天使さんは同棲したいようです
「はい、これ。春人くんが注文した飲み物ね」
榎本さんとの一件があった後、俺と美玖さんは休憩する意味もあって近場のカフェへと入っていた。
「あ、ありがとうございます!」
「ううん。さ、一息つこっか」
差し出されたカップに口をつける。
紅茶のいい香りが鼻を抜け、程よい温かさが体の中を巡っていく。
「ふぅ……落ち着きますね」
ついさっきまで怒濤の修羅場展開だっただけに、ようやく人心地つけた気がする。
「だねぇ……ふぅ~。あの時はちょうどいいタイミングで助けに入れてよかったよ。あの子あのままだと何するかわからなかったし」
「……そう、ですね」
流石に傷害沙汰にはならなかったと思うけど、そんな可能性を感じさせるほど榎本さんの表情は鬼気迫っていた。
「……春人くん。もしかして自分のせいだって思ってる?」
「え、いえ……違いますね。少しだけ、責任を感じてはいます」
恐らくだが、彼女をあそこまで追い込んでしまったのは俺にも一因がある。
そのことに対して責任は感じているけど、あのときわからせたことを俺は後悔していない。
きっと遅かれ早かれああなっていただろうし、これ以上自分に嘘をついてまで彼女と関わっていきたいとは思えなかった。
――だから、あのときあの場面で俺は彼女をわからせた。
とはいえ、それでスッキリするかと聞かれると黎の時と同じで奥歯に物が挟まったような気持ち悪さは残っている。
――もしかしたらこれも俺が捨てなければならない甘さなのかもしれない。
「でも、大丈夫です。彼女とはもう関わるつもりはないので」
そこだけはハッキリしている。
俺は榎本美音という女子との繋がりを絶った。
そして榎本さんも、俺と美玖さんにあれだけ言われたんだ。流石に理解してくれただろう。
「……なら、いいけどね」
美玖さんは、ぼそっと不穏なことを口にする。
いや、流石にあれだけのことがあっても、まだ近寄ってくる
俺の訝しむ視線に気付いたのか、美玖さんは大人びた笑みを浮かべる。
「ふふ、春人くんはお子ちゃまだからねぇ」
「……」
なんか馬鹿にされた気がする。
「帰ります」
俺はスッと席から立ち上がった。
「あ、ちょ!ごめんっ!ごめんなさいっ冗談ですっ!!」
そんな俺の様子に、美玖さんは慌てた様子で止めに入る。
「……冗談ですよ」
俺は苦笑を浮かべながら、再び席に着いた。
「むー、さっきの発言の仕返し?」
「みたいな感じです」
「もうー」
呆れた声を出してはいるものの、その表情は笑っている。
「まっ、いっか。春人くんが年相応の姿見せてくれてお姉さん的には嬉しいし」
「っ」
そういうことをサラッと言われると恥ずかしくなる。
確かに今の行動は、今までの俺だったら出来なかっただろうし、そもそもこんな行動をしようとすら考えられなかったはずだ。
それが今では軽口に近いやり取りが出来ており、段々と美玖さんの前で変な肩肘も張らなくなってきた気がする。
――それが良いことなのか悪いことなのかはわからないけど、これまでに抱いたことのない気持ちが生まれているのを感じた。
「そ、それより!」
このままだと美玖さんのおもちゃにされると感じた俺は、流れを変えようと声を上げる。
なにか、なにか話題は――あ。
「そう言えば……そんな大荷物どうしたんですか?」
会ったときから気になっていたことを尋ねる。
「あ、これ?」
「はい。その袋って確か家具とか小物とか扱ってるお店のですよね?」
俺も何度か利用したことがあるから知っている。
お手頃の価格ではあるけど、結構作りはしっかりしてるし、デザインも豊富で人気があるお店だったはずだ。
「そうだよぉ!ほら、さっき春人くんから連絡があったから」
「連絡、ですか?」
え、それと何の関係が?
「もうー!家に居づらいから居候の件お願いするかもって言ってたでしょ?」
「確かにメッセージは送りましたけど……」
それが一体なんで、買い物に繋がるんだ?
……いや、まさか。
「あ、あの、非常に聞きにくいことなんですが」
「うん?なにかな?」
「もしかして――その袋に入ってるのって俺の、ですか?」
「え、うん。そうだけど?」
いや、なんで首を傾げて不思議そうな表情してるんですか!?
「いや、あの!まだ桜さんにも話しを通してませんし、本当にお世話になるかはわからないんですよ?」
「そうだねぇー」
「そうだねぇーって、だったらなんで」
俺の疑問に、美玖さんは神妙な面持ちになる。
もしかして、俺には考えも及ばない事情があるのか?
「春人くん。この世界に絶対ってないんだよ?」
「え、あ、は、い?」
「もしかすると春人くんの居候の話がトントン拍子に進んで、今日から我が家でお世話になるかもしれないでしょ?」
いや、流石にそれは迷惑になるだろうし、ないと思うんですけど。
「それに私はこう見えて社会人だからね。いつでも春人くんをお迎えに行けるわけじゃない。なら早めに用意しておいた方が、もしものときに慌てなくて済むでしょ?」
「た、確かに?」
言いくるめられてる気はするけど、言わんとすることはわかる。わかるけど……行動早すぎじゃないか?
もしかして美玖さん、俺が居候に来るのを楽しみにしている?
「(なんてな)」
可笑しな考えが浮かび、思わず一笑する。
「……まぁ、いずれは一緒に暮らすつもりだったし(ぼそ)。ねっ、春人くん♥」
「え。は、はい?そう、ですね?」
えっ、急にどうしたんだ?何事?
美玖さんの突然の行動に首を傾げながら、俺はカップに残った紅茶を飲んでいくのだった。
◆◆◆
「そろそろ、分かれ道だね」
「ですね」
何だかんだ美玖さんとはいろいろな話しをした。
好きな食べ物や飲み物といった一般的な内容から、何故か俺の学校での様子まで(特に女関係は根掘り葉掘り聞かれた)幅広くだ。
その結果、カフェには想像以上に長居してしまい、外へ出た際には景色が薄暗くなっており、空には星の輝きが見え始めていた。
「それじゃあ、春人くん」
「えっと、本当にお家まで送らなくて大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫!ちゃんと近くに迎えは呼んでるし、それにこの後ちょっと用事もあるから」
仕事が休みなのにまだ用事があるのか。
こんな時間まで付き合わせる形になってしまい、申し訳ないことをしたな。
「それじゃあ、進捗があったらちゃんと連絡を入れてね!」
「あっ!はい、なにかあれば美玖さんに伝えます――今日は本当にいろいろとありがとうございました!!」
「――うん!じゃあね!今度は春人くんのバイト先の喫茶店とかで話せればいいねっ!!」
そう言うと美玖さんは両手に持った袋を揺らしながら、道向こうへ走っていった。
美玖さんの姿が完全に消えたのを確認した俺は、美玖さんが走った方とは逆方向へ歩き出そうとする。
「……あれ?」
ふと、気になることがあった。
「俺、美玖さんに喫茶店でバイトしてること話したっけ?」
大した内容ではないんだけど、そこが少しだけ気になった。
◆◆◆
「あれ?」
家の前まで来ると、車庫には見覚えのある黒のスポーツカーがあった。
「もしかして桜さん、もう帰ってきたのか?」
あれは普段桜さんが乗っている車だ。
だけど、普段は仕事が休みの日か出勤前の朝、帰宅後の夜中ぐらいでしか拝めない。
それがこんな、まだ夕食時の時間に見ることになるなんて珍しい。
もしかして、俺が話したいことがあるって連絡を入れたからこんな時間帯に?
そうだとしたら、本当に頭が上がらない。
「……改めて考えると」
本当の息子ではないのに、凄く気を遣ってくれている。
過去現在を含めて、桜さんがいたからこそ俺は真っ直ぐに生きてこられた。
――俺にとって桜さんは掛け替えのない存在だ。
「……だけど」
桜さんにとってもそうであるのか、断言できる自信が……正直ない。
情けないことこの上ない話しだが、それが今の俺なんだ。
「……この機会に聞いてみようかな」
俺のことをどう思っているのかもそうだが、それと同様にずっと気になっていたことがある。
それは、何故赤の他人である俺のことを引き取ってくれたのか?だ。
もちろん、母と知り合いであったことは知っているし、幼い頃から俺とも関わりはある。
だが、それで実際に子供を引き取って、更には育てるなんて果たしてするだろうか?
正直子供一人育てるのにも大変な世の中だ。それが余所の子ともなれば、抱える苦労は想像に難しくない。
その決断には結構な勇気がいると俺は思う。
「最初は同情からだとも思ったけど」
わざわざ毒婦の元に引き取られる前に口座を移すことを提案したり、毒婦の問題に決着がついたら本格的に養子に招き入れたりまでするか?
「しかも全くお金を受け取ってくれないし」
『それは春くんのお母さんが春くんのために遺したものだから』って言って、学費以外は決して受け取ってはくれなかった。
なのに、ちゃんと食事は用意してくれるし、お小遣いやら誕生日プレゼントだったりで俺のためにお金を使ってくれる。
その姿に俺も迷惑をかけたくなくてバイトを始めたわけなんだけど……
「桜さん、めっちゃ不満そうだったな」
それこそ、数日間口をきいてくれないほどだった。
最終的には『無理はしないこと』を条件に渋々受け入れてくれたけど、今にして思えば俺のことを心配してくれてたんだよな、きっと。
「ただ、そうなると……引き取った理由を教えてくれるかは微妙だな」
どうも桜さんは、俺に母さんのことを思い出してほしくないと思ってる節がある。
俺が語る母さんはいつも最後のあの姿だったから――きっと、あの辛い出来事を思い出させたくないって思ってくれているんだろう。
「……教えてくれるかは、半々だな」
知ることができれば、今よりも桜さんを信じられると思う。
だけど、無理に聞いて桜さんに嫌われたくはないし、変な不安を与えたくもない。
「……これ以上桜さんを心配させるのも忍びないし」
家に入るか。
「――ただいまぁ」
迷いながらもやるべきことを決めた俺は、玄関のドアを開いた。
すると――
「春くんっ!おっ、かえりー!!」
「え、うぉ!?」
突然体に衝撃が走る!
痛む胸元を見ると……
「あー、久々の春くんの匂いだぁ……くんくん。ふぁぁ、落ち着く……仕事の疲れが癒やされるぅ」
黎をもう少しお淑やかに成長させたような出で立ちの女性――桜さんが、俺の胸元に顔を押しつけながら、恍惚とした表情でくんかくんかをしていた。
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