変わった彼女と変わらない彼女

「――おはよう」


学校に着いた俺は、自分のクラスに入る際に一言声をかける。


『……』


クラス内には早めの時間だというのに、既にまばらにクラスメイトの姿があり、挨拶をした俺へと一瞬視線は向けてくるものの、相手が俺だと気付くと挨拶も返さずに視線を元に戻す。


「……ふぅ」


せめて挨拶ぐらい返してくれてもとは思うけど、彼ら彼女らにとっては俺みたいな陰キャが雛守さんと榎本さんっていう人気者と知り合いなのが目障りなんだろうな。


実際、二人と知り合いだと分かると、あからさまに俺へ二人と接点を持ちたいと思われるクラスメイトが近付いてきた。

だけど、下心が丸見えだったため俺はそれらを全て拒否。

そんなことを続けていたためか、気付けば俺は「空気が読めない男」、「面白味のない男」、「陰キャ童貞」等々陰口を叩かれるぐらいにはクラス内で浮いており、立ち位置も今のような状態になっていた。


……まぁ、変に絡まれることもなくて気楽だし、あの時の行動にも後悔はないから別にいいんだけどさ。


と、それよりもだ、俺には確認するべきことがある。




「……うん」




雛守さんがいないであろうことは朝会ったことから想像できていた。

しかし、榎本さんの方はどうなのかはわからなかった。


だが、クラス内を見渡す限り、彼女はまだ来ていないらしい。


「(……有り難いな)」


実のところ、彼女と対面した際にどんな態度を取るべきなのか決めかねていた。


土曜日にわからせた際には、今後は無視したり突き放すことが正しく思えた。

だけど、あの別れ際の状況を考えると、もしも次会ったら何事もなく事は進まないだろう予感がしたし、その覚悟を決めていたつもりだった。



――昨日の夜に送られてきたメッセージを見るまでは。



「……俺ってやつは本当に」


見なかったことにして、わからせた時と同じような態度を取ればいいのに、どうしてだか無視することができなかった。


それは俺自身も間違えてきた過去があるからか、それとも彼女のメッセージが最後に話した時とは全く違う印象を抱くものだったからなのかはわからない。


だけど、一つだけ言えることがある。



――、変わろうと努力する人の行動を否定できない。



もちろん、行った過去は消えないし、されたことを許すつもりもない。

それでも、もしもあのメッセージが彼女の変わろうとする意思からきたものだったとしたら、俺は――


「……ああ、ダメだっ」


可能性を考えても仕方ない。

その時になってみないとこんな仮定の話しは意味をなさないんだから。



……。

……………。

…………………。



考えに集中するため、外界の情報を遮断するように机へ突っ伏すこと数分。

ドアが開く音と共に元気な声が聞こえてくる。




『皆、おっはよー』




……この声は榎本さんか。


どうするべきかを考えるが、未だに考えは纏まっていない。

ならばと、このまま机に突っ伏したままでいようとも思うが――


『え、ちょ!榎本さんどうしたのその髪?』

『すごっ!なに、どうったの!?』


クラス内が何やら騒がしい。

榎本さんが登校してきたぐらいで何をそんなに騒いでいるんだと、俺はつい野次馬根性に負けて顔を上げた。



「――え」



そこには、予想通りクラスメイト達に囲まれた榎本さんが立っていた。いたのだが……彼女の髪型が最後に話した時とは大きく変わっていた。


「いやぁ、何て言うか、イメチェンみたいな?」

「えー!だからって、そんなバッサリ髪切る?」


そう、榎本さんは長く伸びていた髪の毛を肩の長さまでバッサリ切っていたんだ。


彼女が日頃から髪の手入れを怠っていないのはクラスでも知らない人はいないほど有名で、そんな彼女が大切な髪をあんなにバッサリ切るなんて誰も予想していなかった。


それだけ彼女が髪を切ったという事実は、大きな意味を持つ。


「もしかして失恋とか?」

「え……あー」


クラスメイトの女子の言葉に口ごもる榎本さん。

その姿にクラスメイトは驚いた表情を浮かべて更に盛り上がる。


「え、嘘!榎本さん、失恋したの!?」

「信じられない……榎本さん、すっごいカワイイし、オシャレにも気を遣ってるのに」

「だねぇ。その男一体どんな面食いなのよ」


クラスメイトの女子達は、本人を差し置いてマシンガントークを繰り広げている。


「あー、勘違いしないでほしいんだけど、ウチ別に振られたわけじゃないから!」


そんなクラスメイトの姿に、榎本さんは少しだけ怒った様子で否定する。


「え、で、でも」


だが、皆は「失恋でもないのならなんで?」と、髪をバッサリ切った理由に納得できていない様子だ。


そんなクラスメイト達の様子に、榎本さんは大きくため息を吐いた後、真剣な表情になった。






「……これはさぁ、ウチの覚悟の表れって言うか、本気の証しなんよ」






そう言うと、榎本さんは一瞬だけこちらへと視線を向けた気がした。


「うわっ!今の榎本さん、なんかすっごいっ!その、魅力的でっ!!」

「だ、だね……榎本さんの表情、すっごいドキドキしちゃった」

「たはは。だからさ、変に騒ぎ立てないでくれる?――ウチ、マジだからさ」


その発言と共に、榎本さんの空気が変わる。


さっきまでの軽く親しみやすい雰囲気から一変、言葉通り騒ぎ立てることは許さないとでも言っているかのような重苦しいものになった。




「「「は、はい」」」




そんな榎本さんの様子に、さっきまで騒がしかったクラスメイトは一斉に静かになる。



――その光景を見ていた俺は、何とも言えない気持ちに襲われた。



きっと榎本さんが言っていた覚悟というのは、俺に関わりがあるのだろう。

別れた後、彼女に何があって、何故あんなにも考え方を変えたのか……その理由はわからない。

何より、彼女をああまで突き動かした想いがどんなものなのかも、俺は知らない。


ただ――今の彼女は変わるための一歩を踏み出しているように思えた。


「……」


俺はその姿に、昨日自分自身で大智さんに告げた「昔の鈴瀬ではなく、今の鈴瀬のことを考えてあげてくれないですか?」との言葉が脳裏に浮かぶ。



「(今の、榎本さん……か)」



少しだけ自分がやるべき事が見えてきた――そう思った時、廊下から聞き覚えのある声が耳に入ってくる。






「――あれ?皆、どうしたの?ドアの前で」






その姿は見間違えようがない。

先程登校中に話しをして、俺が逃げてきた相手――雛守さんだ。


雛守さんはドア付近の集まりの中心にいるのが榎本さんだと気付くと、驚いた声を上げる。



「え!榎本さん、その髪どうしたの!?」



驚きで目を丸くする雛守さんとは対照的に、榎本さんは剣呑な雰囲気になる。

そこには明確な敵意のようなものが見えた。




「――それ、雛守さんに関係ある?」




榎本さんの声は、先程までクラスメイトと話していた時とは明らかに違う、冷たい感情が込められており、周りの子達もその変化に戸惑った様子をみせている。


そしてそんな声で対応された雛守さん本人もまた、よく分からないといった様子で焦っていた。


「え、えっと、私、榎本さんを怒らせるようなことしたかな?」

「別に何もされてないよ、ウチには」


榎本さんの返答に雛守さんの雰囲気も剣呑なものへと変わり、その表情も鋭くなる。


「……なにそれ、何が言いたいの?」

「言わなくても分かると思うけど?ていうか、雛守さん、辛いことでもあった?」

「え」

「メイクで誤魔化してるようだけど、隈、完全に隠しきれてないよ?それにいつもに比べて、身嗜みも整ってないじゃん」

「――」


突如始まった二人の修羅場。

周りは「どういうことだ?」といった感じで、戸惑っているのが伝わってくる。


「そういう榎本さんも、随分と疲れた様子だね?その髪型もだけど、休日の間に何か嫌なことでもあったのかな?」

「なっ!」

「あー、もしかして気になる相手にでも素っ気なくされた?」

「――」


売り言葉に買い言葉とはまさにこのことだろう。


「へぇ、ウチ知らなかったよぉ。雛守さんって、そういう性格だったんだ」

「私も、榎本さんとはもう少し話が合うと思ってたんだけど、気のせいだったみたい」


互いに怒気を滲ませながら、今にも殴り合いそうなほど空気が悪くなる。


心なしか周りもどう収集をつければいいのか分からない様子で、先生を呼びに行こうとする声もチラホラ確認できた。


目の前で広がる光景に、思わず大きなため息が漏れる。


「はぁ……仕方ないか」


彼女達が言い争っている原因の一端は、どうやら俺にもあるようだし、そんな俺がこのまま何もしないわけにはいかない。


そう思った俺は、わざと大きな音を立てて席から立ち上がった。




『!』




今までの険悪だった空気が一瞬和らぎ、クラス内の視線が一斉にこちらへと向けられる。


「……」


俺はそれらを一心に浴びながら、ゆっくりとクラスメイトが集まる方とは違うドアまで向かう。


そして、ドアを開けて廊下へと出る際――




「周りの迷惑になるから、もう少し静かにした方がいいよ」




そう言葉を残して、教室を後にした。






――――――SIDE:雛守明日香――――――


「ちょ、何あいつ!」

「だねっ!陰キャのくせにあんなこと言うとか、あいつマジで空気読めないよね」


クラスメイト達は春人の言葉と行動に憤慨した様子をみせる。


教室で騒いでいたのは私達で、悪いのは明らかにこちらなのに、そんなことを露程も考えていないのか、今クラス内の悪意は全て春人に向けられていた。


春人だってあんなことを言えば、クラスメイトにどう思われるのか分かっていたはずなのに……なんで。


……ううん。

あんな空気の中、春人なら黙って見てるままなんてことはしない。



「皆、ちょっ」



私は春人の行動が間違ってはいないと反論しようとした。






「――ねぇ、なんで皆さ、春っちのこと悪く言ってんの?」






「え」


私が反論するよりも先に、榎本さんがクラスメイト達の前へ出た。


「榎本さん?」

「ど、どうしたの?」

「あのさ、騒いでたのはウチらなんだし、これから登校してくる生徒もいるんだから邪魔になるのは確かっしょ?なのに一方的に春っちだけを悪く言うのは違うんじゃない?」


クラス内でのカーストが高い榎本さんの発言に、クラスメイト達は口を噤み、視線を逸らす。


皆も少なからず自分達が理不尽なことを言っている自覚があったのだろう。皆一様にばつが悪そうな表情をしている。


そんな中、私には聞き捨てならないことがあった。


「なんで、榎本さんが春人のことを」


今までの榎本さんは、どちらかと言えば春人のことを軽視した態度をとっていたように思える。

だから知り合いだと知った時も別段気にしていなかったのに……それが今は、自分の立ち位置を危うくする可能性もあるのに春人を守るような行動を取るなんて、一体どういうこと?


「(春人にしたってそう)」


朝話した時、春人なのに今までの春人とは何かが違う――そんな感覚を覚えた。

具体的に何が違うのかはわからないけど、でも、明らかに私が知らない何かが春人に起こったということは理解できた。


「(もしかして、榎本さんはそれを知っていて、それが理由で春人を守った?)」


もしも私の予想が当たっているなら、私はどうしても彼女へ問いたださないといけない。


――春人が変わった理由を。


だけど……




「――春っち、もう間違わないから……絶対に」




息を飲むほどの真剣な表情で必死に何かを呟く彼女の姿に、私は声を掛けることができなかった。

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