞香ちゃんを並べて、どっちも一番だとかふざけたことを抜かしますよね」


「俺のモチモチ璃子が怖い言葉遣いしてる……グレちゃった……」


「ほんとふざけてるよ、久吾は。わかるっしょ? 同率一位なんて意味ないの。サッカーとか他のスポーツなら同率でも得失点差で順位決められるけどさ、野球の順位に得失点差は適用しちゃダメじゃん」


「野球にフェアプレーポイントがあれば、わたしが優勝できましたのに」


「は? どう考えてもあんたのが反則行為多かったっしょ。フェアプレーポイントあればわたしの優勝だったし」


「そもそも同率一位だとか抜かしながら、結局兄さんの一番はいつも舞香ちゃんですし」


「いや、久吾がどっちも一番とか言ってるときって、結局いつも璃子のことばっかじゃん。あんたは死んで初めて一番になれたとか言ってるけどさ。私が璃子に勝って久吾の一番になれたなんて思えたこと、一度たりともなかったんだけど」


「知ってますよ、舞香ちゃんがそう思っていたことは。それが! それこそが! 輪をかけて、わたしをイラつかせたんです! 兄さんの一番だったくせに、その自覚がないところが、大嫌いだったんです!」


「はぁ? だって実際そーだったじゃん! ……甲子園の約束だってさ……わたしのは忘れられちゃって、あんたばっかだったじゃん。久吾はいっつも『璃子を甲子園に連れていく!』とか言っちゃっててさ……」


「あーあーあーあー! だからそういうのが……!」


 イライラに耐えられないかのように、両手で頭をかきむしる璃子。

 呆然とする俺を放って、ダブル妹はまたもやいつもの修羅場を繰り広げていた。バッチバチだった。


 そんなやり取りを聞かされて、二人の気持ちがようやく少しだけわかった。とにかくこいつらは、俺の、たった一人の一番になりたかったらしい。単独首位以外、一番とは認めないらしい。


 うん。


 そんなこと言われてもどうしようもねぇだろ……。何を言われたって、舞香と璃子、ホントにどっちも同率で一番なんだから……。


「いいですか、舞香ちゃん! わたしはですね!」


 そうして璃子は、鋭く舞香を睨みつける。


「わたしは! お下がりと、実姉と、舞香ちゃんと、底辺カクヨム作家『☆お読めさん☆』と! そして何より――底辺カクヨム作家『☆お読めさん☆』である実姉の舞香ちゃんのお下がりが! いっちばん大嫌いなんです!! あとクモとヘビ」


 ええー……白血病が一番嫌いであってくれよ……なに大嫌いランキングで死因とクモとヘビに勝っちゃってんだよ、舞香。


 こんなことを言われては、さすがの舞香も目を剥き、わなわなと震え、


「私のペンネームを大々的に発表するなぁ!! そーじゃん、流してたけど、『餅子もちこ』ってお前かぁ!! さんっざん私の作品にアンチコメントつけやがって!!」


 そこかよ。まぁ俺も思ったが。こいつ自分と自分の兄と妹を出した長編小説書いて、それを実質、妹にだけ読まれていたのか……ん?


 いやこいつ……『久吾』と『舞香』というキャラをゲーム内に出させて嫌がらせしようとしてた璃子のこと、陰湿だとか言ってドン引きしてたけど……お前が最初にやってたんじゃねーか。ほぼほぼ誰にも読まれない小説で『璃子』というキャラに「ざまぁ」しまくって自己満足してたとか、まさに璃子が父さんに依頼したことと同じじゃねーか。ていうか、お前のそんな小説に影響されて、璃子からあんな発想が生まれちまったんじゃねーか。


 要するに、「舞香→璃子→父さん」という順番で、作中に家族の名前を出して自己満足するという発想が伝播しちまったわけか。


 うん。元をたどれば、俺たち家族四人がこの世界に入っちまったのって、舞香のキモキモ自己投影小説のせいだったと言えるんじゃね……?


 逆に言えば、舞香のキモキモ自己投影小説が、璃子の命を救ってくれたことになるのか。


 でも璃子はせっかく姉が取り戻してくれたそんな命を、自らまた捨てようとしている。


「ていうか、璃子。お下がりって、俺との甲子園の約束をそんな風に思ってたのか……かなりショックだぞ、俺。甲子園、本当は別に行きたくなかったのか……?」


「うふふ、兄さん、そんな悲しそうな顔しないでください♪ 言っているじゃないですか、璃子は誰よりも兄さんに、甲子園に行ってもらうことを願っているんですよ?」


「だからそれは死ぬためにってことなんでしょ? 意味わかんない」


 キモキモ舞香の言う通りだ。

 結局璃子にとっては、前世でも、この世界でも、甲子園は俺の一番になるための手段でしかなかったわけで。前世での気持ちに関しては百歩譲ってわかるとしても、今の璃子は、俺が甲子園に行くことにより、死んで一番になろうと――


 って、そうだ。うん、大事な点をまだ確認していなかった。後回しにし過ぎた。

 この重大な点こそが、あまりにも意味不明すぎるのだ。


「俺が甲子園に行ったら、璃子が死ぬ……って、何だそれ!?」


「ほんと今さらすぎる疑問だね。うん、ほんと何なのそれ」


 俺と同様、もちろん舞香も首を傾げる。


 一方の璃子も、こてんと小首を傾げて、ニッコリと微笑み、


「…………えー? 何ですか、それー? 兄さんが甲子園に行ったらわたしが死んじゃうなんて、わたしそんなこと言いましたっけー? うふふ、そんなわけないですよね♪ 死んだりしませんよ♪ 璃子は兄さんに甲子園に連れていってもらうんですから♪ それが約束ですもんね、兄ーさん?」


「白々しすぎる……!」


 ものすごく汗をダラダラとかき始める璃子だった。

 さっきまでさんざん「甲子園に行くことで死ねる」とか言ってくせに今さら誤魔化せるわけねーだろ。

 まぁ、大嫌いな舞香に自分の思惑を見破られて、ムキになっちゃったんだろうな。ついつい言わんでいいことまで口走っちゃったんだろう。得意げな舞香にムカついて、「は? まだまだ自分には裏の手があるんですけど? そんな浅い女じゃないんですけど?」的なテンションだったんだろうな。


「なぁ、璃子。もうここまでバレちまってんだから、俺たちに全部――」


「あっ、もうこんな時間ですよ、兄さん! もうっ、明日は大事な準決勝だっていうのに。夜更かしなんてしたら、めっ! ですよ? さ、舞香ちゃんも。今日も三人一緒におねんねするんでしょう?」


 俺の追及を無理やり遮り、「はい、おやすみなさい」と床の布団に入って、電気を消してしまう璃子。


 そうか、今思えば、璃子が突然、甲子園が決まるまで三人で寝ようとなんて言い出したのも――もう少しで死ぬことを、決めていたからなのか。


 でも、逆に言えばそれは、この世界で、この三人で生きていくこの生活に、未練があるってことなんじゃないか。本当は、死ぬ覚悟なんて出来てないんじゃねーのか?

 そうだ、そうに決まってる。死ぬなのが一番の幸せなんて、絶対間違ってる。生きて、ちゃんと幸せになってほしい。俺に、幸せにさせてほしい。


 絶対に、死なせてなんてやらねぇからな。

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