第5話 問答

 テントの中は、煙が充満していた。甘ったるい果物のような香りがしていた。快と不快がせめぎ合うような匂いだった。これは人を惑わせる匂いだ、と僕は思う。中央にあるまるで壷のように大きな香炉から、その煙は立ち上っていた。アリアはその煙を吸っても、顔色一つ変えなかった。きっと、慣れているんだろう、と判断した。煙の向こう側に、一人の人間のシルエットがあった。

「アリアか……。そちらは新しいアウェイカーだな」

 清明な響きを持った、低い男の声色だった。煙で揺らめく輪郭、そこから受ける印象と食い違っていたので、僕は軽い驚きを受けた。

「そうです。彼に名前を与えてあげてください」

 アリアは真っすぐに煙の向こうを見つめている。

「うんうん。……その前に、私に色々聞きたいことは無いかね? 名前を与えるのは、そのあとにしよう」

 急に話を振られて、戸惑う。それに、聞きたい事なんて、たくさんあった。どれから質問すればいいのかわからない、というのが正直なところだった。僕は言葉に詰まる。

「……」

「何でも聞いていいのよ」

 アリアがそんな風に補足してくれる。

「ただし、ルールがある」

 首長は、急にそんなことを言った。

「え?」

「質問は三つまで。そして、君が何かを教わった後に、私も君の話を聞きたいな」

 首長はそんなルールを提示した。

「語れることはそんなにないですけれど……分かりました。」

「では一つ目……」

 煙の向こうからこちらに手を伸ばして、人差し指を立てている。

「アウェイカーとは、何ですか?」

 僕は聞いた。いいだろう、と首長は言う。

「アウェイカーとはだな……」首長はわずかに笑っているように感じた。「霧虫の災害への対抗策だ。人間の本来の能力では霧虫に対抗することはできない、と考えた者が、作りだした生物兵器だ、と言われている」

 首長はそう答える。僕は聞き返す。

「「言われている」? 実際のところは分かってないのですか?」

「それが二つ目の質問でいいのか?」

 ゆっくりとした口調で僕に確認する。

「あ……いや……」

「ふふ……。ゆっくり、考えるといい」首長は言った。「それでは、君の話を聞こうかな?」

「僕は何も知りません……。記憶は何も無いですから」

 僕はそう答えた。

「そうでもない。君は昨日生まれ、何かを経験したはずだ。それを教えてくれるだけでいい」首長はそんなことを独り言のように語り始めた。「君は昨日どんな経験をした?」

 僕は少しの間考える。おそらく、どんな話でもいいのだろうと思った。だから僕は、

「卵の中みたいな白い部屋で目覚めて……そしてアリアに連れられてこの町に来ました。そして、霧虫が現れて、ダールさんと話して、霧虫を撃った……。それで……」そんな話をする。

 僕がそこまで話すと首長はそこで話を止める。

「じゃあ、そこからは、次の質問の後に聞こうかな……。じゃあ、二つ目」

 首長が二本の指を立てる。僕はすこしの間、考える。最初の質問の返答で、首長は霧虫の災害、という言葉を使った。それの対抗策としてのアウェイカーという存在。霧虫について聞かなければいけない気がしていた。

「霧虫は、どうして発生したんですか?」そう聞いた。

 僕の知識では、霧虫は存在しなかった。と言うことは、僕の知識は霧虫が発生する以前の状態であることがわかる。首長は、うん、と短くうなり、返答をする。

「それは分かっていない。だが、歴史を教えることはできる。霧虫が発生したのはこの地球上に霧が充満するようになってからだと言われている。霧虫が霧から発生したのか、霧が霧虫から発生したのかもわかっていない。しかし、私たちにとって重要なのは、霧虫が人間をたびたび襲って来る、という事だけだ」

 こんな回答でいいかな、と首長は言う。僕は分かりました、そう返事をする。わかっていない、ということが分かっただけでも収穫だった。首長の言うように、人間にとっては、危害を及ぼす者、という認識だけでいい。

「では、私からも聞こうかな。……霧虫を撃って、君はどう思ったのか」

「どう……思った?」

「そう。どう思ったか。霧虫を初めて撃ったんだろう? 倒れる霧虫を見て、君は、どう思った?」

 僕は返答に困って、アリアの方をちらりと見る。僕にとって、自分がどんな事を思ったのか、それを言葉にすることは難しいと感じたからだった。僕はダールさんに流されるままに、その場その場の状況で流されただけだった。あまりにも必死で、どう感じていたか、なんて覚えていない。アリアは、「正直でいいのよ」そう言った。

「僕は……生き物を撃つなんて初めてで……。正直戸惑っていたんだ。だけれど、ダールさんの話を聞いて、僕はやってみようって思えた。それで、すぐにコツを掴んだ。ダールさんも褒めてくれたし、数発撃っただけで落ちていく霧虫を見て……その……」

「うんうん。どう思った?」

 首長は先を促す。

「正直、「やった!」って思った」

「やった、って?」

 アリアが聞き返した。首長は促すように言う。

「生き物を殺して、爽快だったか?」

「ちょっと、そんな言い方……」アリアは非難するような口調だった。

「…………うん。多分、爽快だった」

 僕はそんなことを答える。

「OK、では三つ目だ」

「首長、言わせるようなことはしないでくださいね」アリアはトゲのある声色だった。

「まあ、いいだろ……。多分、撃つってことは、本人がよくわかってるさ。――さあ、3つ目の質問だ」

 僕は色々質問したくなっていたことがあったが、首長に興味が出始めていた。自分に興味を持ってくれるのは、なぜなのか。それは僕がアウェイカーであるだけなのかもしれないけれど。煙は、ここに入ってきたときよりも、薄くなっていた。僕はこんな質問を薄暗い煙の向こうに投げかける。

「なぜ、首長さんは僕の話を聞こうとするのですか?」

 その返答は、あっさりしていたものだった。だがそれは抽象的だった。

「揺らぎの果てに、お前がどうなるか知りたくってな、アウェイカー」

 首長の声は、前から決まっているものもののように、淀み無く首長の口から発せられる。多くのアウェイカーは同じことを聞いたのかもしれない。気持ちは分かる。首長はミステリアスな人で、妙な魅力がある。話しているうちに、この人のことを知りたくなる。そう思わせるのは、あるいはお香のせいかもしれない、と思った。

「最後にお前に名前をつけよう、アウェイカー。お前の名は、『ソラス』だ」

「ありがとうございます」

 アリアは慇懃に、ともすれば儀式的に礼を言った。


「言わされてたでしょ」

 僕達は首長のテントから出て、長い階段をおりていた。先をゆくアリアは途中振り返って、僕に強い目を向けた。

「生き物を撃って爽快だった、の時よ。あなただって誘導されてるなって思ったでしょ」

「まあね……」首長とのやり取りを思い出す。僕は、でも、と前置きをして、

「言葉は悪いけれど、事実、そうだったよ。「やった!」って思ったのも事実だし。それって、爽快だ、ってことでしょ?」

「あなたは、少し人を疑うことを覚えたほうがいい」

 まゆをひそめて、アリアは前を見る。

 入口のところにあったロビ―に着く。慌ててアリアを追いかけているところへ、二人のアウェイカーが声をかけてきた。

「首長との会談は終わったのかい?」

 一人は、以前あったことのある、ロビーのソファでマグカップを傾けていたアウェイカーだった。もう一人は厚手のジャケットを着ていて、初めて会ったアウェイカー。ふっくらしている方と、筋肉がより発達している方。僕は慌ててお辞儀する。

「はい、終わりました。――えっと、あなたがたもアウェイカーですよね?」

 二人は顔を見合わせて、笑った。

「なんだよ、同じ顔なんだから、当たり前だろ! ジン、こいつ、やっぱ変わってるかもしれねえ!」  ふっくらしたほうが、屈託のない笑顔で言う。

「まあ、そう言うな、ピート。アウェイカーの顔すら見慣れてないんだろ。」

 そう言う筋肉質の方も、笑顔だった。

 ピートとジン。二人ともやはり同じ顔をしていた。自分と同じ顔の人間がいる、という状況を見慣れることがあるのだろうか、などと思う。

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