親子の会話 SIDE:水無月黎&水無月桜

「……お兄ちゃん?」

「ごめんなさいね、春くんじゃないわよ」


私の泣き疲れて掠れた声に反応したのはお母さんの声。


「お母、さん……」

「黎、話しがあるの。開けてくれるわよね?」


尋ねる口調ではあるものの、その声色は拒否することを許さない強さがある。


「……うん」


私はお母さんの要求を素直に受け入れた。


被っていた毛布を床に置いて、ゆっくりと立ち上がる。


ドアの方へと歩きながら、心の中では微かな安堵を覚えていた。



私はお兄ちゃんに自分の間違えをわからされて、今の今まで自分自身を責め続けた。辛くて悲しくて、苦しかったけど……お兄ちゃんが味わってきた痛みに比べれば、まだまだ全然足りない。

だけど、お兄ちゃんはもう私には関わり合いたくないと思うから、再び責めてはくれないだろう。

なら、お兄ちゃん以外の誰かに、お前は愚かだと、もう彼には関わるなと――そう言って、完膚なきまでにわからせてもらいたい。

そうすれば、もうなんの望みも抱かなくて済む。



――未だにお兄ちゃんと一緒にいたいと願うこの醜い心をどうか終わらせて。



そんな気持ちで私はドアを開いた。


ドアの前には、お母さんが普段からは想像できない冷たい表情で立っている。




「黎……私、今怒ってるの。理由はわかるでしょ?」




お母さんがわざわざここに来たってことは、きっとお兄ちゃんに私がしてきたことを聞いたんだ。


「……うん」

「はぁ……あなたは本当に馬鹿なことをしたわね」


その言葉にズキリと胸が痛む。


「一先ず中に入るわよ」


そう言ってお母さんは、部屋の中に入ってくる。


「……これは」


お母さんはカーテンが閉められ、電気もついていない様子に一瞬驚いた表情をする。

しかし、それも一瞬のことで、私をベッドに腰掛けさせると、自身は勉強机の椅子をベッドの前まで動かして座った。


互いに向かい合いながら、お母さんは口を開く。




「先ずは、そうね……黎。あなたが春くんにしてきたこと聞いたわよ」

「っ!」


やっぱりそうだ。

お母さんは、私を怒るためにここまで来たんだ。


「正直ね、とても許せる気分じゃない」

「――」


当たり前だ。

許されていい内容じゃない。


「黎に対してだけじゃないわよ?ずっと気付けなかった私自身に対してもね」

「ぇ」

「当たり前でしょ?機会はあったのに、仕事の忙しさにかまけて二人をしっかり見てこなかった……これは私の責任でもあるわ」


お母さんはそう言うと、私に向かって頭を下げた。


「ごめんなさい、黎。あなただけに辛い思いをさせて」

「っ!」


違う!全部私が間違えて!勝手に勘違いして台無しにしたのっ!

だから、そんなに優しくしないでよ……私を、責めてよ……っ!


「黎、私はあなたを責めない」


だけどお母さんはそんな私の心を読んでいるかのように言葉を続ける。


「あなたが今までの行動を後悔しているのは、この部屋の状況やその真っ赤に腫れた両目を見ればわかるわ。ずっと泣いてたんでしょ?」

「っん」

「でも、それだけじゃ許されないって思ったから、もっと責めてもらいたい……そう思ったんじゃないの?」

「なん、で……」


わかるの?


「わかるわよ。こんなでも、お母さんしてるのよ?それにあなたのその姿は

「……お母さん?」


不意にお母さんが寂しそうな顔をする。


「ううん、なんでもない……黎。今仮に私があなたを責めても、胸の内にある気持ちは何一つ晴れはしないわ」

「――」


それは私の浅はかな考えを否定する言葉。


「後悔や罪悪感を抱いたというなら、その気持ちを抱えて生きていきなさい。安易に逃げて楽になろうとしてはダメ。それは春くんに対して失礼よ」

「――っ」


……そうだ。その通りだ。

私は償うつもりが、この辛くて苦しい現実から逃げて楽になろうとしていた。


なにが責めてだ、なにがわからせてだ――なにが醜い心を終わらせてだ!


本当に償うつもりがあるなら、どんな現実でもちゃんと受け入れて背負わなくちゃいけないはずなのにっ!私はまた過去と同じ間違えを繰り返そうとした!!


「っ!」


もう泣いちゃダメだ!泣いてもなにも変わらない、なに一つ許されない。

泣いて満足するのは私の心だけ――私が今するべきなのは、泣くことじゃない。


「お、母さん。もう大丈夫だか、ら……話しを続けて。まだ、何かあるんだよね?」


お母さんは最初に「先ずは」って言っていた。

それはつまり、私への要件が一つだけではないということ。


「ええ、そうね……こんな状態のあなたに伝えるのも酷だけど」


私の言葉に頷くと、お母さんは少し口ごもりながらも真っ直ぐと私の方を見た。




「――春くんね。近々家を出ることになるから」




「え――」


お母さんが告げた言葉に激しく動揺する。


あのときは売り言葉に買い言葉だと思っていたけど、まさか本当にお兄ちゃんがここからいなくなるなんてっ!


「当たり前よね。あんなことがあった後じゃ、春くんも家には居辛いだろうし」


そんな……私のせいでお兄ちゃんがっ!私があんなことしなければっ!!


今までの比にならない程の後悔の念が押し寄せてくる。

それと同時に、あのときお兄ちゃんが言っていた言葉を思い出した。


「お……お兄ちゃんが出て行った後に暮らす家って……友達の家、なの?」

「友達?あー、確か楠さんね」


楠って言うんだ、お兄ちゃんに同居を提案した人は。


「それは安心して。流石に未成年の春くんを見ず知らずの女の元に行かせるつもりはないから」


それを聞いて少しだけ安心した。

だけど、同時に心が暗くなる。


やっぱりお兄ちゃんが言ってたのは女の、それも成人した人だったんだ。


「私の知り合いに不動産を扱ってる人がいるの。信頼できる人だから、その人が管理する物件のどれかに春くんを住まわせようと思ってる」


そんな、もうそこまで決まってるなんてっ。


もう二度とお兄ちゃんとは関わり合えないのでは?という絶望感にも似た気持ちで胸がいっぱいになる。



「……とまぁ、ここまで言ってなんだけど、まだ実際には何も決まってないの」



「――え」


ど、どういうこと?


「もちろん、明日には知り合いに話しは通すけど、実際に物件が見つかって、手続きして、引っ越すってなると直ぐにとはいかないわよ」

「……なにが、言いたいの?」




「もうー、わからない?まだってこと」




「――」


まだ、やり、直せる?私はこれからもお兄ちゃんと一緒にいられる?


「もちろん、それはすっごく大変だと思う。だって今までやってきたことは消えないもの」

「っ」

「でもね」


お母さんは優しい笑みを浮かべて私に微笑む。




「春くんがそうであったように、今の黎も自分の間違いを理解して、後悔してる。変わりたいって思ってる、でしょ?」




あんなことはもう二度と繰り返したくない。

これからはお兄ちゃんを傷付けない私になる、それが私の新しい一歩。


「……うん。私――変わるよ。もう、間違えない」

「なら、頑張りなさい。どんなに惨めでもになったのなら、絶対にその人をものにしたいって思うなら、できるでしょ?」


お母さんが告げた言葉に、私の顔は一気に赤くなる。


「え、あ――お母さん、気付いて!?」

「当たり前でしょ?むしろあんなわかりやすい態度で気付かないのは、春くんぐらいだと思うけど?」


は、恥ずかしい。ずっと隠してたつもりだったのにっ!


「でも、このチャンスは有限よ」

「有限……」

「黎が本当に春くんと一緒にいたいと思うなら、契約が結ばれるまでの間に春くんの気持ちを変えてみなさい」

「――」

「これが私にできるギリギリのラインだからね?」

「……っ、ぁあ、お母さん……」


さっき泣かないって決めたばかりなのに、お母さんの優しさに涙が溢れる。

だけどそれは、さっきとは違い希望が見えたことへの喜びの涙。


まだ、切れていなかった。

お兄ちゃんとの繋がりは、細い糸だけど残ってる。

なら、私は――






「あ、言っておくけど、私は例え春くんがこの家を出ても、週五日ぐらいの頻度で様子を見に行くつもりだから」






「……は?」


想いを決意に変えようとしたところで、お母さんの爆弾発言が投下される。


「それに、これからは自宅でお仕事することになるから、今まで以上に春くんとの時間も作れるわね。ふふ、春くんの寝顔を見たり、起こしてあげたりとか色々お世話してあげたいって思ってるの」


この女は何を言ってるの?


さっきまで尊敬していた母に対して、今度は強い殺意を抱く。


と言うか、私だって最近はお兄ちゃんの部屋に入ることもできずにいるのに、言うに事欠いて寝顔を見たり、起こしてあげるなんてそんなうらやま――けしからんことを考えるなんて!


「お、お母さんっ!お兄ちゃんは息子でしょ!」

「うん?息子でも朝起こしたりするでしょ?それに戸籍上だけで、元々血は繋がってるわけじゃないんだし」


「(この母親、まさかお兄ちゃんを狙ってる!?)」


そういえばお母さんは、よくお兄ちゃんに抱きついたり匂いを嗅いだりしてたような……え、もしかして私の最大の敵ってお母さん!?


「あ、勘違いしないでね?私は春くんを愛してるけど、男の子として見てるわけじゃないわよ?ちゃんと子供として見てるから」


そ、そうだよね。よかった……流石に実の息子ではないにしろ、子供を異性として意識してるとかは有り得ないよね?


「でも、春くんが求めてくるなら応えちゃうとは思うけど」


――訂正。この女、ヤバすぎるっ!


ちょっと、お兄ちゃん!

私を含めてなんでこんなヤバめの女ばかりに好かれてるのっ!!


お兄ちゃんの女性関係が本気で心配になる。

だけど、それと同時に――




「ぜ、ったい渡さないからっ!」




気付けば私の口からは力強い声が出ていた。


こんな年増に負けたくない。

お兄ちゃんの友達だっていう、楠さん?にも。

もちろん、お兄ちゃんを振ったクソ幼馴染みや学校で変に絡んでいるのを見掛けるギャル、バイト先にいるっていう後輩にもだ!


「ふふ。そんなに元気があればもう大丈夫そうね」


大丈夫。

私はまだ、諦めないっ。


「夕ご飯はリビングのテーブルに置いてあるから、落ち着いたら顔を洗って食べなさい」

「うん……わかった」


そう言うと、お母さんは椅子から立ち上がり部屋を出て行った。


「……ありがとう、お母さん」


もしかしたらお母さんのあの発言も私に発破をかけるために言ったのかもしれない。


「……私、頑張るから」


諦めきれない想いがある。

叶えたい願いもある。

そして、そのチャンスを有限だけどもらえた。


なら、私は今度こそ間違わない。

望みを叶えるために出来る限りのことをする。


「――覚悟してね、お兄ちゃん」






――――SIDE:水無月桜――――


私は階段を下りながら、黎の様子が戻ったことにほっとしていた。


「ほんと、手の掛かる子」


そう言いつつも私は微笑んでいる。


子供の成長は本当に早いもので、少し目を離すだけで大きく変わってしまう。

特に最近は子供達に関わることができなかったから、その変化を見逃していた。


……正直あと少し遅ければ手遅れになっていたと思う。

そう感じられるほど、二人の関係はこじれてしまっていたから。


「だけど、ギリギリで間に合ったわね」


私の焚き付ける行動がどんな結果をもたらすのかはまだわからない。

それでも親として、子供達には後悔のない選択を選んで欲しいと思わずにはいられない。




「……それにしても」




春くんの変化には驚いた。

昔からあの子を見ていたけど、今日のあの子は一皮剥けたというか、前よりも魅力的に見える。


「あんなの女の子達が放っておかないんじゃないかしら?」


春くんの今後の女性関係が少し不安になる。


でも、それもこれもキッカケは楠さんなのよね?


「むー、そう考えると少しムカムカするわね」


私自身ハッキリしない不快感に襲われる。

親として子供の成長は喜ばしいはずなのに、どうしてだか春くんが私以外の女によって変わったことを素直に喜べない。



「……まさか、ね」



不意に浮かんだ言葉。

私はその気持ちを誤魔化すように頭を振るった。


「きっと疲れてるのね……お風呂にでも入ってスッキリしようかしら」


そういえば、春くんが入浴剤を買ってきたって言ってたわね。


私は春くんが買ってきてくれた入浴剤を楽しみに、足早に浴室へ向かう。


その最中、心の中で小さく呟く。


「(だって、言えるわけないじゃない)」




――自分以外の女に好きな子を取られた気がして嫉妬した、なんて。

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