第2話 初戦闘
ハシゴを登り切り、地上に出る。塀の内側には、トタンや廃材でできたあばら家がいくつも建っていた。煙を吐く煙突をしつらえた家々や、なにか工作をする為であろう、開かれたガレージ。畑などもあったが、作物の育ち振りはどれも悪く、そこでの生活ぶりを想像できてしまう。だが、道行く人の顔つきは貧相な作物と対照的に、みんな生き生きとしていて、希望を持つことを忘れていない様に見える。
僕はきょろきょろと辺りを見回していた。そんな僕に対してアリアは目を細める。
「ふふ、やっぱり、新鮮に感じるものなの? ――あら」
その時、けたたましい音が鳴り響いた。それは警告を促す甲高い音のサイレンだった。途端に人々は表情を険しくし、辺りは騒がしくなる。
「霧虫ね……。タイミングが悪いんだから……」
アリアはここで待っているように僕に言い、走っていく。途中、振り向いて、こう叫んだ。
「安心して! このレベルだったら危険はないから!」
そして、ひと際大きな建物の中に入っていく。
僕はどうすることもできず、ぼんやりと周囲の慌ただしい様子を観察していた。
すると、ばん! と背中を強く叩かれる。いきなりのことに、僕は振り返った。
「おぉい! あんた、アウェイカーだろ!? 配置はどこだ!?」
太く、低くて威勢のいい声だった。僕を叩いたのは、整えられたひげ面でメガネをかけた、厳めしい男。ミディアムの黒髪を後ろにきっちりと流している。眼光は鋭く、威圧感があった。
僕は何も言えず、まごまごしていると、
「ん……? もしかして、あんた、新米のアウェイカーか?」
「そ、そういうことです……。多分」
やっとそれだけを言うと、今度は僕の肩をバンバン叩き始めた。男は豪快に笑う。
「なんだよ! それならそうと早く言えよ!」
そんな風に言われても、自分はこの状況が全く理解できていない。いきなり連れてこられて、かってにほっとかれて、急に背中を叩かれた。何も分らず放り出された自分の事をすこしは考慮してほしかった。
それでも、男は強引に僕の腕を掴んで、足早にどこかに連れて行こうとする。
「よし……じゃあ、ちょっと手伝ってくれ」
「……何をですか?」
有無を言わさない様子の男に、僕は観念して、尋ねる。男は振り返り、ニヤリと笑って、
「お掃除さ」
ここの人たちはやけにもったい付けた言い回しをする。ここの首長とやらに具体的な説明をお願いしないといけないな、と思った。
塀の内側のすぐそばにある、組まれたヤグラの上に僕たちは登っていた。そこには軽機関銃や狙撃銃といった武器が搭載されていた。弾丸の入った木箱なども辺りに散らばっていたが、中身は少なく、心もとなかった。ヤグラは、塀よりも高く作られていて、周りが見渡せる。ヤグラの上は霧が薄く、霧は地上に重く滞留していたのだと分かる。いくつもある他のヤグラの上からは、すでに発砲音が聞こえてきた。
その射線の先。
空には推定二メートルはありそうな虫が翅を震わせて、こちらに飛行してくる。カマキリのようでも、バッタのようでもあった。顎や前脚が発達していて、人一人ぐらい簡単に捕食できそうだった。知識の中にはない様相をした巨大な虫たちが数十匹。あれがアリアの言っていた霧虫だろう、と思い至った。霧虫たちはこちらの機関銃の掃射をかいくぐりながらも、僕たちに向かって襲いかかってくる。
「俺はこないだの虫害で目をやられちまってな。だから、お前に任せる」
男は端的にそう言った。僕にはできない、と言った。銃の使い方もわからない。ましてや自分に、戦うことなどできそうにない。僕は黙りこくってうつむく。
「そうだな、最初は誰でもそうだったな」
男はひげを撫でて、何か考えているそぶりを見せる。「あのな――」僕の両肩に手を掛ける男。その時。
いつの間にか、ヤグラの屋根に取りついていた霧虫がいた。おそらく別角度から現れたのだろうその虫は、ぎちぎちと顎を鳴らして品定めをしている。そして耳がおかしくなるような甲高い奇声を上げて、僕に飛びかかってくる。まずい。僕は思わず身を固くして、目をぎゅっとつぶった。
短い射撃音。
目を開けると、目の前にいた霧虫がバラバラになって、落ちていくのが見える。その最中、霧虫の複眼に、多数の僕の姿が写るのを見た。それも、たった数瞬の出来事だったが、僕をぞっとさせるには十分な時間だった。
「大丈夫か!」
隣のヤグラから声が聞こえる。
「ああ、助かった!」
目の前の男が叫ぶ。そして、僕に向き直って、丁寧に語り始めた。
「あのな、お前達アウェイカーは優れた人間なんだ。様々な潜在能力をもっている。体だって普通の人間より強い。どんな才能がお前にあるかはわからないが、だからこそ、俺達はお前らアウェイカーを育てているんだ。霧虫の脅威に対抗するためだ。俺はお前にこのコロニーを守れるような人間にしたいと思ってる。俺の言ってること、分かるか?」
僕は頷いた。
「それにだ」男は言葉を続ける。「お前だって、こんなとこで死にたくねえだろ?」
僕は肩に置かれた手に自分の手のひらを重ねる。それは、ごつく、分厚く、暖かくて、信頼感のある手だった。
「やれるな?」
頷く。
「よし! 撃ち方を教えてやる!」
僕は端的なレクチャーを受ける。今教わっていることが、生き物を殺すことに繋がるとはなかなか実感を得られずにはいた。だが、男に死にたくはないだろうと指摘された時、「死にたくない」そう思った。
「口や目を狙え、そこが弱点だ」
男の声をどこか遠くで聞きながら、僕はぼんやりと考えていた。死にたくはない。であれば、僕は、生きていたいんだろうか? 生きていたいってなんだろう? 生きていたいと思うのはどんな状況でそう思えるようになるんだろうか……。そんな疑問が浮かんでくる。
「――分かったな? だが、弾は残り少ない……。このところ襲撃が続いてんだ」
男はそう言い、僕に機銃の配置に着かせる。
僕は自分を落ち着かせるために、深呼吸を行う。わらわらと迫り来る霧虫たちの姿から目を離すわけにはいかない。辺りの気温は低いはずなのに、僕は額に汗をかいていた。
凝視する。不規則な虫の動き。群れを意識するのではなく、まずはたった一匹に焦点をあてる。僕の視界は細く、狭くなる。まるで余計な所を覆うみたいに。脳に、血液がなだれ込む。体はスローモーションの様に重くなった。虫は右へ逸れ、左へ修正する。左に傾いて、頭を小刻みに振る。あれ、飛び方にパターンがある……。
タタタンッ。
それに気づいたとき、僕は思わずトリガーを引いていた。撃たれた霧虫は頭が粉々になって、地上へとバラバラと落ちてゆく。そして、次の対象。今度もじっくり見定めて、狙い撃つ。粉々になって、虫が落ちる。僕は次々に霧虫たちを撃ち落としてゆく。
数秒の観察、数発の発砲。
みるみるうちに霧虫はその数を減らしていた。
男はガハハハと笑い、僕の頭をガシガシ撫でる。
「上手えじゃねえか! 今回のアウェイカーは期待できるなぁ!」
僕は自分の体に触れられたことにすこしの不快感があったが、それよりも自分が褒められた事が大きくて、照れくさかった。
そんな時。
「何か来るぞ!!」
他のヤグラから、そんな叫びが聞こえる。
切り立った崖の向こう。そこからのっそりと黒く、大きな影が姿を見せている。鎌首をもたげて、大量の脚をざわざわと蠢かせている。ピンと長く、意味を成していない翅を真横に伸ばし、震わせていた。巨大なムカデ様の霧虫だった。
「撃て! 撃てえええ!!」
周りのヤグラから一斉に射撃音がこだまする。だが、霧虫の分厚い甲殻は軽機関銃の弾丸をものともしなかった。見る見るうちに近づいてくる巨大虫。ヤグラからは悲鳴が上がり、逃げ出す者もいた。気を取られているうちに、小さいほうの霧虫に襲われるヤグラがいくつか出てきた。だが、僕の目ははどこを狙えばいいのか、動きににはどんな癖があるか、無意識の内に観察を始める。
「大物だ! この警報レベルで来る奴じゃねえ!」
男が叫んだ。
僕は機銃を構え、残っている小型の虫を一掃する。その間にも、巨大な虫は塀まで後三十メートル、という所に迫っていた。バクバクなっている心臓を再び深呼吸をして整えて、頭を狙い撃ちする。弾丸は弾かれる。霧虫は身じろぐように体を捩った。
全く効いていないわけではなさそうだ、という判断をする。
僕は続けざまに追撃。トリガーを引く。
ところが弾丸は発射されず、銃身から、かちり、というあっけない音が出ただけだった。
「弾切れか!」一緒にいた男が思わず声を出す。
大型虫は口から燃えるように赤い粘液を吐き出した。その粘液は塀に命中すると、ぐずぐずになって溶けていく。霧虫は塀に体をめり込ませるように当たると、あっけなく崩れた。霧虫が吐き出したのは溶解液だった。飛び散った飛沫が足場をも溶かし、近場のヤグラが潰れていく。
大型虫は頭を掲げて、こちらに向く。その距離、十メートル。顎を開いて、飛び掛かってくる――。
終わった、と僕は思った。
その瞬間、虫の頭が爆散した。
自分には何が起こったのかは分からなかったが、男が「ソルベか!!」と誰かの名前を呼んだことで、僕たちはその人物に助けられたことを知った。
僕はその場にへたり込み、震える自分の体を両腕で抱きしめた。いつの間にか、涙が流れていた。一歩間違えば、死んでいた。僕はこの時、初めて生きていたい、と思った。同時に、生を実感した瞬間だった。
涙がこぼれた先のヤグラの床板には、「オリジナルへの一歩」。そう文字が刻まれていた。
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