第31話 いーっけないんだ、いっけないんだー……♪

 清々しい朝だ。何て清々しい朝なんだ。昨日は、福島県から帰ってきて、風呂入って舞香の手料理食ったらそのまま寝ちまったけど、一晩ですっかり疲れは取れてしまった。


 やっぱり、舞香のご飯のおかげだな!


「お、大谷田おおたにだまたホームラン打ってる。ありがとう、大谷田。朝から最高の気分だぜ!」


 リビングでテレビニュースを見ながら俺は笑う。




 ――とりあえず、都合の悪いことは忘れることにした。




 だって、やっと舞香と想いを通じ合わせることができたんだし。佐倉宮からの信頼も勝ち取れたわけだし。


 そして、実はそれだけではないのだ。


 5月7日。アナウンサーからも伝えられている、今日の日付。


 この世界、『実況!パワフル甲子園』というゲームにおいて、佐倉宮が完全にNTR堕ちし、それを見せつけられた野茂が絶望するというフィナーレは、ゴールデンウィークの野球部合宿において、だった。

 が、俺たちは合宿なんてやらなかった。毎年恒例とのことだったが、俺の独断で廃止した。合宿なんて意味ない。しっかりウエイトで追い込んだら、さっさと帰って食って寝ろ。


 とにかく。俺たちのGWは、通常通りの練習とウエイトトレーニング、そして昨日の練習試合の勝利によって、完全に過ぎ去った。


 NTR展開は起こらなかったのだ。『実況!パワフル系先輩野球部に僕の年上幼なじみ女子マネが……。甲子園に連れていくって約束してたのに……!』の中で描かれていた時間は、もう終わったのだ。


 その観点でも、俺はようやく、NTRゲームという呪縛から本当の意味で抜け出すことができたと言えるのかもしれない。もちろん俺が佐倉宮に手出ししなければそれで済む話ではあるのだが、やはり心持ちが違う。


 そして、その事実が示す、もう一つのこと。それは、


 舞香が俺以外とエロいことするシナリオもなくなったぁあああああああ!!


 本来のゲーム上では、山田久吾の命令により百乃木舞香が野茂を誘惑してドスケベ、という展開があった。それをネタに佐倉宮を脅すというガバガバシナリオだったのだ。

 それこそ、俺が何もしなければ再現されるはずもない展開だったとはいえ、やはりそんなルートが舞香の未来に存在し得るというだけで鬱勃うつぼっ――吐き気を催す思いだったのだ。


 とにかくこれで、舞香の身の安全も、より確実なものになったと言えるだろう。


 うん、本当に何もかもが上手くいってるな! 俺の人生において、問題点が何もない!

 あー最高だぜ! 今日も早く可愛い妹の頭をナデナデしたいなー! 「兄さんのお体、今日もあったかいです!」ってニコニコしながら抱きついてくれるんだろうなー!


「なに突っ立ってんの、久吾。朝ごはんできたよ」


 愛らしい声。彼女のフローラルな香りと、焼き鮭の香ばしい匂い。

 振り返れば、もちろんそこには舞香がいる。エプロン姿の俺の嫁が、呆れたように俺を見上げている。


 だからキスをした。


「ん……。なに、いきなり。朝っぱらから」


「朝だからこそ、だ。頭の体操。はい、舞香。クイズです。何回目?」


「47回目」


 大正解だった。昨日から更新し過ぎだろ俺ら。バスの中でみんな爆睡中にこっそりイチャイチャしていたら佐倉宮にめっちゃじぃーっと覗き見されてた。あいつ実はムッツリだな。寝取られそう。もう寝取られないけど。


「さすがだな、舞香。ZIPでやってる視聴者をバカにしたようなクイズやミニゲームよりも、こっちの方が刺激的で脳が覚めるだろ?」


「まぁ、そだけど。てか火・金はめざましTVにしてって言ってんじゃん。こっちでも、ちいかわみたいなのやってんだから」


「ふっ、お前はホントに小さくて可愛いやつが好きだな……!」


「すぐ泣いちゃうとこも、ね……?」


 俺たちは自然と抱き合い、見つめ合う。ZIPの視聴者をバカにしたような占いも耳に入らぬほど、俺たちだけのしっとりとした空気がリビングを満たしていた。


「ね、どうする? ごはん、冷めちゃうけど……昨日のご褒美、まだ、だったよね……?」


「舞香……」


 喉が鳴る。朝の栄養補給は大事だが、今はそれよりも、体が、脳が、本能が、求めてやまないものがある。どんな栄養素よりも、欲しているものが、目の前にある。

 三大栄養素? ビタミン? ミネラル? そんなもんより、俺にはずっと必要不可欠な存在がいる。


「好きだぞ、舞香」


 俺は人生48回目のキスを、その艶めかしき唇に――


「いーっけないんだ、いっけないんだー、愚妹に隠れて 卑猥ですぅ……♪」


「ひぃいいいいいっ!?」


 思わず叫んでしまった。


 俺の股下から、とってもプリティなご尊顔が覗き込んできていた。仰向けの女が、俺の両足の間から顔を出し、血走った目でこちらを見つめていた。口から血を垂れ流しながら、呪詛じゅそめいた童歌を歌っていた。妹だった。賢妹だった。世界一可愛い俺の妹、璃子だった。ひぇっ……。


「り、璃子、お前、何をして……」


「おはようございます、兄さん♪ ZIPさんによりますと、かに座の兄さんの今日の運勢は最高なようですよ! なんと12位です! 今のメジャーリーグならプレーオフ進出できますね! 優勝の可能性が残されています!」


 日本のプロ野球なら両リーグ合わせて最下位だ。


「ちなみに舞香ちゃんの運勢は誕生日覚えていないのでわかりません」


「は? てか何なの、あんた。なんか文句ある? 私と久吾が何してたってあんたに関係ないっしょ。朝ごはんなら今日も作ったげたから、そんなとこ寝っ転がってないで勝手に食べてなよ」


 すげぇ、こいつ。こんなホラーな状況に一切動じてねぇ……! ジェラピケ美少女が瞳孔かっ開いて床から凝視してきてんだぞ? 

 俺のお嫁さん、肝っ玉がデカすぎる。立派なママになってくれそう。


「ま、まぁ、落ち着け二人とも。そうだな、せっかくの飯が冷めちまうし、ほら。今日も三人で楽しい朝食にしようぜ!」


 うん、これでこの話はなかったことにしよう。舞香とのキスは、これからいくらでも出来るんだしな! 妹との時間も大事だ!


「ふん、はいはい、そだね。二人ともさっさと食べちゃって」


 若干ムスッとしながらも、素直にダイニングテーブルについてくれる舞香。よかった。有耶無耶にできそうだ!


「な? ほら、璃子も。舞香がちゃんと半熟にしてくれてるぞー?」


「兄さん」


 股から顔を出したまま、両足首をガシっとつかんでくる美少女。狂気すぎる。今日が来てから一度も妹のまばたきを見ていない。もはや凶器すぎる。震え止まらん。


「璃子さん、お目目が痛くないですか?」


「心の方が痛いです。ねぇ、兄さん。兄さんは、璃子のことを、そんなに都合の良い妹だとでも思っていたのですか? 見なかったことにして、忘れたフリで、何となく乗り切れるとでもお思いでしたか? 残念ながら、璃子は非常に目ざとい妹です。執念深い愚妹です。最終回、強豪相手に一点差まで追い上げて大健闘――なんてことで満足するような賢妹ではありません」


「…………っ!」


 そうして、俺の愚妹は、今日初めてのニコニコ笑顔を浮かべ、


「兄さん、舞香ちゃん。大事なお話があります。朝ごはんを食べ終わったら、お時間をください」


 逃げることなど許さぬと、可憐に、そして強烈に、愚兄に伝えてくるのであった。侠気きょうきすぎる。

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