第56話 バッドエンド

 璃子が話してくれないというなら、次に直撃する相手は決まってる。


 璃子と舞香が寝付いた隙を見計らって、俺はこっそりと布団を抜け出し、そして家の外で電話をかける。もちろん、あいつ――璃子をそそのかした悪魔――野茂誠に、だ。


 璃子の話を聞いた限り、奴は璃子の協力者で。死にたいと要望を出したのは璃子でも、死ぬための方法を考えて提案したのは野茂の方というニュアンスだった。

 奴が甲子園の魔物であるというならば、何か特別な力もあるのかもしれない。「俺が甲子園に行くこと」と「璃子が死ぬこと」という、遠い二つの事象に繋がりをつけてしまう何かを持っているのかもしれない。


 くそっ、何だそれ。何が魔物だよ。もはや、ただの死神じゃねーか。人の命を何だと思ってやがんだ。ぶっ殺すぞマジで。


「…………」


 そんで電話にも出ねぇしよぉ! ざけんな、ボスからの電話はワンコールで出ろや、クソ後輩がよぉ!


「ちくしょう、こうなったら……」


『もしもし、どうしたの久吾君、こんな夜中に』


 さすが佐倉宮。ワンコールで出た。こんな夜中に間男キャラからの電話に即行で出てくれた。そんなんだから寝取られるんだよ、お前は……。ありがとう、寝取られ属性で。寝取らねーけど。


「すまん、佐倉宮さん。緊急事態だ。明日の試合のことについて今すぐ野茂と話がしたい。お隣だろ? ベランダ越しに部屋行き来できちゃう幼なじみだろ? 起こしてきてくれ」


 ほんっと、エロゲの幼なじみって便利だなぁ。


      *


「一体……何を……考えて……いるんですか……マイボス……マイキャプテン……」


 十数分後。

 野茂宅の隣にある公園。佐倉宮が幼きころ同い年の男子たちに胸の大きさをバカにされているところを幼なじみの男の子が二つも年下でありながら勇敢に助け出してくれたという場所だとついさっき電話で一方的に聞かされてちょっとブチ切れそうになった例の公園。


 まぁ、でも、そんな思い出なんて、こいつの方は全く知らないんだろうけどな。


 外灯と月明りに照らされた夜の公園で、ジャージ姿の野茂誠が、眉間を押さえて立ち尽くしていた。


 俺はその前に立ち、野茂に言う。


「お前に聞きたいことがあって呼び出した」


「何時だと思ってんですか!?」


「21時58分」


「ド深夜ですよ!」


「ド深夜ではない」


 いやまぁ、俺だって本来なら明日に備えて寝ていたい時間ではあるが、璃子の身の安全を確保する以上に優先すべきことなんてねぇからな。璃子を死なせないためなら睡眠なんていらん。


「まったく、まさかキャプテンまでこんな真似を……甲子園より大事なことなんてないと、あなたなら分かってくれていると思っていたのに……僕はね、キャプテン。璃子さんだけでなく、あなたのあの熱い目にも惹かれて……」


 ああ、そうか。お前、璃子だけじゃなく、俺のことも見てたんだな、あの甲子園球場で。


「なぁ、野茂。悪ぃが、全部聞いたぞ、璃子から。お前、甲子園の魔物だったんだってな。あの日の、ガキのころの俺のことを、見てたのか」


 俺のその言葉に、野茂は目を見開き、そして薄く笑う。先月のグラウンドでこいつと対峙したときと同じ、不思議な光が、オーラが、こいつの小さな体にまとい始める。


 やっぱり、ただの人間ではない。

 こいつは、俺が、俺と璃子と舞香が、日本中の野球少年少女が魅入られた、あの球場の、あの舞台を支配してきた、人智を超えた存在なのだ。そんな存在をNTR抜きゲーの中に閉じ込めた俺の両親……。あとNTR好きの阪神の選手……。誰だ。チームメイトのFA移籍で目覚めたのか。誰だ。


「そうでしたか。まぁ璃子さんがそれでいいと言うのであれば、僕は知られても構いません。以前にも言ったでしょう? 14年前、甲子園を眺めて頬を染め、目を細める、あの天使の微笑みに、僕は魅入られたんだ。僕が、璃子さんの願いを叶えます」


 そう語る野茂の顔は幸せそうにうっとりとしていた。まるで、カルト宗教の教祖に心酔する信者のようだ。


「……ちなみに、野茂。いや、魔物。お前って前の世界では何歳だったんだ?」


「年齢? 僕のような存在にそんな概念はないですけど……まぁ、僕は二代目なんで、魔物をやっているのは1947年の第29回大会からですね」


「ジジィじゃねーか、ロリコンじゃねーか……!」


「ロリコンとは? またメジャーリーグ用語か何かですか。まったく、ああいったムダに細かい指標だとかセイバーメトリクスといったものは本当にくだらないですよね。職業野球で用いるのなら勝手にすればいいですが、神聖なる甲子園に持ち込もうとするなんて、もはや高校野球に対する冒涜ぼうとくですよ」


 野球に対する考え方も立派なジジィだった。まぁ筋トレしたら動けなくなるとか言い出さないだけマシか。たぶん自分が野球上手くなることに関しては真摯なんだろうな……って、こんなこと話してる場合じゃねぇ。


 こいつが甲子園の魔物だったとか、それは確かに衝撃的な事実ではあるが、今はもっと大事なことがある。

 璃子を守る方法を、見つけ出さなきゃいけねぇ。

 そのためにはまず、なぜ俺が甲子園に行くことが、璃子の死に繋がるのかを知らなくてはいけないわけだが……よし。


「しかし、さすがだな、魔物。俺が甲子園に行くことで璃子が死ぬなんていう筋道を見つけ出すなんて……璃子からその話を聞いたときには驚愕したぜ」


「ふふっ、そうでしょう。僕は長い間魔物をやってきましたからね。人間の発想では思いつかないようなことまで分かってしまうんですよ。魔物の能力でね」


「しかし未だに信じられん。本当なのか? 俺が甲子園に行くことで、その、あれが、ああなっちまうなんて……」


「それはそうでしょう。だって、あなたと祢寅学園野球部が甲子園に行くことがこの世界、『実況!パワフル甲子園』のクリア条件なんですから」


「確かに……何て論理的な推論なんだ! つまり、それがそうなって、結果的にあれが……」


「そうです。ゲームを全てクリアすれば、つまりこの世界のエンディングを迎えれば、この世界は終わるはず。この世界が終わることによって、この世界に転生してきてしまった僕や璃子さん、あなたや舞香先輩は、元の世界に戻れるはずなんです」


「なるほど! 要するに! あれが! そうなって! つまり……!?」


「元の世界で死んでいた璃子さんは、また死んだ状態に戻れるというわけですね。死者として、喪われた存在として、またキャプテンの一番になれると安堵していましたよ」


「ああ、そうだな。やっと理解した。全部元から璃子に聞いていて知っていたことだが、偉大なる魔物様の口から改めてご教示いただけて、再確認できたぜ!」


 魔物チョロかった。さすがジジィ。教えたがり。武勇伝語りたがり。誘導したら勝手に自分から説明してくれたぜ。


 しかし、なるほど。そういうことだったのか。俺がゲームをクリアすることによって、このゲームの世界がエンディングを迎え、転生者は元の世界に戻ってしまう、と。


 うん。


 いろいろと思うところはあるが、とりあえずこれだけはまず言っておきたい。ものすごくムズムズしてる。得意げに語る魔物様に思いっきりツッコんでやりたい。叫びたい。


「いや、お前この世界のこと野球ゲームだと思ってんのかよ!! NTRゲームだぞ、これ!!」


 あー、スッキリした。


 しかし何でそんな勘違いを……あ、俺のせいだった。そうだった。野球ゲームに転生したと信じてる妹に実はNTRゲーだとバレぬよう本気で甲子園目指してたんだった。

 俺が璃子にそう思い込ませたから、璃子の協力者かつ崇拝者で、璃子からこの世界の情報を得たこいつも、そう思い込んじまってるわけか。うん、当たり前だった。


「NTR? って、何ですか。はぁ……またメジャーリーグの新しい指標ですか。もういいじゃないですか、打者の優秀さを測る上で最も大事なのは勝利打点なんですよ」


 なに言ってんだマジでこいつ。

 ていうかこっち系に関する知識マジでないんだな。そりゃそっか、こいつ甲子園の魔物だもんな。


 しかし、そういうことだったわけか。

 こいつら、完全に勘違いして、完全に的外れな推論をしてやがったんだ。この世界が野球ゲームだという前提の元に作戦を立てて、四か月間も過ごしてたんだ。


 か、可哀そう……。まぁ、全部俺のせいなんだが。俺が加害者なんだが。


「ん? え? つーことは、じゃあ、もしかして……」


 このまま放っておいても、何の問題もない……って、ことだよな?

 だって、実際は野球ゲームでも何でもないんだから、俺が甲子園に行っても世界は終わらないし、つまり璃子が死ぬこともない……って、ことだよな……?


 よかったぁああああああああ!


 いや、マジでよかった。「舞香と璃子との甲子園の約束を守らなきゃいけねぇのに、約束を守ったら璃子が死んでしまう」――という、まるで物語終盤の主人公の葛藤のようなことしなくちゃいけないのかと思ってヒヤヒヤしちまったぜ。よかったよかった――


 ――なんていう、甘い話じゃねぇよなぁ……!


「待て待て、野茂。野球ゲームにしろNTRゲームにしろ、そのストーリーをクリアしたら、この世界が終わって、転生者の俺たちは元の世界に戻っちまう……なんてことが本当に起こるのか?」


 問題はそこだ。もっともらしくも聞こえるが、何の根拠もなければ検証のしようもない、一つの仮定に過ぎねぇ。

 だというのに、野茂はとても涼しい顔を浮かべて、


「それはそうでしょう。だって、じゃあ、他にどうやって元の世界に戻れると言うんです?」


「は? いや、そもそも何で戻れる方法が存在するという前提なんだよ」


「え? 当たり前じゃないですか、戻れるのなんて。だって戻れないと困るじゃないですか」


「は?」


「戻らないと、僕が甲子園の魔物としての役目を果たせないじゃないですか。全国の高校球児、高校野球ファンたちに、本物の感動を届けなければいけないのに。困るじゃないですか、僕と甲子園が」


「…………こいつ……!」


 こいつ、自分に都合の良いことしか信じないタイプだ……!

 今まで何でもかんでも自分の思い通りな人生しか送ってこなかったから、脳を希望的観測に支配されてやがる! ポジティブとかいうレベルではなく、もはや王様! 傲慢! 無邪気な独裁者! そりゃそうだよな、だってこいつ、甲子園の魔物なんだから!


 頭を抱えそうになって、しかし、と俺は考え直す。


 いや、待て待て。ゲームをクリアしたらこの世界が終わるって、確かにその発想……全否定することができるのか?

 俺はこいつとは真逆で、この世界が終わってほしくない。元の世界に戻ったりしたら、いろんな意味で困る。だから、そんな可能性を切り捨ててしまっているのでは? 何の根拠もなく。それこそ、ただの希望的観測じゃねーか。


「…………」


 野茂と璃子の説――「ゲームをクリアしたらこの世界が終わる」というのが真実だと仮定して考えてみる。


 まず、間違いなく言えるのは、この世界が野球ゲームではなくNTRゲームだということ。

 つまり、俺が甲子園に行くことで元の世界に戻ってしまうなんていうのは、やはり間違いだ。


 しかし、NTRゲームをクリアしてしまえば、この世界は終わってしまうかもしれない。

 NTRゲームのクリア、言い換えれば、エンディングを迎える条件――それは、もちろん、主人公がメインヒロインを寝取られてしまうことだ。

 つまり、野茂誠が、佐倉宮琴那を寝取られてしまうこと――いや、待て。

 それは確かに『実況!パワフル甲子園』のクリア条件と言えるかもしれないが、この世界が終わってしまう条件ではないはずだ。野茂誠が琴姉ことねぇを寝取られたとしてもこの世界は終わり得ない。終わることができない。


 なぜなら、このゲームはシリーズものだからだ。世界観を共有する次回作があって、そして実際、既にこの世界はそのゲームの時間に突入しているからだ。


 俺たちが生きるここは、『僕変え!』の世界なのだ。

 この世界の主人公は、与儀蒼汰。メインヒロインはあの生徒会長。

 つまり、与儀蒼汰が生徒会長を寝取られることこそが、ゲームクリアの条件となるのではないか?


 ん? っつーことは。


 俺、既に、そんな展開防いでるってことじゃねーか。


 生徒会入りした璃子にこの世界がNTRゲーだとバレないために、与儀蒼汰が絶対寝取られない状況を作り出してきたんだから。与儀蒼汰を生徒会から遠ざけて、かつ、メインヒロインの生徒会長を与儀兄とくっつけておいたんだから。与儀蒼汰が生徒会長と出会う前に、既にメインヒロインを別の男の嫁、かつ、与儀蒼汰が惚れるわけもないド変態おほおほ女にしておいたんだから。


 よって、主人公である与儀蒼汰のNTRもBSSも起こり得ない。


 この世界がクリアされることはない! つまり世界は終わらないってことじゃねーか! なーんだ、じゃあやっぱ、俺が何をする必要もないってことか!


 結局、野球ゲームに転生したと信じてる妹に実はNTRゲーだとバレぬよう本気で甲子園目指すことが、璃子の死を食い止めるためにも最善の策だったんじゃないか!


 つまり、俺の勝ちや!


「僕自身、『ゲームの中で璃子さんの願いを叶える』、なんて方向で力が働くとは思っていなかったわけです。ましてや、僕までもゲームの世界に入ってしまうだなんて。強力すぎる魔物の力を、制御し切れていないということなのでしょう……!」


 こいつもうただの中二病みたいになってんじゃねーか、ジジィのくせに。お前だけの力じゃなく、エロゲクリエイター夫婦の自己投影が招いた悲劇だぞ、たぶん。あと阪神のNTR好き選手がもたらした奇跡。誰だ。


「ま、球児の姿になって野球をできるのは、やっぱり最高でしたけどね! ただ、いつまでもこのままいるわけにはいきませんので。さっさと璃子さんの願いを叶えて、そして彼女には僕の、こう――」


「ちょっ、落ち着きなって、璃子!」


 既に負けているとも知らぬまま振るわれる魔物の弁舌。それをさえぎる、慌てた声。俺の背中側から聞こえてきたそれは、うん。めちゃくちゃ聞き覚えのあるものだった。


 舞香……何でこんなところに……誰にも気付かれないよう、こっそり出てきたはずなんだが。

 まぁ、さすがは俺の嫁、一心同体といったところか。俺の行動なんて何でもお見通しで、心配でついてきちゃったってわけか。

 まったく、こんな夜中に。そもそも今は俺のことなんかより、璃子をそばで見張っておくことの方が重要じゃ……


「ん? 璃子?」


 今なんかお前、璃子がどうとか叫んでなかった?

 は? ん? え? おい。


 おい、嘘、だよな?


「…………」


 冷や汗があふれ出してくる。心臓がにわかに騒ぎ出してくる。


 俺は神に祈りながら――っていうかこの世界の神ってもしかして俺の変態両親? 皮余りパパとデカ乳輪モサモサ義ママ? うん、いやもう誰でもいいから頼む。頼むから俺がこうやって振り向いた先にいるのが陥没乳首妻だけであってくれ――


「兄さん」


 ――なんて俺の祈りが叶えられるわけないんだよなぁ。だって皮余りパパとデカ乳輪モサモサ義ママに、そんな力あるわけねーもん。


「り、璃子……ダ、ダメじゃないか、こんな夜中に出歩いちゃ……」


 白い肌、モチモチのほっぺた、薄い唇、そして俺を見上げる大きな瞳。いつも俺への信頼に溢れていたはずのその宝石が、今は不安と不信で揺れている。魔物のような人智を超えた力なんてあるはずもないのに、暗闇の中、なぜかその姿だけが、俺にははっきりと見えていて。


 そうして、そんな俺のモチモチ天使は、固まることしかできぬ兄を見つめて、震える唇を、そっと開き、


「ねとられゲームって、何ですか?」


「――――…………あぅ」


 はい、終わった。


 全部聞かれちゃってたみたいです。

 四か月間、野球ゲームに転生したと信じてる妹に実はNTRゲーだとバレぬよう本気で甲子園目指してたのに――ついにバレちゃいました。


 主人公君のゲームクリアがどうとか考えてたら、俺主人公のスピンオフの方がゲームオーバーになっちゃってましたの巻。てへ。

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