第50話 不審
ものすごくよく眠れた。俺の部屋で三人分の布団を敷いて、モチモチとムチムチに挟まれながらめっちゃ気持ちよく眠れた。
こんな快眠できるんなら、これまでもずっと三人で寝ればよかったんじゃねーか。
でもあれだな、プロになって活躍して、マットレスのスポンサーとか付くことになっても、「どんな高性能マットレスより隣に妹二人がいるかどうかの方が重要なんだよなぁ」とか思っちゃって心から宣伝できなくなりそう。
そんな最高の目覚めから始まった今日の練習は、軽めの調整だけで終わった。当然だ、明日は大事な準決勝なのだから。
晴天の下、祢寅学園野球部グラウンドのホームプレート前。部員18人と3人のマネージャーを前に、俺は語る。
「ついにあと二試合だな。今日まで俺についてきてくれて、ありがとう」
こうしていると、俺がこの世界に転生してきたばかりの、四月のあのミーティングを思い出す。
あの時は、メインヒロインである佐倉宮にめちゃくちゃ鋭く睨みつけられちまったんだよな。それが今や、信頼感たっぷりの眼差しを送ってくれている。
「四か月前、俺たちがここまで勝ち進めるだなんて思っていた奴、きっと誰もいなかったことだろう」
まぁ、舞香を除いてだが。今も舞香はお得意の「ま、私はわかってたけどね」的なお澄まし顔を浮かべている。可愛い。
「だが、俺たちはたどり着いた。お前らが俺を信じて鍛えまくってくれたおかげで、甲子園まであと二勝のところまで来たんだ」
三年も二年も一年も、自信を持った目で、俺の話に頷いてくれている。
その体の大きさが、お前らの努力の証だ。
四か月前は頼りない奴らだったが、今なら俺も自信を持って言える。こいつらは、俺の最高の仲間だと。
だからこそ、やっぱり俺の決意を、こいつらにも聞いておいてもらいたい。
「これは、今言うことではないかもしれんが……俺はプロに行くことに決めた。お前らと過ごした四か月間が――ってのはおかしいか。お前らと初めて本気で野球に打ち込んだ四か月間が、めちゃくちゃ辛くて、めちゃくちゃ楽しかったんだ。だから甲子園に行って、プロのスカウトたちにアピールしまくって、より上のステージで野球を続けたい。そのためにも、明日も決勝もその先も、お前らの力が必要だ。頼む、みんな。情けねぇキャプテンだったが、どうかこれからも、俺を支えてくれ!」
頭を下げる俺に、部員たちは揃って「はい!」と声を上げる。
「よく言った、山田! お前の球なら絶対甲子園でもプロでも通用する!」と俺の背中を叩いてくる与儀。
「お前の拳ならプロの乱闘でも無双できるぜ!」と自分の腹を
その他の面々も俺の宣言に当てられて、自らのモチベーションまで上げているようだ。「やってやるぜ!」と叫んだり、中には涙ぐんでる奴までいる。おいおい、気が早い奴らだぜ。
そしてもちろん。この中で最も頼りになる野茂も、大盛り上がりの輪の隅っこで、隣に立つ璃子の方をチラチラと見て……あぁん?
こいつ、俺の璃子に何を……と睨みつけて気付くが、何と璃子の方もチラチラと野茂に目配せを送っている。
は……? 何だそれ……男女でチラチラ目配せとか……そんなふしだらなことが、許されるのか……? 俺の可愛いモチ
どうやら佐倉宮も二人の様子に気付いたようで、口を押さえて絶望顔を浮かべている。
そうだよなぁ? こんなのNTRだよなぁ? 許せねぇよなぁ?
うん、俺、全然明日の試合に集中できてねーな。
*
まさか、マジでこんなことになるとはな……。
一人、物陰に隠れながら、そんなことを思う。
ミーティングも終え、部員たちがさっさと帰宅していく中、俺のスマホに入ったメッセージは、まさかの佐倉宮からだった。
曰く、
『やっぱり寝取られてる! 一緒に帰ろうとしたのに誠が何か用事あるとか言ってる! あの女と密会するつもりなんだ! ええーん!』
だそうだ。
俺の璃子をあの女呼ばわりするな。ちなみに周りにはいちいち説明していないので、野球部内では璃子は未だに俺の実妹だと思われている。
しかし佐倉宮がここまで言うということは、やはりあの男、実は本気で璃子を狙っていやがったのか……?
許せねぇ……証拠を押さえてぶっ殺してやる……!
というわけで俺はこっそりと野茂を付けて、ここまで――部室棟の裏手に来ていたのだ。
俺と舞香が転生してきた直後に一時避難をした、あの場所だった。
そこで、野茂がポツンと立っていた。
一方の璃子は、スーパーの特売に走った舞香に連れていかれたはず。おひとり様1パックの卵を2パック買うためだ。
「――――っ」
思わず息を呑む。
現れてしまったのだ。璃子が。俺の覗き見ていた、その場所に。
キョロキョロと当たりを見回しつつ、モチモチとした足取りで、俺の可愛い天使が、野茂の元に走り寄っていく。
密会だ。
ショックと怒りで、心臓が早鐘を鳴らし始める。が、そんな音にかき消されぬよう、俺は数メートル先で交わされるコソコソとした会話に必死に聞き耳を立てる。
「どういうことですか、マモノさん」
潜められながらも、どこか苛立ちを感じさせるような璃子の声音。
ん? マモノさん? 野茂に対して……ニックネーム、だと……? いつの間に、そんな近しい仲に……!
てか、マモノって。あれか。
「いや、璃子さんの言いたいことは分かるけど、そこは僕にもどうしようもないっていうか。知ってるでしょう、プロ野球に関しては、僕は全くの無力なんだ」
野茂もどこか気まずげにそう答えている。
……何だ、この話。恋愛関係の話じゃないっぽいことには安堵したが、そもそも何について話しているのか、全くつかめない。
「だから兄さんにそんな発想持たせないようにしてくださいって話です。この前も言いましたよね? 甲子園のことだけ考えるよう、兄さんに
「かけたよ、それは。プロ云々とかは知らないよ。どうせ、舞香先輩とそういう雰囲気でそういう話になったんでしょう。それは璃子さんにとって、何か問題なの?」
どこか
よくわからんが、俺だけでなく、野茂も璃子の真意を本当のところは理解していない感じだ。
「……いえ、わかりました。それならそれで構いません」
「不満げだね」
「不満とかじゃありません。ただ、兄さんが先のことまで無駄に考えてしまって、全力投球できなければ、甲子園に行ける可能性が減ってしまうかもしれないじゃないですか。わたしはそれを危惧しているんです」
「なるほど、それは確かに。高校野球での投げ過ぎのせいでプロ野球選手としてのキャリアに悪影響が出るだなんていう、くだらない言説は昔からあるからね。先のことなんて考えず、みんな甲子園のためだけに燃え尽きるべきなのに」
……ダメだ、頭痛くなってきた。
マジで一体何なんだよ、この会話……。全く意味がわからない。わからないのに、とにかく冷や汗が湧き出てくる。
「……あなたの主義についてはどうこう言いませんが……とにかく、兄さんには甲子園に行ってもらわなければ困ります。それが全てでしょう」
「そうだね。あと二つ勝てさえすれば、璃子さんの不満も不安も全部、何も関係なくなるんだ」
「……そもそもその大前提、本当に信用していいんですよね?」
「何を言ってるんだい。ゲームについての情報を提供してくれたのは璃子さんの方じゃないか」
「それはそうですけど……いえ、そうですね。こんな転生まで実現させてしまった、マモノさんの力を信じます。とにかく、兄さんにクリアしてもらうために、わたしは最後までやれることをやります。というか、舞香ちゃんにやらせます」
「うん、そうだよ。僕の力を信じて。キャプテンが甲子園に行ければ、きっと君もまた、死ぬことができるはずだから」
「――は?」
思わず、声が漏れてしまった。
「……兄さん……?」
璃子の声。そして、近づいてくる足音。モチモチとしていればよかったのに、その足音には不安と焦燥と、そして俺に対する不信が表れているような気がして。
「兄さん……いつから……」
「璃子……」
俺の前に立ち、揺れる瞳で見上げてくる璃子。いつもだったら抱きしめて、その不安を和らげてやるのが俺の役目のはずなのに、でも、今はそんな余裕なんて、ない。
「どういうことだよ、璃子……」
「…………」
「甲子園行ったら死ぬって、どういうことなんだよ!?」
思わずその細い両肩をつかんで、大声を上げてしまう。璃子相手に怒鳴るなんて、初めてのことだった。
だというのに、璃子は驚くことも、怯むこともなく。瞳の揺らぎを抑えて、静かに微笑み、
「……うふふ、何を言っているんですか、兄さん」
「何って、今お前たちが話してたんだろ!」
その相手である野茂の方を睨みつけ――ようとしたが、いつの間にやら、その姿は消えていた。
「きっと聞き間違えか何かですよ。わたしと野茂君は、明日の守備位置について話していただけです。ダメですよ、兄さん。兄さんも試合に集中してもらわないと」
「集中してーよ、俺だって! それなのに、璃子が乱してくるんだろ、俺の気持ちを! 邪魔しないでくれよ!」
ああ、最悪だな、俺は。璃子に八つ当たりなんてして。璃子はずっと俺が甲子園に行けるようサポートしてくれてたってのに。まぁ正直、的外れだったり逆効果だったりしたものもたくさんあったが、それでも、嬉しかった。俺の心が乱れているのは、全部俺の責任でしかない。
「うふふ♪ いいじゃないですか。いくら璃子が兄さんの足を引っ張ってしまっても、全部舞香ちゃんが助けてくれるんですから♪ 兄さんは、舞香ちゃんに支えてもらって、甲子園に行くんでしょう?」
「何を言って……そんな当てこすりみたいなこと……」
言いかけて、言葉に詰まる。
璃子の満面の笑みは、決して皮肉や嫌味を言っている顔には見えなかった。本心からの――より正確に言えば――お望み通りの結果に満足したが故の、発言だとしか思えなかった。
どういうことなんだ、本当に……。舞香と俺の関係を、認めてくれたってことで、いいのか……?
「なぁ、璃子。お前がホントのところ、俺と舞香の今後をどう思ってくれてるのかは、正直わからんけど……でも、俺は絶対、璃子のことも幸せにしてみせるから」
「うふふ、何をそんなに泣きそうな顔しているんですか? 大丈夫ですよ、わかってます。璃子はこれから、絶対幸せになれるんです。ちゃんと兄さんに、幸せにしてもらいますから♪」
「あ、ああ。そうなんだよ、決めたんだ。舞香に誓ったんだ。俺がプロに行ってたんまり稼ぐって。それで、璃子のことも養わせてもらうのが、俺の希望だから。な、養わせてくれるよな? 幸せだよな? だから、だから……いなくなったりだとか、」
「だから、何を言っているんですか?」
情けない兄貴の、頼りない声を遮って、璃子は笑顔のまま続ける。
「プロって、何ですか? 兄さんは甲子園に行くために、後先考えず全てを捧げるんですよ? 先なんて、ないんですから」
「璃子……? 先がないって、やっぱりお前、さっきあいつが言ってた、死ぬってのは……」
意味がわからない。俺が甲子園に行ったら、また璃子が死ぬ? 何だよ、それ。どんな話の繋がりだよ。
ていうか、そうだ。「また」って何だ? 野茂は確かにそう言ったよな?
「また」なんて、璃子が一度死んだことを知ってなきゃ絶対出てこない言葉だ。璃子はそんなこと知らなかったはずなのに。知らなくてよかったのに。
まさか、璃子。本当は最初からずっと知ってて……
「兄さん」
「――――」
包み込むような温もり、フルーティーな匂い、柔らかくモチモチな感触。昔から知っているそれらと共に、確かな胸の鼓動が俺の体に伝わってくる。
璃子が優しく、俺のことを抱きしめてくれているのだ。
「何も、心配しないでください、兄さん」
「璃子……?」
そうして璃子は、やはり穏やかな微笑みと、そしてどこか諦念の混じったような眼差しで、そっと呟く。
「わたしがずーーっと、永遠に、兄さんのおそばにいて差し上げますからね?」
――――――――――――――――――――
第五章完! 次回からついに最終章です! 長い最終章になりそう^^
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