新しいバイト仲間と修羅場の予感
「おはようございます」
俺は挨拶をしながら更衣室前にある休憩室のドアを開く。
「あれ、マスター?」
休憩室には長机に肘をつき、椅子に座りながら一点を見つめるマスターの姿があった。
「ん?おはよう水無月君。今日は……何だか疲れた様子だね」
「おはようございます、マスター。今日はその、いろいろあって……って、珍しいですね。マスターがこの時間に休憩室にいるなんて」
いつもは俺が来るまでカウンターで作業中か、ホールでお客様に対応していることが多いのに。
「……というか、なんで女子更衣室の方見てるんですか」
「それはちょうど今CLOSEDにして――って、凄い視線だね!?違うからね?勘違いしないでほしいんだけど、私は別に女子更衣室を覗きたいとか思って見てたわけじゃないから!!」
俺の不審者を見るような視線に気付いたのか、マスターは立ち上がると慌てた様子で首を横に振る。
「そんな必死に否定されると逆に怪しく見えますよ?」
「うぐっ」
「……まぁ、マスターとは一年以上の付き合いですし、マスターがそんなことをする人じゃないのはわかってますけど」
むしろ、そんな輩を止める側の人だからな。
「水無月君……」
「ごほんっ。それなら何故?」
お店をCLOSEDにしてまでここにいるってことは、よっぽどの理由だろうけど。
「その、だね。君には先週の週末に伝えたことだけど」
先週の週末っていうと。
「……もしかして、マスターの姪さんがウチで働くっていう話しですか?」
今の話しを聞いて、思い当たるのはこれぐらいしか……
「うん、そのことでね。実は、話してた姪の出勤日なんだけど――今日なんだ」
「え」
今日?
あの時は近々って言っていた気はするけど、それがまさか週明けだなんて……全く予想していなかった。
「しかも今現在絶賛ウチの制服に着替え中なんだ」
「はぁ?」
続いて告げられた言葉に、驚きのあまりつい失礼な態度をとってしまう。
というかマスター、いろいろ急すぎじゃありませんか?
……でも、そういうわけか。
だからCLOSEDにしてまでここでジッと女子更衣室を見ながら待っていたのか。
「随分と姪さんのこと溺愛されているんですね」
「うーん、溺愛かはわからないけど、妹の娘だし、私にとっても子供みたいな存在だからね。預かるって決めたからには責任をもってあの子を見守ろうって思っているだけだよ」
流石はマスター。こういうところもちゃんとしている。
……何処かの毒婦とはホント、大違いだ。
「なるほど……あ、でも仕事は誰が教えるんですか?」
今日はこの後俺とマスターの二人でしばらく回し、後から鈴瀬が出勤するシフトだったはずだ。
そのため必然的に俺かマスターのどちらかが、これからの時間姪さんの面倒をみる必要があるが……
「水無月君、頼めるかな?」
やっぱりそうなるか。
まぁ、マスターはやるべきことが多いし、鈴瀬の時も俺が一通り仕事を教えることになったから別に構わないけど……俺、一応キッチンなんだけどな。
「いいですけど……僕、マスターの姪さんのことよく知らないですよ?そんな状態で教えてちゃんと聞いてくれるか」
鈴瀬はそういう意味で真面目だったからちゃんと話しを聞いてくれて、それを仕事に活かしてくれたけど、皆が皆鈴瀬みたいにできるわけじゃない。
特に、仕事であっても見ず知らずの男子につきっきりで教えられるのは、女子からしたらあまり嬉しくはないはずだ。
だから、最初だけでも顔見知りのマスターが対応した方がいいと思うけど……
そんな俺の心の内を見透かしたように、マスターは愛想笑いを浮かべて首を横に振る。
その反応がどういう意味なのかを尋ねようとしたところで女子更衣室のドアが開いた。
「――叔父さん、着替えましたけど……これで大丈夫ですか?」
「なっ」
更衣室から出てきたのは、見覚えがある女子の姿。
「叔父さ――え、な、なんで春人先輩がここに!?」
それはどうやら相手も同じらしく、驚いた様子で声を上げる。
俺はその様子を横目に、眉間を軽く揉みながらマスターの方へと視線を向けた。
「え、えっと、マスター?……姪さんのお名前って」
「あ、ああ、花鈴――天音花鈴だよ」
「あー」
やっぱりそうなのか。
認めたくない気持ちはあるけど、目の前の事実から逃げることなんてできない。
俺は気持ちを何とか切り替えて、天音の前に立つ。
「俺、ここでバイトしてるから」
「え」
「後、どうやら天音の教育係は俺らしいからよろしくな」
「――えぇぇええ!?」
いつもは静かな休憩室内に、天音の絶叫が響き渡るのだった。
◆◆◆
俺はいつものように着替えを済ませると、ホールへ。
「お疲れ様です」
ホールで待っていたマスターと天音に声を掛ける。
「ああ、水無月君、お疲れ様。待ってたよ」
「春人先輩、お疲れさ――え、だ、誰ですか!?」
「え」
いきなりディスられた?
……って、ああ、そうか。
俺、天音の前で髪上げた姿見せたことなかったな。
「水無月だよ、水無月春人。バイト中は衛生面のこととかあるから髪を上げるようにしてるんだ」
「春人、先輩なんですか……じー」
何故か天音は俺のことをジッと見詰めてくる。
「なに?」
「い、いえ……髪を上げるとだいぶ印象が変わるなぁと思いまして……」
まぁ、そりゃあ変わるだろうな。
いつも目元まで髪で隠れてるから、表情も見えないし。
「いつも髪を上げていれば――あ、も、申し訳ありません!」
「え、ああ……いや、気にしないでくれ」
急に謝られて何事かと思ったが、そういえば俺は彼女の前で傷があるから前髪で隠してるって言ったんだっけ。
恐らくだが、その事情を軽んじていると思われたと感じて謝ってきたのだろう。
気にし過ぎな気もするけど……一先ずは話しを変えた方がいいか。
「マスター、この後僕はどうすれば?」
「そ、そうだね……今日は週の初めだからお客様も普段に比べて少ないだろうし、時間帯もまだピークじゃないからね、仕事は私一人でまわせると思う。だから水無月君は花鈴に一通りの仕事を説明しながら教えて欲しい」
「なるほど……では、キッチンでの流れや裏方の作業を先ず教えることにします」
俺はマスターからの指示に頷くと、未だ俺を見る天音へと視線を向けた。
「というわけで、先ずはキッチンでの流れや簡単な作業について教えるから行こうか」
「あ、はいっ!その、よろしくお願いいたします!」
俺の言葉にハッと我に返った天音は、昼間に会った時よりも硬い態度で綺麗な斜め四十五度の姿勢で頭を下げるのだった。
◆◆◆
あの後一通りの流れをみせながら説明を行い、ある程度教えるのが落ち着いた頃、俺は天音と一緒にホールへと来ていた。
「マスター」
「ん、水無月君。花鈴はどうだい?」
マスターの問い掛けに天音は一瞬ビクと震えて、俺へと伺うような視線を向けてくる。
「そうですね」
先程までの天音の様子を思い出す。
「物覚えはいいかと。積極性もあるし、わからない部分があればちゃんと質問もしてくるので、結構優良物件なんじゃないかと思いますよ」
「おお、そうかそうか!」
マスターは俺の言葉に嬉しそうにうんうんと頷いている。
マスターって外れを引く確率が高いからなぁ……
「優良物件?」
対して天音の方は俺が言っている意味がわからないのか、首を傾げていた。
「あー、実は」
俺はマスターから聞いた話や実際にいた昔のバイトメンバーの話しを軽くする。
「え、そんな方々がいたんですか……流石に酷いですね」
話しを聞いた天音は眉を顰めて少し怒った様子をみせた。
「まぁ、お陰で今は有り難い人材に恵まれているよ」
「もうー、叔父さんはお人好しすぎますよ……」
それに関しては俺も同意だな。
「はは、それじゃあ次はどうするんだい?」
「そうですね……ホールも考えたんですが、もうすぐ鈴瀬も出勤してきますし、ホールを教えるのは鈴瀬に任せるのはどうかと思ってます」
「梨香ちゃんに?」
「はい」
俺はマスターの言葉に頷きながら、理由を話していく。
「鈴瀬はこのカフェの看板娘ですし、接客に関してあいつの右に出る者はいません。それにあいつも勤めてそれなりの期間経ってますから、そろそろこういう経験をしてみるのもありかと」
それにだ。俺は普段接客をしていないからそこまでスキルは高くないし、そもそもマスターは技術が凄すぎて正直参考にならない。
……あの鈴瀬がドン引きするレベルだからな。
だから、天音にホールの仕事を教えるのは同い年で同姓でもある鈴瀬が適役だ。
「なるほど、確かに水無月君の言うとおりだね」
どうやらマスターも同じ結論に至ったようだ。
「なので、鈴瀬が来るまでの間は裏方の仕事を教えることにします」
「そうだね。お願いできるかな」
「はい。天音もいいか?」
「あ、はいっ!春人先輩に従います」
……。
…………。
………………。
「それで春人先輩、私はどうすればいいですか?」
「肉体労働、かな」
「へ」
「天音、ここを見て何か気付いたことはないか?」
「え、ここですか?うーん?」
天音はバックヤードを端から端まで見ていく。
「配達された荷物が段ボールのまま置いてありますね」
天音の言う通り、バックヤードには段ボールが所狭しと置かれている。
「ウチってさ、マスターも含めて一人で何人分かの仕事をする人達が多いんだ」
「え……そう、なんですか?」
「ああ。だから、ギリギリの人数でも回せてるし、人の募集もあまりかけないんだけど……それでも余裕があるわけじゃないから、忙しいタイミングが重なると裏方の作業にまで手が回らないことも多くて」
「えっと、まさか」
どうやら天音も俺が言いたいことに気付いたようだ。
少し引き攣った笑みを浮かべている。
「ここに置いてある段ボールは後回しにされたもの――つまり俺達がいつかはやらないといけない仕事だな」
「――」
「と言うわけで、天音。鈴瀬が来るまでの間、一緒に頑張ろうな」
……。
…………。
………………。
あれから数十分が経過した。
最初は引き攣った笑みを浮かべていた天音だったが、段ボールを開いて荷物を片付けるの往復作業に次第に慣れてきたのか、今では質問せずとも自分から動けるようになっていた。
そうして、そろそろ鈴瀬が出勤しそうになった時刻――
「とっ、とと」
天音は大きな荷物を抱えて歩いていた。
「お、おい。大丈夫か、天音?それ重そうだし俺が持つけど」
左右にふらふらしている天音の姿に、流石に危ないと思った俺は声を掛ける。
というか、あれ、前もよく見えてないんじゃないか?
「だ、大丈夫です!そこまで運ぶだけなので、私がっ」
そう言って、また一歩と踏み出そうとしたとき――
「あ――」
天音は足下にあった荷物に気付かず、躓いて前のめりに倒れていく。
「――天音!」
荷物は天音の手から離れたが、このままでは顔から地面に倒れると思えた俺は、咄嗟に天音を受け止めようと間に入った。
「っ!」
ドカっと床に荷物が落ちる音と共に、俺は天音を抱き留めて床に倒れ込む。
その瞬間、背中に強い衝撃が走った。
「っぅ、なにが――ぇ」
俺の胸の中で目を開けた天音は、突然の出来事に驚いた様子で今の自分の状態を確認する。
「な、なんで私が春人先輩に抱き締められて!?」
顔を真っ赤にさせて俺の胸の中であたふたする天音。
俺は声を掛けたいが、思いの外衝撃が強くて、痛みでまだ声を出せないでいた。
そんなこんなしているとバックヤードから足音が聞こえ始める。
俺はその音に、不思議と嫌な予感を覚えてしまう。
「ぁ、まね」
「うぅ、なにが、え、私」
何とか声を絞り出すが、天音はどうやらテンパっている様子で俺の声が届いていない。
そうこうしている間にも足音は近付いてきて、俺は咄嗟に天音の肩を掴んで引き離す。
「ふぇ!は、春人先輩!?」
「おはようございま――す?」
それと同時に足音の正体――鈴瀬は笑顔で休憩室に足を踏み入れた。
「え、え、だ、誰ですか?」
突然の鈴瀬の登場に再び戸惑う天音。
そんな天音のことなど目もくれずに、鈴瀬は入ってきた時に浮かべていた笑みをなくし、ハイライトが消えた瞳で俺のことをジッと見詰めてくる。
「――せんぱ~い?こんなところでナニしてるんですかぁ?」
鈴瀬は普段の可愛らしさが嘘のように、何の感情も感じさせない無機質な表情でそう尋ねてくるのだった――
――――――――――
次回の更新は月曜日になります。
更新とあわせて『鈴瀬梨香』のキャラデザも公開する予定ですので、最新話とあわせてお待ちください。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます