愚かな自分を見つめ直す時 SIDE:水無月黎
昼過ぎ、お兄ちゃんとの言い合いの後、私は何もする気が起きずに部屋にこもっていた。
気付けば窓から差し込む光は消え、代わりに暗闇が部屋の中を覆い尽くしている。
「……お兄、ちゃん」
そんな中、浮かんでくるのはお兄ちゃんの冷たい眼差しと、明確な拒絶を示す言葉ばかり。
「なにが、いけなかったの?」
そんなのわかりきってる。
お兄ちゃんの優しさに甘えて、自分勝手なことばかり言った。
最近では暴言ともとれる言葉を吐いて、お願いとは名ばかりのまるで命令をするような口調で接してた。
私の態度が全て間違っていたんだ。
ずっと間違えて、間違い続けて、でも私は正しいと勘違いして……
『お前自身が招いた結果だろ?今更そんなこと言われても俺はもうお前のことを昔みたいに大切には想えないよ』
「うっ、ぁぁああ!!」
また、涙が両目から溢れる。
今日何度目かわからない涙を流す。
「好きだった、のにっ!」
ずっと好きだった。
初めて会ったあの日から好意を抱いて、緩やかに、でも確かに『好き』って気持ちが育まれていった。
お兄ちゃんが冤罪に苦しんでいたときも、お母さんを亡くして絶望していた時も傍にいた。
支えることは出来なくても、せめて隣にいることぐらいはしたいと思ったから。
お母さんにもその気持ちが伝わったのか、お兄ちゃんがあのクズに引き取られる前の僅かな期間一緒に暮らせるようになった。
――この機会にもっとこの好きって気持ちを大きくして、いつかはちゃんと伝えたいって、そう思っていた。
「なの、にっ」
わかってる。
私が全部悪い。
「こんな態度取らなければっ」
違っていたかもしれないのに、昔の私は弱かったから。
自分の意思を貫き通せるほどの強さも、お兄ちゃんの隣に立つ自信もなくて――
『あははは、あの子さぁ春人くんと血が繋がってないのにお兄ちゃんとか言ってるのキモくない~』
『だねぇ!春人くんと釣り合ってないってわかんないのかなぁ』
『ほんと、調子乗ってるよね……』
だから、仲が良いと思っていた友達の言葉に心底ショックを受けた。
このままお兄ちゃんの隣にいたら何をされるかわからない恐怖心、本当に自分が隣にいてお兄ちゃんは幸せなのか?という懐疑心。
そんな考えが止まらず、待ち望んだ一緒に暮らせる期間にお兄ちゃんから距離を取るという愚かな選択肢を選んでしまう。
――あの日、私は自分自身に負けたんだ。
浅ましくも自分を優先した私。
けれど、お兄ちゃんは決して見捨てなかった。
自分だって辛いはずなのに、事故で傷付く前と同じように世話を焼き、私の心を優しく包み込んでくれて――その姿に、好きって気持ちが止めどなく溢れて大きくなっていき……ただただ辛かった。
でも……辛いはずなのに幸せにも感じて、結局拒絶できずにその日々を受け入れてしまった。
自分から逃げたはずなのに、結局はお兄ちゃんの優しさに甘えた卑怯者。それが私。
――だから、後の結果は当然の報いなのかもしれない。
あの日以来、お兄ちゃんを裏切ったことへの罪悪感は日に日に大きくなっていく。
いつしか私のことを大切に想ってくれるお兄ちゃんの姿が眩しくて、真っ直ぐに見られなくなって――気付けば、キツい態度を取り始めていた。
『ねぇ、これ私の代わりにやってよ』
最初はほんと、些細なこと。
掃除を自分の代わりにやって欲しいって、お兄ちゃんにお願いした。
お兄ちゃんは快く引き受けてくれて……でも、それが私の心を更に苦しくさせる。
『(そんなに優しくしないでよ!いっそ、罵ってくれたらこんな気持ちにならなくて済むのにっ!!)』
だから、もっともっと!と、罪悪感から目を背けたくてお兄ちゃんに無理難題を言って困らせた。
もうお前に付き合いきれない、お前なんて必要ないって……そう、言って欲しくて。言ってくれればこんな罪悪感を抱かずに、昔みたいな気持ちでお兄ちゃんと向き合えると思ったから。
――そんなはずはないのに、そう思わないと当時の私はこの苦しさに堪えられなかった。
でもお兄ちゃんは、困った笑みを浮かべながら私の全部を受け入れてくれる。
私からの理不尽に応える姿を見ていると、最初は罪悪感でいっぱいになり涙で枕を濡らした。
「本当はあんなことしたくない」、「お兄ちゃん助けて」、「苦しいよっ」という言葉が何度も何度も頭の中で繰り返され、その度に「今度こそはちゃんと話そう」と思う。
だけど、最後の一歩を踏み出す勇気が出なくて……いつしか罪悪感は薄れ、私はお兄ちゃんを都合良く扱うだけの悪い妹になっていたんだ。
それは結局あのクズに引き取られるまで続き――私は一度もお兄ちゃんに謝ることもありがとうと伝えることもできなかった。
お兄ちゃんが居なくなってからというもの、私は落ち込むでも喜ぶでもなく、ただただ空虚な毎日を送っていく。
大切な何かが欠けたような感覚を覚えながら過ごす中、不意にお兄ちゃんのことを思い出すこともあった。
その度に何度も何度も泣いて、後悔した。
何度謝りたい、やり直したいと思ったことか。
でも、それを伝えたい相手はもう傍には居らず、時間だけがただ過ぎていく。
いつしか私は小学校から中学校に上がり、お母さん譲りの容姿と学年でもトップクラスの成績から人気者になっていた。
お陰で今でも付き合うのある親しい友達も出来たし、学校での行事や男子からの告白など学生らしいイベントも体験できた。
その日々は楽しかったし、きっと充実もしていたと思う。
――だけど、いつも心の何処かにはお兄ちゃんの姿があった。
どうしてもまた会いたい、会って今度こそちゃんと話したいっていう気持ちはいつまでも消えてくれなくて。
『ねぇ、黎。私ね、今度春くんを引き取ろうと思うの。実はその手続きもしてて――』
そんな私の願いが叶ったのか、お兄ちゃんを引き取ったクズの悪事が表沙汰になり、これを機にとお母さんはお兄ちゃんを正式に養子としてウチに迎え入れることにした。
嬉しかったし、幸せだった。
またお兄ちゃんの傍にいることができるって考えるだけで、心が満たされていく。
けれど、同時に不安もあった。
もしも、お兄ちゃんが変わっていたなら……私はどうしたら?
――そして、いよいよ再会の日。
やってきたお兄ちゃんは昔とは違い目元を前髪で隠し、服装も肌を隠すような長袖を着て、ザ陰キャ男子という見た目になっていた。
それに加え何処か遠慮しがちな話し方で、私は距離を感じずにはいられなかった。
――程なくして始まった生活。
学校は高校と中学だったため、そもそも接触出来ない。
なら家で!と思っても、いつも家事や勉強、バイトなどで忙しくしていた。
何度も話しかけるチャンスはあったのに、結局遠慮して話すのを後回しにしてしまう。
――更に兄妹という関係が距離感を作った。
一緒に暮らせること自体は幸せであったけど、兄妹になってからというもの、お兄ちゃんは私を黎ではなく妹という括りでしか見てくれなくなった。
妹だから助ける。妹だから――お兄ちゃんをそうさせてしまったのは、きっと過去の私の行いが原因だと思う。
そんな現状を変えようにも、私には昔の罪があるため、いきなり素直な気持ちや好意を伝えることもできず……
――ゆっくりと関係を修復しようとした結果、お兄ちゃんはあの幼馴染みと付き合うことになった。
「(私は伝えたい気持ちを必死に我慢してたのに、あの女はそういうのを何段も踏み越えてお兄ちゃんの特別になるなんて!お兄ちゃんもお兄ちゃんだよっ。そういった素振りは全くなかったのに、いつの間にかあの女と付き合うなんて……私がどれだけ悩んでたのかも知らずにっ!)」
この頃から明確に幼馴染みであるあの女に対して嫉妬心を抱くようになる。
それと同時に、お兄ちゃんに対しての気持ちも怒りが勝るようになっていた。
自分でもわかってる。
このときの嫉妬も怒りも、全部身勝手極まりないものであることは。
だけど、ずっと溜め込んでいた感情が溢れ出てきて止まらなかった。
――だから、また『お願い』をするようになる。
そんな私の行動をお兄ちゃんは渋々ながらも受け入れてくれて……それも私の行動に歯止めが利かなくなった要因の一つだと思う。
次第に行動はエスカレートし、気付けばあの女との時間をなくすためにはどうすればいいのかを考えるようになっていた。
――壊してやりたい、と強く思う。
結果的にあの女は自分の愚かさによってお兄ちゃんを失った。
そのことを知って私は嬉しかったし、喜んだ。
これでお兄ちゃんとの関係を少しでも良い方向へと進められると思ったから。
――だけど、現実はそうはならなかった。
私はずっと自分の気持ちを隠してきたため、お兄ちゃんの前では素直になりきれず、キツい態度をとってしまう。
あの時ももう少しやり方があったはずなのに、少しだけでも自分の本心を言うことが出来ればよかったのに……ダメだった。
せっかくお兄ちゃんが少しだけど歩み寄ろうとしてくれたのにっ、私はまた全てを台無しにして!
僅かに残ってたお兄ちゃんとの関係がっ、今度こそ……っ、本当に終わって……
「お兄、ちゃん……いや、だ。いやだよぉお!」
この声が届かないと知りながらも、ここにはいないお兄ちゃんへ縋ってしまう。
そんな時間を何度も何度も繰り返した頃、ゆっくりとドアをノックする音が室内に響いた。
――――――――――
次回は黎と桜視点でのお話になります。
久々に4,000文字以内に収めることができました……
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