第7話 たぶん2010年の開星VS仙台育英のアレ

 璃子りこがお風呂に入っているうちに、俺と舞香は二階にあった、山田久吾の部屋に場所を移していた。

 最高のハプニングのせいで先送りになっていたが、ようやく始まるのだ、二人きりの作戦会議が。


「…………」「…………」


 ベッドに腰を下ろす俺と、立ったまま壁に背を預ける舞香。


 何よりも先に、共有できているか確認しなければいけない認識は決まっているが、口に出すのにはやはり緊張する。それは舞香の方も同じなのだろう。


 しかし、元妹は俺よりも早く覚悟が決まったようで。酷く神妙な顔でポツリと言う。


「あの子、自分が死んだって認識していないの……?」


 そこかよ。俺が考えてたことと全く関係ねーじゃねーか。全然認識共有できてない。


「はぁ……」

 思わずため息をついてしまう。

「いいじゃねーか、そんなことはもう」


「よくないでしょ、絶対」


「璃子が生きてた! それでいいだろ! それ以上のことなんてねーだろ!」


「ええー……思考を放棄してる……自分に都合の良いことしか見えなくなってる……」


「うるさいな! 放棄も何も、だって考えたって仕方ねーだろ! 考えたってわかるわけねーんだから!」


 とりあえず、璃子は自分が一度死んだことを理解していない――それは間違いなさそうだ。

 話を聞く限り、「病室で兄さんのゲーム購入履歴を眺めているところで気を失い、目が覚めたらこの家で横になっていた」といった感じらしい。


「それにな、舞香。山田久吾に妹がいるなんて設定は、このゲームになかったんだよ! ゲームに存在するメインキャラに憑依ひょういした俺らとは状況が違う! こんなんもう分からんだろ! 仮説を立てようもない! 純粋に、璃子が妹として会いに来てくれたと考えるのが一番しっくり来る!」


 約束の力だ! 幼き頃のあの日、甲子園球場で立てた誓いを璃子は守ってくれた!


「そうなんだ……いや、じゃあなおさら、いろいろちゃんと検証しといた方がいいんじゃない? 考えてもムダってゆーのもわかるけどさ、私らの身に起こったことと、あの子の身に起こったことに何か違いがあるのかとか、念のため調べといた方が、あの子のためにも、さ」


「嫌だ、深掘りは怖い。藪蛇やぶへびになるかもしれないだろ。お前が言ういろいろを試した結果、元の世界に戻るなんてことになったらどうするんだ。元の世界で、もう璃子は――」


 ダメだ、これ以上は口に出したくない。


「それはまぁ、一理あるかもだけど……ってか、え? じゃあ久吾、あんた元の世界に戻るって選択肢は、もう捨てるってこと?」


「何言ってんだ、当たり前だろ」


 もはやそんなこと悩むまでもない。

 璃子が生きるこの世界で璃子と共に生きる。そんなのは常識だ。大前提だ。


 その大前提の下で、俺が固めた決意――それを舞香が理解していないというのであれば、やはり言葉にして伝えなければならないだろう。

 こいつにとっても、関係のない話じゃないしな。ってかめっちゃ関係あるしな。関係させるしな。


「舞香。甲子園行くぞ」


「え。あ。うん。…………は?」


「甲子園行くから。この世界で。あの祢寅学園の野球部で。俺が連れていく。何をしてでも。だから協力しろ」


「……………………なんで?」


 相変わらずのジト目で返された。

 ええー……。「なんで」はこっちのセリフだよ。

 お前さっきは俺に甲子園目指してほしい感丸出しだったじゃねーか。喜べよ、おい。


「あんたさっきは甲子園なんて興味ないとか野球大嫌いとか悲劇の主人公ぶってたじゃん」


「忘れた。甲子園興味ある。野球大好き」


「……ふーん。璃子との約束守るためなら簡単に立ち直っちゃうんだ」


「そりゃそうだろ! 璃子を甲子園に連れていく、それが俺の全てなんだからな!」


 ――14年前、家族で観戦に行った全国高等学校野球選手権大会。

 快晴の下、どこまでも広がっていくようなグラウンド。勝利を目指す球児たちの揺るぎなき瞳と決死の表情、渦巻く熱気。まるで神様の手が加えられたかのように、最後のアウトひとつを取ることに失敗した開星高校。奇跡としか言いようがない大逆転劇を見せ、奇跡としか言いようがないプレーで最後のアウトをもぎ取った仙台育英高校。

 見せつけられて、魅せつけられた、甲子園という大舞台――そんな光景に目を輝かせる最愛の妹。そして交わした約束。


 ――「璃子を甲子園に連れていく」。


 それを果たすためだけに俺は生きてきたし、璃子を亡くして、璃子との約束を守れなくなった俺に、生きていく気力なんてなかった。


 だが! 今は璃子がいる! 璃子と共に生きている! 璃子との約束を果たせる!


 璃子は俺との約束を守ってくれた。

「なんかい生まれかわっても、にーさんの妹になりますっ」――全ての試合が終わり、夕焼けと夏の匂いに包まれた甲子園球場で、俺と手を繋いだ璃子はそう呟いた。

 俺はそれを「ずっと兄さん大好きな妹でいてくれる」ということの誇張表現だと捉えていたが、璃子は本気だったのだ。言葉通りだったのだ。

 俺との大事な約束として、本当に守ってしまった。守ってくれた。

 

 本当に生まれ変わって、また俺の妹になってくれたのだ!


 こんな天使のような妹を裏切れるわけがない!

 璃子があの日の約束を守ってくれたように、俺も何があってもあの日の約束を果たさなければいけない!


 俺は妹を、甲子園に連れていく!


「あ、そ。ふーん、そーなんだ、ふーん。ふーん……ふーん。ふーん。ふーん」


 俺の一世一代の決意表明に対し、舞香は死んだ目と死んだ声音で応えてきた。

 ふーんふーん言いながらフラフラとこちらに歩み寄り、俺の隣にポスっと座る。ひどい。


「な、なんだよ」


「シスコン」


「シスコンだが?」


「ふーん、そ。ふーん……。ふーん。ふーん。ふーーーーん」


「だから、な? お前だって同じ気持ちだろ? 璃子の夢、俺との約束、叶えてやりたいだろ? だから協力しろ」


「どーしよっかなー」


「ええー……いや、お前な。そういうのいいんだよ、今は。お前にとっても大事な妹だろ?」


 何でそんな拗ねた感じなんだ。ツンと口尖らせてんだ。こっち向け。


「璃子のことは大切だけどー。でもなー。だってなー。久吾がなー。ふーん、だからなー」


「なぁ、頼むって。俺は絶対甲子園に行かなきゃいけねーんだ。わかるだろ? お前の支え無しで、どうしろっつーんだよ、俺に。舞香がいなきゃダメだろ、俺なんてずっと。頼むよ、お前がいなきゃ甲子園が……!」


 マジで絶対、舞香の力は必要なんだ。

 お前に協力してもらうためなら、土下座でも何でもする!


「ふーん。ふーんふーんふーん……ふーん、」


「頼む! 足でも何でも舐めるから!」


「いいよ、協力したげる」


「マジか! どんな感じで舐めればいい?」


「やめろ、舐めるな。土下座もいらない。てか、だって別に同じじゃん、あんたの野球を手伝うのとか。元の世界でもずっとやってきたことだし、私にとっては別に何の負担でもないし? うん、ただの日常」


「舞香……、ありがとう舞香……!」


 舞香の言う通り、こいつは前の世界でも俺たち野球部のマネージャーだった。高校に入る前だって、ずっと俺の野球のサポートをしてくれていた。

 負担がないとか言ってるけど、そんなわけがない。俺の都合で、舞香には自分の時間を全て犠牲にさせてきてしまった。


 それでも舞香はこう言ってくれる。髪先をいじりながら、何でもないことかのように。俺に罪悪感を抱かせないように。まぁ、照れ隠しでもあるんだろうけど。


 そんな舞香に俺は何も返してやれない。それを承知の上で、俺は遠慮をしない。舞香は俺にとって最高のパートナーだけど、俺は舞香にとって最悪の(元)兄だ。


 それでいい。それしかない。

 

 璃子との約束を果たすために、俺は舞香を全力で利用させてもらう。


「別にお礼とかいらないし」

 最高のパートナーは、ほんのりと頬を染めて言う。

「ま、久吾がそー決めたなら、私も本気でやるよ。とりあえず、この世界の高校野球とうちの野球部について調べないとね。野球ゲームとは言うけど、元の世界の状況と全く同じとは限らないかもだし」


「いや、これエロゲだから。NTRゲーだから。野球部鬼畜NTRゲームだから」


「もちろん、野球のことだけじゃなくて、生活についても探ってかなきゃ元も子もないけどね。生活基盤をどうするかとか――ん? 今なんか変なこと言わなかった、久吾?」


 言ってない。変なことなんて言ってない。ただただ世界の真実を伝えただけ。


 まぁ、伝わってないというなら、再度伝えよう。まっすぐと(元)妹の目を見て、はっきりと。


「この世界は、俺がプレイしていた『実況!パワフル系先輩野球部に僕の年上幼なじみ女子マネが……。甲子園に連れていくって約束してたのに……!』という18禁のNTRゲームだ。さっき部室で会った野茂のもまことという野球部の新入生が主人公で、三年の野球部マネージャー佐倉宮さくらみや琴那ことながメインヒロイン。彼と彼女は幼なじみ同士で、恋愛感情を持ち合っていることを互いに理解している一番楽しい時期の関係なんだ。そんな主人公君からメインヒロインを奪って実況孕ませするのが野球部の極悪先輩、山田久吾――つまり俺ということになるな」


「…………」


 真顔のままピクリとも動かない舞香。よし、偉いぞ。ちゃんと耳を傾けてくれているな。


「山田久吾は脳をちんぽに支配されているような筋骨隆々・性欲隆々のヤリチン野郎で、後輩にはパワハラ、佐倉宮琴那にはセクハラ・痴漢を繰り返しているザ・間男野球部だ。恐怖と暴力で弱小野球部を完全に支配している。正義感が強い主人公は、お姉さん系幼なじみを守るため、そんな山田久吾に初めて正論で対抗した男となる。言い負かされた山田久吾も一旦は引き下がり、一件落着と思われたが、あの極悪非道のちんぽ野郎がその程度で狙った獲物を諦めるわけもなく。却って奴の間男ちんぽは燃え上がり、下品に喉を鳴らすのであった……」


「ふーん」


 舞香は一度コホンと咳払いを入れ、


「鳴らすのであった……じゃねーよ! 死ね!」

「死なない」


 死なないし、そんな風に腹を殴られても痛くない。いや痛いけど全然我慢できる。

 なぜなら俺はパワー系間男だから。暴力には屈しない。パワー系間男にとって暴力とは振るうものだ。

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