美音に伝えるべき言葉

久遠に借りを返すという名目でお昼を一緒にすることになった俺は、今現在無言で弁当箱を開けていた。

弁当箱は二段になっており、上段には彩り鮮やかなおかずが隙間なく埋められている。


「……(じー)」


下段も確かめようとするが、さっきから隣に座る榎本さんの視線が気になって行動に移せない。


こうなった元凶である久遠に頼ろうにも、久遠は茉莉と共に少し離れた場所でご飯を食べながら、こちらのことには我関せずな態度を取っている。

茉莉は茉莉で、こちらのことを気にしているのかチラチラと視線は向けてくるものの、久遠がその都度茉莉に軽くチョップをして制止し、こちらまで届かない声で茉莉に何かを告げていた。




「……はぁ」




思わず小さなため息が漏れる。


どうやらこの場は孤立無援。

この状況を変えるためには自分自身で道を切り開くしかない。



――つまりだ、春人。



「……えっと、なに?」


俺は意を決して、あの日以来初めて榎本さんへと話し掛けた。


「っ!」


すると、彼女は驚いた様子でキョロキョロと周りを見渡す。


なんでそんな行動をとも思ったが、別れ際の会話を思い出し納得がいった。


彼女は恐らくだが、俺から話し掛けられるなんて思ってもみなかったのだろう。

だから、こんなにも驚いた様子で声を掛けられたのは自分じゃないと言わんばかりに周りを見ているんだ。


「……」


今までの彼女であれば、俺がどんな状態であっても気にせずに自分から話し掛けてきたはずだ。

俺の都合や気持ちなど一切考慮しない、自分の都合を優先した自分勝手な行動――それはあの日の最後、別れた際の彼女もそうだったし、俺にはそう見えた。


……だけど、今の彼女はどうだろう。


俺が話し掛けたことに心底驚き、信じられないといった様子で取り乱している。

その前だって声を掛けたそうに視線は向けてくるものの、結局自分からは声を掛けることはしなかった。


それは遠慮しているのか、それとも別れ際のことを気にしてなのかは判断ができないが、それでもこうして直接間近で彼女を見れば、明らかにあの日の――いや、これまで俺のことを理不尽に扱ってきた彼女とは違うように思える。




「……榎本さんに聞いたんだけど」




――そう思えたからこそ、俺は彼女との会話を続ける選択肢を選ぶ。


「ふぇ!?や、やっぱりウチに、だよね……え、へへ」


声を掛けたぐらいでどうしてそんなにも花が咲いたような笑みを浮かべるのだろうか。


「そ、その……春っちがちゃんとしたお昼――それもお弁当なの、珍しいなって」

「あー」


そう言えば、基本的に昼に関しては学食や購買、コンビニで買ったパンなんかを食べていたな。

家から弁当を持ってくるのなんて、前日に夕飯を作りすぎた時ぐらいしかない。


そう考えると、確かに弁当――それもこんな彩り鮮やかな栄養バランスが考えられたおかずが入っているのは珍しいか。




「ご、ごめんっ!」




急に謝ってくる榎本さん。

その姿に俺が疑問を感じていると、榎本さんはこちらの様子を伺うように言葉を続ける。


「その、春っち少し考えるような仕草してたから、言いづらいことなのかなって……だから」


「(そういうことか)」


彼女は俺が言いあぐねていたから、ダメな方向の意味に捉えたんだ。

それで、謝ってきたというわけか……この変化も、前まではなかった。



――やっぱり榎本さんは、あの日の自分から変わろうとしている。



「……いや、大丈夫。ただ、榎本さんの言う通りだと思っただけだから。むしろよく、そんなこと知ってたなぁ~って」

「っ!それは、その……」


なんだ?今度は口ごもって。


「そ、それよりもその、お弁当凄く栄養バランスが整ってんね」

「だな……有り難いよ本当に」


手間が掛かるだろうに、こうやってバランスまで考えて作ってくれた桜さんには、毎度のことながら頭が上がらない。


何より、誰かに弁当を作ってもらったのなんて久々だから、少し楽しみな気持ちもある。


「も、もしかして」

「ん?」

「彼女、だったり……あの時の……」


榎本さんは先程の笑顔が嘘のように、酷く沈んだ悲しそうな表情を浮かべる。


彼女の発言を聞いた俺はと言うと、「振られたばかりの俺に彼女なんて出来るわけないのに」と思う。


だがそれも一瞬のことで、そういえばあの時、美玖さんが爆弾発言をしていたことを思い出す。


「違うよ。そもそも美玖さんは彼女じゃないし、俺には付き合ってる相手なんていない。これも義母が作ってくれたものだから」

「え、そ、そうなんだ……そっか……違ったんだ……」


俺の言葉に驚いた様子をみせるものの、再び笑顔を浮かべる榎本さん。


コロコロと表情が変わる彼女の姿に首を傾げながら、俺はおかずが入った上段をズラす。




「え」




お弁当箱の下段――そこにはご飯が敷き詰められており、中央には桜でんぶでハートが形作られていた。


「義母……ねぇ……」


それを隣で見た榎本さんはと言うと、懐疑的な視線を向けてくる。


「(ちょ、ちょっと桜さん!?こんな漫画とかで見るような愛妻弁当なんて、きいてないんですけど!?)」


俺が内心慌てふためいていると、遠くから微かな声が聞こえてきた。


声がした方を見ると、久遠と茉莉が声を押し殺しながら必死に笑うのを堪えている。


「(あ、あいつら)」


恥ずかしさやらいたたまれなさやらを感じながら、俺は何とか空気を変えるために話題を探す。


「……春っち?」


そんな俺に対して、事情を問いただそうと鋭い視線を向けてくる榎本さん。


このままだとまた面倒なことになると感じた俺は、何か話題はないかと考えて考えて、考え抜いていく。


「あ」


その最中――俺は昨日のメッセージのことを思い出した。


「メッセージ」

「え」

「……見たよ」

「っ!」


言った後に後悔する。


こんな明らかな地雷に自分から足を突っ込むなんて、俺は本当に馬鹿なのか?もう少しタイミングとかあるだろう!


だが、それと同時に、何処かのタイミングで彼女とは話さないといけないとは考えていた。

それが今やってきただけだと、プラスに考えることにする。


「榎本さんの謝罪は受け取るよ」

「そ、それじゃあ!」

「でも」




――過去の彼女の言動や行動を思い出す。




確かに今の彼女は昔の彼女とは変わり始めたのかもしれない。

だけど、それで過去の行動がチャラになるわけじゃない。


傷付けられた人間の傷は、傷付けた側には絶対にわからないし、どんなことをしてもその傷が完全に癒えることなんてありはしないんだ。


「――ごめん。できない」

「ぁ」


どんなに彼女が変わっても、俺は過去の行いを許すことはできない。


こうして彼女の目の前に立っている今も、彼女に対しての否定的な気持ちは胸の内に渦巻いている。


「っ、そう、だよね……ウチ、春っちの気持ち考えずに……」


泣くのを必死に我慢するように声を押し殺す榎本さん。

だが、その両目からは大粒の涙が溢れている。




「っ!美音っ!!」




その姿に、さっきまで何だかんだで大人しくしていた茉莉は怒気を帯びた声を上げ、俺に掴みかかってこようと椅子から立ち上がる。


「茉莉、待ちなさいって!あいつは許すことはって言ったの!普通は許さないって言うでしょ!」

「はぁ!?久遠、あんた何言っ」


久遠は慌てて茉莉を羽交い締めにすると、焦ったように俺へと視線を投げ掛けた。


「つまり、まだ続きがある!でしょ!?」


久遠の必死の形相に俺は頷き、涙を浮かべる榎本さんを真っ直ぐに見る。


「できない――けど」

「ぇ」

「――今の、変わろうとする君をあの時みたいに否定はしない。君が変わろうと努力し続ける限り、俺はを見るよ」




――それが俺の考え出した答えだった。




過去の彼女は許せないし、否定するべき存在だったと思う。


でも、それを今の自分の過ちを理解して変わろうとしている彼女にまで当て嵌めるのは違う気がした。


なにより、それをしてしまったら今変わるために足掻いている俺自身の行動も否定する気がしたんだ。



――だから、これは妥協点。



許しはしないけど、これからの彼女の行動や変化は否定せずに受け入れる。


その結果、昔と同じような対応をされたならば、改めて彼女を否定すればいい――そう思った。


「ぅ、ん……うん……、頑張るから……っん、春っちに認めてもらえるように、今度こそ間違わないように……っ!」


俺の考えを知った榎本さんは、小さく頷きながら、腕で涙を拭いつつ俺に宣言する。


――言うのは簡単だが、それを実行することは難しい。


彼女にそれができるのか、今はまだわからないけど、目の前で涙を拭いつつも力強い笑みを浮かべる彼女の姿は、今まで見た中で一番輝いているようにも感じる。


「……そっか」


そんな彼女の姿に、短くそう答えた……ものの――この空気、どうしよう。


目の前には未だ涙を流す榎本さんと、それを見守る?久遠と茉莉の姿がある。


こんな状態ではご飯なんて喉を通らないし、何より三人を傷つけた俺がいては心も休まらないだろう。


――これ以上俺がここにいてもいいことはない。むしろ三人の邪魔になる。




「あ、ごめんっ!俺、少し用を思い出したからっ!!」




あたかも今思い出したかのように声を上げ、未だ一口も食べていない弁当を急いで仕舞って椅子から立ち上がる。


「え、ぁ、春っち!?」


戸惑った様子の榎本さんや突然の行動に目を丸くする久遠と茉莉。


「そういうわけだから、それじゃあっ!」


そんな三人を置いて、俺は逃げるように空き教室から離れた。






――――――SIDE:東雲久遠――――――


「な、何やってんのあいつ」


私は美音を慰めることなく出て行った春人の後ろ姿を信じられない気持ちで見ていた。


普通あの場面なら美音を慰めるとかするもんじゃないの?


「……っん、ふふ、春っちらしいな」


私がそんな風に思っていると、美音からはおかしいと言わんばかりの笑い声が聞こえてくる。


「美音、大丈夫か?」


春人へ掴みかかろうとした茉莉は、心配するように美音へと近付いていく。

私もそれに続くように、美音の傍へ。


「うん、大丈夫……これから頑張らないとって、改めて思ったから」


そう言って笑う美音の表情は、確かに先程までのものとは違い、何処か陰りが消えているように思える。


「でもさぁ、あいつ本当に何なんだよー。美音が好きな相手だし、久遠が止めたから我慢してたけどさー、何というか最後は美音のこと放ってどっか行くし、本当にあんなのがいいのか?」


茉莉の言い分に関して少なからず賛同できる。


確かに美音はあいつに対して悪いことはしたけど、それにしたってあいつの行動や発言は酷いと感じてしまう。

もちろん、私達が美音と友達っていうバイアスがかかっているっていうのもあるんだろうけど、それにしたってもう少し何かあるんじゃないかって思えてならない。


不満げな私達とは対照的に、美音は真剣な表情で首を横に振る。




「――春っちを悪く言うのはやめて」




その真剣な声色に、私達は口をつぐむ。


「確かに春っちの発言や行動は冷たく感じるかもしんないけど、それはウチがそういう態度を取らせるような行動をとってきたのが原因だから……それに、ウチ達にはどれだけ春っちが傷付いてきたのかなんてわからないんだし、勝手なこと言うのは違うっしょ?」


そうたしなめる美音の言葉に私達は反論できなかった。


美音の言う通り、あいつがどんな気持ちで美音とこれまで接して、あの日どんな想いで美音に言葉を告げたのか私達は何も知らない。


そんな私達がこんな陰口みたいにあいつのことを悪く言う資格は、確かにないのかもしれない。


「なによりさ、春っちはウチ達のことを考えてこの場から離れてくれたんだと思う」

「え、あいつが?」


私の言葉に美音は頷く。


「春っち、離れる前にウチ達のことを見てたから、きっと自分がこのままここにいたら邪魔になるって思ったんじゃないかな?……時々ああいう風に、自分がどう思われても誰かのために行動しようとするとこあるから」

「そんなの」


美音の勘違いだと言おうとしたが、私は不意にあいつとここに来るまでの道中を思い出す。


確かにあいつは必要以上に周りに気を遣っているというか、周りを見ている気がする。

それに些細なことでも感謝するようなお人好しだし、そう考えると美音の言う通り自分が邪魔だから離れたっていうのはあながち間違えではない気がする。


「ふふ」

「美音、嬉しそうじゃん。別に許されたわけじゃないんだろ?なのになんで」


茉莉の疑問はもっともだ。

あんなにもハッキリと許さないと言われたのに、なんで美音はこんなにも嬉しそうな顔をしているんだろうか?


「だって、ダメだって言われなかったから」

「え」

「ウチさ、最悪春っちとはもう二度と話せない可能性も考えてた。だけど、春っちはウチにチャンスをくれて、これからのウチはちゃんと見てくれるって言ってくれた」

「――」


そんな風に前向きに自分は思えるだろうか?


きっと無理だ。

そもそも今の美音みたいに強い好意を異性に抱いたことさえない。


――だからだろうか。






「――春っち。ウチ、あの女達にもそして自分にも負けないから。もう一度春っちの隣に立ってみせるよ。だから見ててね、






スタートラインに立ったばかりなのに力強く魅力的な表情を浮かべる美音。




「っ」




――私は今の美音の姿がひどく眩しく感じて、あんな風に誰かを強く想えることが羨ましいと思ってしまった。






――――――――――

いつも以上に長くなってしまいましたが、何とか春人の心境を汲みつつ、美音の希望にも沿った形でお話がまとまりました。

ようやく一段落ついたかと思いきや、次回はあの子へのわからせが!?


また、明日「榎本美音」のキャラデザを公開いたします。

あわせて、いくつかのお知らせも行います。

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