幼馴染みの元カノをわからせる
「は、え……な、なんで」
俺が告げた言葉を聞いた雛守さんは、信じられないといった面持ちでこちらに問い掛けてくる。
その未だに何もわかっていない彼女の様子に、俺は不思議と哀れみにも似た気持ちが込みあげてきた。
「君のことは好きだった……そう思うよ」
小学校の頃に軽いイジメにあった時や冤罪をかけられた時、そして母を亡くした後、周りからは腫れ物に触るような扱いを受けていた。
身近な人からも特別気を遣われて、それが辛くて、苦しくて、申し訳なくて――どうしようもなく惨めに思えてならなかった。
『春人!おはようー』
『そんなところで一人でいないで、友達なんだから一緒に遊ぼうよー!』
『春人、また明日ね!』
――だけど、彼女だけは変わらぬ態度で接してきてくれた。
その行動が当時の俺にとってどれだけ救いになったことか。
思えば彼女に対して他とは違う特別な感情を抱くようになったのは、その頃だろう。
それが異性としての好きだったのか、幼馴染みとしての好きだったのか、それともただ縋る相手を求めていただけの感情だったのかは、今となってはいろいろなものが色褪せてしまい、ハッキリとは断言できない。
「中学にあがる前、離れ離れになった時は寂しかったし、高校で再会した時には凄く綺麗になってて驚いたけど、同時に嬉しくもあった。告白された時には信じられない気持ちにもなったけど、それでも君の隣にいられることは幸せに感じられた」
「ぁ」
胸の内にあったものがどんな感情であれ、俺にとって雛守明日香は、確かに特別な存在だったんだ。
「っ、な、ならっ!もう一度」
「だけど――今は違う」
俺の言葉に戸惑った様子を浮かべる雛守さんは、ゆっくりと俺の方へと近付いていく。
「で、でもあの時のことは嘘だって――っ!!」
俺のシャツを掴むと、顔を見上げ必死な様子で訴えかけてくる。
「……確かにあの時のことは嘘だったのかもしれない」
実際、今の彼女の様子をみるに言っていることは本当のように思える。
やり方がいいか悪いかは別として、あの発言や行動には彼女なりの愛情が込められていたのだろう。
「ならっ」
縋るようにこちらを見てくる雛守さん。
だが、俺は静かに首を横に振る。
「それでもだよ。例え嘘で、相手の気持ちを確かめるためだったとしても……あんな、人の想いを裏切るようなことをした相手を好きなままでいられると思う?」
「っ」
彼女が言うことが真実で、例えどれほどの愛情があったとしても、人の気持ちを軽んじる行動はするべきじゃない。
なにより、彼女の行動には俺への気遣いなんてものは微塵も見受けられなかった。
俺がどんな気持ちになるのか、そんな想像できて当たり前のことを考えず、全ては自分のため。
そんな相手のことを好きなままでいられるほど、俺は甘くもなければ優しくもない。
「朝にも言ったけど、俺は雛守さんのことをもう何とも思っていない。それどころか、今の話しを聞いて、俺は君のことをより好きになれなくなった」
「なっ、な、なんで」
なんでって、まだわからないのか?
「好きって気持ちが気恥ずかしくなって、あんな態度を取ったりしたのはまぁ、理解できるよ。俺がいつも周りを優先するから、自分が愛されてるのか不安に思わせたことも、素直に謝る。それに距離が離れていく中で、無理にでも話し合いの機会を作ろうとしなかった俺にも悪い部分はあったと思う」
ここまでは彼女だけを責めることはできない。
当時の俺は精神的にいろいろと限界が近かったこともあって、自分のことで精一杯で周りをちゃんと見る余裕がなかった。
そのくせ、母の言葉を守り、必要以上に周りに気を遣って行動していた。
そんな俺の態度が、彼女にあの行動を取らせた要因の一つであることは確かだ。
「だけど、あんな、人の気持ちを蔑ろにして相手の想いを確かめようとするのは違うだろ」
付き合っていれば何をしても許されるのだろうか?
――いや、違う。
好きだからこそ、ちゃんと相手のことを考えて尊重しあわないといけないと今なら思う。
そうでなければ対等な関係ではなくなり、片方の一方通行な気持ちをぶつけるだけの間柄になってしまうからだ。
――それはきっと、恋人とは言わない。
……当時の俺はそのことに気付けず、彼女が言うことを律儀に守り優先する、ただ彼女に尽くすだけの対等とはほど遠い存在になっていた。
――今にして思えば、俺と彼女の関係は元から破綻していたんだ。
「ぁ、だ、だけどっ私はっ!」
「そもそも」
未だに、俺との関係が元に戻ると勘違いしている彼女へ言葉を続ける。
「君には本心を告げるタイミングはいくらでもあったはずだ」
「っ、そ、れは」
雛守さんの言葉を忠犬のように守りつつ、自分を追い込み続けていた俺とは違い、彼女には時間も自由もあった。
それこそ、わざわざあの場面で別れるなんて言わなくても、ちゃんと心の内を言ってくれていたなら、俺も考え方を改めていただろう。
その前だって、雛守さんからのお願いであったなら当時の俺はいくらでも時間を作っただろうし、俺へ不満を伝えてくれていたなら改善しようと努力もしたはずだ。
――けれど、彼女はそういった行動は何一つしなかった。
「なぁ、雛守さん――いや、明日香。俺が君に冷たくされてどんな気持ちになっていたか想像したことはあるのか?」
「ぇ」
俺のことを縋り付るように見詰める雛守さんを冷たく見下ろす。
「明日香から告白されて恋人になったはずなのに、一緒に登校はできず、学校でもロクに話すことはできない。休日は休日で用事があるからと約束を反故にされることもあったし、一時期からは何かと理由をつけて会う時間さえ作ってくれなくなった」
改めて考えると、とてもじゃないけど恋人に対する扱いではないことがよくわかる。
正直、恋人だったと言えるかすらも怪しい。
「それなのに、明日香はさっき俺のことを好きだと言ったよな」
「う、うん、そうだよ?私は春人のことが――」
彼女が言わんとする言葉が想像できた俺は、首を横に振って告げようとした言葉を否定する。
「例えそれが本当であったとしても、俺はそれを素直に信じて受け止めることはできないよ」
「なっ」
脳裏には彼女と付き合ってからの思い出が浮かび上がる。
「……俺は理不尽な扱いをされても、それでも明日香が俺のことを恋人として選んでくれたから、それを信じて君のために頑張ってきた」
「は、ると?」
「だけど明日香は、一度たりともそんな俺に対して好きとは言ってくれなかったよな?」
「ぁ」
彼女から大切だとは言われたけど、告白された時はもちろん、付き合ってから別れるまでの間も結局好きという言葉は聞かなかった。
それなのに今更言われても……もう、遅い。
「ずっと悩んでいたよ。どうして明日香はあの時俺に『付き合おっか』と言ってきたのか。もしかしてただの男避けに利用されているんじゃないのか?本当は俺のことをおちょくっていただけで……なんてことをずっと悩んで、答えが出ずに苦しんで、それでも明日香を信じたくて……心の均衡をなんとか保とうとしていた」
――それは彼女と付き合ってからずっと胸の内に抱えていた、彼女には伝えてこなかった気持ち。
「そん、なっ、わ、たしは」
俺の言葉に、雛守さんは一歩また一歩と後ろへと下がっていく。
「あれは明日香にとっては何でもないことで、俺の気持ちを確かめるための思いつきだったのかもしれない」
当時の振られた時の光景を思い出す。
「だけど、俺は明日香に振られて、信じていたものが崩れていく感覚を覚えた。やっぱり君もって感じて、何も信じられなくなった。その後もいろいろあって、いっそ消えてなくなりたいとさえ思ったよ」
「――」
あの時美玖さんが現れなければ、俺はきっと死ぬことを選んでいた。
もしくは、何処か俺を知る人がいない場所へ黙って姿を消していただろう。
そう思えるほど、あの時の俺は限界だった。
「ぁ、ぁあ」
俺がそんな気持ちを抱えていたとは思わなかったのだろう。
雛守さんは両目から大粒の涙を流しながら、必死に首を横に振っており、その様子はまるで自分にはそんなつもりはなかったのだと弁解しているようにもみえる。
それでも俺は、彼女のためにも伝えるべきだと思い言葉を続ける。
「明日香はただ自分の想いを伝えれば俺がよりを戻すと思ったんだろうけど、それは大きな思い違いだ」
「っ」
「改めて言うよ。俺は明日香と付き合うつもりはない。それは好き、嫌いだけが理由じゃない。俺はもう明日香のことを信じられないんだ」
「――」
俺の言葉に雛守さんは呆然とした様子で動きを止め、両目に大粒の涙をためながらただ真っ直ぐに俺を見詰める。
「人気者の君なら、俺なんかじゃなくてもっといい人がきっと見付かると思う」
「ぁ、いや」
「だから、俺とのことはもう忘れて欲しい……俺と君はそもそも恋人にはなるべきじゃなかったんだ」
「や、まってっ、そんなこと、言わな――」
「さよなら――雛守さん」
「ぁ、ぁあ!はる、とっ……っぁ、ああっ!!」
力が抜けたように膝をつき、涙を流す雛守さん。
俺はそんな彼女の横を静かに通り過ぎていく。
背中からは雛守さんの嗚咽の混じった泣き声が聞こえてくる。
「……」
だが俺は、最後まで振り返ることなく屋上を出ていった。
――――――SIDE:雛守明日香――――――
春人が、私の恋人だった人が離れていく。
追いかけたいのに体に力が入らない。
だって知らなかったから――春人があんなにも思い悩んで、苦しんでいたなんて。
「ちが……ぅ、ぅう」
私が自分のことしか見ていなかったんだ。
恋に浮かれて、春人なら私の行動を受け入れてくれる、好きでいてくれるなんて都合のいいことを考えた。
私は恋人らしいことを何一つ春人にしてあげられなかったのに、春人の恋人であることを誇らしく思って。
「なんでっ、なんでっ!!」
幼馴染みであったはずだ。
春人と一時は離れ離れになったけど、それ以外では春人のことを知っていたはずなのに。
春人がずっと苦労していて、お母さんを亡くして後には酷く苦しんでいたのを近くで見ていた。
それに再会した春人が離れ離れになる前とは全然違うことにも気付いていながら、なのに大丈夫だって、春人が何も言わないから問題ないって勝手に決めつけて、春人のことを見ようともしなかった。
「っ、ぁは、は、当たり前、だよね……こんなの、春人に愛想尽かされるのも無理ないよ……っ」
私のことをもう信じられないと言われた。
それほどまでに春人の気持ちを裏切り続け、心を傷付けていたんだ。
「いやだっ……いやだよぉっ!!」
――だと言うのに、今の私は春人との繋がりをなくしたくない。
春人と関われない未来なんて嫌だ、春人と別れたくないと強く思う。
「ぁぁ……わた、し……」
こんなにも春人のことを好きだったんだ。
「それ、なのに……なんで……あんなこと、言ってっ」
――ううん、違う。
その前からずっとだ。
恋人だったのなら、一緒に登校して教室でも何でもないことを話して、お昼は一緒にご飯を食べる。
放課後は一緒に買い食いなんかをしながら遊びに行ったりしつつ、休日にはデート。
そして夜には二人っきりで抱き合って――ああ。
「(恋人として当たり前にできることを、私はずっと自分から拒絶していたんだ……)」
『いい人がきっと見付かると思う』
不意に春人が言っていた言葉を思い出し、私は無意識に拳を握る。
「そんなの、無理だよ……っ」
今更他の男を好きになるなんて考えられない。
「そっ……か……」
ようやく気付く。
――最初から私が異性として意識する相手は、春人だけだったんだ。
幼い頃からの付き合いで、何処か他とは違う雰囲気の男の子。
いつも誰かを優先して、自分のことには無頓着で少し抜けている彼のことが気になって、ずっと放っておけなかった。
最初は手の掛かる弟のようにも思っていたのに、時々見せる彼の男らしい姿や悲しげな瞳を見ていて次第に目が離せなくなったのを覚えてる。
――でも、あの時の関係が心地良くて、いつしか私は芽生え始めた気持ちに気付かないフリをした。
それから成長して、恋にも興味を持ち始めたりもしたけど、不思議と相手を想像することは避けていた。
高校にあがってからはイケメンと噂される男子から告白されることもあったけど、誰からの告白にも心が動かず……好きでもない相手に告白されるのが嫌で、尚且つ相手ができはじめた友人達からの追求からも逃れたくて、気付けば私は身近にいた春人へ「私達、付き合おっか」って言ったんだ。
――少し考えればなんで春人へそんなことを言ったのかわかるはずなのに、当時の私は自分の心の奥底にある春人への気持ちを誤魔化し続けた。
だけど、そんなことは長く続くわけもなく――春人との距離が近付いていき、いろんな春人の表情を見る度に、抑えていた気持ちはどんどん溢れていく。
――そして、否が応でも自覚することになる。
そのことに気付いてからはもうダメだった。
次第に自分でも自身の行動や感情をコントロールできなくなって――その結果、選択肢を間違え続けた。
「っ、ぁぁあああああ!!」
今更、後悔しても遅い。
今頃、理解しても手遅れだ。
――私はこの日、本当に大切なものを自覚して失った。
――――――――――
春人が告白された時に真剣に見えたと言っていたのは、明日香の心の奥底にある気持ちが出ていた証拠ですね。
春人があの時感じていたことは正しかったと言えます。
と、小話が出たところで、次回の更新は水曜日になります。
次は黎との会話が待っています。
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