第24話 バッテリー

 投球練習を汁なし淡々と済ませ――ついに球審からプレイコールがかかる。

 

 さぁ、投手・山田久吾の奪三振ショーの始まりだ。


 キャッチャーのサインを覗き込む際にさりげなく帽子のつばに手をやり、まずは親指で甘出し汁を掻き取る。セットポジションに入り、ボールを握る直前――グラブ内で、人差し指・中指にそれを広げる。


 準備は整った。


 高々と上げた左足を踏み出すと同時に右腕を引き。重心移動と共に体を回転し。真上から振り下ろす右腕が、溜め込んだパワーを解放する。ボールの縫い目が、指先に引っかかるような感覚――それが、かつてないほどに強い。秘密兵器の力だ。

 俺がチート能力で鍛え上げた筋力を、チート物質によって最高効率でボールに伝達し、


「ふんっ――!!」


 という声とともに、豪快なバックスピンを掛けられたボールが空気を切り裂き――次の瞬間には、破裂音が響き渡る。


「どうした、ド真ん中だぞ」


 キャッチャーミットに収まる白球。一瞬の間の後、呆けたようにストライクをコールする球審。左打席で唖然として立ち尽くす相手打者。


 俺のストレートが、見逃しのワンストライクを奪った。ただそれだけの話だ。


 が、相手打者は心底驚いたことだろう。150キロに迫る球速――だけではなく、その球筋に。伸びに。浮き上がってくるような錯覚を覚えたはずだ。

 相手ベンチからは「コース甘いぞ!」「振ってけ、振ってけ!」といった声が上がっているが、打者からしたら、そんな余裕などない。

 驚異的な回転数のフォーシーム――その本当の脅威は、打席に立った者にしかわからない。


「ナイスボールだ、山田!」


 ボールを俺に返球しながら、そう声を掛けてくるキャッチャーの与儀よぎ。祢寅学園野球部の正捕手である、中肉中背の三年生。まぁ、もはや中肉とは言えないほど大きくなり始めてはいるのだが。


 こいつにだけは、俺が粘着物質を使用することを伝えてある。当然だ。伝えないわけにいかない。練習でも一度だけ、トイレで甘出しした汁を使って、投球を受けてもらっている。

 試合でいきなり異様な伸びのストレートや異様に曲がるスイーパーなんて投げられたら、さすがに捕れない。

 それだけでなく、ボールに付着した粘着物質を隠すために、協力してもらう必要もあるからな。

 まぁ、俺の甘出し汁は松ヤニなどと違って、粘着力はありながらも除去しやすいという最高の性質を持っているので、偽装工作には苦労せずに済むだろうが。


 ちなみになぜ与儀がこんなにも晴れやかで誇らしげな笑顔を浮かべているのかというと、当たり前だが、この粘着物質の正体までは明かしていないからである。

 与儀には、日焼け止めスプレーとロジンと汗を混ぜたものだと伝えてある。それであれば、(不正に違いはないが)彼の許容範囲内であった。

 ていうか、「勝つために手段を選ばない、冷徹でリアリストなボス」的な雰囲気を醸し出しながら作戦を伝えたら神妙に頷いてくれた。

 つーかこいつも元々、佐倉宮にぶっかけたりする竿役モブの一人だからな。本質的に、俺には逆らえない人間なのだろう。



 そうして俺は、冷静さを失った一番打者に、高めに外れたフォーシームを二球連続スイングさせて一つ目の三振を奪い。

 二番打者相手には、高めを狙ったストレートが真ん中に集まってはしまったが、結局ボールの下側を振らせて二つ目の奪三振。

 迎えた三番打者にも、またもや高めのストレートでノーボールツーストライクと追い込み、


「そろそろ投げるか」


 俺の呟きが聞こえたわけではないだろうが、表情で察したのか、与儀からのサインも俺の望み通り。

 俺は今までより少し多めに甘出し汁を仕込み、今までとは違う縫い目にそれらの指を合わせ。


「ふんっ――!!」


 そして弾くように、切り裂くように、腕を振り切った。


「くっ……!」


 という声が、ドラフト候補と目されるような強打者から漏れる。


 大きく横滑りしたスイーパーに体勢を崩され、力ないスイングをしてしまったプロ注くん。当然、バットは空を切り、ボールはキャッチャーミットに収まっていた。


「お、実戦を想定したナイス素振り」


 三者連続三振。スリーアウト、チェンジ。

 俺は精一杯カッコつけて、涼しい顔でベンチへと戻る。

 ここに来て、ようやく甘出し汁の液化が進んできたのか、帽子のつばからタラーっと一筋垂れてきた。臭う。ずっと平気な顔してたけど投げてる間ずっと臭ってた。


 これ、アレじゃん。NTRヒロインが放課後の非常階段で間男先輩と致した後、何事もなかったかのように部活終わりの主人公君と下校し、幼き頃から通い慣れた主人公君の家の前で別れたちょうどそのタイミングで、手を振るヒロインの内ももを満を持して、つーっと伝っていくアレじゃん。こういうメカニズムだったのか。自分の精液が自分の頬を伝っていくのを体感してみてやっとわかったわ。


 うん、デメリット全然一つじゃなかったわ。これからは帽子以外に仕込むことにしよう。


「ナイスピッチ、山田。やはり凄いな、進化したお前の球は」


「与儀……まぁ、な。今までお前らに迷惑かけてきちまった分、やれることは何でもやってやろうと思ってな」


 二回表の攻撃は五番打者から。一番の俺と四番の与儀にはまだまだ打席は回ってこない。ベンチ奥に座る俺の隣に、女房役である与儀が腰を下ろす。


「迷惑ってか。アハハ、まぁ確かに以前までの山田には散々っぱら、こき使われてたからなぁオレら」


 与儀はそう言って頬を緩めるが、実際問題、俺が転生してくる前の山田久吾は最悪のボス猿だったはずだ。迷惑という一言で片付けてはいけない苦難をこいつらにも味わわせていたかもしれない。こいつらにとっては、そんな山田久吾も、今の俺も、同一人物にしか見えていないのだ。


 それにもかかわらず、俺のことを信頼し、こうやってついてきてくれている。俺の言葉を、信じてくれている。


 だから、そう。俺ももっと。こいつらの言葉を、思いを。自分の耳に、脳に、心に、しっかりと刻み込むべきなのだ。


「山田、実はオレよ、」

 どこか遠くを見つめるようにして、与儀は語る。

「去年、親父が死んだんだ」


「そう、だったのか」


「ま、ロクでもない男だったんだけどな! 母ちゃんも愛想つかして出ていっちまったよ、出来の良い弟だけ連れてな! でも、でもよ、俺だけは親父を見捨てられなかった。野球を教えてくれたのは親父だし、稼ぎが少なくても、ガキの頃から野球道具だけは惜しみなく買ってくれたんだ。ま、それも、勉学重視の母ちゃん達に見放される原因だったってわけだ!」


「そう、か」


「へへっ、このキャッチャーミットがよ、親父からの、最後のプレゼントだったんだ。弟には万年筆で俺にはミットだぜ? 笑えるだろ? 照れちまって、結局最後まで礼の一言も言えなかったんだけどな。でも、逝っちまう間際、親父は最後に言ってくれた。『そのミットで、野球頑張れよ』って。だからオレはこいつで、最高のピッチャーであるお前の最高の球を捕りまくって、甲子園に行く。そうすりゃきっと母ちゃんも蒼汰も、野球バカの親父を見直してくれるって、信じてんだ。最初で最後の親孝行を、相棒であるこのミットと一緒に――って、ちょっと臭すぎたよな。アハハ、悪ぃ」


「…………」


「ま、何が言いたいかっつーと、これからも毎日この相棒磨き上げて、お前のストレートもスイーパーもしっかりキャッチしてやるぜってこった! 遠慮なく全力投球してこいよ!」


「そっか」


 白い歯を見せてサムズアップしてくる正捕手の言葉を、俺は聞き流した。聞かなかったことにした。


 すまんな、親父さん。アレだから。ただの日焼け止めクリームだから。ミットに付いても問題ないから。むしろ何かいい感じに革に馴染んだりする可能性もあるかもしれないしな、うん。


 そうして俺は、ベンチ裏へと向かった。早く愛しの舞香とちゅっちゅして、次の回の精液出さないと。



――――――――――――――――――――

一応補足しておきますが、野球よく知らない方はフォーシーム=ストレートだと思ってもらって大丈夫です!(^^) 速くて真っすぐな球です(^^♪ わざわざ補足してやったんだから分かってるよな? そういうことだ。星とハートとコメントとフォローをください……。

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