第4話 ツンデレ妹の兄に対する呼び方は「呼び捨て」か「お兄」どっちが好き?

「え。なにこれ。マジなの久吾」


 それから二十五分。

 ついに舞香も現状を正しく(?)認識し始めてくれた。


「ここまで条件が揃っちまえばな。いや、うん。俺もお前といろいろ確かめながらずっと驚いてたんだが」


 まず、俺らが持っていた学生証の顔写真は元からの俺らの顔になっていた。


 その反面、保険証も学生証も、やはり苗字は俺らのものではなく、俺は山田に、舞香は百乃木もものきというものになっていた。このゲームのキャラである『舞香』の苗字だ。もうエロゲ丸出しの苗字だ。

 生年月日や年齢を示す表示のみ何故かモヤがかかったように視認できなかった。エロゲだ。エロゲ特有の小細工だ。

(ただし、俺が学園の三年、舞香が二年生ということはわかった。高校ではなく学園だからセーフだ。エロゲだ。)


 そしてあらゆる面からこの世界の情報を与えてくれたのが、やはりスマホだ。

 まずそもそもとして舞香や俺のポケットに入っていたのは明らかにアイフォンなのに、メーカーはBananaだった。エロゲだ。エロゲのもじり方だ。


 ゴーグルマップで調べたところ、ここは俺たちが行ったこともない土地、栃木県だった。

 おそらく本来なら宇都宮とかがある場所なんだろうが、市町村名は祢寅ねとら市だった。エロゲだ。NTRエロゲだ。


「で、でもさ」


 舞香は食い下がるように俺を見上げ、


「でも見える景色とか見える人とか、うん、あんたもそうだし、窓とかに映る私自身もさ、普通に実写? じゃん。絵じゃないじゃん」


 あー、うん。言いたいことはわかる。


 今、俺の目に見えている光景、脳が認識している光景は、いわゆる三次元だ。アニメーションじゃない。作り物じゃない。二十年間、俺が生きてきた世界と同じ次元の世界が広がっている。ように見える。

 だが、それと同時に。俺の脳は。俺が今立っているこの学園及びそこで生きている生徒達が、数十分前まで俺がプレイしていたモニターの中の学園及び二次元キャラクターと同一のものだと、認識してしまっている。自然と。何の違和感もなく。


 だから、俺はこういう説明しかできない。


「それはまぁ、そういうものなんだろ」


「そういうものて」


「俺らがこの世界のキャラクターになっちまった以上、同じ絵柄で作られた奴らは生身の人間のように認識しちまうもんなんじゃねーのかってこと。前の世界だって、本当はゲームだったのかもしれねーぞ? 俺らはそこで生きてきたから認識できなかったってだけで」


「そう言われても」


「納得できないか。だが、とりあえずこの仮定を受け入れてくれねーと何も身動き取れねぇぞ。このままここで震えてるだけだ」


「…………」


 舞香は、切なげな目でどこか遠くを見つめ、そしてスゥーっと細く息を吐き、


「だって」


「だって?」


「それを認めたら、『ただの夢』説がくつがえっちゃう。私の醜態しゅうたいを全部久吾に見られて聞かれてしまったことになる。あはは!」


「大丈夫だ。お前は何も変なことなんて言ってないし、言ってたとしても俺は全部忘れたから」


「マ?」


「マ」


 マということにしとく。話が進まん。


「そっか。じゃ、いいや、それで。とにかく久吾の体が二年前に戻ったってことは確かだもんね。うん、むしろ夢じゃなくてよかったじゃん!」


 よし、要するにこいつ、自分に都合の良いことを信じようとしてるだけだな。さすが俺の妹。


「まぁ、高三のキャラになったから高三のときの俺の体に戻ったってことなのかもな。高校ってか学園だが。つっても、元の山田久吾ってキャラも似たような体格ではあったか」


「そうだ、そこも確認なんだけど。元のゲームキャラの山田久吾と、百乃木? だっけ。その2キャラと、私らの見た目は違うわけじゃん? 次元どうこうとか抜きにしてさ。でもこの世界のキャラは私らを元の山田久吾と百乃木舞香だと認識してるってこと? だって何かさっき、知り合いみたいに声かけてきた男子いたじゃん。先輩とか言ってたってことは、後輩キャラ?」


「あ、ああ。そういうことなんだろうな。彼と俺らは知り合いだ。あれが主人公だから、このゲームの」


 少し言いよどんでしまった。この件についても避けては通れないことだが、それでも何とか上手く誤魔化さなければいけない。


 あの少年――野茂のもまことは、このゲームの主人公であって。つまりは、彼の幼なじみの女子マネージャー、佐倉宮さくらみや琴那ことなを野球部の先輩山田久吾にめちゃくちゃに寝取られるキャラクターなのであって。


 そうなんだよ、改めて突き付けられたけど、これNTRゲーなんだよ。『実況!パワフル系先輩野球部に僕の年上幼なじみ女子マネが……。甲子園に連れていくって約束してたのに……!』なんだよ。

 そしてそのパワフル系先輩野球部こそが俺なんだよ。


 うーん、バレたくねぇ……。


 いや、でもこれを隠したまま、この先やっていけんのか?

 そもそも俺たちはこの世界でずっと生きていくのか? それとも元の世界に戻る方法を探るのか?

 どちらにせよ、こんな重要な情報を隠し通すなんて困難なのでは……?


 いや、でもバレたくねぇだろ、絶対!

 NTRゲーやってたとか! 実の妹に!


「へー。あ、じゃ、ホントだったんだ、野球ゲームって」


「へ?」


「あの子もユニフォーム着てたもんね。野球部なんでしょ? 主人公キャラが野球部なら野球ゲームに決まってんじゃん。そんくらい私でもわかる」


「お、おう」


 よかった、何か勝手に勘違いしてくれてる!

 無理な嘘つかずとも、野球ゲーだと思い込んでくれてるなら、それに越したことはない。


「で、あんたがその先輩。あんたもそのユニフォーム着てる。つまりあんたも野球部ってことだもんね」


「…………」


 こんな状況だというのに、舞香は嬉しさを隠し切れぬよう、目を細める。


 何だよ。なに期待してんだよ、こいつ。

 今の俺にそんな目を向けるな。


「そだ」


 何かに思い当たったかのように、舞香はバナナマークのスマホを操作し始め、


「……あ、やっぱり。ほら見て久吾」


 そして俺の眼前に、その画面を突き出して、


「甲子園は、ある。この世界にも! 甲子園球場も、そこでやる全国大会も!」


 今度こそハッキリと、その大きな両目を輝かせるのだった。


「…………っ」


 そんな妹の笑顔なんて、俺には直視できない。


「って、私に言われるまでもなく知ってるか、久吾が自分で選んだ野球ゲームなんだから。あれ? でも『全国高等学校野球選手権大会』ってゆー正式名称はないみたいだね。全国学園野球選手権大会……? 学園? 全国学園? なんか変なの」


「あれだろ、何か権利関係とかそういうのがあるんだろ、ゲーム作るときに」


「そっか、権利関係か。ならしかたないね」


 ふわっとした言葉で誤魔化せた。

 それはきっと、そんな細かいことなんて気にならないくらい、今の舞香が舞い上がっているからで。


「また、野球できるね」

「やらねーよ」


 だから俺は、妹の優しい微笑みを、躊躇なく斬って落とす。


 無意味な期待させて、また裏切って。そんなことはもう、繰り返したくない。


「…………なんで」


 俺の言葉に目を見開いた後、舞香はジトッとした目を作って睨みつけてくる。


「何でも何も、言っただろ。野球なんて嫌いだって。このゲームも何で買ったのか覚えてねーんだって。適当にまとめ買いした中にたまたま入ってただけだし、試しに冒頭見てみただけで、全然プレイも進めてなかったしな」


「……だとしても、せっかくこんな奇跡起こったんだから、やればいいじゃん。野球ゲームのキャラになったんなら、野球やるしかないじゃん」


「やらねーし。意味ねーし。球遊びなんてしてる場合じゃねーし」


 だってここエロゲだし。NTRゲーだし。


「あのさ、久吾、」

「帰るぞ」


 遠慮がちに舞香が絞り出そうとした言葉を遮り、立ち上がる。


「は? 帰るって? どこに」


「自宅に決まってんだろ。保険証とかに住所載ってたろ。グーグルマップ使って帰るぞ。これから俺たちがどう生きてくのか、まだまだ探ってかなきゃいけねーことは山積みなんだからな」


 といっても、俺が考えるべきは、舞香をどうやって守るかということだけ。それ以外のことに頭を悩ませていること自体、お門違いだった。


 要するに、俺もまた、舞い上がっていたのだ。


 ゲームの中に入ったからといって、良い意味でも悪い意味でも、俺の人生なんて特に変わらない。

 俺という人間はもう、二年前に終わっている。一番大切な約束も守れなかった俺に生きてる価値なんてない。


 肉体が二年前に戻ったんだとしても、また二年かけてガリガリになっていくだけなのだ。


 元の世界に戻れようが、この世界で生きていくしかなかろうが、俺のすることに変わりはない。

 何もしない、それだけ。


 ただただ舞香の安全をどう確保するのか、それ以外に考えるべきことなんてないのだ、俺なんかに。


 あ、でもまぁ。この世界がNTRゲーであることだけは、やっぱ妹にバレたくないけども。

 ほら、俺って意外と、シスコンだからさ。

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