変身

 妖魔を捕えるため、厳重に守られていたはずの建物は、かろうじて壁だったものの残骸が残るだけの瓦礫がれきの山と化していた。周囲を取り囲んでいた鉄柵は、まるで溶けたかのように形を変え、でたらめに瓦礫に混ざっていた。


「あっ、警備員さん!あの、何があったんです、か……」

 入り口を守っていた警備員らしき人を見つけたわたしは、急いで駆け寄って話を聞こうとした。しかし、その人はまるで石像のように、驚愕した顔で固まっていた。


 そのとき、ずしんという重い地響きが、学園の校舎のある方向から聞こえてきた。一体何が起こっているのか。この惨状を引き起こしたやつは、まだここにいるのか。

 わたしは、必死になって駆け出した。誰でもいい。この学園の誰かに会って、現状を把握しなければ。それに、あの白狐の妖魔のことを伝えなければ。魔法少女でもない非力な女の子であるわたしだけでは、どうにもならない。


 しかし、ゆく先々にあったものは、何かに破壊されたような痕跡だけだった。比較的原型を保っている建物も、外壁や天井が崩れ、中にあったと思しきテーブルがぺしゃんこになっていた。ある建物は、地下室まで掘り起こされたように、徹底的に粉々にされていて、跡形もなくなっていた。人影はなく、ただ、廃墟だけが続いていた。


 誰にも会えないまま走り続けて、もうだめかと思い始めた矢先、魔法少女のコスチューム姿が見えてきた。安堵して近寄っていくが、様子がおかしい。

「まさか……」

 そこには、3人の魔法少女が、臨戦態勢のまま固まっていた。各々の武器を手に持ち、何かをにらみつけるような表情のまま、衣装のフリルも、たなびく髪の毛も、風に揺れることさえなく停止していた。

 わたしは、恐る恐る彼女たちの向く方向に目を向けると、真っ黒な蛇の妖魔が、訓練用の小さな広場の向こうで、建物をいくつも攻撃していた。複数ある妖魔の首が、建物に食らいついていたのだ。


 その妖魔は、無数に頭を生やした黒蛇、と称するべきものだった。頭のある高さは3mを超えていて、とぐろを巻いているその全長は、おそらく10mをゆうに超えるだろう。その妖魔の周囲を取り囲んでいたカラフルなコスチュームの魔法少女たちは、しかし、すべて微動だにしなかった。訓練用の広場で、みんな石になっていた。


 再び、ずしんと大きな音が響く。妖魔の食らっていた建物が、次々に、まるで積み木を崩したように崩壊していた。妖魔は、用は済んだと言わんばかりに、まだ無事な建物が残るほうへと進んでいった。


 しばらく呆然としていたわたしは、はっと気づくと、後ろからあの狐の妖魔が追っていないことを確認して、広場で固まっている魔法少女たちに近づいた。

 やはりというべきか、ほとんどの魔法少女は、傷一つなく、戦う前に固まっていた。残りの数人は、とがった岩にはりつけにされたり、毒液らしき黒い液体に沈められたりした状態で、苦しそうな表情のまま止まっていた。


 わたしには、彼女たちを自由にすることさえできない。大変な事態の中にいても、何一つすることができない。力のないわたしには、あの妖魔を足止めすることさえできないのだ。自分の無力さが呪わしい。


「おぬし、何を嘆いておるのじゃ?」

 突然、わたしの肩に乗せられた手の感触。真っ白なグローブ。背筋が凍る。わたしは思わずその手を振り払い、その声の主に叫ぶ。

「来ないで!」


 私が振り向くと、そこにはやはりあの純白の妖狐が立っていた。何本もある白銀のしっぽを揺らめかせて、ただじっとわたしを見つめている。いつの間にこんなに近づかれたのか。やはり、ここで終わってしまう運命なのか。


 妖狐は、不思議なことに一歩も動くことなく、静かに言った。

「それほど警戒せずともよいじゃろうに」

 その態度が理解できなくて、わたしはとっさに聞いてしまう。

「何が目的なの?わたしを、どうするつもり?」

「わらわはただおぬしを助けにきただけじゃ」

「助ける?どうして?奴隷のわたしがいなくなると困るの?」

「おぬしがわらわのご主人様だからに決まっておるじゃろ」

「え?」


 妖狐は、呆れた顔でそう言って、そしてわたしに言い聞かせるように説明する。

「おぬしはわらわと契約した魔法少女じゃ。その指輪が何よりの証拠じゃろうに。それなのに、どうして無力感に苛まれておるのじゃ?」

 わたしの左手の薬指には、たしかに指輪がはまっていた。家族の形見の結婚指輪に、非常に細かい紋様が刻まれている。教室で受け取った指輪より、さらに細かく。


 わたしには、一体なにがどういうことなのかは、ほとんど理解できなかった。この妖狐がどこまで本当のことを言っているのかも、さっぱりわからなかった。それでも、自分の指にあるこの指輪が、わたしの望みをかなえてくれるものだということは、直感でわかった。


 わたしは、一言、妖狐に尋ねる。

「本当に、わたしを助けてくれるの?」

「もちろんじゃ」

 ならば、今はおびえている場合じゃない。


 わたしは天に左手を掲げる。指輪が白く光り、雲一つない青い空に、もくもく、もくもくと真っ白な雲が現れていく。わたしは、心が覚えているその言葉を叫ぶ。

「エンゲージ!」

 次の瞬間、妖狐の体が無数の白い光の粒子になって、わたしの肉体を包み込む。わたしの髪が銀色に染まり、長く伸びてひとりでにくるまり、狐の耳になる。白銀のしっぽが何本も生えて、ふわっと広がる。それに合わせるようにまとう白い光がゆっくりと下に降りていき、その中から、純白のドレスに身を包んだわたしが現れる。白い雲はバケツをひっくり返したような大雨に変わり、空は青いのに、絶えることなく降り注いでいる。


「これが、わたし……」

 雨粒に映るわたしの姿は、体格や顔こそわたしの特徴を引き継いでいるものの、その耳としっぽは、あの妖狐のものとそっくりだった。そして、いたるところに白金の装飾が施された豪華なドレスを身にまとったわたしは、わたしのはずなのに、思わず見とれそうになるほどきれいだった。


(見事じゃな。ほれ、早くせんと、あの黒蛇はどこかへ行ってしまうぞ)

 わたしの中にいる妖狐の声が聞こえた。わたしの狐の耳は、この学園の敷地の外に出ようとしている黒蛇を感じ取った。それだけではない。黒蛇が雨に穿たれて身動きが取れなくなっていることも、わたしのいた施設のお姉さんが突然の天気雨にうろたえている様子も、妖魔対策本部の混乱ぶりも、驚くほど遠くまで、あらゆることを聞き取ることができた。


 わたしは黒蛇の妖魔のところへひょいと跳ねる。周囲の雨滴が、突風に吹き飛ばされて散っていく。これだけの大雨の中を通っているのに、水のほうが避けてくれるから、わたしは一滴も濡れてはいなかった。


 黒蛇の前に降り立ったわたしは、その何十もの首の中でも、ひときわ大きいやつと目が合った。その瞬間、体が石のように固まっていく感覚を覚えた。

(気を付けるのじゃ。あやつの目には、見る者を石にする力があるぞ)

 わたしは目をつぶって、黒蛇の妖力をさえぎると同時に、体内に魔力を巡らせて石化を防ぐ。目が見えなくたって、音を聞く耳と、魔力を感じるしっぽがあればなんの問題もない。


 この黒い蛇の妖魔は、体を液状に変えることができるみたいで、降り注ぐ雨の攻撃をうまく受け流しているようだった。それでもダメージはあるのか、とぐろを巻いて、雨に当たる面積を減らしていた。


 黒蛇は、地面から無数の大きな岩塊を浮かび上がらせると、わたしにむかって投げつけてきた。回避しようと足を踏み出そうとしたところで、地面がずれて、一瞬移動が遅れる。そのわずかな差で、わたしの逃げ道は完全に封鎖されてしまう。


 しかし、その岩の弾丸は、わたしに届くことはなかった。その寸前に、青い火の玉に変わり、燃え尽きてしまったからだ。黒蛇の攻撃をさばいたわたしは、相手の後ろに回って、しっぽに魔力を集めた。巻き起こった風が、黒蛇の小さな頭をいくつか切り落とした。


 黒蛇は、さっきまでわたしがいたところに、真っ黒な毒液を吐き出した。その毒液はうごめいていて、増殖しながら地面を溶かしていた。そこに、わたしのしっぽから放たれた白い雷撃が襲い掛かった。雷撃は、黒蛇の頭の半分以上を蒸発させた。続いて2本目のしっぽの雷撃を放つと、一番大きな頭を除いてすべての首が消し飛び、黒蛇は叫び声をあげて倒れ伏した。

「クシャアアーーッ!!」


 その声は、とても無念そうにわたしには聞こえた。倒れた黒蛇の体に、わたしはそっと触れる。目を開けて黒蛇と目を合わせても、もう石にされそうな気配もない。

「どうして学園を襲ったりしたの?」

 なんとなく尋ねてみると、返事が返ってきた。

「クシャシャークシャッシャ」

(僕たちの仲間を助けたかった)

 なぜだか、そう言っているように聞こえた。妖魔だって、本当は人間と戦いたくなんかないのかもしれない。そう思うと、わたしはこの黒蛇を助けたくなった。


 わたしは学園からもらった指輪を取り出して、黒蛇に聞いてみた。

「わたしのところに来る?」

 黒蛇がうなずいたので、わたしはその頭をそっとなでる。すると、黒蛇の体が黒い光の粒粒になって、指輪の宝石が黒く光った。それが契約の証だとわかって、わたしはホッとする。

「よかった」


 安堵した私は、魔法少女の変身を解く。

「リリース」

 わたしの狐の耳が、しっぽが、髪が、装束が、白い光の粒子に変わり、そのままあの白狐の妖魔を形作っていく。その腕に支えられながら、わたしの意識は朦朧もうろうとして暗転した。



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