事情

「おはようさん。よう寝ておったの。もう昼を過ぎたぞ」

 わたしが目を覚ますと、学園の制服を着た銀髪の美少女が部屋に入ってきた。どうやら、ここは寮の自室らしい。まだおぼつかない足取りで洗面所に向かい、顔を洗ったところで、わたしは叫んだ。


「誰なの!?わたしの部屋に勝手に入ってきて!」

 それを言い終わったところで、わたしは昨日起こったことを思い出す。わたしは魔法少女に変身して、黒い蛇の妖魔と戦って、最後にはその妖魔と契約を交わしたのだった。この美少女は、耳もしっぽも生やしてはいないし、年齢も中学生くらいに見えるけれど、あの白狐の妖魔の面影が見て取れる。


「今のわらわはこの学園の生徒、白金つきみじゃ」

 彼女がムカつくほどの満面の笑みで答えるのを聞いて、わたしは頭痛に目が覚めた。

「何をしたの。学園の生徒に紛れ込むなんて、何を考えているの?」

 わたしが彼女を詰問すると、彼女は悪びれることもなく答えた。

「おぬしが心配するようなことはしておらんよ。ただ、名簿を書き換えただけじゃ。誰にもけが一つさせてはおらんし、それにおぬしとて、わらわが近くにおったほうが安心じゃろ?」

「まったく安心できないんだけど。それで、あなたの目的はなんなの?」

 ごまかそうとしたってわたしはごまかされない。そう思って彼女をにらむと、彼女は一転してまじめな表情に変わり、じっと答えた。


「わらわの目的なぞ、おぬしのそれとさほど変わらん。妖魔とて、好き好んで人間どもと殺し合いをしているわけではないのじゃ。それはおぬしも、すでに気づいておるのじゃろう?」

 こいつの言う通りなのはしゃくだが、たしかにその通りだ。だからこそ、わたしは黒蛇の妖魔を助けようと思った。

「わらわは妖魔として、この争いの最善の結末を求めて動いておる。そのための手足を欲しておったが、おぬしのおかげでそれも必要なくなったのじゃ」

「必要なくなった?」

「そうじゃ。おぬしとの魔法少女の契約のおかげで、わらわは妖魔と知られることなく、自由に動ける肉の体を得た。おぬしは、わらわの力、魔法少女の力を自由に振るうことができるようになった。ウィンウィンの関係じゃな」


 その言葉に、わたしは昨日変身したときの感覚を思い出す。この東京にいる一千万人の足音さえ聞き取った、二組目の狐の耳と、それよりさらに細かく、遠くまで感知できる、未知の感覚。目をつぶっていたはずなのに、絵に描けるほど覚えている。それほどの情報を把握できるとは思えないのに、わたしはすべて理解している。

 それだけでもすさまじいのに、さらに、力を使っている感覚もないのに、様々な魔法を引き起こせた。とくにヤバいのがあの雨だ。あの雨は、コンクリートだろうが鉄板だろうが関係なく溶かして削り取るとてつもないものだ。当然、人間も妖魔もひとたまりもない。あの黒蛇が耐えていたのは、その防御力が尋常ではないことの証左でしかない。

 そんな魔法少女の力を、再び振るってしまえば、力に飲み込まれそうで恐ろしい。とてもじゃないが、制御しきれるとは思えない。


「わたし、もう変身したくない。あんな力を使っていたら、人間じゃなくなっちゃいそう」

 わたしが漏らした言葉に、つきみは返す。

「それほど悲観することでもあるまい。力はあるに越したことはないのじゃから。それに……なんでもない。そうじゃ、この子はどうするつもりじゃ?」

 そう言った彼女の腕を伝って、30cmほどの小さな黒い蛇がにょろにょろと這い出してきた。彼女はわたしの手を伝わせて黒い蛇をこちらに移す。

「これって、あの時の」

「そうじゃ。今日は学園が休みになったから、たっぷりと愛でてやればよいじゃろう。わらわはこれから用があるのでな、行ってくるのじゃ」

 そう言い残すと、そのままつきみは外に飛び出してしまった。




 ***




「ねえ、これからどうしたらいい?」

「しゅ?」

 リビングのソファに座ったわたしは、腕に乗せた黒い蛇を相手に、悩みを吐露していた。

「本当はさ、つきみが悪い存在じゃないってわかってたの。妖魔たちだって、ただ生きていたいだけなんだって。でも、あんなことされたのに、それを認めたくなくて」

「しゅー」


 変身して、つきみと一つになったときから、それはわかっていた。彼女に人類を害する意志なんてないことも、わたしを助けようとしてくれていることも。


「でも、だったら、どうしてわたしは魔法少女になっちゃったのかな。妖魔を倒して、人類を救うんだって思っていたのに。わたし、どうしたらいいかわかんないよ」

 妖魔を倒すだけならできる。だけど、それが正義だなんて思えない。妖魔たちだって必死に生きているのに、それを力で否定するなんて嫌だ。

「ししゅーっ」


 黒蛇は、舌を出してわたしのほっぺたをちくちくと舐める。とてもくすぐったくて、思わず笑いが出てしまう。

「もう、まじめに悩んでいるのに」

 頬をふくらませて抗議の意を示すが、黒蛇はそのほほを頭でつんと叩いてきて、わたしは「ぷはっ」と息を吐き出した。何度か攻防が続いて、それがおかしくなって笑い出してしまう。


(どっちも救えばいいよ)

 この黒蛇の声が聞こえた気がした。それがわたしを励ますメッセージだと気づいて、わたしはその頭をなでた。

「そっか。どっちかを選ぶ必要なんてないんだ」

 指でなぞる黒蛇の鱗は、とても手触りが気持ちよくて、ついついかわいがってしまう。黒蛇のほうもうれしいみたいで、体をくねらせて喜びを表現している。それがまた、巻き付いている腕に伝わっていとおしい。


「そうだ、名前を付けよう!どんな名前がいい?つきみは自分で勝手に決めたんだし、好みがあったら教えて?」

 わたしが言うと、黒蛇はじっとわたしを見つめる。わたしに決めてほしいらしい。

「じゃあ、クロミ、とかどうかな」

 なんとなく思いついた名前を伝えると、クロミは大喜びで、わたしの体の上を走り回った。

「もう、くすぐったいよ」


 クロミとじゃれあいながら、わたしは人間も、妖魔も、みんなが幸せになれるよう、これから頑張ろうと決意した。




 ***




 いつの間にか日が沈んでいた。食堂に行こうと思ったところで、つきみがお弁当を持って帰ってきた。

「ほれ、夕食を買うてきたのじゃ。一緒に食べようぞ」


 つきみが用意したのは、弁当屋チェーン店のから揚げ弁当だ。わたしとつきみは、二人で使うくらいがちょうどいいくらいのテーブルで、ともに夕食をとった。


「ずいぶんと機嫌がようなっておるな。その子のおかげか?」

「うん。クロミのおかげでいろいろ踏ん切りがついたの」

「そうか。それはよかったのじゃ。クロミ、おぬしのぶんもあるぞ」

「しゅー?」

 そう言ってつきみはクロミに漬物を食べさせる。クロミの分と言いながら自分の弁当のやつをあげているのを見るに、多分嫌いなのだろう。

「だめだよ。好き嫌いしちゃ」

「わらわのようなけがれなき存在に、腐ったような食べ物は不要なのじゃ」

 子供じみた言い訳に、わたしはふと、つきみが自分のことを「ご主人様」だと言っていたことを思い出した。

「じゃあ命令。好き嫌いせず残さず食べなさい!」

「むむ、しょうがないのじゃ……」

 そう言って、つきみはしぶしぶ漬物を食べ始めた。それを見て、本当にわたしのほうが主なんだと実感した。


 晩ご飯を食べながら、何か情報がないかとテレビをつけてみるが、学園での出来事も、わたしが引き起こした大雨も、びっくりするくらい何も報道されていなかった。まるで、いつも通りの平和な日だったみたいに。


「魔法少女に関することは情報統制されておるみたいじゃ。それも無理のないことかもしれんがの」

 わたしが訝しげにしていたことが伝わったのか、つきみがつぶやいた。確かに、国は魔法少女を育成していることを隠している。前はあまり考えてもいなかったけれど、なにか、そこにも大きな闇があるのだろうか。つきみに目線を向けるが、彼女はなにも答えなかった。


「ごちそうさまでした」

 夕食を食べ終わったわたしは、ふと気が付いた。

「そういえば、お金、どうしたの?」

 妖魔がお金を持っているのだろうか、それとも、どこかから借りたのだろうか。

「そんなもの、ちょちょいと幻覚をかけてやれば問題ないのじゃ」

 え?払ってもなかったの?


 驚いた私は、急いで財布を取り出して、つきみに渡して言った。

「早く払ってきて!お金を払わないなんてダメだよ!」

「わ、わかったのじゃ!」

 つきみは、部屋を飛び出してお金を払いに行ったのだった。


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