エラー・クローンの少年たち
霧_悠介
第1話 誕生
そこは、真っ白な世界だった。
どこか、記憶のない僕にも懐かしく感じられて、自然と涙が零れた。涙は、僕が沈んでいる海みたいな液体に溶け合い、混ざりあい、一体となった。
僕の海は次第に潮が引いていき、僕だけが底に取り残された。
きしむ体を傾けて、世界の情報を得る。そこは、真っ白なタイル張りの棺桶のような箱の中だった。棺桶の壁の向こうには、蛍光灯のような白い光が等間隔に並んでいて、僕のまぶたを細くさせた。
僕は体を動かそうとしてみる。初めは言うことを聞かない僕の体だったけれど、まずは首。そして肩、肘、手首、指先と、徐々に先の方へ先の方へと動かしていく。まるでだんだん神経を伸ばしていくみたいに。そして、背中、腹。手繰り寄せる様にして腕を動かし、首を持ち上げる。ぎしり、と関節が鳴った。
僕の上体は起き上がった。
僕は自分の体を見る。それは、見慣れたものであるようにも、新鮮なものを見るようにも、僕の目には映った。日にさらされたことなどまるで無いような、白くて長い手足、程よく筋肉のついた、均整のとれた体。余分な毛は一本もない。まるで、赤ん坊みたいだと、そう思う。新生児と違うのは、大人の体だってことだけだった。
それに、僕には記憶もない。その点だって赤ん坊と同じだ。僕の過去を回想してみる。僕の記憶は、視界が真っ白な世界で、映像にもなってない夢を見ているかのようだった。そんなまどろみの中で、涙を流したことだけは覚えている。そして、それしかなかった。棺桶だとか、蛍光灯だとか、人の体の事については知っているけれど、僕のパーソナルな記憶というのはそこから遡ってもぶつ切りだった。
信じられないと思う。ある程度大人の体を持って、記憶が生まれたての赤ん坊のレベルでしか存在しないというのは。自分でも理解しがたかったが、事実だった。
成熟した体と成熟した知識。そして短い記憶をぶら下げて、僕は立ち上がる。体はとても軽かった。
立ち上がると、思ったよりも狭い空間にいたんだな、ということがわかる。楕円型の白い部屋と、中央に鎮座している真っ白な棺桶。楕円は長いところで三メートルほどで、その片方にぽっかりと口を開けるように、通路が空いていた。僕はまだ言うことを聞かない体を使って棺桶の側面を乗り越え、通路を通ってみることにした。
通路の入り口の上には、「オリジナルになれ」。そう書かれていた。
通路の奥には、一人の少女が立っていた。肌は白く、くるくると癖の付いたブラウンのショートカット。意思の強そうな大きな目がきらきら光を反射させていたのが印象的だった。彼女はアリアと名乗り、そして僕の案内人だと告げた。
「目覚めたんですね、アウェイカー」
最初はその言葉が何を指しているのか、分らなかった。少しの間、考えあぐねる。知識の中で存在しない単語だったからだ。僕は自分の名前なのかと思い、アリアに尋ねる。最初はかすれて声がなかなか出せなかったが、辛抱強くアリアは待ってくれた。
「いえ、アウェイカーというのは、あなたの様に、ここで目覚めた者の総称ですよ」
にこやかに少女はそう答える。闊達そうな見た目とは裏腹に、落ち着きを持った口調だったので、僕はこの少女に好感を持った。少女は言葉を続ける。
「あなたの名前はまだありません。首長に名付けてもらいましょう。――これを着てください」
そう言われて渡されたのは、簡素な服だった。厚手のシャツと、ズボン。そして穴を開けただけのポンチョのような上着だった。その時、体がぶるりと震えた。寒さを思い出した、と思った。
僕は急いで、衣服を身に着ける。その様子に「ここ、寒いでしょう?」とアリアは笑って言った。
長い通路を渡り、行き止まりには鉄製の分厚い扉があって、電子錠がかけられている。その横には扉を開けるための端末のようなものがセットされていて、数字が表記されたキーがいくつも並んでいた。アリアはそれを、手順を通して、手慣れた様子でキーを叩いていた。アリアの手つきを興味深げに眺める。僕にとってのその数字は、見慣れたもののように感じられる。その文字が指す数字を違和感なく把握できた。
アリアは僕に向き直り、
「ようこそ、わたしたちの「世界」へ」
そう言った。
そして、なにか気体が放出される、プシュー、という音。それに合わせて、重い扉がゴウンゴウンと音を立てて下がり始めた。
その向こうには、濃い霧が充満していて、時間の感覚がわからなかった。所々に、黒い影のようなものが見える。それらの影は霧によって輪郭を曖昧にし、なにか、巨大な人の影が、呆然と立っているように見えた。
「ついてきて」
アリアは短くそう言うと、僕を先導する。
歩いていくと、その影の正体がだんだん掴めてくる。それは、樹木であり、建造物の成れの果てだったり、あとは単純に岩だったりした。ひび割れたアスファルトや、舗装されていない土の上を歩いていく。
人気はない。霧によって漂白されたその世界には、見慣れている、と感じられるものはまるで無かった。アリアは「わたしたちの世界」と言ったが、本当に他の人がいるのだろうかと疑ってしまう。人が住んでいるところというのは、緑の草原が広がっていて、のどかに家畜でも飼っていて、茅葺きやログの家などが散見されるようなものを脳の奥底で想像していたのだが、そういった風情はまるで見られない。この世界はまるで、生命の気配が無かった。
時折、どこかで虫の羽音のような音や、動物のゲギャゲギャといった声を聞くことはあった。そんなときはアリアは大きな岩や廃墟の影に隠れて、何も言わずに口元に指を立てて、僕に喋らないように注意した。
殺風景な世界だった。それでも、しばらく歩いていくと、今までにない、広がりを持った黒い輪郭の建造物の輪郭が現れる。建造物だと思ったのは、四角い、明らかに人工的なシェイプを持っていたからだった。
「私達のコロニー、『エイミー』よ」とアリアは言った。
近づくにつれ、その横に長い四角の輪郭は塀だったのだ、と気づく。コンクリートか何かで作られていて、重苦しかった。見上げると、上端には鉄条網が張られている。塀から周囲五メートルぐらいの幅で地面にもコンクリートが敷かれていた。それは無機質な結界のようにも感じられ、塀と合わさって、なにか脅威から自分たちを守っているのだろう、と想像させた。そのことをアリアに尋ねると、「霧の災害から身を守っているのよ」そう答えてくれた。
アリアは塀を左に回って、別の側面にある端末のボタンを押して、話しかける。
「アリアよ。アウェイカーを連れてきた」
やや間が空いて、しゃがれた、ノイズ混じりの男の声が聞こえてきた。
「OK」
コンクリートの地面の一部がせり上がっていく。覗き込むと、中は暗い通路になっていて、合間合間にポツポツとライトが点灯していた。ところどころ光は細かく点滅していたし、配線や壁はむき出しで、煩雑な印象を受けた。僕の目覚めた場所とは対照的に感じる。
アリアは「入るわよ」と手を振って合図し、中への階段を降りてゆく。僕も後を追い、降りる。スイッチを押すと、再び外への出口は閉められる。冷たい風が防がれ、ほんのり暖かく感じ、体の力が抜けるのを感じる。
「ここは、なんなんだい?」
おそらく、人間たちの住む集落のような場所だとは思っていたが、それにしては物々しい。僕はアリアに、素朴な疑問をぶつけた。
「ここはね、桃源郷を目指しているのよ」
そうアリアは言った。抽象的過ぎて、分らなかった。しかし、僕がどんな返答を期待していたのか、そして、自分の疑問というものが、どんな疑問だったのかも分っていないことに思い至り、僕は口を閉ざす。考えてみれば、僕には聞きたい事が山のようにあった。この『エイミー』と呼ばれた場所のこと、そしてこの「世界」のこと、途中聞こえた動物の鳴き声のこと、「アウェイカー」と呼ばれる僕のこと、そして、僕自身のこと……。
きっと僕は煮え切らないような顔をしていたのだろう、アリアは、すこし笑って、こんなふうに言ってくれた。
「大丈夫よ、あなた。あなたの疑問に全て答えてくれる人の所に連れていくつもりだから」
さあ、到着よ、とアリアは目の前にあるハシゴを登り始めた。僕も、アリアに倣って、ハシゴを登る。
この先、僕にはどんな未来が待ち受けているのだろう。きっと、未来というのは、過去からの地続きで、そこから予測されるものなのだろうと思う。過去を持たない僕にそれができるべくもなく、ずきずきとした不安が僕の胸を襲っているだけだった。
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