第32話 わかりません!!

「やはり、ちーかわは可愛いなぁ。恥ずかしがり屋で適度に可哀そうなところが堪らないよな。な、璃子もそう思わないか?」


「テレビは消しましょう。璃子は家族の団欒だんらんにテレビはいらない派なんです。まぁ家族団欒と言っても、家族は二人だけのはずなのですが。不純物の香りがします。舞っています、部屋に。二十四時間換気したい」


 家族団欒と言っても空気は家族会議のそれなんですが。長男の部屋からタバコ見つかった時のそれなんですが。ピリピリビリビリ張りつめているんですが。


「ま、そーだね。璃子の言うとおり、確かに今はあんたら二人だけの家族かもね。今は私は家族ではないよね。今はそうだよね。今は」


 俺の隣にて、舞香が涼しい顔で呟いている。


 まぁ、舞香は昨日のあの璃子の目を見ていないからな……。昨日の、っていうか――十五年前のも、二年前のも、こいつは気付いていないんだ。

 璃子自身もたぶん、舞香ではなく俺に向けていた。その視線も、その感情も、そこに込められた全てを。


「兄さん、舞香ちゃん。聞きたいことがあります。嘘偽りなく、答えてください」


 俺と舞香の正面に座り、璃子は重々しく口を開く。ゴクリと息を呑む俺。


 わかっている。もう逃げ場などない。逃げるべきじゃない。

 璃子は、俺と舞香の関係の進展に、気付いている。俺のことを愛してやまない璃子にとって、それがどんな意味を持つのか……いつまでも知らないフリなんてしていていいわけがない。


 だが一体、どこまで勘付いているのだろう。


 当たり前だが、昨日、あのベンチ裏で行っていた行為だけは知られちゃいけない。この世界の秘密に繋がりかねない。それだけは何があっても隠し通す。墓場まで持っていく。


 が、それ以外のことは。俺と舞香が、婚約していることについては。いつかやはり、俺たちの口から伝えるべきだ。正直に、真っすぐと。


 璃子自身、真実に踏み込むことに恐れがあるのか、体をかすかに震わせている。しかし、一度目をつぶり、深呼吸をして――俺の妹は覚悟を決めた双眸で俺たちを見据え、


「これは……いったい何なのでしょう。兄さんのお部屋に置いてありました」


 モコモコファンシーショートパンツのポケットから長方形の箱を取り出し、俺たちの前にスッと差し出してきた。


「コンドームだね」


 舞香の回答。何の感情もこもっていないかのような声。ZIPの視聴者をバカにしたようなクイズに対し、洗濯物をたたみながら脳死状態で答えているときと同じトーン。


「コンドーム、ですか」


「久吾のコンドームだね」


「兄さんになぜコンドームが必要なのですか」


「避妊をするためだね」


「避妊、ですか」


「避妊だね」


極厚ごくあつ、とは?」


「極めて厚いことだね」


「なぜ極めて厚い必要があるんですか」


「それは私が聞きたい」


 もうやめてくれ。

 出てきたのが極細タバコだったらどれだけ良かったことか。あれはなぜ極めて細い必要があるんですか。


「では、兄さんにお聞きします」


 お聞きしないでくれ。やっぱり何も答えたくない。逃げ出したい。


「『極厚』というワードに関しては、いったん脇に置いておくことにします」


「ものすごく安心した」


「では兄さん。このコンドームですが、十二個入りと書いてあるのに、今この箱の中には三つしか入っていません。残り九つはどこにいったのでしょうか」


「悪いオバケが来て食べちゃった」


「兄さん。私の目を見て、もう一度同じことが言えますか?」


 ごめんなさい。もう勘弁してください。


「ちょっとやめなよ、璃子。久吾困ってんじゃん。ちいかわみたいになってんじゃん」


「舞香ちゃんは黙っててください。今わたしは兄さんとお話しているんです」


「黙ってろって言われたってさ、だって、私にも関係ないことじゃないし……ってか一番関係してるし……悪いオバケって、実は、私のこと? みたいな……? アハハ……」


「あぁん!?」


 おい、やめろ。「実は、私のこと? みたいな……?」じゃねーよ。なに赤らめた頬ポリポリしてんだよ。何だそのほのめかし。全然「みたいな」じゃねーよ。そのコンドームは甘出し汁採取するために使ったやつだろーが。何でお前が食べたみてぇなことに……。


 ……え? は? 嘘だろ、おい。お前まさか……あれ回収した後……!!


「璃子。いったん落ち着け璃子。いまお前がそのナイフで舞香を刺しても何も解決しない。こいつは本物のバケモンだからたぶん物理攻撃なんて効かん」


「止めないでください、兄さん!! わたし、わたしは、兄さんの大事な大事な貞操を……!!」


「違げーんだって、璃子! マジで俺と舞香はそんなことしてねーんだって! 童貞だから俺! 思いっきり童貞! この女も思いっきり処女! バケモノ処女! 処女のバケモン!」


「じゃあ何で! コンドームが九個も!」


「それは、その……」


 何とか言い訳を捻り出そうとして――そこで思いとどまる。


 違うだろ、俺。大切な妹に対して、これ以上嘘を重ねてどうすんだ。


 確かに、九個のコンドームの用途について、本当のことは話せない。NTRゲー云々だとか抜きにして、イカサマのことなんて言えるわけがない。誰よりも野球を愛し、誰よりも俺を尊敬してくれる璃子に対し、それだけはバレちゃいけねぇ。ズルいとわかっていても、それだけは譲れねぇんだ。


 でも。舞香との関係については違う。

 いつまでも誤魔化し続けるなんて、璃子にも舞香にも失礼だ。

 そんな兄に、夫に、なりたくねぇ。


 俺たちが一線を越えていないことは紛れもない事実。それなのに余計な嘘までついてどうする? むしろ必要以上に疑惑を深めさせちまう恐れだってあるぞ?


「兄さん!」


「わかった、璃子。黙ってて悪かった」


 俺は覚悟を決める。今日初めて、璃子の目を真っすぐと見つめ、


「練習に使ったんだ。いつの日か、舞香と体を重ねるときに備えて。俺は、舞香と付き合っている」


 見開かれる璃子の大きな目。

 隣に座る舞香からも、息を呑む音がする。


「久吾……」


「いいよな、舞香。いや、言わせてくれ。今ここで、俺の口から。璃子にちゃんと話すべきなんだ。璃子にも、お前にも、俺の本気を示させてくれ」


 けじめを付ける、とも言えるのかもしれない。

 俺は再度、璃子に向き直り、その白く滑らかな手に、そっと自分の手を添えて、


「もう一度言わせてくれ、璃子。俺と舞香は真剣に交際している。性的に一線は超えていないが、男女として愛し合っていると、お互いに確認も済んでいる」


「そ、それは……ゲームの設定として、というお話ですよね? そんなことは愚妹も理解しています。体裁上、しばらくの間は、その設定で振る舞った方が生活しやすいんですもんね。なら、仕方ないです。愚妹は心が広いですから、それくらいなら認めて差し上げます」


「違うんだ、璃子。設定だとか……確かに最初はそんな理由もあった。ていうか、口実に使っちまってた。だが、今は違う」


「…………」


「この世界に転生してきて、兄妹ではなくなって、俺と舞香は自分たちの気持ちに少しずつ素直になっていくことができた。小さい頃から拗れてきちまったもんだから、解きほぐすのに多少時間はかかっちまったけど。でも、ようやく、想いを伝え合えた」


「……聞きたくないです、兄さん」


「聞いてほしい。聞いてくれ。璃子。俺は、舞香が好きだ」


「――――」


「私もだよ、璃子。私も本当は久吾のことが好きなの。この宇宙の、誰よりも。永遠に」


「それは知ってます。舞香ちゃんは黙っててください。この宇宙の、誰よりも。永遠に」


 俺は璃子の手を握り、ゆっくりと言い聞かせるように続ける。


「だからな、璃子。俺と舞香は、婚約した。この世界で、結婚することに決めた。報告が遅れちまって、すまなかった。でも、璃子が一番だ。他の誰にも伝えていない。お前に認めてもらう――それこそが何よりもまず、俺たちに必要なことだからだ」


「兄、さん……っ……そ、そうなんですね、うふふ、そうですか。いえ、実は気づいていました、兄さんのお気持ちくらい。でも、でもっ、やっぱり……っ」


 震える璃子の声。

 ああ、俺は何て罪深い男なのだろう。こんな可愛い妹を泣かせて、それでも、その想いに応えることはできない。


「璃子」


「やっぱりっ! 璃子は納得できません! こんなのっ、愚妹にはわかりません!!」


「すまない、璃子。俺だって、お前の気持ちには薄々勘付いている。だが、十四年前にも言った通り、俺たちは兄妹だ。そして何より、俺が恋人として愛せるのはこの宇宙でただ一人、舞香だけなんだ。それこそ、元々は兄妹だった俺と舞香の結婚なんて、妹のお前だからこそ受け入れがたいというのもわかる。当然の感情だ。だが、俺たちは、璃子に受け入れてもらいたい。時間はどれだけかかってもいいから、いつの日か、お前に祝ってほしいんだ……!」


「わかりません!!」


「璃子……」


「極厚である必要性が、やっぱり璃子にはわかりません!!」


「璃子ぉ……!」


 璃子は俺から手を離し、両手をテーブルに叩きつけていた。


 璃子ぉ……。

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