第2章 変わり行く関係と消えぬ過去

元カノの登場は新たな女難への誘い

「……雛守さん」


俺の目の前には、数日前まで彼女だった女子――雛守明日香が立っていた。


その表情は別れを告げたあの日とは打って変わって、酷く憔悴した様子だ。


目元には隈が出来ており、髪もちゃんとセットしていないのか所々枝毛が目立つ。

普段の誰よりも身嗜みに気を付けていた彼女をよく知っている身からすると、今の彼女はとてもじゃないけど普段通りには見えない。


「ひ、雛守さんだなんて……また、前みたいに明日香って呼んで欲しいんだけど」


雛守さんは何処か祈るような面持ちで俺に話し掛けてくるが、俺からすれば「こいつは何を言っているんだ?」状態だ。


そもそも、自分から俺のことを振っておいて今更そんなことを言われても困る。

というよりも、好きな相手がいるって言って別れたのに正気なのか?


「いえ、もう彼氏というわけでもないので……それより、何のご用ですか?」


ウチの前で待ち構えていたことや、こんな風に俺に話し掛けてきたんだ。

明らかに偶然出会ったという訳ではないだろう。


どういうつもりでこんなことをしたのか、俺には皆目見当もつかない。


「そ、その、電話したんだけど繋がらなくてっ!それに何度か家に来てチャイムを鳴らしたけど誰も出てこなくて……それで心配でっ」


そう言って顔を俯かせた。


俯かせたことで彼女が今どんな表情を浮かべているのかはわからないが、声は確かに心配しているようにも感じられる。


電話が繋がらなかった理由は検討がつく――というより、俺が彼女をブロックしたのが原因だろう。

誰も出なかったというのは正直わからない。俺はチャイムの音なんて聞いた覚えは……あー、いや、待てよ。ここ数日バイトに行ったり、美玖さんの家に泊まったり、休日も外出したりで家にいる時間が少なかったな。

それでタイミング悪く気付かなかったというのはあり得るかもしれない。


……ただ、昨日以外は黎が家にいたはずだ。


黎ともタイミングが合わなかったのか、それともわざと出なかったのか。もしくはいろいろあってそんな余裕がなかったのか……いくつかの理由は考えられるが、今となっては意味はない、か。



「は、春人?」



考え事をしていて、雛守さんを無視してしまっていたようだ。


俺は急ぎ頭の中で言葉を整理し、伝えるべき要点をまとめていく。


「えっと、家から誰も出なかったのはタイミングが悪かったとしか……ただ、連絡がつかなかったのは単純に俺が雛守さんの連絡先をブロックしたからですね」


俺が告げた言葉に雛守さんは戸惑った様子をみせる。


「え、ぶ、ブロック!?な、なんでそんなこと!!」

「なんでって」


俺、別れる間際にちゃんと伝えたはずだけど。


「もう関わらないようにするって言ったはずですよ?」

「そ、それはっ!そう、だけど……でも、ほら!連絡したいこととか、よりを戻したくなった時にっ」


彼女が言った可能性を考えてみる。


だが、思いの外答えは直ぐに出た。


「……特にそういうことはないですけど」


そりゃあ、別れを告げられた時は悲しかったし、辛かった。

正直言えば「なんで」とも思ったけど、人の気持ちなんて移ろいやすいものだ。

ついこの間まで好意的だった人が急に態度を変えたりすることなんてざら。それに今では蛙化現象なんてものも聞くし、好きという気持ちがずっと続くなんて幻想を抱くつもりは今はない。


だから、俺は雛守さんの行動を許すつもりはないけど、だからといって恨む気にもなれないっていうのが正直な気持ちだ。


なにより、俺は彼女に振られたお陰で美玖さんに出会い、今までの間違えに気付けて、少しずつだけど変わっていくことができた。


仮にあのまま付き合い続けていたところで、きっと俺達の間に待っていたのは破滅的な未来だったはずだ。

そういう意味でも、あの出来事は俺にとっていいキッカケだったのかもしれないと今なら思える。






「な、なんでっ!春人は私のことが好きなんじゃっ!!」






だが、そんな思いを抱く俺とは裏腹に、雛守さんは俺の言葉に機嫌を損ねたように声を荒げる。


「確かに前は好きだったと思います」

「お、思いますって」

「でも」


改めて雛守さんに対する気持ちを考えてみる。




――今俺は彼女に対して好意を抱いているのだろうか?




別れる前と同じ感情や想いを彼女へ向けられるとは、とてもじゃないけど思わない。

それに彼女のために自分の時間を犠牲にしてまで尽くせるのかと聞かれると、否と答えるだろう。

それに過去の出来事を無かったことにして今まで通りの付き合いができるのかという疑問もある。



――何より、今はもう彼女の隣で笑える自分の姿が想像できない。



「……今は不思議と何とも思っていないんです」


導き出した答えはそれだった。


「――え」


そう、今の俺は彼女に対して特別な感情を何も抱いていない。


少し前なら恋人として彼女に好かれよう、彼女が喜ぶことをしようと考えていたのかもしれない。

この気持ちが伝わらなくても彼女に対する好意は変わらないと、そんな風に思っていた。


だけど、今は本当に無関心だ。

黎や榎本さん、鈴瀬の時でさえ、もう少しいろいろな感情に襲われて、俺の中で整理できない気持ちを抱いていたのに……雛守さんに対してはそれすらもない。

この二日間ほど雛守さんのことを考えたことがあったかと思えるほど、彼女に対しての感心が無くなっていた。


正直もう少し引きずると思っていたけど、俺は案外冷たい人間なのかもしれない。

もしくは、彼女との日々が俺にとって幸せだと感じられるものではなかったのだと気付いただけなのか……


「な、なんでそんなこと言うのっ」


雛守さんは何故かショックを受けた顔をして、俺へと詰め寄ってくる。



「わ、私はずっとっ!春人のことを考えてっ!!」



彼女が今どういう気持ちで俺の目の前に立っているのか、どうしてそんな必死な表情で俺に迫ってくるのか、一体何がしたいのか、何一つわからない。


――相手のことをただ否定するだけではいけないと頭では理解しているが、それでも理解したいと思えるかどうかは別だと思う。


今の俺は、自分から別れ告げたのに何故かそれを後悔しているかのように訴えかけてくる彼女の姿が、ただただ不気味に思えてならない。




「すみませんが、俺は――と、通知?」




この場から離れようと意識していたところに、スマホから聞き慣れたアプリの着信音が聞こえてくる。


「えっと、出てもいいですか?」

「……いい、けど」


凄い不満そうだ。


だけど、この音のお陰で彼女の勢いが削がれた。

俺は感謝しつつ、連絡してきた相手を確認する。



「あれ、美玖さん?」



「……美玖?(ぼそっ)」


相手は美玖さんだった。

どうしたんだろう、こんな時間に。


「はい、もしもし」

『あ、春人くん!おはようー』

「あ、はい。おはようございます」


美玖さんの明るい声に、思わず力が抜ける。


どうやら俺は、雛守さんと話しているときに思いの外体に力が入っていたようだ。


「えっと、どうしたんですか、こんな時間に?」

『その、ね。春人くんって今日の夜、暇してる?』

「え、今日の夜ですか?」

『あ!べ、別に忙しければいいんだけど、何だかんだ昨日はお話しできなかったし、よければご飯にでもと思ってっ!』


美玖さんが早口で何かを言っているが、上手く聞き取れないな。


「あー、今日はバイトがあるので。すみませんが夜は」


誘ってくれたのに申し訳ないと思いつつも、急にシフトへ穴をあける訳にもいかないと思った俺は、素直に理由を告げて謝った。


『あ、ううん!全然っ、うん……全然、大丈夫だから』


いや、あの。凄く落ち込んだ声なんですけど。


『でも、そっか。バイト、バイトか……』

「美玖さん?」

『ううん!何でもないよ!朝から連絡してごめんね!』

「い、いえ。こちらこそ、せっかく誘ってくれたのに」

『春人くんにも都合があるんだし、気にしないで!じゃあね!!』

「はい、それではまた」


何ともいえない申し訳なさを感じながら、美玖さんとの通話を終えた。


「……あれ」


最後の美玖さんの言い回し、少し変じゃなかったか?


そんなことを俺が考えていた時、後ろから怒気を帯びた怖い声が届く。




「――ねぇ、春人。今の相手、誰?」




雛守さんは先程よりも恐ろしい空気を纏いながら、俺へと詰め寄ってくる。


その迫力に思わず一歩下がりそうになるものの、俺は負けじと彼女を睨んだ。


「君には関係ないだろ」

「なっ!わ、私は春人のっ!!」

「今は幼馴染みでもなければ恋人でもない。赤の他人だ」

「なっ!」


俺がハッキリと告げた言葉に詰め寄ろうとした雛守さんの足が止まる。




「俺、用があって先を急ぐから」




もうこれ以上ここに居たくないと感じた俺は、改めてここから離れようとする。


「な、なら、私も一緒に!」


なのに、何故かそれを許さない雛守さん。


「いえ、それはお断りします」

「な、なんでっ!」

「なんでって……はぁ」


こいつ、昔自分で言ったことも忘れているのか?


「あなたが恋人になった時に言ったんですよ?周りの子にバレたくないから、出来る限り一緒にいるのは避けてって」

「っ、ぁ」

「学校までの道を一緒に行くのなんてその最たるでしょ」

「ち、ちがっ」

「何も違いませんよ。恋人でもないのに今更変な話題の的になるのは不快ですし、あなたの好きな相手に誤解されるのも嫌なので――一人で行きます」

「――ぁ」


俺は未だ何かを言いたそうな雛守さんから逃げるように走り出した。




◆◆◆




「……ふぅ。流石については来てないか」


五分ほど全力で走った俺は、立ち止まり呼吸を整える。


「それにしても」


あれは一体なんなんだ、本当に……はぁ。


「ままならないな」


もう少し上手いこと出来ればいいんだろうけど、そこら辺の対人スキルはまだまだ俺に不足している点なのだろう。


「相手のことを理解しようと思った矢先にこれだ」


しかも学校には雛守さんだけでなく、榎本さんもいる。

同じクラスに地雷となる女子が二人とか、考えただけで憂鬱になる。


「まだ、黎がいないだけマシかぁ」


一学年下だし、これまでのことを考えれば黎と学校内で接点が出来る可能性は少ないだろう。


「それでも、通学だけでこんなに疲れた気分になるのなら」


いっそ学校を休むのも手ではあるんだけど。


「桜さんが弁当用意してくれたし……はぁ」


頑張ってと応援もされたことだし、無視するわけにもいかないか。


「何事もなければいいけど」


俺の儚い願いが真夏の空に木霊した。






――――――――――

お待たせ致しました。

本作の第2章【変わり行く関係と消えぬ過去】が開幕です!

第2章はラブコメや修羅場要素が強くなっていき、物語も色々と展開していきますので、お付き合いいただければ嬉しいです!

また、本日ヒロインの一人である「雛守明日香」のキャラデザを近況ノートに掲載いたしましたので、ぜひ本エピソードと合わせてご確認ください!

https://kakuyomu.jp/users/Blossom-mizuharu/news/16818093084069681187

次は榎本美音を描く予定です。

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