後悔の先にある想い SIDE:榎本美音

春っちがあの女と共にこの場を離れてから少し経った。


「……」

「……ねぇ、美音。大丈夫?」


さっきから一言も喋らない私を心配してか、久遠が控えめに声をかけてくる。


「美音、あんま気にする必要ないって」


茉莉も慰めるようにして優しく背中をさすってくれた。


「っ」


さっきあんな理不尽で自分勝手な態度を取ったのに、二人は今もこうして私のことを気遣ってくれる。


本当に得難い友達だと思う。思うけど……私にその優しさを向けられる資格があるのだろうか?


『一方的にあなたが春人くんを利用しただけでしょ』


不意にあの女の言葉を思い出す。


あの女が告げた全ての言葉が、まるで鉛のように重くのしかかってくる。


『――もう俺には話し掛けてくるな』


続いて春っちの、今まで一度も見たことのない冷たい表情が浮かぶ。


あの時の春っちの目には明確な拒絶を感じた。

優しくて私のことを何度も助けてくれた春っち。そんな彼にあんな表情をさせたのは……私?




「……わた、しは」




『なるほど。あなた――間違えたんだ』


そうだ、間違えた……私は間違えたんだ。間違い続けて、気付けば取り返しのつかない状態をつくってしまっていた。


「(でも、いつから?)」


あんなに仲が良かったはずの春っちに対して、いつからあんな自分勝手な対応をしていた?


思い出すために記憶を辿る。


「っ!」


かつての自分を思い出せば思い出すほど、あの女の言う通り、私は春っちのことを全く考えていなかった。自分の要望を押しつけてばかり。

最近は特に酷くて、春っちの話しをまともに聞かず、ううん。聞こうともせずに、ただお願いをするためだけに会話をしていた。



――ああ、こんなの春っちに嫌われて当然だ。



涙が溢れ、視界が濡れる。

それでも諦めきれずに記憶を遡っていく。




「……ぁ」




――そして見付けた。最初のお願い事を。


「(……そうだ。最初は本当に偶然だった)」


春っちが協力してくれたお陰で私のクラス内での評価は上がり、人気も出始めた頃だ。新しく出来た友達――当時の久遠から遊びに誘われた。

その時はちょうど先生に頼まれた仕事が残ってて、断ろうかと悩んでたところに春っちが現れて言ってくれる。


『それなら、俺が代わりに頼まれた仕事をしておくよ。だから、榎本さんは新しい友達と遊びに行って――頑張ってね』


優しい笑顔で提案してくれた結果、私は久遠と遊び、そこで茉莉と出会って――今の友達関係を築けている。


――あの日、春っちが助けてくれなかったら、二人とここまで仲良くなれたかはわからない。


あの時の春っちの行動はそれだけ私にとって意味があるものだったんだ。


すごく助けになったのは勿論のこと、何より春っちが頑張ってくれてるって思えたらとても幸せな気分になれた。




――だから、また聞いてくれるかもって期待を込めて二回目のお願いをした。




春っちは嫌な顔をせずに私からのお願いを引き受けた。

仕方ないなと言いながらも私のために行動する春っちの姿はとても格好良くて、どうしようもなく心が満たされていく。




――でも、一度満たされた心はもっと欲しいと、それ以上を求めてしまう。




三度目、四度目と続いた頃、次第に春っちに対する罪悪感や迷惑に思ってるかもっていう考えはなくなっていった。

春っちなら断らないって、謎の自信を持ってお願いし続けていたんだ。


「(でもっ)」


ちょうどこの頃、春っちに彼女が出来たことを知った。


相手はクラスでも私と人気を二分する女。しかも春っちとは幼馴染みだという。


――許せなかったし、認められなかった。


何とかしようと思ったけど、私は私でクラス内での立場が上がった弊害から、クラスで陰キャと認識されている春っちに対して、前のように声をかけることが出来ない空気が作られていた。

また、彼女持ちにちょっかいかける女と思われるわけにもいかず――だから、コミュニケーションを取る手段としてお願いを利用することを考える。






――今にして思えば、この頃からだ。私が春っちへお願いすることが当たり前のように考え始め、それに比例するように態度が雑になったのは。






春っちと昔のように関われない寂しさやあの幼馴染みに取られたくないって嫉妬心、春っちは彼女がいても私を大切にしてくれる――そんな自分だけが特別という優越感も合わさって、春っちへのお願いの頻度やその内容、態度は段々と理不尽なものになって……


「(私っ、なんて、こと……っ)」


辛かった時を支えて手助けしてくれた大切な人――それが、春っち。恩人であり、私が傷付けて良いはずのない男の子。


なのに私は、春っちのことを何も考えず、ただ好意に甘えていた。少し考えれば春っちがどんな気持ちで私のお願いを聞いていたのかわかるはずなのにっ!


「ぁ、ああ」


最近、私のお願いを聞いていた時の春っちの顔を思い出す。

あれは最初の頃とは全然違う、まるで何も感じさせない能面のような表情だった。


「そん、なっ」


春っちが私のために行動してくれるっていう麻薬にも似た幸福感に抗えず、私は都合の悪い部分を一切見ようとはしていなかった。




――その結果、私は春っちから拒絶されたんだ。




「……美音、もう帰ろ?涙でメイクも崩れてるしさ」


そんな私のことを気遣い優しく提案する久遠。


「美音さぁ、あんな陰キャなんて別にいいっしょ?そりゃあ、筋肉は凄かったけど、美音ならもっと別のいい男捕まえられるだろうしさ」


茉莉も内容はあれだけど、きっと励ましてくれているのだろう。


だけど、だけどね。



「……いないんだよ。彼の代わりなんて」



絞り出すような声が漏れる。


そう。いないんだ。

私のことを救ってくれて、困っていた時に手を差し伸べてくれる優しくて格好いい男の子なんて、彼以外には。


「美音……ちょっと、茉莉っ」

「ご、ごめん!」


二人は私の様子に慌てたように謝ってくる。


「……ううん、全部私が悪いから」


彼の代わりなんていないってわかっていたはずなのに、わかっていながらあんな態度をとり続けた私が全部悪い。

だからこれは仕方ないこと、報いなんだ。




『――今後は私の春人にちょっかい出さないでね』




もう手遅れだと、全てを諦めようとしたところで最後に浮かんでくるのは、あの女の勝ち誇ったような笑み。


「……だけど」


自分だけが彼を理解しているとでも言いたげな表情に、私は無意識に拳を握る



「……ワガママだって言われてもいい。恥知らずだって罵られても構わない」



あの女から最後に言われた言葉が、折れそうになる心に火を灯す。






「それでも――は春っちとの時間が欲しい。彼の隣にいたいっ!」






それが今の私の――ウチの願い。

例え昔のように親しくなれなくても、もっと嫌われることになったとしても……それでも、この想いは諦めたくない。


そんな気持ちから出た言葉へ応えるように、久遠と茉莉は互いに顔を見合わせ頷く。


「美音――わかった。私達が協力してあげるよ」

「だねぇ。美音のこんな姿見せられたらさ、アタシ達も協力しないわけにはいかないっしょ」

「二人、とも……」


思わず泣きそうになる。

こんなウチを助けてくれる人がいる――それも春っちが作ってくれた繋がりによって。


「でも、厳しい戦いになるのは理解しなよ?あいつの中だと、美音の存在はもう……」

「……わかってる」


春っち自身が言ったように、今のウチはただの迷惑なクラスメイトだ。

彼を傷付けてきたことを考えれば、マイナスもいいところだろう。


「後、あのお姉さんめっちゃ強敵だと思う……」


それにはウチも同感だ。

あの女は春っちのことをよく理解しているように見えた。

どうしてあそこまで春っちのことを知っているのか……ウチはこれまで春っちやその周りからあの女の名前を聞いた覚えはない。


「それに気になることも言ってなかったっけ?確か同棲って」

「あっ!言ってた言ってたっ!!」

「た、確かにっ」


春っちと腕を組んで同棲って……え、どういうこと?春っちってあの女と付き合ってんの?いやでも、幼馴染みから振られたって昨日言ってたばかりだし……もしかして春っちってプレイボーイ?え、じゃあ、なんでウチに手出してくれなかったの!?


「うわぁー、美音がこんなテンパってるの初めて見た」

「アタシも……そんなにあの陰キャが好きなんだ」

「……陰キャじゃないから」


春っちは陰キャに見えるけど、実のところそんじょそこらの男子よりも顔立ちは整ってる。

あんなに格好いいのになんで普段は髪で目元を隠しているのかはわからないけど、雨の日に少しだけ覗いた黒く陰りのある瞳は、ずっと心の奥底に刻まれていた。


「まぁ、ただの陰キャだったらあんな体してないかぁ」


茉莉は手をニギニギしながら、春っちの体に触れた時の感覚を思い出しているみたいだ。


「そ、うだね」


ウチはお腹を触ったけど、凄く硬かった。

ウチも体型には気をつけているから筋トレはしているけど……あんな指が沈まない硬さの腹筋になるまで一体どれだけ鍛えたのか想像もできない。


「あんないい体してるなら長袖とか着ずに見せればいいのにさぁ~。絶対女にモテると思うけど」



「は?」



春っちが見ず知らずの女達に囲まれている姿を想像すると、すごく嫌だ。不快過ぎて想像したくもない。


「ちょ、茉莉!美音怒ってるから」

「わっ、ご、ごめん美音!」

「別にいいけど……ウチには関係ないことだし」


嘘だ。

想像だけでこれなら、きっと実際に見たときにはもっと嫌な気持ちになる。

あの女と春っちは親しそうだったし、もしかして――なんて思ってしまうと、また気分が下がっていく。


「……でも、確かに春っち。いつも長袖着てたなぁ」


思い起こされるのは春っちとの記憶。

その記憶の中で、彼はいつも長袖を着ていた。それこそ体育の授業の時も長袖ジャージを着て、極力肌が見えないようにしていた気がする。



――不自然なほどに。



「あー」


すると、久遠は何か言いにくそうな声を出した。


「……久遠?何か気になることでもあるの?」

「いや、気になるっていうか……うーん。私の見間違いかもしれないけど、彼の首元から背中にかけてみたいのが見えたんだよねぇ」

「え、傷?」


体に残る傷があるなんて、春っちからは聞いたことがない。


「そう。それに気付いたときに思わず声出ちゃったんだけど、そしたら私達引き剥がされたでしょ?」


言われてみれば、ウチ達が引っ付いていろいろお触りしていたときはされるがままだったのに、久遠が何かに気付いたような声を出したときだけ反応が違ったような……




「――美音。もしかしたらあいつさ、想像以上に辛い目にあってきたんじゃない?」




「っ!」


久遠の言葉に息を呑む。


「いろいろ不自然っていうか、噛み合ってないように見えるんだよね」


続けられた言葉に、ウチは少しだけ思い当たる節があった。

そして、それはどうやら茉莉も同じだったらしい。


「あー確かに。第一印象はザ陰キャ男子に見えるのに、体はバッキバキに鍛えてるし、久遠の言うことが本当なら体には傷があるんだろ?しかも、美音みたいなギャル相手にも退かないほど強い口調で反論してきたり、年上のお姉さんと同棲疑惑まであるって……いろいろヤバくね?」

「……ここだけ聞くと、明らかに裏家業の人っぽいね」


久遠の言う通り、ぱっと思い浮かんだのはそういった世界で生きる人の姿だ。


「で、でも春っちに限ってそんな!」


違うと続けようとしたけど、上手く言葉が出ない。


「……ぁあ」



――だって、気付いてしまったから。



春っちのことを知ったつもりになっていた。

だけど、その実、春っちが今までどんな人生を歩んできて、その胸の奥底に何を抱えて生きているのかも……本当に深い部分は、何一つ知らないことに。


「……ウチ、は」


これからどうやって春っちを知っていけばいいの?


その問いに対する答えはなく、ウチの行く道には先の見えない暗闇が広がっていた。






――――――――――

次回は春人の視点に戻ります。そしてついにあの人も登場!?

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