第25話 告白

 その後の試合展開は、一言でいえば投手戦だった。


 やはりさすが強豪校。一か月程度の特訓で、簡単に打ち崩せる相手ではなかった。

 そもそも相手チームにはマックス140キロを超える投手が四人もいる。どの投手もスピンレートは並みだが、複数の変化球を実戦レベルで操れるし、コントロールも高校野球では上位レベル。先発してきた右腕以外も、ここ以外でならエースを張れるような人材だ。


 結局、祢寅学園野球部は俺の先頭打者ホームランの後、八回までにもう1点しか取ることができなかった。

 先発の動揺がまだ収まり切らない三回二死から俺がフォアボールで出塁。二番の野茂の打球が右中間を破るうちにホームまで返ってきて追加点。それのみ。


 四回・五回は、落ち着きを取り戻したらしい全国屈指のエース様に三者凡退に抑えられ、六回からは左のダブルエース様(全国屈指)にほぼ完璧に抑え込まれた。俺は走者なしでも真っ向勝負されなかった。八回の第四打席ではムキになってボール球に手を出し三振を喫した。ちくしょう。


 俺に回らない九回も、どうせ点は入らないだろう。


 俺の打撃成績は1本塁打、2四球、1三振。

 祢寅学園のチーム打撃成績は八回までで、3安打(全部長打)、3四球の、13三振。

 まぁ今の段階じゃ、こんなもんだ。逆にたった三本のヒットで二点取れたというのは、俺の方針の正しさを証明することにもなったんじゃないだろうか。


 それに、二点あれば充分なのだ。少なくとも、今日の俺であれば。


 俺は、相手投手陣以上に、完ぺきなピッチングをしてみせた。


 八回までに15奪三振、与四球1、被安打はサードへのセーフティバント、1つのみ。そしてそのセーフティ野郎の盗塁後、平凡なゴロをショートが暴投したことで入った一点が、ここまでで唯一の失点だった。


 つまり、残り1イニングを残して、俺たちが2対1でリードしている。あとアウト3つを取れば、俺たちの勝ちだ。


 そして、残り3つのアウトなど、今の俺にとってはチョロすぎる獲物。実際のところ体はかなり疲労しているはずなのだが、俺の脳は、心は、そんなもんを全く感じていない。万能であり全能。無敵。スターを取ったマリオ状態。俺はいま、宇宙で一番輝いている男。


 だって、だって俺には……!


「どうだ、舞香。かっこよかっただろ? ん? 濡れてんだろ? ん?」


「さすがに調子こきすぎ。最近まで兄だった男に抱きしめられながら濡れてんだろとか言われるの普通にキツい。キツすぎる。あんたもそれ、ほどほどにしとかないと絶対後で思い出して死にたくなるやつだかんね。濡れてるけど」


 キツすぎたらしい。後で思い出して死にたくなるらしい。てへ。

 でも別にいい。辛くない。だって無敵だから。こんなこと言っておいて、ほんとはこいつ俺のこと大好きなんだって知ってるから。「ね、好きだよ、久吾。私の全部が、これからもずっと、あんたのものだから」だって知ってるから。こういうこと言ってくるのは、こいつ自身が初回のアレを思い出して悶えるほど恥ずかしくなっているという証拠だから。

 可愛い奴。顔赤くしてんのマジで可愛すぎだからな? 濡れてるらしい。


「だいたい、あんたさ」

 ぐしょ濡れ舞香は照れ隠しのようにため息をつき、

「球数多すぎ。被安打1なのに八回までで118球て。しかも全球ほぼ全力投球で」


「仕方ねーだろ。全部三振狙ってんだから。自然と球数は増えちまう」


 その代わり、フォアボールは最低限に抑えている。

 投球の八割を占めるフォーシームは、高めのストライクゾーンに入れることだけを意識している。前世での俺ならあり得ないことだが、コースはほぼ狙ってない。

 真ん中でも高めにさえいけば、ボールの下側でバットが空を切る。高めに外れたとしても、このボールの異常な伸びに付いていけない打者の脳が、ストライクだと勘違いして手を出してくれる。

 細かいこと考えずに、アバウトなコントロールでゴリ押しし、たまにスイーパーで空振りを取る。その結果が、この球数と奪三振数という数字に表れていた。


「前世と違って、ここにはあんたと野茂君しかまともなピッチャーいないんだから。野茂君だってそんなに酷使させられないっしょ。一年なんだし」


 こいつはこんな世界のこんな学園の来期以降のことまで考えてんのか。相変わらず野球好きすぎだろ。いつからだっけ、こいつがこんな高校野球に夢中なの。


「ま、どちらにせよ、野茂レベルでどうにかなるのは県内でもノーシード校までだろ。県予選6試合中4試合は俺が先発して完投する。別にどうってことねーだろ。プロみたいに毎年二、三十試合を投げ続けていくってわけでもねーんだし」


「……だからさ、そーゆーことじゃないじゃん」


「ああ、まぁ。甲子園でも投げ続けて勝ち続けてやるけどな」


「そーじゃなくてさ。今年で終わりじゃないでしょ、って言ってんの」


「終わりだろ。俺は三年なんだから」


 俺の即答に、舞香はムッと唇を引き結んで、下から俺を睨みつけてくる。


「ほんとに、それでいーの?」


 まぁ、舞香の言いたいことはだいたいわかる。

 だが、


「いいだろ、そりゃ。お前こそ冷静に考えてみろ。こんなイカサマ投法なんてプロの舞台じゃ時間の問題でバレる。この体質だって、ナチュラルである以上、ドーピング検査で直接的な陽性反応は出ないが、間違いなく疑いの目は持たれる。いろんな精密検査を受けさせられることになるだろうし、野球ファンの間では大きな話題になっちまう。時間をかければナチュラルであると証明はできるだろうが、璃子には何て説明するんだ」


 野球ゲームのキャラだから、なんて言い訳は通用しない。野球ゲームのライバルたちの体質はそうなっていないのだから。なぜか、俺と俺たちの学園の野球部員だけがその体質を持っているのだから。

 あの学園だけを舞台とした、テストステロン分泌量を重要な要素とした、何か別のジャンルの世界なのだと、勘付かれてしまいかねない。


「……璃子って……また……。ねぇ、あのさ。今さ、関係とかある? あの子のこと」


「関係あるだろ。俺が甲子園目指してんのは、璃子との約束を果たすためなんだから」


「…………」


「璃子を甲子園に連れていけるなら、俺の肘も肩も何もかも、どうなったっていい。一生野球できなくなる代わりに璃子との約束を守れるなら、喜んで差し出すだろ、俺の野球人生なんて」


 俺の言葉が続くほどに、世界一可愛い顔が曇っていっていることくらい、わかっている。だって目の前にあるんだし。俺たちは抱き合って、見つめ合っていたんだし。その瞳が揺れていることくらい、バカな俺だって理解してる。

 でも、止められなかった。嘘はつけなかった。


 何があっても璃子を甲子園に連れていく。


 俺の肩肘が壊れて、大切な恋人を泣かせることになるのだとしても、それだけは譲ることはできない。


「あっそ。いいよ、別に、じゃあそれで」


 しかし舞香は、俺の不安に反して、至極あっさりとした態度でそう言い捨てた。


 え? うそ、そんな感じ? 泣かせちゃう感じじゃなかったの? 俺の思い上がりだった……?


「久吾の本命は可愛い可愛い璃子さんだもんね。はいはい、知ってました知ってました。私なんて、どーせただのセフレだし。都合の良い穴だし」


「ええー……」


 舞香は、拗ねていた。俺の腕からスルッと体を引き離し、ツンとした顔でいじけていた。

 ええー……いや、可愛いけどさ……。


「舞香、違うだろ。わかるだろ。せっかく俺たち、ほら。こういう関係になれたんだからよ、今さら璃子のことでそんな拗ねられても、困るっていうか」


「はいはい、そうだよね、困るよね久吾は。私とキスできなくなったら困るもんね。はいはい、いいですよいいですよ。どうせ私の片思いですからセフレの私なんかが久吾を困らせたくなんてないもん。ねぇ、そうでしょ、キスさせたげればいーんでしょ。それで満足なんでしょ用済みなんでしょ。はいはいどうぞ、お好きにいくらでもどうぞ。どうせすぐに忘れられちゃうような私とのキスなんてお気軽にお手軽に消費してしまえばいいんじゃないでしょうか。私は一生きっちり全てのキスを覚え続けてやりますけど、あなたはさっさと全部忘れて他の女のことでも考えていればいいんじゃないでしょうか」


「そんなに目を潤ませながらそんな悲しい長台詞を吐かないでくれ。心が痛くなる」


「あはは、ごめんね。めんどくさい彼女で」


 乾いた笑いが心に来る。


「いや、そんなことねーけどさ。だって、お前をそんな風にさせてんのは、全部俺のせい、なんだろ?」


「…………」


 舞香は何も答えてくれないが、そうに決まってる。わかってる。わかってんだ、ずっと。


 だって舞香がこんなにも、わざとらしく仄めかしてくれてるんだから……。どうでもいいとか口では言いつつ、俺に気付いてほしくてたまらないのがバレバレなんだから……。


 うん、そうか。やっぱそうか。俺が忘れてるっていう、ある一回のキスが、お前をそんなに不安にさせちまってるんだな。で、この話の流れだと、もしかして……それが何か璃子に関係してるってことか?


 そこまではわからんが、とにかく。ずっと俺に尽くし続けてくれたこいつに、こんな顔させちまうなんて、全面的に俺が悪かったということだけは間違いない。


 俺が何とかしてやらねーと。


「なぁ、舞香。教えてくれねーか、俺が忘れてるっていうこと、全部」


 それと、そのせいで抱えさせちまってる、お前の気持ちとかも、全部。


「……いいって、別に。あんたは知らなくていいこと」


「よくねーよ。お前を泣かせちまってる時点で、全然いいわけねーだろ」


「泣いてないし。ホントいいし、もう。璃子にだって悪いし。私なんて別に一番じゃなくたっていいし」


「うーん、すまん。やっぱさすがにめんどくさい。超めんどくさい。何だこの彼女、超めんどくせーって思っちまったわ。マジでめんどくさいお前。さっさと吐け。何か問題があるっつーなら、全部俺が解決してやるから」


 マジでめんどくさいので髪をぐしゃぐしゃっと乱暴に撫でてやる。恋人っぽくしっとり撫でたりすると何かまためんどくさそうだし、今は。


「…………っ、もうっ……お兄ちゃん、すんなし……」


 舞香にもそれは伝わってしまったようで、すっかり妹モードで拗ねている。

 そういえば小さい頃なんかは、こいつも結構甘えん坊だったっけ。いつも俺の服の裾をちょこんとつまんで付いてきてた気がする。いつの間にか立場は逆転してしまったけど……あれ? そういやいつからそんな風に……


「だからっ、嫌なの、妹なんてっ……」


「え?」


 俺が在りし日の兄妹の姿を思い出してノスタルジーに浸っているとき。一方のその妹は、俺とは真逆に。まるで遠い過去を恨むかのような目で。俺の目の奥底を覗き込み、


「ねぇ、久吾。聞いて後悔しないでね?」


「舞香……?」


 そして、やはり、俺のユニフォームの裾をちょこんとつまんで――


「あんたと璃子の甲子園の約束――あれ、甲子園に連れていってくれるって――ホントは、あんたが私と誓ってくれた約束だから」


「は……?」


 ――予想だにしていなかった告白を。震える声で。アホな兄貴に。叩きつけるのだった。


 ええー……。

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