決別

 緊急事態宣言が発令されてから一週間が経った。都民の8割は避難を終えたとはいえ、まだ100万人以上が残っている状態だ。社会の機能の大半は停止しているけれど、それだけの人数が暮らせるだけの物流は残っている。

 妖魔の領域は予想通り拡大を続けていて、現在は都内の半分にまで広がっている。当然、妖魔と人間の接触も増えていて、わたしたちには対処しきれずに双方に死傷者が出ている。あと数日もすれば、この衝突が数万人の規模で起こることは想像に難くない。


 ただ、先日のそらの暴走によって、報道機関は使い物にならない状態になっている。普段ならば境界の拡大を騒ぎ立てたのだろうけど、今は避難を呼びかける放送を繰り返すだけだ。そらの能力によって、ニュースを見ても新しい情報を得られなくなっているのである。正直、ちょっとくらい都民を煽ってくれたほうが助かるのだけど、そらに記者たちを許せとは言いづらいので、そのままにしている。


 そんな中、小川先生によって学園の生徒たちが緊急で集められた。わたしは風花に連れられて体育館へ向かった。

「これから、妖魔から東京を取り戻すべく、魔法少女による攻勢に出ます。しかし、戦場はこれまでで一番危険なものになるでしょう。覚悟のある者だけ残ってください」

「ええっ、なんでいきなり!?」

 わたしはびっくりして声を出してしまった。それに対して、小川先生が答える。


「みなさんは知らないかもしれませんが、日本政府は妖魔による脅迫を受けています。しかし、暴力に屈してみすみす主権を手放すことなどあってはなりません。それゆえ政府は妖魔殲滅の号令を発令しました」

 なんということだ。せっかく平和に済ませようとこっちが努力しているというのに、向こうが戦争を選んできた。これでは、民間人は無事でも、戦場に立った人や妖魔は多数犠牲になってしまうだろう。


 わたしが啞然あぜんとしていると、風花がわたしの手を握って話しかけてきた。

「私はやるよ。せっかく人々を守るために魔法少女になったんだから、命がけで戦わないと。かすみももちろん戦うよね?」

「いや……わたしは、やることがあるから」

 冗談じゃない。わたしに妖魔を殺せるわけがない。気づいた時には、わたしは風花の手を振りほどいて、この体育館から走り去っていた。




 ***




「大変だよ!このままじゃ戦争になっちゃう!」

 寮の部屋に逃げ帰ったわたしは、つきみに矢継ぎ早に不安をぶつけていた。つきみはわたしをなだめるように頭をなでながら、なんともないように言った。


「予想できておったことじゃ。それで、おぬしはどうしたいのじゃ?」

「どうしたいって言われても……」

「脅しの意味も理解できない愚か者どもを皆殺しにするか?それとも、人間の肩を持って妖魔を絶滅させるか?」

「違うよ!そんなこと望んでない!」

 つきみはそこでわたしの肩に手を乗せ、じっとわたしの目を見つめる。その瞳はどこまでも深淵な輝きを持っていて、それが今のわたしにはとても心強かった。


「ならば、おぬしは何を望むのじゃ?」

「わたしは、誰も死なないですんで、それぞれ平和に暮らしてほしい!人間と妖魔がお互いを尊重して、ちょっとずつ我慢しあって、争わずに済む世界であってほしい」

 わたしは、自分の願望をそのまま言葉にした。これは現実を全く見ない、わがままな理想論だ。でも、夢物語だと口にする前に、つきみが人差し指をわたしの唇に当てて、そっと遮った。

「そんなに悲観した顔をするでない。わらわがついておるのじゃ。おぬしは大船に乗った気分でおればよい」

(そうだよ、僕もついてるから)

 つきみとクロミが、わたしを励ましてくれる。それだけで、心の中にあった不安がどんどん和らいでいく気がした。


 わたしが顔を上げたところで、つきみはにこりと笑って言った。

「なに、おぬしは力づくで魔法少女たちを止めればよい。それ以外の面倒事はすべてわらわに任せておればよい」

「ええっ!?そんなので本当になんとかなるの?」

「わらわを誰だと思っているのじゃ。もう隠れて動く必要もないのじゃし、愚かな人間を黙らせるくらいは容易じゃよ」




 ***




 都内某所、車の通らなくなった広い交差点に、魔法少女たちが整列している。その前には目に見えるほど大きくなった時空のゆがみが、無数の妖魔を伴って現れていた。

 一触即発のぴりぴりした空気を断ち切るように、わたしはビルの上からその中間に降り立つ。まるで流体のようなわたしのコスチュームは、落下の衝撃を飛び散る黒蛇の雨へと変えた。


「このままこの場を立ち去ってください。そうするならば、何もしませんから」

 わたしは魔法少女たちに向けて警告を発した。しかし、わたしの言葉を聞くものはいなかった。ほとんどの者は絶句して驚愕の表情を見せ、風花は震える声でわたしに尋ねた。


「ねえ、かすみなの?嘘だよね?なんで、妖魔の味方をしてるの?そんなのおかしいよ」

「わたしからしたら、どうして人間だけの味方になれるのかが不思議だよ。妖魔だって生きているのに、人間のエゴイズムのために犠牲にするなんてできない」

「妖魔は敵だよ!?かすみ、目を覚まして!」

 やっぱり、わたしの考えは学園の魔法少女たちとは相容れないようだ。どうすれば誰も死なせずに穏便に済ませられるかとわたしが考えていると、ビームや銃弾、矢などの遠隔攻撃がいくつもわたしに殺到した。しかし、それらはわたしに命中する直前に黒い液体へと変わり、慣性を失って真下に落ちていく。わたしに接近しようとした者も、すこし動いただけで手足が完全にしびれてその場に倒れこんだ。


「そんな!?」

 真っ青な顔でその場に立ち尽くした魔法少女たちに向かって、わたしはもう一度伝えた。

「皆さんが妖魔をいたずらに殺そうとするのであれば、わたしが止めます。だから、これ以上無益な争いをするのを止めてください」

 しかし、彼女たちは止まらない。魔力を集中させて、わたしの後ろにいる妖魔たちを狙おうとしていた。あれを許してしまっては妖魔が何人も死んでしまうだろう。

 わたしは大きなため息をついて、それから無数の蛇の目を魔法少女たちに合わせた。たったそれだけで彼女たちは一切の活動を止め、石のように固まって動かなくなった。


「しばらく眠っていてね。変にやる気を出されると、被害が増えちゃうから」

 わたしは物言わぬ石像たちに語り掛けた。漆黒の蛇の群れが、街の外へと魔法少女たちを運んでいった。





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