修羅場は天使にお任せ

「……誰、あんた」


美玖さんの登場に榎本さんは俺の服を掴む力を強める。


「春っちのなに?」


心なしか、その視線の鋭さは先程の比ではない。

もしも自分にとって望まない答えであった場合には許さないとでも言ってるように思える。


そんな榎本さんに対して、美玖さんはいつもと変わらない様子だ。

……いや、むしろ、いつもよりも明るい?


「私?私は春人くんの、うーん……かな?」


え、そうだったのか?

いやまぁ、恩人だし……美玖さんみたいな綺麗で優しい人が家族みたいに親しい関係だって言ってくれたのは素直に嬉しいけど、その紹介は流石にぶっ飛びすぎでは?




「は?」




そう感じたのはどうやら俺だけではなかったようだ。

心の中でツッコミを入れている最中、榎本さんは今までに聞いたことがないような低く冷たい声を出しながら美玖さんを睨み付ける。


「今、あんたなんて言ったの?」


俺の服を掴んでいた手は離れ、視線だけでなく、体も美玖さんの方を向いて本格的に対峙している。


「だから、春人くんの家族の次に親しいって言ったの。あー、もしかして聞こえなかった?ううん、聞きたくなかったのかな?あなたにとっては都合が悪い、認めたくない内容だからね」

「っ!」


美玖さんは美玖さんで榎本さんを煽るような発言をしていく。


と言うか、今気付いたけど――美玖さんの方も、さっきから笑顔だと思ったら目は全然笑っていなかった。

それに心なしか雰囲気もいつもみたいな優しいものじゃなくて、ドス黒い何かを感じさせる。




「……もしかしてあんたのせい?」




全く退く気がない美玖さんの姿に、榎本さんは何かに気付いたように問いかけた。


「何のことかな?言いたいことがあるならちゃんと言ってくれないとわからないよ?」

「っ!春っちが変わったことがよっ!!」

「え、春人くんが?」

「だって春っちは今まであんなこと言わなかった!それがここにきてっ!!」


榎本さんは感情を爆発させるように声を荒げていく。


「あの女と別れた直後まではいつもの春っちだった!なのにそれがたったの一日で変わった!しかもあんたみたいな女も突然現れてっ――それってつまり、春っちの変化には少なからずあんたが関わってるってことでしょ!?」


続けざまに美玖さんへと投げかけられる言葉の数々。

その様子に、美玖さんは何かを納得したように頷いた。






「なるほど、そういうこと。あなた――






「っ!」


……間違えた?どういうことだ??


「どうせいつも自分を助けてくれる彼にとって、自分は特別で何をやっても許してくれるって思ったんでしょ」

「ち、が……っ!!」

「違うの?私にはそう見えるけど?」

「っっつ!」


普段の美玖さんからは想像できない、冷たい眼差し。

それを真っ直ぐに浴びる榎本さんは、告げられた発言を必死に否定しようとするものの、言葉は続かず、視線だけが射貫くように美玖さんへと向けられている。


「さっきの春人くんに詰め寄ってるところもそう。どうせああいう強引な態度を取れば、優しい春人くんなら最終的には自分を受け入れてくれるとか思ってたんでしょ」

「――」


美玖さんの言葉に、榎本さんは心底驚いたように目を見開いた。




「――馬鹿らし。そんなことあるわけないでしょ」




そんな榎本さんを視界に入れながら、美玖さんは吐き捨てるように言葉を続ける。


「――っ」


動揺する榎本さん。

その姿に美玖さんは冷笑を浮かべた。


「どれだけ最初は特別な存在であっても、それを大切にしない相手をいつまでも特別に思う人間なんていないわよ」


冷たく言葉を吐いていく美玖さんの表情は、俺でもゾッとするほどの深い暗さを帯びている。


一体美玖さんの過去に何があって今そんな目をするようになったのか、それはわからない。


ただ、美玖さんもまた、俺のように傷付きながらも必死に生きている――それだけは、どうしようもなく伝わってくる。



「そもそもの話し、対等じゃない関係性じゃ長続きするわけないでしょ――ねぇ、春人くん♪」



と、ここで、さっきまでの冷たさとは打って変わって、いつもの優しい笑みを浮かべながら俺へと尋ねてきた。


その変化に戸惑いながらも俺は頷く。


「は、はい。そうですね……対等じゃない相手とは、やっぱり仲良くはなれないです」

「だよねー」


俺の言葉に満足した様子の美玖さんは、榎本さんの方へと向き直った。


「で、あなたは春人くんと対等だったわけ?」

「それ、は」


美玖さんの言葉に、榎本さんは口ごもる。


当たり前だ。

あんな自分勝手な姿を見せておいて、今更『対等に思っていた』なんて嘘は通用しない。


「まぁ、さっきの態度とかでもわかってはいたけど――あなたは一方的に春人くんを利用してるだけでしょ?」

「っ、ちが」


咄嗟に否定の言葉を口にする榎本さん。


しかし美玖さんはそれを許さない。


「違わないって。仮にあなたはそう思っていなくても、春人くんがそう思っていたのなら、それは利用していたことになるの」

「――」



相手の認識と自分の認識が同じことはない。

例えばリンゴと聞いて赤いと言う人もいれば、甘い、丸いと答える人もいる。

生まれた場所や生きてきた経験、価値観などによっても、目の前の事柄に対して抱く気持ち・考えは千差万別だ。

人と人は違う認識を持っているからこそ、ちゃんとわかり合えるように相手と同じ目線に立って価値観を擦り合わせていく必要がある。

それができない人は、いずれ痛い目を見ることになる。



榎本さんはそれができていなかった側――きっと、その結果が今という現実に繋がっているんだ。






「わかったかな?あなたは私が春人くんを変えたって言うけどさぁ――春人くんを変わらないといけないほど追い込んだのは、あなたの自分勝手な行動でしょ?」






「――ぁ」


美玖さんの言葉にようやく自分がやってきたことに気付いたのか、榎本さんの両目からはゆっくりと涙が零れ落ちる。


「今の春人くんは、幸せになるために昔の自分から必死に変わろうと努力してる。あなたはそんな春人くんの邪魔でしかない」

「ぁ、ぁあ」

「――これ以上春人くんに迷惑をかけるなら、私はそれ相応の対応をさせてもらうから」


ショックを受けた様子の榎本さんへ追い打ちをかけるように、美玖さんはしっかりと脅していく。


そんな美玖さんの姿を、榎本さんは言葉も発さずに唇を噛みしめながら見ていた。


両目には大粒の涙を浮かべ、さっきまであった暗い狂気を感じさせる眼差しや烈火の如く燃えた怒りの感情は鳴りを潜めており、その瞳は今は弱々しい。



――この結果に、どちらが相手を『わからせた』のか、言わずとも伝わってくる。



「さて、と。話しは終わったことだし、そこのギャル子ちゃん達はその子のことお願いね」

「は、はい」

「わかり、ました」


少し怯えた様子の久遠と茉莉は、美玖さんの言葉に反論することなく榎本さんの近くに寄っていく。


それを見届けた美玖さんは、俺の方へ振り返りニコッと笑う。



「じゃあ、春人くん。いこっか!」



そう言って、俺に腕を絡ませてきた。


「き、急になんですか!?ていうか、行くってどこに!」

「二人っきりで話せるところかなぁ~。私と春人くんとののお話、しないとでしょ」

「っ!」

「なっ!」


なんで、その話しを今言うんですか!?


戸惑う俺を余所に、美玖さんは一度ウィンクをする。


「あ、そうだ……これぐらいは、ね(ぼそ)」


そして、何かを思い出したように俺から腕を解くと――弱々しくこちらを見る榎本さんの近くに寄っていく。




「――」




近寄った後、こちらには聞き取れない大きさの声で何かを口にした。



「なっ!あんたっ!!」



美玖さんからの何かを聞いた榎本さんは、再び強い怒りを露わにする。

その表情は今まで見てきた中でも、一番怒りに満ちているように感じられた。




「ふふっ、じゃあね、勘違いさん」




そんな彼女の姿など眼中にないように、美玖さんは俺の腕に今度は大きな胸を押し当てながら、その場から俺を連れて(連行して)離れていく。




◆◆◆




「ちょ、み、美玖さん!いい加減離してもらいたんですがっ」


榎本さん達と話していた場所から少し離れた頃。

未だに腕を引っ張り、前を進んでいく美玖さんへと声をかけた。


「えー、お姉さんの大きな胸を当てられて、男の子としては役得だと思うんだけど」

「いやまぁ、柔らかくて気持ち良くはありますけど」


引っ張られているはずなのに、胸の柔らかさで全く気にならなかったし。


「ほらっ!」


ほらじゃない!それとこれとは話しが別なんですよっ!

周りを歩く人からは滅茶苦茶視線を向けられるし、胸の感触にドギマギするしで居心地が悪いったらありゃしなかった。


「まぁ、いいけど……はい」


渋々といった様子で俺の腕を解いてくれる美玖さん。


「ありがとうございます……で」

「んー?」

「……最後、なんて言ったんですか?」


あれ以前は落ち込んだ様子だった榎本さん。

しかしあの最後の、美玖さんが小声で何かを言った瞬間だけは、明らかに強い怒りを露わにした。

しかも、これまで以上の怒りを感じさせる表情でだ。


「あー、あれ?うーん、聞きたい?」

「え、まぁ……気にはなりますけど」


もしかして、話し辛い内容なのだろうか?


「そっかぁー、なら教えちゃおうかなぁ~」


そう言うと美玖さんはその場でクルリっと一回転する。


「私はね、こう言ったの♪」


突然の行動に驚く俺。


そんな俺の姿を笑いながら、美玖さんは耳元まで唇を近づけると――






「――『今後は春人にちょっかい出さないでね』って♥」






「――」


艶のある声と色気を感じさせる眼差し。そして何より、頬を赤く染め幸せそうに微笑む姿に――俺は背筋がゾクゾクと震えてしまうのを自覚した。






――――――――――

最初は春人だけでわからせるつもりでしたが、美音の春人に対する甘い考えを排除するには、当事者である春人以外の要素が必要だと思い美玖を登場させました。

お陰で美玖が美音の甘い考えを断ち切ってくれる良い仕事をしてくれました!

次回は、そんな二段わからせを受けた美音視点のお話になります。

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