父親の想いと、それを否定する者
「えっと、まずは理由を聞いても?」
「そう、だね……君には話しておくべきだろう」
俺の言葉に大智さんは特に否定する様子もなく、何かを思い出すように色が変わり始めた空を見上げる。
「君は梨香が誘拐されたという話しは聞いているかい?」
「……はい、梨香から教えてもらいました」
「ふむ……そうか、そこまで話していたのか」
俺の答えに少し驚いた様子を見せた。
だが、それも一瞬のこと、大智さんは俺が知らない鈴瀬の過去に関わる事柄を告げる。
「では、その犯人――正確には犯行を手助けしたのが、当時梨香の執事であった男だったことは知っているかな?」
「え」
鈴瀬の執事?
鈴瀬からは、大智さんが罠にはめられて誘拐されたとしか聞いていなかった。その出来事を気にして、大智さんが鈴瀬へ過保護な態度を取るようになったと。
だけど、その犯行に鈴瀬の身近な存在が関わっていた?
鈴瀬はそんなことは一言も……
「その表情、そこまでは知らなかったようだね」
「……はい」
「まぁ、それも仕方ない……梨香は知らない――いや、覚えていないと言った方が正しいか。襲撃を受けた際の影響で、解離性健忘を引き起こしたらしくてね。あの男に関する記憶を綺麗さっぱり無くしてしまったんだ」
それは衝撃的な言葉だった。
鈴瀬が解離性健忘?
「……鈴瀬は直ぐに解決したって言っていました。自分は何もされていない、と」
なのに解離性健忘を引き起こした?
解離性健忘なんて普通は起きない……それこそ、大きな要因となる心的外傷やストレスでも無い限り。
――幼い頃、誘拐された際に抵抗して刺された俺のように。
俺は無意識に腹部を撫でる。
「ああ……そうだ。梨香は幸いなことに何もなかった、そうなる前に助けたからね……今でも思い出すよ。あれは私のミスだ。私がもう少し上手く行動していれば……疑っていれば梨香の心を傷付けずに済んだのに」
「――」
そう語る大智さんの表情は凄く苦渋に満ちていた。
「当時、私はアリシアと梨香、何物にも代えがたい大切な二人がいて幸せだった。仕事も順調でね、波に乗っていたよ」
そう笑う大智さんの表情は先程までとは大違いだ。
「だが、順調過ぎるのも考えものでね。一部からは恨みややっかみを抱かれ、忙しくしていた影響から中々梨香の面倒をみることが出来ずにもいたんだ」
大智さんは綺麗な奥さんやかわいい娘もいて、仕事も順調。そんなの上手くいっていない人間からしたら、自分達の不満をぶつけるいい矛先だっただろうことが想像できる。
それに、書庫にあったあの本達。あれは、短い時間でも娘のことを知ろう、娘のために出来ることは?と考えた結果だったのかもしれないな。
「そんな時だ。知り合いだった男から紹介された男を、執事として雇うことにしたんだ」
そう言って深いため息を吐き捨てる姿には、大きな後悔を感じる。
きっと、あのときの決断は間違えだったと感じているんだ。
「奴はよく働いてくれたし、私が居ない間も梨香の面倒をみてくれた。アリシアもその仕事ぶりには感心していたよ……ただ、梨香は懐いてはいなかったけどね」
「そう、なんですか?」
「ああ。子供は大人よりも感性が鋭いとはいうが……今にして思えば、梨香はあの男の内側にある悪意に気付いていたのかもしれないな」
「今のところ梨香の態度以外は、至って普通な気はしますが」
「……ああ、そうだね。ここからが本題だ。あれは忘れもしない、梨香が5歳の誕生日」
ぽつりぽつりと大智さんが秘めていた過去、そして鈴瀬が忘れてしまっている出来事を紐解き始める。
「執事を紹介してくれた男からパーティーの提案をされてね。その頃、アリシアはちょうどお父さんが病気になったこともあって実家に帰っていて欠席だったんだが、私は梨香と一緒に会場へと向かうことにしたんだ」
向かうことにしたって言い方は、その途中で何かがあったということなのか?
「その途中、襲撃にあったんだ」
「っ」
「移動中の車に衝突されて、私は負傷し、梨香は私の傍で泣きながら『パパ、パパッ』と声を掛けていたよ」
その言葉に、俺の脳裏にはフラッシュバックするように母を亡くした事故の光景が浮かび上がる。
『おかあ、さん?お母さんっ!ねぇ、ダメだよっ、起きてよぉ』
『はる、と?大丈夫、だから……お母さんが、ちゃんと……守るから……』
「そんな梨香を無理矢理寝かせて、連れて行ったのが執事の男だ」
「!」
大智さんが告げた内容に、俺は過去へと囚われかけた意識を取り戻す。
「しかもだ。梨香を抱えるあの男を車に招き入れたのは、執事を紹介してくれた知人の男だったんだよ」
「なっ!なんでそんなことを」
俺の問いに大智さんの瞳は怒りに満ちていく。
「奴はアリシアが目当てだったのさっ」
どうやら執事を紹介してくれた男は元々アリシアさんに一目惚れしていたらしく、歪んだ愛情を今の今まで捨てきれなかったようだ。
自分の息のかかった男を執事として送り込み、鈴瀬家の情報を収集し、来たるべき時に備えていたらしい。
そして、あの日本当ならアリシアさんを攫い、自分のモノにするつもりだったと。
「だが、アリシアは父の病気で欠席となったため、計画を変えて梨香を狙い、私は殺すことにしたようだ……最後の最後で油断して殺し損ねたみたいだがね」
話しを少し聞いただけでもわかる。
その男が救いようのないゲスだということが。
「……最低ですね」
「ああ、最低だ。もしも事前に垂れ込みがなかったらと思うとおぞましい。梨香がどうなっていたか、考えたくもない」
同感だ。
捕まった状態で鈴瀬がどんなことをされてしまうのか、それは想像しただけでも吐き気を催すものだっただろう。
「その、垂れ込みっていうのは?」
「私の古くからの知り合いでね。彼女から執事とあの男には注意した方がいいと言われていたんだ。私は半信半疑だったんだが、彼女には梨香も懐いていたからね。最終的には彼女の言っていたように準備したお陰で私は死ぬことはなかったし、奴の屋敷に連れ込まれる前に梨香を連れ戻すことができた。もちろん執事もあの男も、関わった全ての人間は完膚なきまでに潰したよ」
彼らはどんな結末を迎えたのはわからないが、目の前で鋭い視線を向ける大智さんの姿に、碌な人生は歩めていないことは安易に想像できた。
「ただ、事件の傷はそれだけでは終わらなかった。目覚めた梨香は、記憶を失っていたんだ……私のせいでね」
「大智さんのせい?」
「ああ……医者が言うのに、私の血塗れになっている姿を見た影響で解離性健忘を引き起こした可能性が高いそうなんだ」
「――」
それは、辛いな。
自分のせいで、娘が襲われただけでも堪ったもんじゃないのに、癒えない心の傷を負ったなんて。
「もしかして梨香を男から遠ざけていたのは」
「ああ……あんな出来事を梨香にまた経験させたくないと思ったから、その危険性を出来る限り排除した。過去や背後関係なども徹底的に調べて、本当に信頼できる者以外は私達からも遠ざけたよ。それに、記憶がいつ刺激されるかわからない部分もあったからね……忘れてしまったのなら、忘れたままの方がいいこともある」
やはりそうか。
過保護になったのは、誘拐があったからだけじゃない。
鈴瀬の記憶を呼び起こす可能性を排除すること、そして大智さん自身の罪悪感からきた行動でもあったんだ。
もう二度とあんな想いを子供にさせたくない――親なら当然抱くべき感情だと思う。
「だが、バイトを始めて梨香の中で何かが変わり始めた。何より、今まで男の話なんてしなかったあの子が、君のことはよく話しをしているの姿を見てね――誘拐のことがフラッシュバックしてしまったよ。また、執事の時みたいに梨香を傷付けるのか、と」
だから、あそこまで敵意を持って俺のことを見ていたのか。
ようやく理由に合点がいった。
「見当違いだとはわかってはいるんだがね……それでもあの日あのとき感じた絶望と怒りは言葉では言い表せないものなんだ。だから、頼む。君から梨香に別れを切り出して欲しい」
大智さんが抱くその気持ちには少なからず心辺りがある。
何故なら、俺も似たような経験があるからだ。
――でも、だからこそ、俺はこの人の間違いを正さなくてはならない。
「それはできません」
「……それは娘のことが好きだからか」
大智さんの問いに俺は首を横に振る。
「違います」
「?君達は恋人ではないのか?」
「それがそもそもの間違いなんです。俺と梨香――鈴瀬は恋人ではなく、ただの仕事仲間です」
俺の言葉に大智さんは驚いたように目を見開く。
「第一、俺は鈴瀬のことを好きどころか苦手にさえ感じていますから」
「なっ」
「だって、いつもウザ絡みしてきますし、先輩を先輩とは思わない態度をしてくるしで」
「り、梨香がウザ絡み?」
大智さんは俺が話す内容に戸惑った声を出す。
当たり前だろう。
大智さんの前でみせている鈴瀬は、そんなことをするようには見えないからな。
「はい、そうです。それに今はマシになりましたけど、少し前まで世間知らずなところもあってすっごく苦労しました」
「は、え、あ……じゃあ、君とは」
「はい。本来であれば何の関係もないですね」
「本来であれば?」
俺は頷く。
正直家族の問題だし、最初は干渉するつもりはなかった。
だが、鈴瀬のあんな顔を見て、尚且つ鈴瀬の事情を知った今、俺の中には干渉しないという選択肢はない。
それに――
「大智さんは鈴瀬にバイトを辞めてほしいようですが、それは正しいですか」
「あ、ああ。そうだ」
「それは彼氏ができたから、ですか?もしそうなら、それは誤解です。なので、撤回してあげてくれませんか?」
大智さんは俺の言葉に首を横に振って否定する。
「それはできない」
「何故?」
「彼氏のことは誤解だったとしても、梨香に夜遅くまで外を出歩かせたくはないからだ」
年頃の娘がいる父親なら当然の思考だな。
この国は平和だと思われがちだが、その実、表沙汰になっていないだけで日々いろいろな事件が起こっている。
そしてそんな事件にいつ自分が巻き込まれるかは誰にもわからないんだ。
「それは俺が途中まで送るとかしてもダメですか?」
「むしろ彼氏でもない君が送ることに不安を抱く」
ああ、言えばこういう人だな。
事実そうだから反論できないけど。
「そうですか……」
「では、悪いが君からも言ってくれないか」
「言う?何をですか?」
「梨香にバイトを辞めるようにだ」
大智さんが言う通り、そうする方が安心するのは確かだろう。
過去に裏切られ、大切な娘が誘拐に遭ったんだ。もう一度あるかもと不安になることも理解できる。
――だけど、本当にそれは鈴瀬のためなのか?
鈴瀬は確かに辛い過去があって、記憶を忘れるほどの苦しみを味わったのかもしれない。
でも、今の鈴瀬は毎日必死に頑張っている。
最初はあんなにも何もわからない状態だったのに、いつもメモを取り、何度も質問して、ゆっくりとでも着実に仕事を覚えていった。
無遅刻無欠席で、今では立派な戦力としてバイトをこなし、しかもファンまでいるぐらいだ。
そんなの本気じゃないと出来ないことだ。
それに、働いているときの笑顔だって……きっと、本当に楽しいと思っているからこそ浮かべているんだろう。
――なにより、鈴瀬自身が辞めたくないと言っているんだ。
「――お断りします」
なら、俺は先輩として後輩のためにこれぐらいはするべきだろ?
「君には何も関係もないはずだが?それに君は梨香のことを苦手と言った。そんな相手のために何故」
「そんなの決まってますよ」
俺はゆっくりと歩みを進め、大智さんの前に立つ。
そしてその両目をしっかりと見据えながら告げる。
「あなたの、その自分本位な考え方が気にくわないからです」
――宣戦布告となる一言を。
――――――――――
作業の都合がついたので、明日から再び投稿時間を06:08に戻します。
今週は投稿時間が安定せず申し訳ございませんでした。
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