長い一日の終わりと新しい一日の始まり
「へぷしっ!」
夜道を歩いていると思わずくしゃみが出てしまう。
夏と言えども、夜は冷えるようで、さっきからくしゃみが止まらない。
もしかして風邪でも引いたのか?
「はぁ……それにしても」
スマホを確認する。
時間は鈴瀬家を出てから三十分ほどは経過しているが、未だ帰路へ向けての歩みは続いている。
「……せめて車で近くまで送ってもらえばよかった」
思えば車で数十分なら、徒歩だともっと時間が掛かるのは想像出来ただろうに……はぁ。
幸い街頭の灯りはあるため変な場所に迷い込む心配や恐怖感を感じることはないけど、それでも来た経験のない地域を夜に一人で歩いて帰るのは、精神的にくるものがある。
「……言いたいことは言えたけど、実際どうなるかは二人次第だな」
先程までの出来事を考えながら呟いた。
正直俺に出来たことと言えば、自分が感じた気持ちを伝え、相手の間違いを指摘しただけ。
幸いにも大智さんは俺の言葉に理解を示してくれた様子だったから良かったが、人によっては逆上する可能性もある。
そうなった場合は、あんな穏便に話し合いは出来なかっただろう。
「結構綱渡りだったけど、終わりよければ何とやらか」
鈴瀬がどうなるかは、明日からのバイト次第だな。
もしもバイトを辞める場合には事前に何かしらの連絡はあるだろうし……今は考えても仕方ないか。
その時はその時で改めて考えよう。
「あ、そう言えばバイトで思い出した」
もう雛守さんと別れたから、来週からは土日もバイトを入れて良いかもしれないな。
これまでは彼女がいた関係で、一応土日を空けておいた方がいいと思ってバイトは入れなかったけど、もうその必要はない。
「学校では榎本さんのことがあるけど、まぁ、それも大丈夫だろう」
美玖さんは不安を煽るようなことを言ってはいたが、実際問題あそこまで言ってきた男にわざわざ関わってくる女子がいるとは思えない。
もちろん、相手はカースト上位の女子なため、文句を言われたり、マイナスの噂を流される可能性はあるけど。
「まぁ、覚悟していたことだし、それはいいか」
最悪、中学の時のように行動すれば問題ないだろう。
「後は……黎か」
ある意味これが一番の問題だろう。
あれ以降黎とは会っていないから、対面するとどういった空気感になるのかはまだわからない。
だけど、今日友達と遊ぶ約束をしていたことを考えるに、黎の中でもある程度気持ちに決着はついたと考えていいだろう。
俺に対して何もして来ないことを考えるに、黎も今後は俺に関わってくることはないと思われる。
「……うん。これでスッキリした気分で新しい週を迎えられそうだな」
これまで大変だったし、何度も挫けそうになったけど、今はそれらの問題が片付いている。
「いっそのこと、この偽装もやめてみるか?」
そう言って俺は前髪の毛先を掴む。
あいつに教えられた陰キャ偽装。その一つであるこの前髪。
『人の第一印象なんて容姿で決まるんだから、その容姿を隠せば大抵の相手からは関心を持たれることはないわ』そう言って、続けざまに『そうねぇ。取りあえず前髪を伸ばしなさい』と言われた時は半信半疑だったけど、実際この偽装のお陰で中学の時よりも女難の数は明らかに減った。
それに今は身辺の問題も解決しているし、いい加減この前髪を切ってもいいのでは?なんて思ってしまう。
「……いや、ダメだ」
だけど、すぐに思い直す。
世の中何があるかわからない。
ここ数日は偶然いい出会いがあって上手くいっただけで、今後もそれが続くとは限らない。
なにより、出来る限り女難とは縁を切りたいのに、リスクを増やす行為は避けるべきだろう。
「……まだ、しばらくはこの前髪には付き合ってもらうか」
前髪から手を放す。
と、同時にスマホが鳴った。
見ると、桜さんからの連絡だ。
「はい、もしもし?桜さん、どうしたんですか?」
『どうしたじゃないよぉ!春くん、今どこにいるの!?』
「え」
なんでこんなにも慌てた声を?
「えっと――」
桜さんに俺の居場所を伝える。
『はぁあ!?なんでそんなところに――って、それはいいか!私今からそこに迎えに行くから!』
「え、良いんですか?」
『当たり前だよ!出掛けた様子なのにこんな時間まで連絡もないから、てっきり誘拐とかあったかもって心配したんだからねっ!!』
あ、そうだ。桜さんに伝えるのをすっかり忘れてた。
連絡一つ残さずに、こんな時間まで帰って来なかったらそりゃあ心配するか。
「す、すみません。近くで待ってますので」
『うん!急ぐから待っててね!そこだと、今から多分二十分ぐらいで着くからっ』
そう言って、桜さんからの電話は切れた。
「はぁぁあ……やってしまった」
気を付けるつもりだったのに、また迷惑――いや、心配を掛けてしまった。
こういうところは本当に学習しないな俺。
「桜さんが来るまで二十分か、どうしよう」
何処か待機出来る場所はないかと探していたところで、小さな公園が見えた。
「ちょうどいいや。あそこで待ってるか」
そう言って公園に足を踏み入れた瞬間、奇妙な既知感に襲われる。
「あれ、ここ」
何処か見覚えがある?
「でも、俺こんなところに来た覚えなんて――ッ」
不意に脳裏に何かが流れ込む。
モノクロのような画面には子供のように小さい指と、その指に頭を撫でられている制服姿の女の子?が映っている。
『大丈夫だよ、お姉ちゃん』
『――うん』
「はぁ、っう」
もう傷は塞がっているはずの腹部がズキズキと痛む。
「なんだ、今の記憶……もしかして」
あれは俺が誘拐された時の光景なのか?
そして、それはこの公園で起きた?
「……何かそう考えると不気味に思えてきた」
何だかハッキリとしない気持ち悪さと、未だ痛みを発する腹部を押さえながら、俺は公園から離れることにした。
――それから数分、約束よりも早く桜さんは迎えに来てくれた。
「もう!春くん!報告連絡相談は社会人になったら絶対必要になることなんだからね?それが出来ないなら、一人暮らしなんて不安でさせられません!」
「ご、ごめんなさい桜さん!」
迎えに来てくれた桜さんは、それはもうカンカンに怒っており、宥めるのに十分近く掛かってしまった。
お詫びに今度二人っきりで買い物に行くことで許してもらったが、その際に何故か現地での待ち合わせをすることになった。
……何故?
◆◆◆
いろいろ疲れ果てて家に帰ると、テーブルには料理が広がっていた。
「これ桜さんが?」
「あー」
桜さんは少し言い辛そうにしつつ、ゆっくりと口を開く。
「これは黎が作ったの」
「え、黎が!?」
その言葉に思わず仰け反った。
だって黎が料理出来たなんて、それなりの付き合いなのに全く知らなかった。
というか、そういう
「料理が出来たのなら、もう少し手伝ってくれても」と心の中に暗い気持ちが生まれるのを感じながら、料理を見――ん?
「……あれ、これとかあまり形良くないですね。こっちはちょっと焦げてる」
「それはそうだよ。だって、黎は料理作るの初めてだから」
「そう、なんですか?」
なら、なんで急に料理なんて……
「食べたくないなら、別の用意するけど、どうする?」
「……いえ、食材に罪はないので」
一瞬「食べない」と答えようかとも思ったけど、奥歯に何かが挟まったような気持ち悪さを感じて首を横に振った。
俺は席に着いて、料理を一口。
「……」
その味はとても美味しいとは言えないものだった。
食材は焼きすぎたり若干生焼け部分があったりするし、味も混ざっておらず纏まりもない。
正直に言えば俺が作った方が何倍も美味しいのは確かだ。
だけど、何というか自分の料理では味わえない温かさのようなものが感じられて――気付けば出された料理は残さず全部食べていた。
◆◆◆
風呂から上がったタイミングでスマホから通知が届く。
見ると、それは鈴瀬からのもので、メッセージには『先輩のお陰でバイトの許可もらえました!』と書かれていた。
「そうか、許可貰えたのか……『それは、よかったな』と」
短い返信をして、アプリを閉じた。
俺は気になっていた事柄が解決したのを感じ、先程よりも晴れやかな気分のままベッドに入る。
そのまま寝ようとするが、何故か鈴瀬から通話が。
「……はい」
『あ、先輩ですか……って、声どうしたんですか?』
「あー、寝ようとしてたから。それで、鈴瀬。どうしたんだ通話なんてしてきて」
『あ、それは……そこまで重要な要件ではないのですが』
なんだ?そんなに言いにくいことなのか?
『せ、先輩は明日バイトの出勤ですよね?』
「え、ああ。その予定だけど」
『で、でしたら!お話があるので、明日少し時間を作ってくれませんか?』
「え、ああ……それぐらいならいいけど」
そう答えると、スピーカーの向こうでは何だか騒がしい声が聞こえた。
もしかして誰か傍にいるのか?
「なぁ、す」
『で、では先輩!今日は本当にありがとうございました!お休みなさいっ!!』
「え、ああ。お、お休み……」
言いたいことだけ言って切れてしまった。
「……何だったんだ?」
まぁ、想像以上に元気そうで安心はしたけど。
それに、俺に対して嫌がってるとか嫌ってる感じもなかった。
……え、それなのに話し?わざわざ時間を作る内容の?
急に怖くなった。
俺、明日鈴瀬に何を言われるんだ?
「……寝よ」
考えたところで答えなんて出ないと思った俺は、素直に寝ることにした。
「ふぁぁ……おやす――ん?」
再び一通の通知が届く。
「もしかして鈴瀬か?」
言い忘れたことでもあったのかと思いながら通知を確認する。
「え」
相手はまさかの榎本さんだった。
そう言えば、いろいろあってブロックするのを忘れていた。
無視しても良いと思うけど、わざわざ連絡してくるなんて何の用だ?
最後の様子や美玖さんに言われたことが気になって、ブロック前についメッセージの内容を確認する。
そこには『通話だと迷惑掛かると思ったから』と前置きの言葉があり、続いて『今まで春っちの気持ちを考えずに酷いことばかりして本当にごめんなさい。学校で会う前にそれだけは伝えたかったから……連絡は返さなくて大丈夫です』と送られてきていた。
「……」
それを見た俺は、ブロックしようとした手が何故か止まる。
そしてそのままスマホの電源を切り、大きくため息を吐く。
「はぁぁぁああ……もう、寝るっ」
ブランケットを頭に被り、胸の内には何とも言えない気持ちを抱えながら、俺は長かった一日を終えた。
◆◆◆
翌朝。
今日も黎の姿は既になく、どうやら朝一で学校へ向かったらしい。
珍しく桜さんとの二人っきりの朝食をしつつ、最後の出勤だと意気込む桜さんを見送った俺は、いつもの時間に家を出た。
そのまま、学校に向かうために普段通りの
「――春人」
背後から聞き覚えのある声がした。
もしかしたら今一番聞きたくない声かもしれない。
無視しようかとも思ったが、如何せん彼女は目立つ。
そんな彼女をここで無視しようものなら、俺の方が悪目立ちする。
そう考えた俺は、仕方なく声がした方へと視線を向けた。
「春人、その……おはよう」
そこに立っていたのは、俺のことを捨てたはずの雛守明日香だった。
――――――――――
これにて第1章は終了となります。
最後の最後で現れた明日香。1話とは対比になっているこの展開に、第2章も波乱の予感がビンビンとしてきますね♪
第2章は明日香のわからせはもちろん、わからされた女の子達の変化や過去に春人と関わりのある子達の登場、女の子同時の修羅場等々、ラブコメ要素を挟みつつシリアスな展開もある盛りだくさんな内容になっております!
既にある程度のプロットとストックはありますが、イラストの作業を少し集中して進めたいという事情があり、このタイミングで1週間ほど更新をお休みさせていただきたいと思います。
次回の更新は9月2日(月)から、再び毎日更新で投稿を頑張りますので、更新を再開した際は再びお付き合いいただけると嬉しいです!
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