第51話 九回の表、モチモチ学園の攻撃は、一番から九番までモッチモチ

 璃子が、危ないかもしれない。


 俺が甲子園に行ったら璃子が死ぬだとか、まるで意味がわからんし、とても信じられることではないが……でも、璃子と、そして野茂は、何かを知っている。おそらく、俺が知らない何かを。


 そうじゃなかったとしても。そもそも璃子が自分の死という言葉を前にして、全く拒否感を示していなかった時点で、大きな問題だ。

 そんなの、おかしいじゃねーか。

 自分が前世で一度死んでしまったと認識しているのであれば、なおさらそれを拒絶するべきじゃねーか。


 そう。少なくとも璃子は俺に何かを隠していて、それは間違いなく、璃子の心をむしばんでいる。

 そんなの、見過ごせるわけがねぇ。一秒だって、そのままになんてしておけねぇ。俺が何とかしてやらねぇと。俺が、璃子を救い出してやるんだ!!




「助けてくれよ、舞香ぁ……!」


 7分後。俺は愛しの舞香に泣きついていた。うん。だって必死に考えても何もわからなかったんだもん。


「どったの、久吾」


 準決勝、前夜。

 璃子がモチモチ入浴しているうちに、俺のベッドに座る舞香に俺は抱きついていた。お腹に顔をうずめると、優しくナデナデしてくれた。お腹がぷにぷにで気持ちかった。


「ううぅ……璃子が、璃子がさぁ……! うぅっ! このままじゃ、とてもじゃねーが明日の試合になんて臨めねーよ……璃子のこと以外、考えらんねーもん……」


「そっかそっか。もうっ、しょーがないな……お嫁さんに話してごらん?」


「舞香ぁ……! 好き」


 転生初日から続いてきたベッド会議。俺らが行き着くのは、結局ここなのだ。





「…………。……はぁ……」


 俺が聞いたこと全てを伝えると、舞香はとても疲れたような表情で、深いため息をついた。


「ほんっと、あの子って……自分が死んだって実は理解してたとか……でも確かに、今思えば……久吾が『璃子からのプロポーズを14年前に断った』って言ってることに対して、璃子は疑問を持ってなかった。変だと思ったんだ。2年間死んでたって認識がないんだとしたら、あの子にとっては12年前になるはずじゃん」


「確かに……じゃあ、やっぱ、そこは確定なのか……」


「だとしても、何でそれを隠してたのかってゆー新たな疑問が生まれるだけだけどね。昔からだけど、私、あの子のことわけわかんないよ」


「いや、舞香は俺なんかよりもずっと、璃子の考えとかわかってあげられてるだろ。だから、助けてくれよ……わからないで済ませて言いわけがねーんだ。俺の大事な妹が何かかかえ込んでんのに、何もしてやれねーなんて……」


「まぁ、とにかく一つ一つ整理してくしかないね」


 ショートパンツから伸びるムチムチ太もも枕。そこに乗せられた俺の頭を撫でながら、舞香が言う。こうでもしてないと俺の精神が持たないんだもん。


「まず、野茂君って、何者なの? 璃子本人はともかく、野茂君が璃子の前世での死について知ってるって……そもそも『前世』なんて発想がある時点でさ……」


「ああ。冷静に考えてみればそうだ。これはもう、あいつも俺たちと同じ世界からの転生者だと考えた方が自然だよな……。って、そうだ、そうだわ! だってあいつ、この世界にはいないはずの大谷翔平知ってたもん! イチローや野茂英雄も! あと清原と松坂と斎藤佑樹のことも言ってたわ!」


 この世界にそんな名前のプロ野球選手はいない。大谷田翔也同様、名前をもじったような、めちゃくちゃ似たタイプの選手が存在しているだけだ。


「じゃあもう決まりじゃん。大谷・イチロー・野茂に、清原・松坂・ハンカチ王子ねぇ。久吾が甲子園で活躍したらゴクアツ王子とか呼ばれるのかな」


「呼ばれちゃダメなんだよ。バレたら困るんだよ、二つの点で」


 主にイカサマ的な意味とコンプレックス的な意味で。


「そーだったね……ん? 久吾、ちなみにその大谷とかハンカチ王子とかって、どーゆー文脈で出た話だったの?」


「確か……あ、そうだ、あれだ。野茂の野郎が、大谷・イチロー・野茂は嫌いで、清原・松坂・斎藤佑樹は好きって話だったな。よくよく考えたら意味わからんくくりだな」


 後者の三人も名選手だが、客観的に見て、前者の三人の方はさらに上、レジェンド中のレジェンドといった感じだ。もちろん、有名選手は嫌いという天邪鬼あまのじゃくだっているが、それならそれで後者の三人が好きだというのも妙だ。清原・松坂・ハンカチ王子と言えば、野球好きからの知名度だけで言えば、前者の三人にも負けていない。


 だって、その三人は、甲子園の大スターだったのだから。


 ん?


「何そのあるなしクイズみたいなの……あ、でも私、何となくわかったかも。清原・松坂・ハンカチ王子は甲子園で大活躍して、甲子園で優勝してる。もはや、甲子園の伝説。一方で大谷・イチロー・野茂は甲子園では目立つ活躍ができなかった。大谷とイチローは甲子園0勝だし、野茂に至っては出場すらできていない。それなのに、プロ野球で、そしてメジャーリーグで大活躍してしまった。日本球界の伝説になった」


「……なるほど」


 加えて、見方にもよるが、野茂が好きだと言った三人については、甲子園での栄光が野球人生でのピークだったとも言えるかもしれない。もちろんそれ以降だって凄いのだが、特に投手だった松坂とハンカチ王子に関しては、甲子園での肩肘の酷使がそれ以降の野球人生に影響したのではないかという説がずっとあるくらいだ。


「高校野球で燃え尽きるべき発言? とかもそーだけど、野茂君って、ものすごく甲子園を神聖視してるんだね。前世での璃子のことを知っている中で、そんな人がいれば……」


「それが、野茂に転生した人物ってことになりそうだな。だが……」


「…………。……うん、ごめん。やっぱそんな人思いつかないね……私らが一番甲子園に憧れてたくらいなはずだし……」


 そうだ、俺と舞香と璃子は、甲子園で、奇跡のような、魔物の力が働いたかのような試合をこの目で見て……んんん?


 …………。


 ……いや、待て。

 そういや、俺も舞香も璃子も父さんも、前世での見た目を受け継ぐ形で、この世界に転生してるんだ。そのルールが適用されるのであれば、野茂もそうなっていないとおかしい。

 だが、野茂は、(二次元から三次元に変換されてはいるが)俺がゲーム画面で見た野茂の姿のままだ。

 じゃあ、前世で野茂と瓜二つだった人物が転生したとか? いや、そんな人物、璃子の知り合いにはいなかった。


 他に、この現象を説明できる可能性として、考えられるのは……そもそも実体を持たない存在だったとしたら。

 前世で肉体を持たなかったが故に、肉体を持っていた俺らと同じルールが適用されず、この世界の野茂誠の肉体にそのまま乗り移るしかなかったのだとしたら……。

 とりあえずの、整合性は取れてしまう。


「……マジか……」


 何かものすごく恥ずかしいことを言わなきゃいけない気がするんだが……しかし、報告しないわけにもいかないので、俺は小さな声で、


「……マモノさん、とか呼んでたんだが……」


「は?」


「璃子が、野茂のことを、マモノさんとか呼んでた」


「…………」


 ムチムチな太ももの上で、舞香と目を合わせる。お互い何も言えない。何か言葉に出すのもバカバカしいというか……だが、いま俺と舞香の頭に浮かんでいる仮説は、とてもそれらしいとも思えてしまう。できることなら否定したいのに、否定材料を探せば探すほど、辻褄つじつまが、合ってしまう。


 しばらくの間の後、先に口を開いたのは舞香だった。


「ま、まぁ、とりあえず一旦いったんさ、一旦、ね? 野茂君の正体がそれってゆー仮定で考えてみよっか。じゃないと話進まないし」


「他に候補もねぇわけだしな……つっても、そう仮定したとしても、結局、璃子が何を考えてんのかは、さっぱり……」


 むしろ、そう仮定したせいで、璃子の思惑に関しては、より分からなくなってしまってさえいる。


「ちょっと待って」


 しかし一方で、舞香の方は、何かに思い当たったかのように、口元に左手を添えて思案顔を浮かべる。ちなみに右手では膝の上の俺を撫でてくれている。幸せ。


「甲子園行ったら死ぬって言ってて、そんな話してた野茂君の正体がアレなんだとしたら、やっぱそこに何か関係があるのかも……あんたはそこを否定したがるんだろうけどさ」


「いや、だって意味わかんねーだろ、そんなの。俺が甲子園行ったら、璃子が……とか。そもそも璃子自身が、あんなに俺に甲子園連れていってほしいって……」


「だから、それじゃん。こんなこと、言いたくないけど……要するに、あの子、死にたがってるってことなんでしょ」


「…………」


「その死にたがってる理由を考えるべきなわけ。ほんっと意味わかんないけど。せっかく生き返られたってのに、何であの子は……。しかも自分が一度死んだこと覚えてて……いや、覚えてたからこそって、考えるべきなのか……ん? え……?」


 ハッとしたように目を見開く舞香。まさか、何か分かったってのか? さすが、実の妹の言動とその動機に対する解像度が高すぎる姉だ。キモい。


「ねぇ、久吾。それって、もしかして、さ……」


「なに愚妹に隠れて膝枕なんかしているんですか、兄さん♪」


「…………!? 璃子……」


 扉の隙間から、クリックリのお目目がこちらを覗き込んできていた。


 お風呂上がりでホカホカのモチモチな妹は、満面の笑みで俺の隣にぽすんと腰を下ろし、


「舞香ちゃんなんかより、愚妹の太ももの方がモチモチすべすべで気持ちいいですよ? はい、どうぞ、兄さん♪」


 ショートパンツから伸びるモチモチすべすべ太ももをポンポンと叩いて、モチモチアピールしてくるのだった。ごくり……。


「ごくり……じゃないの、この浮気者」


 舞香の指先が俺のほっぺをグリグリしてくる。痛気持ちいい。


「璃子あんた、私らの話、ずっと聞いてたんでしょ? そーゆーことだから。もうバレてんの。さっさとあんたの方から全部白状しな?」


「うふふ♪ 何を言ってるんですか、舞香ちゃん。今はそんな話より、明日に備えてしっかり眠ることが重要なはずですよ? さ、兄さん。今夜はわたしのモチモチ太ももの上でどうぞ」


「だからあんたにそーやって誤魔化されたまんまだと、久吾は心配で寝付けないの。試合に集中できないの」


「大丈夫ですよ。心配しないでください、兄さん。舞香ちゃんも。わたしのお話なら、甲子園が終わった後、じっくり話してあげますから」


「ふーん。やっぱり」


「……やっぱり、とは?」


「甲子園が、あんたにとってのボーダーラインなんだね。なんか妙だと思ったんだ。前々からやたらとそこを強調するから」


「…………」


 舞香の指摘に、璃子は笑顔のまま黙り込んでしまう。


「そこに、何かがあるんだ。久吾が甲子園に行くことが何かのラインになってる。きっとそれが、『死ぬ』ってことなんでしょ。甲子園に行ったら死ぬってのは、たぶん、少なくともあんたの中では真実なんだ」


「…………うふふ、本当に何を言ってるんでしょうねー、舞香ちゃんは。ほら、兄さんは早くおねんねしましょーねー?」


「璃子、私、もうわかってるから。気づいちゃってるから。あんた、私に勝つために、死のうとしてんでしょ」


「は?」


 と、思わず声を漏らしてしまったのは、もちろん俺だ。ダブル妹がギスギスし始めたので、いつものごとくサナギのようにじっと息をひそめていることしかできなかった俺だが、その言葉にはさすがに反応せざるを得ない。


 一方の璃子はやはり笑顔を崩さぬまま、しかし、ピタっと動きを止めてしまっている。俺の頭を撫でようと伸ばしていた手も、力なく下ろされてしまった。残念。


 しかし、もちろん舞香は、そんな俺たちに遠慮なんてしてくれるわけもなく、追及を続ける。


「あんた、久吾の一番になるには、死ぬしかないって思ってんでしょ。前世で自分が死んだ後のこと――久吾がずっと引きこもって、私のことなんて全く見てくれなくなって、ずっとずっと璃子のことで頭がいっぱいになっちゃってたあの二年間のこと――覚えてんでしょ。見てたんだ、私らのこと、死んでからも」


「――――」


 もはや、声さえ出ない。息が止まる思いだった。

 舞香が何を言っているのかよくわからなくて、それでも、その声に含まれる呆れとか悲しみとか後悔とか――舞香のそういう思いは伝わってきて――そんな言葉をぶつけられている璃子の方に、恐る恐る目をやると、


「…………ぷ。うふふ……うふふふふっ! 舞香ちゃんって、ほんっと……うふふふ!」


 お腹を押さえて、涙を流すほど爆笑していた。ええー……。


「正解ですよ、舞香ちゃん」


「…………っ!」「ほら、やっぱり」


 涙を拭いながら、璃子は笑顔で続ける。


「お返しに、何で舞香ちゃんがわたしのそんな考えまで言い当てられたのか、わたしも当ててあげます♪」


「いい。いらない」


「舞香ちゃん、2年前、わたしに死んでほしかったんですよね♪」


「そんなわけないでしょ!!」


 空気がビリリと震えるほどの怒声。俺の頭を撫でることも忘れ、舞香は璃子につかみかかる。本気で、璃子を睨みつけている。


「そんなわけあります♪ 舞香ちゃんは兄さんの気持ちを独占したかったんです。わかるんです、わたしには。なぜならわたしもずっとそうだったから」


「違う!」


「わたしが死ぬことで、兄さんの気持ちをひとりじめできるって、全部わたしから奪えるって――本当の意味で兄さんの一番になれるって――期待していたんでしょう? 大丈夫ですよ、わたしだって逆の立場だったらそうでしたから♪ そして、自分が死ねば絶対そうなってしまうと、あの病院のベッドで、ずっと絶望していたんですから」


「だから! 何であんたはそーやって……!!」


「でも! 残念でしたね! 真逆でしたね! うふふ♪ わたしが死んだことで、兄さんは、わたしだけにとらわれてくれるようになったんです!  舞香ちゃんの献身なんてすっかり忘れて、ずっとわたしだけを見てくれるようになったんです! 私は死ぬことで、兄さんの心を支配できた! やっとやっとやっと! 兄さんの一番になれたんです♪」


「あんた……っ」


 まるで愛の告白が成功したかのように、顔をホクホクと真っ赤に染めて、幸せの絶頂に浸る璃子。妹の、そんな場違いな態度に、舞香もついに言葉を詰まらせてしまう。


「璃子、お前、さっきから一体何を……」


 何とかして絞り出した、俺の言葉。それを耳にして、璃子は恍惚とした笑みを俺に向け。俺の体を抱きしめるように、自分の太ももの上へといざなう。

 脱力してしまっていた舞香がハッと意識を取り戻した時には、もう俺の坊主頭は、璃子の太ももの上で。優しくナデナデされていて。


「ね、兄さん? 璃子との約束、ちゃんと守ってくれますよね?」


「璃子……」


「兄さんは、甲子園に行くんです♪ 足手まといなわたしの邪魔が入っても、舞香ちゃんの献身のおかげで全てを乗り越えて、甲子園に行くんです♪ そのせいで、わたしが死ぬんです♪」


「は……?」


「舞香ちゃんのせいで、わたしが死ぬんです♪ 今度こそ、ゲームセットです♪ 舞香ちゃんに逆転の目はありません♪ 兄さんは永遠に、死んだ璃子のことだけを見続けるんです♪ 璃子が永遠に、兄さんの一番になれるんです♪ 単独首位です♪」


「――――」


「だから、ね? 兄さん。絶対璃子を、甲子園に連れていってくださいね? 舞香ちゃんとの二人三脚で――モチモチ璃子ちゃんを、殺してください♪」

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