第49話 ここで一句

 勝ちました。

 三回戦は野茂が完投して6-2で勝ったし、今日の準々決勝はワイが完封して3-0で勝ちました。


 つまり、俺たち祢寅学園野球部の準決勝進出が決まった。要するに、あと二勝で、甲子園。

 舞香との、璃子との約束を、ついに叶えられる瞬間が四日後に迫っている。


 晩ご飯後、リビングのソファにて。準決勝で当たる文大附属学園の試合映像をノートパソコンでチェックしながら、舞香が言う。


「うん、やっぱ向こうの打者陣は140キロ台のインハイなんてまともに対応できないはずだね。いつも通りの久吾なら明後日も抑えられる」


「ああ、そうだろうな」


 舞香の隣で俺も頷く。


 準々決勝では、ある程度の省エネピッチングも出来た。序盤で三点を奪えたこともあり、下位打線相手には手を抜いて投げる余裕が生まれたのだ。


 とはいえ球数は110球。そこから中一日の先発で、また同程度の球数は必要になるだろう。そしてまた中一日を置いて、決勝でも俺は先発完投する。

 本来の舞香であれば、こんな肩肘の酷使など許してくれるわけがないのだが、今回に限っては見逃してもらうことにした。俺も舞香も覚悟は決まっている。何があっても甲子園に行くため、ここからは全て、俺が投げ切ると。


「でも、無理はしないでね、久吾」


 そう言って、俺の右手をギュッと握ってくる舞香、俺の嫁。


「安心しろ。こんくらいで壊れるようなヤワな男じゃねーだろ、お前の夫は」


「そう、だね……うん。だって、私の旦那さんだもん」


「舞香……」


 そうして俺たちは、どちらからともなく、131回目の唇を合わせ、


「見ーっちゃったぁ、見ーっちゃったー……♪ 愚妹のお風呂は フェイクですぅ……♪」


「ひぃいいいいいっ!?」


 思わず叫んでしまった。


 サラサラの黒髪が俺の頬を撫でていた。ダランと髪を垂らした、とってもプリティなご尊顔が、頭上から覗き込んできていたのだ。俺が上を向くと、超至近距離で目が合ってしまう。血走った目でこちらをじぃーっと凝視していた。口から血を垂れ流しながら、呪詛じゅそめいた童歌わらべうたを歌っていた。ソファの背もたれに立ち、俺に覆い被さるように腰を曲げてご尊顔を突っ込んできていた妹だった。賢妹だった。お風呂に入りにいったはずの、世界一可愛い俺の妹、璃子だった。ひぇっ……。


「り、璃子、お前、何をして……」


「監視です♪ 兄さんと舞香ちゃんが悪いことをしていないか、抜き打ち検査する必要があるかと思いまして」


 抜け目ない可愛い。

 背もたれに立つのはとっても危ない行為なので、そっと抱き留めて俺の膝の上へと下ろしてやる。俺の膝にモチモチちょこんと座った璃子は「兄さん……♪」と、とてもご満悦な様子だ。よかった、怖い顔じゃなくなった。とっても幸せそうな顔をしている。


「ちょっと、アホまい。久吾の大事な体に無駄な負荷かけないでよ。意外とお腹にぷにぷにお肉ついてるくせに」


 そう言って璃子を俺から引きずり降ろそうとする舞香だったが、その必要はなかった。璃子が笑顔のままブチ切れて舞香に「シャーっ!」と飛び掛かったからだ。猫みたいだった。

 やはりお腹ぷにぷには璃子にも禁句か……俺は好きなのに、ぷにぷに。


「ぷにぷにじゃありません! ぷにぷに舞香ちゃんと違って、璃子はモチモチなんです!」


「言っとくけど私、あんたらが言ってるモチモチのニュアンス、いまだにちゃんと理解してないからね!?」


「それは舞香ちゃんがモチモチじゃないからです! ムチムチのムッチムチだからです!」


 クッションでバンバンと叩き合う舞香と璃子。前世でも現世でも血の繋がった仲良し姉妹。前世でも現世でも変わらぬ、俺たち家族の穏やかな日常。ほっこりするなぁ……。


「もうっ! いい加減にしてよ!」


 涙目で叫ぶ舞香。

 そういえばこいつらの姉妹喧嘩って実は舞香の方が弱いんだよな。

 昔から舞香との喧嘩じゃ絶対弱みを見せない璃子に対して、舞香は割とすぐ泣く。璃子も嘘泣きして「舞香ちゃんにイジメられた」と俺に抱きついてくることはよくあったが。それを見た舞香がマジ泣きするまでがいつものパターンであったが。


「何で璃子はそーやって、私と久吾の邪魔してくるの! もうホントはわかってるんでしょ、この世界での私と久吾の関係に、あんたの入り込む余地なんてないって!」


「お、おい、舞香。さすがにそんな言い方はねーだろ……」


 入り込む入り込まないみたいな話でもねーし。俺たちは三人そろって家族なんだから。

 そんな風に言われちまったら、さすがの璃子だってショックを受けるはずだ。


「璃子、気にすんなよ? お前だって俺の大事な――」


 しかし、璃子は。俺の予想に反して、穏やかな微笑みを浮かべていた。


「璃子……?」


「大丈夫ですよ、兄さん。舞香ちゃんも。璃子に、二人を邪魔するつもりなんてありません」


 璃子の言葉に、舞香もクッションを握った手をピタッと止めて、目を丸くする。こいつからしても、璃子が嘘をついているようには見えなかったのだ。


「悔しいですけれど、この世界で兄さんと舞香ちゃんが結ばれることを、璃子はもう受け入れています。あ、もちろん言いつけは守ってもらいますけどね! エッチなことは甲子園が決まってから……いえ、念のため、終わってからです!」


 璃子は、俺と舞香の間に座り、おどけたようにそう言う。そして、少しだけ神妙な面持ちを浮かべて、


「でも、邪魔とかではなくて。それまでは、それまでくらいは、いいじゃないですか。兄さんと舞香ちゃんが正式に結ばれてしまうまで、璃子もご一緒させてもらうくらい、許されると思うんです」


「璃子? どういうことだ?」


 結局、璃子には聞けていないことがいくつかある。

 俺たちの血が元から繋がっていないことをずっと黙っていたにもかかわらず、なぜこの数か月であっさりと心変わりしたのか。そして、俺と舞香の名前を、このゲームのキャラに付けさせた動機は?


 隠しごとくらいで璃子に不信感なんて持たねーけど、少し悲しくは思う。

 何でもかんでも気持ちを全部兄さんに明かしてくれだなんて言うつもりはねーけどさ……何か、不安なんだ。胸騒ぎがするんだ。


「たまには、三人で一緒に寝ましょうよ」


「え?」「は?」


 璃子は、少しだけ勇気を振り絞るように、そしてそんな不安を隠すかのように、微笑んでみせる。


「甲子園。もう少しで、わたしたちの長年の夢が叶うんです。兄さんが、叶えてくれるんです。果たしてくれるんです、わたしとの約束を。だから、甲子園出場が決まるまで、何日間かくらいは、もっと家族三人で過ごす時間を大事にしたっていいと思いませんか?」


「璃子……」


 正直、その「だから」という接続詞の使い方には少し無理があると思う。それでは何か、夢を叶えたら全てが終わりみたいだ。

 まぁ、でもそっか。璃子からしたら、俺が甲子園に行って、俺と舞香が結ばれてしまうということは、それだけ重い意味を持つのかもしれない。

 実際は、舞香と結婚したって、俺の中での璃子の存在の大きさは何一つ変わらないんだけどな。甲子園が終わった後だって、野球を続けて、プロになって、稼ぎまくって、舞香だけじゃなく、璃子の人生ももっと幸せにしてみせる。

 とか、そんなこと、今の璃子には関係ないよな、そりゃ。大好きな兄さんを舞香に取られちゃうかもしれなくて、不安なんだ。

 そこには申し訳ない気持ちもあるけど……やっぱ可愛すぎだろ、俺のモチモチ妹。モチモチ天使すぎる。


「ダメ、でしょうか……?」


「ダメ」「ダメなわけねーだろ、璃子。一緒に寝よう、三人で」


「兄さん……」


 目を見開く璃子と、ムスっと不機嫌そうな舞香を抱き寄せて、二つの頭を撫でてやる。

 別に甲子園までなんて言わずに、これからも毎日ずっと三人一緒でもいいんだけどな。あ、でもそれだと、いつまでたっても舞香と子作りできなくなっちゃうか……。うーん、考えものだ……。


「ちょっと。抱きしめたくらいで誤魔化せると思わないでよね。私はそんなチョロくないんだから」


「いいじゃねーか、舞香。裏を返せば、甲子園決める前なのに、俺と一緒に寝れるってことなんだぞ? 一人でリビングで寝なくていいんだぞ?」


「やった!」


 チョロすぎる チョロかわすぎる 俺の嫁


 良いの詠めたわ。

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