第48話 死んでるかも
「クソ親父が、行方不明?」
「そうなんです、兄さん。お父さん、璃子からのモチモチテレフォンにはいつもワンコールで出てくれたはずなのですが、昨日から全く連絡が取れなくて。監督さんに確認してもらったら、今日出勤予定だったにもかかわらず、学園に来ていないそうです」
お昼の部室。ソファにて。
璃子が心配そうに眉をひそめる。舞香も怪訝そうな目を俺に向けてきた。ちなみ足元では俺を間に挟んで、姉妹同士、脛をビシビシ蹴り合っている。やめろ、お前らのモチモチムチムチな脚にアザでも出来ちまったら俺が悲しむだろ。
学園は夏休みに入り、季節も夏真っ盛りといった感じだ。最近の夏の厳しい蒸し暑さはこの世界でも全く変わらない。
ということは、もしかして……。
「死んだか……。一人暮らしだしな……やっぱ熱中症って怖いな」
「兄さんはもっとお父さんに優しくしてあげてもいいのではないかと璃子は思うんです」
「そんな話してる場合じゃないっしょ……いーや。私、一応見に行ってくる」
父さんのこの世界での住み家は、学園近くのマンションだ。舞香のムチムチ健脚なら自転車で片道十分もかからないだろう。合鍵も念のため俺が持ち歩いている。
「舞香がそこまでしてやらなくてもいいとは思うが……まぁ、気を付けて行けよ」
「死んでるかも」
二十分後に帰ってきた舞香は、午後練のグラウンドに戻る俺の隣でそう言った。真顔で。
インターホンを鳴らしても何の反応もなかったため、鍵を開けて部屋に足を踏み入れると、玄関に書き置きがあったのだという。俺も見せてもらったその便箋には、確かに父さんの筆跡で、『探さないでください。あ、でもどうしても気になるなら探してもいいよ……?』と書いてあった。破って捨てた。
「大丈夫だ。何てったって、あいつの
そしてこうやって生きてたわけだし。
まぁ、全てのNTRシナリオを把握している、ある種、全知全能の神を手放してしまったのは惜しいが……いや別に惜しくないな、うん。
佐倉宮と生徒会ヒロインズのNTR展開はもはや消滅したと言っていいようなものだし。NTRシナリオ以外の情報は、あいつ大したもん持ってなかったしな。
もはやこの世界は、シナリオライターの手を離れて生き続けている。進んでいる。
そもそも世界を作り上げるという意味では、シナリオライターの力なんて微々たるものなのかもしれないな。しょせん学園内の、主要キャラ目線の空間のみをテキストデータで描いただけに過ぎないし。
と、そんなこんなで親父のこともすっかり忘れて午後の練習を終えた俺を待っていたのは、
「キャプテン。少しお話が」
何やら深刻そうな面持ちを浮かべる、元主人公、野茂誠であった。
そういえばこの世界って、もはや主人公とかいないようなもんなんだよなぁ。
他部員とマネージャー陣がトレーニングルームに向かう中、俺と野茂は部室にて、立ったまま向かい合う。
「どうした。まさかどっか痛めたなんて言うんじゃねーだろうな? いや、痛めたならすぐに言ってくれ」
三回戦は明後日だ。先発予定の野茂が投げられないとなると、俺が今から調整しなけりゃいけなくなる。
「いえ、体調は万全です。三回戦も完投するつもりでいます」
「それは良かった。ってことは、あれか? そうか、あれだな。わかってるぞ、俺は。恋愛相談だろう」
つい頬が緩んでしまう。にやけてしまう。
ラブコメマスターの称号はバケモン処女に奪われてしまって少し悲しかったからな。だが、さすがに男からの相談なら俺でもアドバイスくらいできるはずだ。
俺は恋する青年の肩にポンと手を置き、
「わかってるぞ、野茂。ずっと近くにい過ぎて今まで気付けなかったけど、ついに気付いてしまったんだな、幼なじみの
「ふざけないでください!!」
「ひっ……!」
思わずビビッてしまった。だって野茂が急に大きな声出すから……俺の両肩ガシってつかんで揺さぶるように訴えてくるから……。
「それを言ってるんですよ! キャプテン、あなた、気が緩んでいるんじゃないですか!? 夏の大会の最中なんですよ!」
「え? い、いや、そりゃ、わかってるけど」
「じゃあ何で今そんな色恋の話が出てくるんですか! 舞香先輩とお付き合いしているのはもちろん構いませんよ? 彼女に支えてもらうことがキャプテンのプレーにとって大きなプラスになっていることはわかっています。でも、僕だとか与儀先輩なんかの恋愛事情なんてどうでもいいでしょうが!!」
「ひぇっ……」
こんなド正論を怒声でぶつけられては、何も言い返せない。
自身の大事な恋路について「なんか」と「なんて」をダブルで付けられてしまった与儀なんかのことなんて確かに傍から見たら心底どうでもいいことだろう。
だが、俺にとっては、璃子にNTRゲームであることを隠すために必要な処置の一つなんだ。決して浮かれていたわけじゃないんだ……。
「キャプテン、この前の二回戦の、あの走塁は何ですか」
「あ、あー、初回の……」
野茂が鋭い目付きで問い詰めてきていることが何なのか、もちろん理解している。舞香にもさんざん注意されたし。
先日の二回戦、作陰学園戦。
初回先頭でいきなり俺がツーベースを打って無死二塁。
二番打者の野茂が打った大きな飛球がレフトの頭を越えると決めつけた俺は、ゆっくりと三塁方向へ走ってしまった。
しかし結果は左翼手が後ろ向きでのダイビングキャッチという大ファインプレー。
慌てて帰塁したことで何とかダブルプレーは避けられたが、初めからキャッチされることを想定していれば、三塁へのタッチアップもできたはずだ。そもそもタッチアップに備えてセカンドベース付近で構えていれば、レフトが落球した場合でも、充分ホームまで生還できた。
要するに、凡ミスである。上手い下手とか関係なく、集中していれば犯さないような判断ミスである。端的に言って、怠慢プレーである。
結果的に、三番打者のショートゴロ、四番打者の三振で初回は無得点に終わってしまった。
もし俺が三塁まで進んでいれば、ショートゴロでも得点できたかもしれないし、相手バッテリーにパスボールを警戒させてお得意のフォークボールを封じることだってできたかもしれない。
終わってみれば一点差で勝つことはできたが、一歩間違えれば、俺の怠慢走塁のせいで、甲子園の道が閉ざされていた可能性だってあったのだ。
思い返せば、俺はあの時、二塁走者でありながら、意識の端っこでスタンドの様子を気にしてしまっていた。
あの場には、(他にも大勢の保護者や学園生がいて間隔も空いていたとはいえ、)与儀の弟、生徒会長、璃子が、揃ってしまっていた。ていうか、まぁ、結果的に俺が揃えちまったようなもんだけど。別に今さら揃ったところでNTR展開になど、そうそう繋がるわけもねーんだけど。
それでも、璃子の熱い声援が耳に届いた瞬間、ふいに気を取られてしまったのだ。
ミスの直後は俺自身も相当ショックを受けた。塁上でチェンジになってしまったせいで甘出し汁採取の時間もほぼなくなってしまった。
が、そこは舞香の可愛く艶めかしいキスが一瞬で甘出し汁を採取させてくれたし、舞香の可愛く厳しい叱咤激励が一瞬でメンタルを切り替えさせてくれた。
そこから俺が投打でフル回転できたのも、全て舞香のおかげだろう。
「他人の恋愛なんかに首を突っ込んでいるから、野球に集中できていないんでしょう! あんなミスを犯してしまうんでしょう!」
「いや、うん。ホントそうだ、それは。すまんかった。そういや浮かれてばかりで、俺のミスについて他の部員たちにも謝罪していなかったな。普段さんざん偉そうにしておいて、自分のミスだけはスルーだなんて最低だった。今すぐにでも部員たち全員に頭を下げてこよう」
「そうじゃないでしょう! 部員なんてどうでもいいです! チームメイトならミスなんてお互いさまです! キャプテンが謝るべきなのは! 璃子さんに! でしょう!」
「え。ええー……別に璃子は……舞香と違って怒ったりしてなかったし……」
あの日も、俺のミスなんてまるで見えていなかったみたいに、俺の活躍だけを称賛・絶賛・甘やかしし続けてくれた。まぁ、野球に関する説教は舞香の役目みたいなところあるしな。
「そうですか、まぁ、じゃあ、謝れとは言いませんよ! でもちゃんと再認識してください! キャプテンが! 璃子さんを! 甲子園に連れていくんでしょう!?」
「――――」
野茂誠の、その真っすぐとした瞳が、真剣な表情が、必死な叫びが、俺の胸を貫き――
そして、俺は、
「なんっで、テメェにそんなこと言われなきゃなんねぇんだよ……!」
ブチキレていた。
目を見開く野茂に、
「当たり前だろーが! 俺が璃子を甲子園に連れていく! あの日甲子園で、璃子と誓った大切な約束だ! 俺が! 叶えるんだよ! 他人が! 俺と璃子の! 大切な! 甲子園の約束に! 口出ししてんじゃねーよ!!」
全て吐き切って、ハァハァと息を整える。
うん、逆ギレだった。お手本のような逆ギレだった。キャプテンの威厳も何もあったもんじゃない。
だが、見事な逆ギレを食らった野茂は何故か目をキラキラと輝かせ、
「さすがキャプテンです……! それですよ、キャプテンは! 甲子園、行きましょう!」
とだけ言い残して、トレーニングルームへと走り去ってしまった。
ええー……。何だそれ。あいつマジで野球にしか興味ねーんだな……佐倉宮かわいそう……ってか、むしろ、あんな男が主人公でNTR展開なんて成り立ったのか? 佐倉宮がNTR堕ちしてる横で懸垂とかしてそうだぞ、あれ。
ん? え?
てか、まさか……おい。おいおいおいおい――おい!
「おい! 野茂! お前、あさって先発なんだから筋トレなんてしてんじゃねーよ! 帰って食って寝ろ!!」
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