第37話 野茂とイチローと大谷

 俺は、久々にブチ切れていた。走っていた。心に決めていた。


「あの鈍感クソ主人公野郎を、ぶっ殺す……!」


 佐倉宮の号泣記者会見の内容を要約すると、こうだ。どうやら野茂が璃子に惚れているらしい。何てシンプルなんだ。何てシンプルな重犯罪なんだ。全世界共通の極刑ものである。


 姉系幼なじみヒロイン佐倉宮を寝取られるNTR主人公であるはずの野茂が、なぜ本来このゲームに存在すらしていなかったはずの璃子を? ――だとか、そんな疑問は後回しだ。

 とにもかくにも、まずは俺の璃子に性的な目を向けやがったクソ主人公をぶん殴らなくてはならない。話はそれからだ。


「野茂ぉお!!!!」


 トレーニングルームに怒鳴り込むも、野茂の姿がない。なぜかぶっ倒れていた金子の胸ぐらをつかみ問いただすと、どうやらブルペンに向かったとのこと。広背筋をパンプアップさせた状態でピッチングフォームの感覚を確かめたいのだそうだ。寝取られ犯罪者のくせにそれっぽいこと言いやがって。殺すぞ。


 情報提供のお礼にスクワット五セットを金子に課した俺は、夜のグラウンドを走り、簡素なプルペンへと――怒鳴り込もうとして急ブレーキをかける。


「あれ? どうしたんですか、キャプテン」


 野茂が立っていたのはブルペンではなく、ダイヤモンドの中央、つまり、野球部グラウンドのピッチャーマウンドだった。右手にタオルを握り、シャドーピッチングをしていたようだ。


 ん? 右手?


 いや、そんなことはどうでもいい。マジでどうでもいい。


「野茂、テメェ。璃子を狙ってるらしいじゃねーか。俺の愛する妹に手を出すってのがどういうことなのか、わかってるんだろうな……?」


 マウンドへと歩み寄り、野茂の胸ぐらをつかんで引き寄せる。

 増量してきたとはいえ、まだまだ軽い。俺より高い位置に立っているとはいえ、俺よりまだまだ小さい。寝取られ主人公とはいえ、ちんぽサイズは俺よりまぁまぁ大きい。泣いた。


「妹? ああ、まぁ、そういう認識なんですね。璃子さんのことは、そりゃまぁ、好きですよ。彼女は天使です」


「よくわかってるじゃねーか。殺すぞ」


 本気の殺意を向けられているにもかかわらず、野茂は涼しげな笑みを浮かべていた。軽い身のこなしで俺の手からすり抜け、またもやプレートに立ち、美しいフォームで右腕を振るう。


 ……おかしい。本気でつかんでいたはずなんだが。なんだこいつ、護身術の心得でもあんのか?

 それに、この右腕の振りの力強さ……明らかに技巧派のそれじゃない。剛腕だ。まさに、俺と同じような。


「安心してください、キャプテン。僕は確かに璃子さんのことを愛していますが、それは、まさに天使を崇めるような感情です。恋愛相手としてアプローチしようだなんて気はさらさらありません」


「……本当か?」


 と、聞いてはみたが、実際は一目でわかった。あっけらかんとした野茂の態度と表情。とても嘘をついているとは思えない。


 ……そんなことを考えているうちに、気付く。今更ながら、その違和感にハッとする。


「アハハ、当たり前でしょう。この僕が恋愛にうつつを抜かすとでも? そんな暇ないですよ、絶対甲子園に行くんですから。あの舞台に僕がいないなんて、あり得ない」


 今日の月は厚い雲に覆われている。


「あ、誤解しないでくださいよ? キャプテンと舞香先輩の交際を批判する意図は全くないですからね? むしろ、素敵だと思います。さすが、キャプテンと舞香先輩です」


 ド田舎のこの学園で、頼りになるのは周囲にポツポツとあるショボい街灯や百数十メートル先のトレーニングルームから漏れる小さな明かりぐらいのもので。


「弱小校で必死に甲子園を目指すエースで主砲のキャプテンに、献身的なたった一人のヒロイン、素晴らしいじゃないですか。理想の在り方じゃないですか。舞香先輩のようなタイプは、まさにそんなヒロイン像としてピッタリです」


 それにもかかわらず、


「ただ、璃子さんは違います。彼女のような存在は、全国の甲子園を目指す高校球児、全ての女神であるべきだ。誰か特定の人のものになんて、なってはいけない。長年生きてきて、初めて見たんです。あんな天使の微笑みは」


 なぜか今の俺には、遠い空を眺める野茂の姿だけが、はっきりと視認できる。


「野茂……お前は、さっきから何を言ってるんだ? 何を見てるんだ? お前が結局何を言いたいのか、俺にはさっぱりわからん」


「アハハ、すみません。ま、要するに、璃子さんを恋人にしようだなんて球児は、甲子園に相応しくないってことですよ。もはや高校野球、甲子園に対する冒涜です」


「なるほど。それはわかる。お前が言ってることが俺にはよくわかる。そんな輩は生きるに相応しくない。もはや世界に対する冒涜」


「さすがキャプテン、よくわかってる。僕はあなたに出会った頃から、この人は違うな、って思ってたんです。キャプテン、大谷翔平のこと嫌いでしょう?」


「ああ、璃子があいつのことちょっとカッコいいとか言ってるの見て、あいつの口座から大金抜き取ってやろうかと思ったくらいだ。そんなこと出来るわけねーから諦めたけど」


 出来た奴がいたんだけど。やっぱ諦めないって大事。学んだ。奴の偉業は教科書に載せるべき。


「僕もなんですよ。キャプテン、僕はね、野茂英雄と鈴木一朗と大谷翔平と白血病と、そして何より高校野球賭博が大嫌いなんですよ。あとコロナと戦争。ちなみに大好きなのは清原和博と松坂大輔と斎藤佑樹と、そして何より璃子さん。あとゆで卵と白米」


 よかったな、一平。お前、野球には賭けてなかったらしいもんな。


 って、ん? こいつ、何か、妙なこと言わなかったか、今。

 ん……? え、あ。


「お前、野茂のくせに野茂嫌いなのかよ……悲しい奴」


「ええ、まぁ。自分の名前については、僕自身よくわかっていません。ま、たまたまでしょう。特に意味はないんじゃないですか?」


 いやシナリオライターはたぶん野茂から取ったんだろう。そんで与儀はたぶんヨギ・ベラから。何でメイン間男の俺が山田で、あんなモブ竿役にヤンキースの伝説的キャッチャーの名前付けてんだよ。呪われるぞ。


「まぁ、いいや。とにかくお前が璃子を狙ってるわけじゃねーってことはわかった。悪かったな、練習の邪魔して」


 佐倉宮には俺からそう伝えておこう。

 で、そんな俺たちの早とちりについては、ここで終わりとして。

 見てしまったからには、聞かなきゃいけねーことがある。


「野茂、お前、その腕の振りは何だ。お前が右でも投げられるだなんて、俺たちは聞いてねーぞ」


 ついつい声に怒気が孕んでしまう。

 もちろん、投げられるというのであれば、それ自体はありがたい。めちゃくちゃありがたい。だが、それをチームに黙っていたのは一種の背信行為なんじゃねーのか?


「まぁ、それは今いいじゃないですか。少し肘を痛めていたんですよ。リハビリ中です」


 だというのに、野茂はしれっとした顔で肩をすくめる。


「あぁ? それならそれで、」


「璃子さん」


「あぁ!?」


「僕のことなんかより、もっと璃子さんのことを真剣に考えてあげてくださいよ、キャプテンは」


 明らかに話を逸らされた。が、こんなことを言われちまった以上、聞き流すわけにはいかない。


「何でテメェにそんなこと言われなきゃなんねーんだ。俺が璃子を蔑ろにしているとでも?」


「蔑ろとは言わないですけど、ちゃんと全てを見てあげられてるとも思えないです。舞香先輩に夢中で、璃子さんの献身に気付いていないところがあるのでは? 例えば、この合宿だってそうです」


「合宿ぅ? お前マジなに言ってんだ。この合宿は生徒会が勝手に野球部に期待して捻じ込んできたんだろ」


「ええ。だからその生徒会執行部の役員が璃子さんなんでしょう」


「…………あ?」


「……まさかキャプテン、まだ知らなかったんですか?」


 野茂は苦笑して続ける。


「生徒会執行部に会計として入った璃子さんが、キャプテンのため、野球部のために、ゴリ押ししてこの合宿が決まったんですよ。守備力を強化して、兄さんの甲子園への道をサポートするんです! って目を輝かせていましたよ?」


「あ、へー。ほーん。それは知らんかったわ。てか隠してたんだろうな、璃子が。こっそり俺のサポートしたかったんだろうな。健気だなぁ。可愛いなぁ」


 そうかそうか、璃子が生徒会に。会計かぁ。真面目で聡明な璃子にぴったりだな。どっかの一平のようなことは絶対しないと信じられるなぁ。さっそく私情丸出しの金の使い方してるみたいだけど、それはそれで可愛いなぁ。天使だなぁ。


 そんなことを考えながら、俺の心臓はバックバクのドックドクだった。必死で平静を装うとしながら、冷や汗が溢れ出して両膝がガックガクのブッルブルだった。


 生徒会。


 そのワードに、震えが止まらなくなる。今までもさんざん口にしてきた言葉だし、何なら生徒会長を脅したりしてたわけだけど、そこに大事な妹の名が関わってくるとなれば話が違う。

 だってそもそも俺が生徒会長の女を脅せた理由だって――脅すという発想自体が生まれたワケだって。


 この世界が、NTRゲーだからだ。


 ゴールデンウィークが過ぎ去ったことで、『実況!パワフル系先輩野球部に僕の年上幼なじみ女子マネが……。甲子園に連れていくって約束してたのに……!』のシナリオは実現されることなく消滅――と期待していた。

 しかし、仮にそれが事実だったとしても、この世界がNTRゲーの世界でなくなるわけじゃない。俺は知っている。この世界にNTRゲームとしてのシナリオの続きがあることを。


 おそらく今、この世界は、新たなフェーズへと突入している。俺の気付かぬうちに、進化していた。次回作に、入っていた。


 つまりは、今、この世界は、


「『僕を生徒会に無理やり引き込んだ気高き女子生徒会長が変態校長に……。共に学園を変えようと約束してたのに……!』……!」


「え、今なんか言いました?」


 こんなところで鈍感難聴っぷりを発揮する野茂だが、残念ながらもうお前は主人公ではない。お前の時代は終わったのだ。


『実況!パワフル甲子園』と世界観を共有する次回作、同ブランド最新作――『僕を生徒会に無理やり引き込んだ気高き女子生徒会長が変態校長に……。共に学園を変えようと約束してたのに……!』は、主人公君以外の生徒会メンバーが全員美少女で、全員、変態校長のメス犬おもちゃにされるNTR抜きゲーだ。

 クライマックスでの変態が集まる秘密のパーティーで変態おじさんたちにめちゃくちゃにされる生徒会メンバーの姿を撮影するのが主人公君(書記)の仕事になるらしい。公式サイトのサンプルCGで見たので間違いない。


 そう、間違いないのだ。


 だが、俺は、公式サイトをチェックしただけ。サンプルCGを眺めただけ。

 数人の――確か四人だったか――のNTRヒロインの名前まで、確認してなどいない。抜きゲーしかしない俺は、いちいちキャラの名前など覚えていない。


 その中に、『璃子』という名のキャラがいたとしても、プレイすらしてない俺が認識などしているわけがなかったのだ。


 舞香は言っていた。俺たちが唇を交わしたあのブルペン裏で。「叶えられちゃってんじゃん。私ら元きょうだい三人が、甲子園で結んだ約束、ぜんぶ」、と。


 俺は考えた。俺たちが気持ちを伝え合ったあのブルペン裏で。「璃子だけがこのゲームに本来いないはずの新たな存在として転生してきたのは、その約束を果たすためだったのだ」、と。


 全然違った。


 うん、全然違ったわ。なんか割とロマンチックな感じでそんな話した気がするけど全然違ったわ。


 璃子は普通に。俺や舞香と同じように。おそらくこのゲームに元からいた、自分と同じ名前の主要キャラに、転生していた。身体も精神も丸ごとすり替わっていた。


 もちろん、疑問もある。

 山田久吾――前作の間男キャラ――の妹が次回作のNTRサブヒロインになる――そんな作品間の繋がりを示す仕込みは、人気エロゲー・ギャルゲーブランドでは珍しくないギミックだ。

 だが、山田久吾には一人っ子という設定があったはずなのだ。

 単なる俺の記憶違いなのか、それとも製作者側が「あ、サブヒロインの一人が前作の間男キャラの妹とかいう裏設定あったらオモロいんじゃね? 考察厨が勝手にそれっぽい考察とか繰り広げてくれるんじゃね? え? 一人っ子設定? そんなの知らん。NTR抜きゲーに筋を求めんな」ってな感じで変更したのかは定かじゃないが……って、今はそんなことどうでもいい。


 何よりもまず、向き合わなくてはいけない、重大な現実がある。


 だって、だって、俺の愛する妹が……!


 璃子が!!


 どこにでもいるごく普通の学園生である僕がある日突然、独裁美人生徒会長に無理やり生徒会へと引き込まれて、個性的な美少女生徒会メンバーとエッチなトラブル続きの生徒会活動を送っていく学園ラブコメディ! やれやれ、会長たちには困ったものだ。今日も僕は生徒会室で繰り広げられる彼女たちの天然ボケに創意工夫を凝らしたツッコミを入れたり、最初は男の僕が生徒会に入ることに抵抗を示していたメンバーがひそかに抱えている問題を解決してあげたりしているうちに、何かみんな僕の前で頬を染めたりとか僕が会長と夫婦漫才的なことしてると不機嫌になったりとかするな……もしかしたら生徒会内で風邪が流行っているのかも? とかやっているうちにド変態校長にヒロイン丸ごと全員メス犬NTRされちゃっているなんて……どぴゅ。的な、NTR抜きゲーの、NTRサブヒロインの一人であったのだから!!


 ええー……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る