黒蛇

「これは……!」

 わたしとつきみは、指輪のある建物に向かうと、入り口の扉のガラスが破壊され、中では警備員が二人倒れていた。警報のサイレンはやかましく鳴っていて、侵入者を防ぐ隔壁の一つは、ひしゃげて大穴が空いていた。


「一歩遅かったようじゃな。うるそうてよう聞こえんが、あの娘は地下にある指輪を奪いにいったのじゃろう」

「でも、変身できなくてもあんな大穴を空けられるの?」

「妖魔とのつながりが広がっておれば可能じゃ。おそらく、あの娘はすでに相当影響を受けておるのじゃろうな。体を乗っ取られるのも時間の問題じゃろうて」

 答えるつきみの表情は、いつもと違って険しい。わたしより現状が見えているつきみにとって、かなり切羽詰まった状況なのだろう。


「じゃあ、はやく助けないとだね。クロミ、力を貸してくれる?」

「しゅ」

 わたしは中指の指輪を見る。黒く大きな宝石のはまったその指輪は、わたしが大地に手をかざすと、その黒い輝きをより一層強めた。


「エンゲージ!」

 わたしが叫ぶと、わたしの腕に巻き付いていたクロミが黒い液体へと姿を変え、それと同時に、地面からも同じ、真っ黒で完全に不透明な液体が湧き上がってくる。足元から頭の先まで、わたしの体は、一気にかさを増したその液体に飲み込まれる。指先も、髪の毛の一本一本まで、液状のクロミがコーティングしてくれる。

 そして液体がごぼごぼと音を立てて変形し、ドレスのシルエットを形作っていく。黒い流体がしたたり落ちて、中にいたわたしが、姿を現した。


 わたしの髪は真っ黒に染まって長く伸び、まるで意志があるように、ゆらゆらとうごめいていた。そして、真っ黒なドレスからにじみ出して、裾からずっと流れ落ちる黒い流体は、地面に落ちるやいなや鈍く光る鱗を持った黒い蛇の姿をとり、四方八方へと散らばっている。


「おお、これはすごいの」

 白狐の姿に戻ったつきみが、感嘆の声を上げた。つきみの純白のドレスとわたしの漆黒のドレスは対照的で、お互いの桁外れの美貌を引き立てていた。


 わたしは、足元の地面のわずかな揺れを感じ取って、この建物で何が起こっているのかを把握する。未知の感覚がたくさんあって、膨大な情報が流れ込んでくるけど、必要なことはクロミが教えてくれる。


「この建物、地下のほうがかなり入り組んでるみたい。それにあの子は追っ手を防ぐために天井や壁を壊して、通路をふさいじゃったっぽい。つきみ、時間の余裕はどれくらいあるの?あの子が指輪にたどり着くまでに止めたほうがいい?」

「いや、変身状態じゃったり、それに近い状態なら、どちらにせよ指輪を使って解除してもらわねばならん。そのままでは封印は不可能じゃ」

「わかった。じゃあ、なるべく被害が少ないように行こう。ちょうどあの子が指輪のところにたどり着いたところを狙おう」

「そうじゃな。なら、道案内は頼むのじゃ」


 よかった。周囲の被害を考えられる余裕があって安堵した。もし本気で急ぐならば、地面を溶かすか破壊するかして、一直線に向かうことになっただろう。そうなると後が大変だ。


 わたしは、つきみにわたしの作戦を説明する。

「あの子が目指しているのは地下9階。わたしは、あの子の通った道をなぞって進もうと思う。壊された破片もどうにかしたいし。どうかな?」

「おぬしがそうしたいなら、そうすればよいじゃろう。わらわに聞くことでもない」


 当たり前のように答えるつきみに、わたしは緊張がゆるんで、くすくすと笑みがこぼれる。それを見て、つきみも自然と表情がゆるむ。それだけで、なんだか大丈夫だと思えた。


「あっ、そうだ」

 わたしは、コスチュームの黒い手袋で割れた入り口のガラスをちょんと叩き、黒蛇の流体をちょびっとつけた。その流体はどんどん体積を増しながら割れたガラスをきれいに溶かしていき、落ちた破片をもすべて飲み込むと、また縮んではっきりと鱗のある黒蛇の姿になった。


「これでよし。片付ける人がケガしたら大変だもんね」

「おぬし、あれほど力を恐れておったのに、大丈夫なのか?」

 わたしが満足していると、つきみがあきれた顔になった。

「うーん、力はすごいんだけど、あんまり怖くは思わないんだよね。クロミがうまくサポートしてくれているし、それにわからないまま力を使っている感じがしないからかな」


 わたしは、ドレスから流れ続けている黒い液体が変形した黒蛇の一匹を穴のあいた隔壁に接触させる。次の瞬間、分厚い鋼鉄の隔壁はどろっとして黒い液体に変わると、ざばんと重力に従って落下した。


「これだって、わたしの金属を同化する能力を使ってるんだってちゃんとわかってるから。だからこういうこともできるよ」

 隔壁のあった場所をわたしとつきみが通り過ぎたあと、黒い液体は重力に逆らって壁の形を作り、次の瞬間、そこには元のままの、穴のあいていない隔壁ができていた。


「あいかわらず、おぬしは規格外じゃ」

「わたしの力という感じはしないんだけどね。それより、先に進もう?」

 わたしとつきみは、入り組んだ迷路のような狭い通路を、壁を破壊しないように慎重に進んでいった。わたしの通った道にはいくつもの真っ黒な水たまりができて、たくさんの黒い蛇がそこから湧き出していた。




 ***




「ごめんなさい!ちょっと固まっててね!」

 建物の地下8階部分にたどり着いたわたしたちは、武装した警備員や混乱した研究員に遭遇した。もちろん、つきみだけでも余裕で無力化できるけれど、わたしの力で石化したほうが早い。


「しかし、クロミと戦ったときより、出力が上がっておらんか?壁越しに石化できるようになっておるとは」

「これでも出力を極力絞っているんだけどな」

 つきみがからかうように言ってきて、わたしはついつい反論する。


 第一、わたしの目が多すぎるのだ。わたしの髪の毛一本一本は実はごく細い蛇になっていて、その先にある目を見た生き物は、石になってしまうのだ。常に流れ出ている黒い液体由来の黒蛇の目にも、もちろん石化能力がある。そのうえ、どの目も薄い壁くらいなら透視できてしまうのだ。意識して目をそらそうとはしているのだけど、それでも2,3個の目はどうしても合ってしまう。


「それに、魔力で抵抗できないのが悪いよ。長くてもせいぜい一日で治るんだから、さっさと固まってくれればそれ以上は目を合わせないし」

(いや、魔法少女たちもほとんど抵抗できてなかった)

 わたしの中のクロミにも指摘された。そうか、やっぱりわたしの扱える力は想像以上に強大らしい。まあ、そのおかげでクロミやつきみと一緒でも、全然邪魔されることなく進めているんだけど。


「なんじゃ?サイレンが止まった?」

 突然、ずっと聞こえていたサイレンが停止する。各階で鳴っていたので、つきみはちょっと辛そうだったのだ。

「警報装置を止めたの。ほら、つきみ、耳がいいから大変だったでしょ?でも警備員さんたちは警報を切ろうとしなかったから、わたしが電線を作り替えたんだ」

 ついでに、電源系統や監視カメラなんかも、わたしの意志で操作できるようにしてある。まあ、それは副産物なんだけど。


「どうやったんじゃ?まだ時間はあるし、説明してくれんか」

 つきみが驚いた顔で聞いてくる。こんなつきみの顔を見たのは、契約したとき以来だ。

 わたしは、目の前に壊れた天井とむき出しになったケーブルがあるのを見ながら、つきみに説明した。


「さっき、鋼鉄の隔壁を模倣して見せたでしょ?あれと同じだよ」

 私は指でケーブルをちょんと触れると、黒蛇の液体がぶわっとケーブルを包み込み、次の瞬間、見た目には何事もなかったように液体が消えた。

 もちろん、つきみは何が起きたか気づいている。

「なるほど、銅線がおぬしの蛇に置換されておるわけか」

「そう。この状態なら、中の電気を強めたり弱めたり、止めたり流したりできるの。これでケーブルを片っ端から作り替えて、その中から警報装置に繋がっているやつを操作したって感じ」

 ついでに、金属じゃないけど、電線じゃなくて光ファイバーにも擬態することができた。でも、ケーブルがかなりたくさんあって、しかも結構絡まっていたので、思ってたより時間がかかってしまったのだった。


 わたしたちはがれきを溶かしつつ、なるべく人に合わないように進んでいると、下の階で指輪のある金庫室に侵入したあの子が、後ろから軍の特殊部隊のような装備を持った警備員に追いかけられていることに気が付いた。

「あれ、止められるように準備したほうがいいよね」

「そうじゃな。わらわはあの娘の状態を調べる。おぬしは、あの娘の注意を引いてくれ」

 わたしたちは、すこしスピードを上げてこのビルの最深部に降りていった。


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