境界

「このあたりに、境界があると考えられていますの。ここの境界は大きくて、5年前からずっとあるそうですわ」


 高子先輩がバリケードの前にくるまでに説明してくれたことによると、立ち入り禁止の範囲は東京ドーム5個分もあり、今も広がり続けているそうだ。学園の研究者たちが拡大を止める方法を探しているけれど、手がかりさえ見つからない状況らしい。

 境界の場所も日に日に変化するらしく、今できる対策は広めに立ち入り禁止の区域を作ることだけらしい。その中がどうなっているのかは、魔法少女が断片的に知っているだけだ。


「では、わたくしは変身しますわね。みなさんはわたくしが妖魔を発見したら変身してくださいませ」

「えー?どうして一緒に変身しちゃダメなんですか?私だって、初めてでもきっと妖魔を見つけることはできるはずです」

 ここでもまだ変身できないことに、風花が不満の声を上げる。


「なぜかは存じませんが、わたくしたちは1週間に変身してよい時間が決められていますの。このデバイスは本部の方と通信するためのものですけど、変身時間が長すぎると、アラームが鳴るようになっているのですわ」


 そう言って、高子先輩はイヤホン型のデバイスを見せてくれた。これにはスピーカー、マイク、そしてカメラが組み込まれていて、本部の担当のオペレーターの指示を受けて戦うためのものらしい。


「わたしたちの分もあるんですか?」

「いえ、チームで戦うときには、リーダーが本部との連絡を担当することになっていますわ。なんでも、指揮系統を明確にするためだそうですわ。今回はわたくしがリーダーですから、みなさんにデバイスは必要ありませんの」


 カメラやマイクがあると妖魔と接触しづらいと思って聞いてみると、どうやらわたしたちはデバイスをつける必要がないらしい。ほっとした。さすがに妖魔対策本部の人に妖魔を助けるところを見られるのは得策ではない。


 高子先輩は、「エンゲージ」と叫ぶと、指輪から水色の光が飛び出して、彼女の体を包み込んでいく。光がはじけると、羽のような意匠のコスチュームに身を包んだ、水色の髪の魔法少女が現れた。


「本物のエアリーホーク!」

 大興奮の風花をよそに、高子先輩はバリケードの前を守っている人に説明をしてから、わたしたちは境界のある区域へと入っていった。




 ***




「うう、本当に大丈夫かな……」

 わたしは、こっそり高子先輩のそばを離れて、ひとり別行動をしていた。


 いくら、高子先輩には幻覚を見せているから大丈夫だとは言っても、わたしひとりでいってこいと背中を押したつきみは、ちょっと薄情だと思う。確かにテレパシーで通話はできるし、そもそもつきみは耳がいいから危険は少ないのだろうけど。


 廃ビルのすきまを通って進んでいくと、わたしの向かう方向に何かがいるということが肌で感じられた。

(これが、魔力の感覚?)

(まあ、そうじゃ。正確には妖魔の妖力じゃが、大して変わらん)

 つきみに聞くと、やっぱりわたしは魔力を感じられているようだ。その気配に近づくにつれ、魔力の感覚はだんだんはっきりと、正確に妖魔の位置を捕えていく。


 わたしが裏路地に入ると、そこにはしっぽに火が灯った大きめのねずみの妖魔がいた。ねずみの妖魔はわたしの姿を見ると、そのしっぽを振って火の玉を飛ばしてきた。


「わわっ、ちょっといきなり攻撃されるなんて聞いてない!」

 その火の玉はそれほどスピードがあるわけではなかったけれど、当たったら服が燃えてしまう。わたしは悲鳴をあげながら火の玉をよける。壁には焦げ跡がいくつもついていく。


 そんなわたしの様子を聞き取ったのか、つきみのあきれた声が頭に響く。

(その程度の火の玉、水で消せばよいだけじゃろうに)

(水?バケツを準備してってこと!?)

(魔法を使うんじゃよ。おぬしにできぬはずがなかろう)

(え、そんな!?)


 むりむりむりと思いながらも、このまま逃げ回っているだけではらちが明かない。わたしはクロミと変身したときの感覚を思い出しながら、黒い蛇じゃなくて空気中の水を集めていく。


「できた……」

 無我夢中だったけど、どうやら成功したらしい。わたしの目の前にはシャボン玉のように水の塊が浮いていて、それらが火の玉を受け止めたようだ。わたしがほっとして力が抜けると、水の塊も重力に従って落ちていく。


 ねずみの妖魔は、自分の攻撃が通用しないとわかると、わたしに背を向けて一目散に逃げだした。

「あっ、待って!」

 わたしが追いかけていくと、突然、魔力の気配が変になった。太陽の光はなにも変わっていないのに、急に暗い路地裏に入り込んだような、そんな不気味な感覚。

 わたしが驚いているうちに、ねずみの妖魔はどこかへ行ってしまった。この場所には雑多な魔力が漂っていて、気配も見失ってしまったのだ。


「まあ、あの妖魔が見つからずにすんだのなら、よかった、のかな?」

 ひとまず納得すると、わたしはちょっと不気味なこの場所から立ち去りたくなった。けれど、来た方向に戻っても、不気味な魔力の気配は消えない。


「なんだか、道に迷ったような……」

 確かに見覚えのある景色なのに、何かが違うような感覚に襲われる。とても気味が悪くて早く戻りたいのに、まるで奥に入り込んでしまっているようにも思える。


 わたしが立ち止まってどうするか悩んでいると、わたしの上を大きな影が通った気がした。

「えっ?」

 わたしが上を見ると、この通りいっぱいの大きさの青い竜が、ゆっくりと降りてきていた。


「グァーオ!」

 わたしの前に降り立ったその竜は、わたしに対して咆哮ほうこうを上げた。すると腕に巻き付いているクロミが、「シュッ」と声を出す。


「あの、はじめまして。どちらさまですか?」

 わたしは竜に尋ねる。さっきのやりとりはただの挨拶だ。テレパシーができるようになったからか、耳では竜の叫び声にしか聞こえなくても、何が言いたいのかはわかったのだ。


 竜は、わたしの問いにちゃんと答えてくれる。

(俺はここらの連中のまとめ役ってところだ。お前は人間だな?こっちに迷い込んだのか?)

「たぶん、そうです。クロミ、そうなんだよね?」

(そう。ここは妖魔の世界だよ。でも、帰り道はわかるから)

 話の流れでクロミに尋ねると、クロミはきっちり状況を把握していた。やっぱりひとりで悩むより、相談すべきだったみたいだ。


 わたしがクロミの言葉に苦笑すると、竜も笑うように声を上げた。

(このあたりは特に時空が不安定だから、初めてだと混乱するよな!まあ、黒蛇、いやクロミと契約できるんだから、すぐに慣れるだろうがな)

「そうですね……クロミがいてくれて助かりました」

(けど、お前に敬語を使われるとムズムズするな。もうちょっと砕けた話し方はできないのか?)

「そうなの?あなたは妖魔のまとめ役なんだよね?だったらただの魔法少女であるわたしよりは偉いんじゃないの?」

 いかにも立派そうな竜を相手にタメ口だなんて畏れ多い。


 わたしがそう言うと、竜はあきれたようにため息をついた。いや、ため息というよりは、ぼやを吐いたといったほうが適切か。

(いや、クロミを従属させているお前より偉いわけがないだろ。なんなら、俺はお前の言うことにはすべて従うつもりだ)

「えっ!?いや自分からそういうこと言うものじゃないよね!?それに、わたしに命令したいことなんて……あっ」


 そこではっと思った。妖魔たちが人間に近づかなければ、退治されることもないのではないかと。

「もしわたしのお願いを聞いてくれるなら、妖魔さんたちがなるべく人間から離れるように伝えてほしいの。見つかったら、魔法少女に殺されちゃうかもしれないから」

(何!?魔法少女が妖魔を襲うだと!?いったいどうしてだ?)

 竜の驚きの言葉に、こっちが驚いた。魔法少女が妖魔と戦うのは当然だという常識が抜けきっていないようだ。


 わたしは、あいまいに答えてごまかすことにした。

「人間の社会にもいろいろ事情があるみたい。あっ、そうだ、そろそろ戻らないと」

(そうか。事情は分からないが、みんなに伝えておく。また会おうな!えっと、お前の名前は……)

「わたしは水瀬かすみ。これからもよろしくね」

(ああ。よろしくな!)


 わたしは竜と別れた後、クロミの道案内で、しばらくぐるぐると同じ場所を回るように進む。すると、あるところでふっと不気味な雰囲気が消えた。


(境界の場所を探すときには、見た目じゃなくて魔力を調べたほうがいいよ)

 クロミのアドバイスに、わたしはクロミをそっとなでてあげる。クロミは本当に頼りになる。あらためて、そう思った。


 そこからは普通に見えたとおりの道を歩く。すぐに、高子先輩たちに合流することができたのだった。



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